続:わたしたちの祖先は曹操か

曹操の血は日本に入っているのか」という問いは、物語としては強い一方で、史料の性質上、断定が難しい。以前の記事「わたしたちの祖先は曹操か」は、この難しさを正面から受け止め、「祖先は世代を遡るほど共有されやすい」という統計学的な直感を使って、問いの立て方自体を整理していた。[1] 本稿はその延長として、血統の議論を単発の亡命物語ではなく、数世紀にわたる人口移動と混合の結果として捉え、恣意性を抑えた手続きで「あり得る」の強さを定量化する。

本稿の目的は、「曹魏(曹操の家系)に連なる血縁が、日本列島側の人口にどの程度入り得るか」を、史料が直接示し得ない部分を含めて長期拡散モデルとして扱い、恣意性を抑えた手続きで定量化することである。ここでいう「血縁」は父系・母系を区別しない。つまり「曹氏の男子だけを起点にする」発想ではなく、婚姻・改姓・移住を経た両系(bilateral)の祖先関係として扱う。

ただし、古代人口の系譜を個別史料で追跡することは不可能に近い。特定の皇族が日本へ亡命したという強い主張を立てるには、外交事件としての記録、系譜記述、墓制・銘文などの物証が必要になるが、一般にその種の直接証拠は乏しい。そこで本稿では、皇族の「亡命物語」を立証するのではなく、王朝交代・内乱・社会崩壊にともなう人口移動と、海上交通・半島経由の往来、そして日本側の受容(定着)を踏まえて、長期にわたる「不可視化された血統拡散」を確率として評価する。

このモデルが捉えるのは、次のようなプロセスである。曹魏滅亡後、曹氏が直ちに滅ぼされるのではなく、政治的には監視されつつも生存し、その後の大乱(西晋崩壊・五胡十六国など)で旧名門が地方化・改姓・流民化していく。その結果、「曹氏」として顕名に残る系譜は薄れる一方、血縁そのものは多数の婚姻と移住を通じて一般人口に溶け込む。こうして生じた「曹氏系譜を含む大陸側人口の一部」が、朝鮮半島を介して、あるいは海上交易や制度的往来を介して、日本列島に取り込まれていく。この全体を、段階ごとの歴史環境に基づくパラメータとして記述し、最後に合成する。


1. なぜ統計モデルが必要になるのか

本稿が確率モデルを使うのは、歴史を数学で決着させたいからではない。問題は、血縁の拡散が「記録に残る移住」や「名乗りの継承」と一致しない点にある。大規模な人口移動や婚姻による混合は、結果として血縁を広げるが、その過程は史料に断片的にしか残らない。したがって、血縁の混入可能性を議論するには、個別の人物史よりも、人口が動き、混ざり、定着する構造を捉える必要がある。

両系の祖先関係を扱う人口モデルでは、遠い過去ほど祖先の共有が進みやすいことが知られている。Chang は二親モデルで近い共通祖先の成立を扱い、祖先共有が思いのほか短い世代で起き得ることを示した。[2] Rohde らは集団構造を考慮しても、近い共通祖先という現象が成立し得ることを示している。[3] 本稿は、こうした一般論を「東アジアの長期人口移動」に接続し、歴史段階ごとに仮定を透明化した形で数値化する。


2. 血統の話と制度の話を切り分ける

制度の参照と血統の流入は別の問題である。日本古代国家が中国文明圏の制度(年号、官僚制、儀礼)を参照し、とくに隋唐との公式往来によって制度輸入が進んだことは、歴史叙述として扱いやすい。遣唐使の概説や年表は一般向け資料でも確認できる。[4][5] 一方で、制度の類似は文化的継承を示すにとどまり、血統継承を自動的に意味しない。

この切り分けは、北魏のような「漢化を推し進めた王朝」を参照すると分かりやすい。北魏や孝文帝の改革(洛陽遷都、漢化政策など)は、政治的正統性と統治効率を高める戦略として説明できる。[6][7] ただし、北魏の国号「魏」は政治的象徴であり、曹魏の末裔であることを証明する系譜装置ではない。制度の参照は制度の問題として説明し、血統の混入は人口史の問題として別に考えるべきだ。


3. 流入経路を、段階として整理する

長期拡散モデルを作るために、中華史を「移動」「接続」「定着」の観点で 6 段階に分割する。分割は王朝名の羅列ではなく、人口移動の圧力、半島・海上交通の条件、日本側の受容条件が変化する節目を捉えるために行う。

  1. 後漢末〜三国(184–280):内戦で流動化が進むが、全面崩壊には至っていない。倭との関係が史料上で意識化される(魏志倭人伝など)。[8]
  2. 西晋崩壊〜五胡十六国(280–439):永嘉の乱に象徴される崩壊期で、流民化と移住が大規模に生じる。[9][10]
  3. 北朝枠(北魏〜北周:439–589):再編が継続し、漢人官僚・技術者の吸収が制度化するが、海上接続は相対的に弱い。
  4. 南朝枠(東晋〜陳:317–589):江南政権と海上交易により、半島・海路の接続が太くなりやすい。
  5. 隋唐(589–907):公式使節・留学・僧の往来が制度化し、接続と定着が最大化する。[4][5]
  6. 五代〜宋(907–1279):遣唐使廃止後も民間交易は継続し、海上接続は維持される。日宋貿易と渡来銭の議論がこの段階を支える。[11][12]

この整理が示すのは、北魏だけを前提にしなくても、後漢末から宋までの複数世紀にわたる人口移動と交易の積層によって、曹氏血縁の混入は十分に説明可能だということだ。血縁の流入は「名乗り」や「記録」に残る形ではなく、「不可視化した系譜」として起き得る。


4. モデルの前提:仮定すること、仮定しないこと

4.1 仮定すること

  • 血縁は両系として扱う。父系限定の起点設定は採用しない。
  • 段階 i ごとに、日本側へ入る「有効な大陸祖先ライン本数」を Ki として置く。
  • 段階 i ごとに、大陸側集団が曹氏系譜を含む比率を qi として置く。これは両系の血縁比率である。
  • 時代が下るほど、曹氏血縁は一般人口に溶け、相対比率は薄まりやすい。その度合いを希釈スコア D で表す。
  • Ki は、移動圧 M、接続 C、定着 S という 3 軸から自動算出する。

4.2 仮定しないこと

  • 曹魏皇族が皇族として日本へ集団亡命し、政治的に処遇された、という強い叙述は立てない。
  • 特定の氏族が曹氏に直結するといった系譜断定はしない。
  • 本稿の確率を DNA 混合率と同一視しない。ここでの確率は「祖先集合に一度でも含まれる」確率である。

5. スコア根拠の強化:段階別に M・C・S・D を説明する

ここでは、段階ごとの歴史的背景を文章で固定し、それに対応してスコア(0〜5)を与える。重要なのは、スコアが絶対値ではなく相対順位を表す点であり、反論はスコアの根拠に向けて行えるようにすることである。

5.1 段階 1:後漢末〜三国(184–280)

  • M=3:内戦で流動化は進むが、国家が完全崩壊した流民社会(永嘉の乱級)ではない。
  • C=2:交流は存在するが、制度化された大量往来ではない。魏志倭人伝は「往来の意識化」を示すが、輸送能力の太さを意味しない。[8]
  • S=2:日本側は国家形成の初期で、制度としての受容は限定的になりやすい。
  • D=1:曹氏は滅亡直後の近縁性が高く、名門としての可視性がまだ高い。

5.2 段階 2:西晋崩壊〜五胡十六国(280–439)

  • M=5:永嘉の乱に象徴される社会崩壊期で、流民化・逃散の圧が最大級になる。[9]
  • C=2:海上ルートは存在するが、崩壊期は制度的往来より逃散が主体になりやすい。
  • S=2:日本側の制度成熟はまだ十分でなく、定着は限定的になりやすい。
  • D=2:改姓・地方化が進行し、曹氏血縁は可視性を失い始める。

5.3 段階 3:北朝枠(北魏〜北周:439–589)

  • M=4:再編が継続し人口移動も続くが、全面崩壊ではない。
  • C=2:北朝は相対的に内陸志向で、海上接続は南朝より弱い。
  • S=3:日本側で渡来系氏族の定着や技術受容が進みやすい条件が整い始める。
  • D=3:世代経過により曹氏血縁は一般人口へ溶け込み、顕名性がさらに低下する。

5.4 段階 4:南朝枠(東晋〜陳:317–589)

  • M=3:江南は相対的に秩序が維持されやすく、北方ほどの流民化は起きにくい。
  • C=4:江南政権と海上交易の発達により、半島・日本への接続が太くなりやすい。
  • S=3:日本側で制度受容が進み、担い手が定着しやすい。
  • D=3:北朝と同程度に希釈が進み、曹氏は名指しで追いにくい。

5.5 段階 5:隋唐(589–907)

  • M=2:統一帝国の下で秩序は相対的に安定し、難民的移動圧は低い。
  • C=5:公式往来が制度化し、海上接続の再現性が最大になる。[4][5]
  • S=5:日本側が外来制度・人材を積極吸収し、定着が最大化する。
  • D=4:人口母数が巨大化し、曹氏血縁の相対比率は薄まりやすい。

5.6 段階 6:五代〜宋(907–1279)

  • M=2:政治的分裂はあるが、全面崩壊型の流民化ではない。
  • C=4:民間交易は継続し、海上接続は維持される。[11][12]
  • S=3:日本側は吸収より選別の段階に入り、定着は中程度。
  • D=5:世代経過と人口母数増により希釈は最大級になる。

6. 計算過程を明確化する:スコアから K と q を自動算出する

本稿では、スコアから固定の換算式で自動的に Ki と qi を算出する。固定パラメータは次の三つである。Ktotal は日本側に入る有効ライン総数、q0 は希釈が最小の段階での曹氏比率の基準、lambda は希釈スコアによる指数減衰の強さである。

  • Ktotal=210
  • q0=0.012
  • lambda=0.35

第一に、M, C, S から重み Wi を作り、その比率で Ki を配分する。第二に、D から指数減衰で qi を作る。第三に、段階ごとの外れ確率を掛け合わせ、全段階で外れる確率を 1 から引いて P を得る。数式と計算表は末尾付録にまとめる。


7. 結果から導き出される考察

7.1 この 61.65% が意味するもの

この数値は「日本人の 61.65% が曹操の直系子孫である」などの主張ではない。意味するのは、モデルが想定する長期拡散・混合・渡来のプロセスが妥当であるなら、現代の任意の個人について「曹氏系譜が祖先集合に一度でも含まれる」確率が 6 割程度になり得る、ということに尽きる。

系譜的祖先は世代を遡るほど爆発的に増える一方で、実人口は有限であるため、遠い過去では祖先が強く共有されやすい。その性質と、東アジア史の長期的な人口移動・混合が重なると、「特定の古代集団の血縁が入り得る確率」は比較的大きくなりやすい。このモデルは、その直感を、歴史段階に対応する手続きで定量化したものになる。

7.2 どの段階が効いているか(読み方)

合成式は積で効くため、各段階の「外れ」(1−qi)^Ki が 1 より十分小さい段階ほど、全体の外れを押し下げて P を上げる。直感的には、動乱が大きく Ki が大きい段階(五胡期など)と、海上接続・制度吸収で Ki が大きい段階(隋唐など)が、別々の理由で効く。ここが「厚みを置く」という主観ではなく、背景スコアに分解した利点である。

7.3 反証可能性(このモデルの正しい使い方)

このモデルは「正しい歴史」を断定するためではなく、「仮定が変わると結果がどう変わるか」を透明化するための器である。たとえば、海上接続 C を低く見積もる、日本側定着 S を低く見積もる、希釈 D をより強く(lambda を大きく)見るなどの保守的仮定に置き換えれば、P は下がる。逆に、長期交易と定着を強く見れば上がる。この「上下の理由」が、背景スコアとして文章化できる点が重要である。

7.4 「物語」への接続は慎重に

本結果は、「曹氏皇族が日本へ亡命した」という物語を支持するものではない。支持し得るのは、より弱いが現実的な叙述、すなわち名門血統が乱世で不可視化し、一般人口に溶け込み、長い時間をかけて東方へ拡散し、日本側の渡来過程でその一部が取り込まれたという長期拡散の構図である。


付録:数理モデルと計算表

本文の流れを妨げないため、式と計算表を末尾にまとめる。

付録 A:段階重み Wi と配分 Ki

Wi = 0.5 Mi + 0.3 Ci + 0.2 Si

Ki = round(Ktotal × Wi / ΣW)

段階 M C S Wi Ki
1 3 2 2 2.5 28
2 5 2 2 3.5 39
3 4 2 3 3.2 36
4 3 4 3 3.3 37
5 2 5 5 3.5 39
6 2 4 3 2.8 31
合計 18.8 210

付録 B:希釈から qi を作る

qi = q0 × exp(−lambda × Di)

段階 D qi Ki (1−qi)^Ki
1 1 0.008456 28 0.788237
2 2 0.005959 39 0.792364
3 3 0.004199 36 0.859486
4 3 0.004199 37 0.855877
5 4 0.002959 39 0.890804
6 5 0.002086 31 0.937196
総外れ 0.383521

付録 C:最終確率 P

総外れ = Πi (1−qi)^Ki

P = 1 − 総外れ

この設定では P = 1 − 0.383521 = 0.616479(約 61.65 パーセント)となる。


参考文献

  1. id774, 「わたしたちの祖先は曹操か」 (2025-12-13). https://blog.id774.net/entry/2025/12/13/3077/
  2. J. T. Chang, “Recent Common Ancestors of All Present-Day Individuals” (1999). https://www.stat.yale.edu/~jtc5/papers/Ancestors.pdf
  3. D. L. T. Rohde, S. Olson, J. T. Chang, “Modelling the recent common ancestry of all living humans” (2004). https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/15457259/
  4. Japanese missions to Tang China (kentōshi) overview. https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_missions_to_Tang_China
  5. 遣隋使・遣唐使の年表概略. https://www.rekishikaido.gr.jp/timetrip/journey/timeline/
  6. Northern Wei overview. https://en.wikipedia.org/wiki/Northern_Wei
  7. Emperor Xiaowen reforms (sinicization policy). https://www.chinesethought.cn/detail.aspx?id=2397&nid=114&pid=131
  8. 魏志倭人伝(翻刻・概説). https://ctext.org/wiki/zhsj/30
  9. Disaster of Yongjia (311) overview. https://en.wikipedia.org/wiki/Disaster_of_Yongjia
  10. Jin dynasty (266–420) overview. https://en.wikipedia.org/wiki/Jin_dynasty_(266%E2%80%93420)
  11. 日宋貿易の概説. https://www.y-history.net/appendix/wh0303-006_1.html
  12. 日本銀行金融研究所, 「中世の日本で流通した銭貨 -渡来銭-」 (PDF). https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/zuroku/mod/2009c_10_29.pdf