将棋には投了というルールがある。これは事実上敗北が確定しているときに、あきらめて潔く負けを認めるというものである。戦国の時代にも、敗北が明らかであるときに、敵将に首を取られる前に潔く腹を切るような行動を良しとする文化が日本にはある。美学と言っても良いだろう。
保釈中に外国に逃亡する前例は無いわけではない。戦後最大のフィクサーと呼ばれた許永中氏が例として挙げられる。顛末として彼は国外逃亡の二年後に身柄を拘束された。これが良い前例と言える。敗色濃厚なときに無駄な抵抗をするのを見苦しく感じるのはこのような背景によるものだし、前例にならえばかえってただ自分の首を締めるだけの結果に終わるのだ。
死刑以外において、あらゆる犯罪を自由刑の長さという量刑で一律に処置するという今日の刑罰は、一見非合理なように見えて、よくできているということがあらためてわかる。