キチガイを相手にすると殺される。

福岡でブロガーが刺殺された事件と、京都でアニメ制作会社が燃やされた事件は、共通するところがある。

常識的に考えれば被害者に何の落ち度も無いこと。
常識的に考えれば加害者に正常な判断力があるとは思えないこと。
ネットなどで一方的に恨みを募らせたこと。
襲撃が不意打ち的であり防衛が非常に難しいこと。
重大な結果となったこと。

福岡のブロガー刺殺事件では、犯人の行為を運営に通報することでサービスが利用できなくなり、そのことをブログに書くことで、居場所が無くなったように感じたことが恨みのきっかけである可能性がある。

京都のアニメ会社の場合、犯人の男が「京都アニメーション大賞」への複数の小説の応募があったことが後にわかっている。この賞に落ちたことで居場所が無くなったように感じた可能性がある。

これらのことから、居場所が無いように人に感じさせるというのは、非常に危険であるということがわかってくる。

社会とはそもそも、いろいろな分野で何らかの理由で適応できなかった人々の受け皿のような場所が用意されているのが常である。これらの必要性がよくわかるというものである。

大衆娯楽なども重要な役割を担っているのだ。軽く見てはいけない。

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