渋家の人になることにした。正式にメンバーになるのは 4/1 からで、この記事は少しフライング気味なのだが、いろんな人に聞かれたり経緯を説明したりすることがあり、自分としても文章で考えをまとめておきたかったので残しておく。
私とシェアハウス
自分とシェアハウスの関わりは 2008 年の夏に遡る。 pha という人が東京の南町田に日本で初めて「ギークハウス」なる家を開いた。そして当時仲の良かった友人らが集まっていたので自分も遊びに行ったのが始まりである。当時のレポートはこちら。この頃の集まりは Hackathon と呼ぶのも烏滸がましいと思ったのだろうか「もくもく会」という名称であった。自分が初めて遊びに行ったのは実際には前述の記事の翌週だったと記憶しているが、とにかく人が共有の家に集まってもくもく作業したり談笑したり色々と面白いことをして遊んだりした。やがて頻繁に通って入り浸るようになり、ギークハウスという場を通して色んな人とまた新しく知り合ったりしたものである。
この記事によると渋家が誕生したのも奇しくも同じ 2008 年である。初代の池尻大橋からはじまって幾度かの引越しを繰り返した。自分が初めて渋家を訪れたのは特にクラブ通いを頻繁にしていた時期で、渋家は三代目の恵比寿。ちゃんももの ust を視聴して、屋内でクラブという斬新さに刺激を受けてことであった。実際に訪れてみるとマルチネの tomad らが DJ をしていたり、メンバーが豪勢な料理を振る舞ったり、とにかく楽しい場所で強烈にエネルギッシュな空間だという印象を抱いたのを今でも鮮明に覚えている。その後引っ越しが必要となって Twitter などで募金が始まり、ほんの幾らかだけど寄付した上で胸をワクワクさせながら友人らと一緒に新しい現在の四代目渋家を訪れたのもなつかしい。そんな四代目渋家はたとえば地下のクヌギを見ていただいてもわかる通り民家の常識を超越したエキサイティングなスペースだった。
なぜ渋家なのか
自分はソフトウェアエンジニアであり、クラブにはよく通うけども DJ でもないし、芸術に興味があって展示などをよく観に行くけどもアートをする人でもないし、なぜ渋家なのむしろギークハウスじゃないのと聞かれることもある。しかし自分にとって日本でいま一番熱くて暖かくて最も好きなスペースは渋家だと思う。プログラマ同士は趣味も合うから話もできるかもしれないけど、それより多種多様な人間が集まり、若いパワーに満ちていてホットなスペースのほうがさらに楽しそうだ。ただ家に住んで暮らすというだけでなく、アーティストグループでありやることなすことムチャクチャに常識破りなところも良い。とても良い。かっこいい。そんな折 2.5 万円で新メンバーを募集するという話があり、これぞ千載一遇のチャンスだと思ったのである。
お金の話になるが 2.5 万円ということは、年間通してもせいぜい 30 万円である。 30 万円というのは決して安い額じゃないし、それだけあれば美味しいものを食べたり旅行に行ったり新しいパソコンを買ったりできるかもしれない。でもそれで良いのだろうか。それはそれで良いものだけど物質的な満足だけでは虚しくないだろうか。物質的な欲求よりもっと求めるべきものがあるんじゃないか。そのお金を別のことに使うことで他では決して得られない歴史上のムーブメントに参加できるんじゃないだろうか。
いままでの試み
さてそんな五年来の付き合いである pha はこんな文章を書いている。引用しておくとコレだ。
自分はというと実は邸宅を所有している。かつて過去に恋人と同棲したことも無くは無いが少なくとも現在は一人で住んでいる。一人で住むのも良いものだがそれはそれでさみしいので、今年はクローズな SNS 等で一緒に住みたい人がいないか親しい人にそれとなく打診したりしていたものだ。だがどうも場所が郊外なためか何かと都合が付かずいまいち人が見つからないでいた。そんなとき二月末からひょんなことをキッカケに未成年の少年少女を数名ほど自宅に住ませて一緒に生活することになった。経緯の詳細は省くが知人でギークハウス水道橋の住人でもある平田氏からの要請で、行き場のなくなった数名がいるとのことでウチに来ていいと迎えることにしたのだ。好意であるので家賃もタダにして水道光熱費と消耗品費のみを徴収することとして、いくつかのルールを定めた上で家族同然の扱いで一緒に暮らすことにしたのだ。これは自分なりのシェアハウスの考え方についての試みを兼ねていて、皆が平等に家賃を払って話し合って決定するスタイルではなく、オーナーでもある自分自身が独裁的に権限を持つことで、自分がいわば親権の代行者、全体が家族といったような暮らしができるのではないかと考えたからであった。
おかげで友人がたくさんウチを訪れて泊まりにきたり料理を作ってくれたりした。最初の頃は楽しかったし貴重な経験ができたのも事実だ。しかし結論から言うとこれは長期的にはあまりうまくいかなかった。いやもしかしたら方法論としてはまちがってなくて単に自分でなければうまくいったのかもしれない。もともと自身が他人に対する期待値が高い人間で、潔癖でありパーソナルスペースを他人に侵されたくない性質を持っているのだと思う。だからこそ、他人に対して寛容であり期待値の低いシェアハウスの人々が暖かく素敵に見えていたのだ。自分もそうなりたいと思った。いま思うとおそらくそんな憧れと他人に対する許容できなさを何とか折り合いつけられないかという試みだったのだろう。しかしどうも自分の家は自分だけの空間でなければいけないようだ。次第に心にストレスを感じるようになってきつつあり、それを友人からの観察を通してやっと自覚的になれた。この件についてはやはり詳細は省くが結果的に三月末で解散することにし、現在の邸宅はまた一人だけのものにすることになった。
渋家でやりたいこと
現在の邸宅を本拠としつつ、オルタナティブなスペースである渋家のメンバーとなる。暮らし、運営に携わり、新しい面白いなにかを一緒にやっていく。一人になりたければ居城に帰還すれば良い。さみしくなったら渋家に帰れば良い。ゲストとして遊びに行くだけでいいんじゃないのという人もいたけれど、やっぱり都内の拠点として居場所が欲しい。シェアといっても色んなスタイルがある。渋家では新参者だ。だけど平等にお金を払っているメンバーだ。だからメンバーとして一人前のことを考えてやっていこう。色んな人が集まるからたくさん刺激をもらい、面白いことを考えていこう。
また渋家は自分の持ち物では無いので、他人に対する期待値を下げて寛容に穏やかになれるんじゃないだろうかと思っている。これは集団生活を完全に捨てて生涯一人で生きていく覚悟でも無い限り克服すべきことであると考えていて、様々な人々とのふれあいを通して何らかの変化を得られないだろうかと現在も模索している。居場所を変えることは自分を変えることに繋がる大きな要素だ。しかし邸宅を売却して引っ越すとなるとずいぶん大きな話になる。だがたった 2.5 万円で渋谷という都内の便利な場所に拠点がもう一つ持てるのなら相当にリスクも低いしメリットは大きいしこんなにも良い話は無いのではないだろうか。ましてや集まる人々も多種多様、今までにない新しい経験を得られる絶好のチャンスだ。一週間試しに住んでみて暮らしてから決めれば良いと言われたが、すぐに結論は出た。そう、もはや迷いの余地はそこになかったのだ。
さて、最後に渋家はまだまだ新メンバーを募集している。なにしろ 2.5 万円という安さをウリにしている位だからお金が無い人にも勿論オススメなのだが、自分のようにすでに住む場所がある人もセカンドハウスとして渋家を選ぶのもアリじゃないだろうか。興味を持った人がいればぜひ上のリンクから渋家に連絡してみて欲しい。また住む以外にも遊びに来るのも大歓迎なので友人各位はどんどん遊びに来てほしい。初めての方もぜひ。