日本経済新聞に 2100 年の寿命が現在より伸びることを前提とした記事が掲載されていた。そこで本稿では、2100 年に人間の寿命がどこまで到達しうるのかを、平均寿命、健康寿命、最大寿命という 3 つの指標を厳密に区別しながら、日本の現状と将来を中心に、人口学(死亡率曲線と分布)、公衆衛生(修正可能なリスク因子と介入)、老化生物学(老化機構と限界)、制度設計(医療、年金、労働、倫理)を接続して整理する。ここでいう予想は占いではない。いま観測できる統計と、学術研究が示すメカニズムから、どの部分が伸びやすく、どの部分が伸びにくいかを分解し、読み手が一から理解し判断できる形で提示する。
結論の骨子を先に置く。第一に、平均寿命は 2100 年に向けて上がり得るが、既に低死亡率社会である日本では伸び方が逓減しやすく、現実的レンジは 90 〜 100 歳付近になりやすい。第二に、健康寿命は最大寿命より現実的に伸ばしやすく、フレイル連鎖と認知症の一次予防を社会としてどこまで標準化できるかによって 80 代後半から 90 歳近傍まで到達しうる。第三に、最大寿命は健康寿命が伸びるほど記録更新が起きやすくなる一方、110 歳以降の尾部の死亡率曲線そのものを押し下げない限り、自然に 10 年単位で上方シフトする状況は作りにくい。第四に、健康寿命 90 歳社会は成立しうるが、医療、年金、労働、倫理を個別最適のまま放置すると破綻しやすく、制度の同時再設計が必要になる。
1. 寿命という言葉を分解する:平均寿命・健康寿命・最大寿命
寿命の議論が混乱する最大の理由は、異なる量を同じ言葉で呼んでしまう点にある。平均寿命は生命表から算出される 0 歳平均余命であり、特定の年齢帯で死亡率が下がれば平均値として反映される。生命表の考え方自体は世界共通であり、たとえば公的機関の方法解説として NCHS や各国統計局の説明が参照できる [1]。健康寿命は日本の政策指標として「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」と定義され、平均寿命との差が不健康期間として扱われる [2]。最大寿命は統計的に観測される最高齢記録、あるいは生物学的に想定される上限を指し、平均寿命や健康寿命とは別の力学で動く。
この 3 つを区別すると、同じ「寿命が伸びる」でも意味が変わる。平均寿命は 70 〜 90 歳の死亡率が少し改善するだけでも伸びる。健康寿命は 60 〜 80 代で起きる生活機能低下を遅らせると伸びる。一方、最大寿命は 110 歳以降の尾部を押し下げない限り動きにくい。したがって 2100 年の議論では、どの指標の話をしているのかを毎回明示しないと、議論がすれ違う。
2. 日本の現在:健康寿命・平均寿命・不健康期間
2.1 2022 年の健康寿命と平均寿命
厚生労働省が公表した令和 4 年値では、日本の健康寿命は男性 72.57 年、女性 75.45 年である [3]。同年の平均寿命は e-ヘルスネットにより男性 81.05 歳、女性 87.09 歳と示されている [2]。ここで重要なのは単独の数値ではなく、平均寿命と健康寿命の差である。2022 年時点で差は男性で約 9 年、女性で約 12 年に達し、これは「長生きできるが、要介護や生活制限の期間も長い」ことを意味する [2]。
2.2 不健康期間が意味するもの:個人の生活と社会のコスト構造
平均寿命と健康寿命の差は、人生の終盤の質の問題であると同時に、制度のコスト構造そのものである。医療費、介護費、家族介護、就労継続困難、地域支援需要が、この差の長さとして現れる。健康寿命を 1 年延ばすことは、人口全体で見ると「重い医療や介護を必要とする期間」を 1 年分後ろへずらすことに近く、平均寿命を 1 年延ばすより制度に効く場合がある。日本で介護保険制度が社会の基盤として運用されているのは、この不健康期間を社会で吸収する必要があるからである。
2.3 国際比較の HALE:日本の傾向をどう読むか
国際比較では WHO が健康調整寿命 HALE を提供している。WHO の国別ページでは、日本の HALE が 2000 年の 71.1 年から 2021 年の 73.4 年へ改善したと示される [4]。ただし HALE は疾病負荷推計に基づく統計モデルであり、日本の政策指標としての健康寿命とは算出法が異なる。したがって数値の一致を求めるのではなく、改善傾向の把握に使うのが適切である。WHO の HALE ダッシュボードは国際比較の入口として有用である [5]。
3. 寿命が伸びるとは何が起きることか:死亡率曲線・生存曲線・尾部
寿命の将来像を具体化するには平均値だけでなく分布と曲線を見る必要がある。人口学では年齢別死亡率(hazard)と生存曲線(survival curve)を用いる。近代化に伴い生存曲線が「矩形化」し、多くの人が高齢まで生き、最後に急速に死亡する形へ近づくことが観察されてきた。このとき平均寿命は上がるが、最大寿命は生存曲線の最終尾部であり、尾部の死亡率が高ければ到達者は急減衰する。国際的な生命表と死亡率の整備として Human Mortality Database は代表的な基盤である [6]。
また、極高齢の議論ではデータ品質が核心になる。年齢の誤記や登録の欠落が尾部で与える影響は大きく、検証済みの超高齢データベースが重要になる。International Database on Longevity は 105 歳以上の検証データを提供し、超高齢の死亡率研究の基盤になっている [7]。個別記録の検証例としてジャンヌ・カルマンの年齢検証はよく参照される [8]。
4. 2100 年の平均寿命:なぜ 90 〜 100 歳が現実的レンジになりやすいか
4.1 歴史的事実:最高水準国の平均寿命は更新され続けてきた
平均寿命の長期上昇を示す古典的結果として、Oeppen と Vaupel は最高水準国の女性平均寿命が長期にわたりほぼ直線的に上昇してきたことを示し、「限界だと思われた水準が更新され続けてきた」ことを論じた [9]。この知見は、平均寿命には単純な天井があるという直感が歴史的には当てにならないことを示す。
4.2 ただし逓減は起きる:残された課題が難しい領域に移っている
しかしこの事実は、2100 年に平均寿命が必ず 110 歳になることを保証しない。日本のように既に低死亡率社会では、乳幼児死亡や感染症死亡の大幅低下のような「伸びやすい余地」が相対的に小さい。今後の改善は、がんや循環器疾患の一次予防、複数疾患併存の管理、感染症の再流行、災害や気候要因、医療アクセス格差など、複合要因を扱う必要がある。これらは単一技術で一気に解決しにくく、したがって平均寿命の上昇は続いても速度は逓減しやすい。
4.3 現実的レンジ:90 〜 100 歳
以上を踏まえ、本稿は 2100 年の日本の平均寿命が 90 〜 100 歳付近に収束する可能性が高いというレンジを採用する。これは最大寿命の上限突破を前提としない。平均寿命を 100 歳超に大きく押し上げるには、老化そのものを強く制御する技術が人口全体に普及し、長期安全性が確立するという強い仮定が必要になる。
5. 2100 年の健康寿命:どこまで伸ばせるか(日本に注目)
5.1 健康寿命は「生活機能の連鎖」を遅らせる問題である
健康寿命の終点は「死」ではなく「日常生活が制限される状態」への移行である。その主要な出口がフレイルであり、フレイルは筋力低下、体重減少、疲労感、歩行速度低下などが重なって転倒、入院、要介護、死亡リスクを押し上げる。Fried らはフレイルを臨床的表現型として定義し、アウトカムとの関連を示した [10]。以後のレビューでもフレイルが多面的概念であり、介入可能性があることが整理されている [11]。
5.2 フレイルが固定化する具体像:筋骨格・代謝・感覚・社会参加が連鎖する
健康寿命が短くなる典型経路を具体的に描く。第一に筋骨格ルートである。筋力とバランスが落ちると外出が減り、活動量低下が筋力低下をさらに進め、転倒リスクを上げる。転倒が骨折につながると、入院と安静で筋力が急落し、退院後も活動が戻らず、要介護化が固定化する。転倒そのものが世界的な健康課題であり、WHO は転倒が死亡と障害の主要因であることを整理している [12]。第二にサルコペニアである。高齢期の筋量と筋力低下はフレイルと重なり、定義と診断の標準化として欧州コンセンサス EWGSOP2 が参照される [13]。第三に栄養ルートである。高齢期は食欲低下や咀嚼嚥下機能低下でタンパク質摂取が不足しやすく、運動と栄養の組合せが筋機能維持に重要である [14]。第四に感覚と社会参加ルートである。難聴や視力低下は会話を減らし、社会参加を減らし、抑うつや認知負荷低下を招く。難聴が認知症リスクに関連することはコホート研究で示されている [15]。孤立は死亡リスクとも関連するため、健康寿命の設計は医療だけでなく社会参加の設計を含む [16]。
5.3 認知症は健康寿命 90 歳の最大の制約になりやすい
健康寿命を 80 代後半から 90 歳近傍へ近づける局面で最大の制約になりやすいのが認知症である。理由は単純で、認知症は発症後の可逆性が低く、発症すると日常生活制限が急速に強まるからである。さらに認知症は前臨床期が長く、80 代の発症を減らすには中年期からの一次予防が必要になる。Lancet Commission の 2024 年報告は、教育、難聴、喫煙、高血圧、糖尿病、肥満、身体活動不足、社会的孤立など 14 の修正可能因子に介入することで、認知症の約 45 % が予防または遅延可能と推計した [17]。同報告の位置づけは Commission portal でも整理されている [18]。WHO も認知機能低下と認知症のリスク低減ガイドラインを示し、身体活動、食事、禁煙、アルコール、体重管理、高血圧や糖尿病の管理などを推奨している [19]。詳細は NCBI Bookshelf 版で確認できる [20]。
5.4 多領域介入の実例:FINGER と「健康寿命」型の試験設計
認知症予防や機能維持では、単一介入より多領域介入(運動、栄養、認知トレーニング、血管リスク管理など)の試験が重要になる。FINGER 試験は 2 年間の多領域介入で認知機能の改善を示し、一次予防と生活介入が現実の介入パッケージとして成立しうることを示した [21]。この方向性は「寿命を延ばす」より「機能を保つ」評価に向いており、健康寿命の議論と整合する。
5.5 血圧管理が機能に波及する例:SPRINT MIND
生活習慣病の管理が健康寿命(機能)に効く例として SPRINT MIND が重要である。JAMA(2019)では、厳格な血圧管理が軽度認知障害(MCI)のリスクを低下させ、MCI または認知症の複合アウトカムも低下させた [22]。SPRINT 本体は厳格降圧が主要心血管アウトカムを改善したことを示しており、血管リスク管理が死亡と機能の双方に影響する可能性を示す [23]。
5.6 健康寿命を押し上げる実装レバー:運動・栄養・転倒予防・社会参加
健康寿命を押し上げるレバーは、医療の高度化だけではない。日常の行動と環境設計が主戦場になる。身体活動については WHO が身体活動と座位行動に関するガイドラインを提示しており、高齢者に対しても筋力活動を含む推奨を整理している [24]。転倒予防、栄養、運動は相互に補完し合う。サルコペニア診断の標準化は介入の対象を明確にする [13]。一方、サプリメントのような単一手段は万能ではなく、たとえばビタミン D の転倒・骨折予防効果は研究により結果が揺れており、個別化と全体設計が必要になる [25]。
5.7 2100 年の日本の健康寿命レンジ:社会設計で分岐する
以上を踏まえると、2100 年の日本の健康寿命は社会実装の達成度によってレンジが分岐する。保守的には 78 〜 85 歳程度(男女差あり)で推移しうる。予防が標準化され、フレイル対策と社会参加が地域に定着し、認知症一次予防が中年期から機能する場合、80 代後半から 90 歳近傍に近づく。ここで重要なのは、これは生物学の壁というより、制度と行動の壁であるという点である。
6. 最大寿命はなぜ伸びにくいか:老化生物学と人口学の接続
6.1 老化は単一原因ではない:Hallmarks of Aging
最大寿命が伸びにくい第一の理由は、老化が単一原因ではなく、多因子が相互連関する現象だからである。López-Otín らは老化を複数の Hallmarks として整理し、ゲノム不安定性、テロメア短縮、エピジェネティック変化、タンパク質恒常性の破綻、栄養感知の異常、ミトコンドリア機能不全、細胞老化、幹細胞枯渇、細胞間コミュニケーション変化などを列挙し、相互連関を強調した [26]。2023 年のアップデートでは慢性炎症や腸内環境失調などが追加され、全身性連鎖がより前景化した [27]。110 歳以降では「がんだけを抑えればよい」「循環器だけを抑えればよい」という状況ではなく、複数の故障モードが同時に限界化しやすい。
6.2 炎症の自己増幅:inflammaging と免疫老化
超高齢域で支配的になりやすい基盤要因として慢性炎症(inflammaging)がある。Franceschi らは inflammaging 概念を提示し、加齢に伴う低度慢性炎症が多疾患リスクを底上げする可能性を論じた [28]。その後のレビューでも、免疫老化、代謝、腸内環境など多様な要因が炎症を維持しうることが整理されている [29]。尾部では、炎症が原因でも結果でもある悪循環になりやすく、単一臓器治療の効果が薄れやすい。
6.3 工学的直感:信頼性理論と「交換不能」
老化を工学的に捉える直感として信頼性理論がある。Gavrilov と Gavrilova は、生体のように冗長性を持つシステムでも、部品が交換不能であれば故障モードが累積し、年齢とともに故障率が上がりうることを論じた [30]。生体は冗長性が大きいが、幹細胞、免疫系、血管、神経系など重要部品は完全には交換できない。若い時期は冗長性で吸収できても、超高齢では故障の積み重ねが臨界を超えやすい。
6.4 極高齢の死亡率:105 歳以降のプラトーと、その意味
人口学的には、105 歳以降で死亡率が高い水準で頭打ちになる(late-life mortality plateau)という報告がある。Barbi らはイタリアの検証データを用い、105 歳以降で死亡ハザードがほぼ一定であることを示した [31]。ここで重要なのは、頭打ちであっても水準が高いことであり、到達者が年ごとに急減衰する点である。したがって、健康寿命の延伸で 110 歳到達者が増えても、尾部の死亡率曲線がそのままなら 120 歳台後半の到達者は頻出しにくい。
6.5 上限論争:上限があるかどうかより、尾部が硬いことが本質
最大寿命に自然な上限がある可能性を主張する研究として Dong ら(Nature, 2016)が知られ、議論を活性化させた [32]。ただし本稿の目的は上限の有無を裁定することではない。実務的に重要なのは、上限が厳密に存在するか否かに関わらず、尾部の死亡率曲線を下げることが極めて難しいという点である。その難しさは、老化が多因子であり、尾部では多臓器が同時に限界化しやすいという構造から説明できる。
7. 尾部に踏み込む:最大寿命を押し上げる介入はなぜ難しいか
7.1 老化細胞(senescence)と SASP:全身炎症と線維化のハブ
最大寿命域では複数経路の同時最適化が必要になる。老化細胞の蓄積は SASP(炎症性分泌)を通じて慢性炎症や線維化を増幅し、周辺組織の機能低下を促すと考えられる。マウスでは p16 陽性細胞を除去することで加齢関連障害が遅れることが報告され、老化細胞が健康寿命短縮に因果的に関与しうることが示された [33]。続く研究でも p16 陽性細胞が健康寿命を短縮しうることが示されている [34]。その後、老化細胞を標的とする senolytics の概念と課題が整理されている [35]。ただし人間で尾部に効かせるには、腫瘍抑制や創傷治癒とのトレードオフ、臓器ごとの最適化、長期安全性を同時に満たす必要があり、ここが最大寿命延伸の難しさを象徴する。
7.2 クローン性造血(CHIP):血液が作る内因性リスク源
加齢に伴い造血幹細胞の変異クローンが増える CHIP は、血液がんだけでなく、動脈硬化性心血管疾患リスクと関連することが示されている。Jaiswal ら(NEJM, 2017)は CHIP が冠動脈疾患リスク増加と関連し、炎症機序を介して動脈硬化を促進しうることを示した [36]。尾部では、この種の内因性リスク源が全身の基盤リスクを底上げし、単一臓器介入の効果を相殺しやすくする。
7.3 geroscience:評価指標がまず健康寿命(発症遅延・機能)に置かれる理由
老化機構を標的にして複数疾患の発症を遅らせるという発想は geroscience として整理され、臨床試験の設計にも影響している。Barzilai らは TAME 構想で、メトホルミンを用い、心血管イベント、がん、認知症、死亡などの複合アウトカムを「発症までの時間」として評価する枠組みを提案した [37]。また mTOR 阻害が高齢者の免疫機能に影響しうることを示した試験もある [38]。ここで重要なのは、尾部の最大寿命を直接ターゲットにする長期試験は倫理・期間・副作用の観点で難しく、まず健康寿命や機能改善として評価される段階にあるという点である。
8. 健康寿命を最大化した結果、最大寿命は「自然に」どこまで引き上がるか
健康寿命を最大化すると、90 代後半から 100 代前半まで自立して到達する人口が増え、110 歳到達者(supercentenarians)も増える。その結果として記録上の最高齢は確率的に更新されやすくなる。しかし、105 歳以降の死亡率が高いままであれば、生存者は年ごとに急減衰するため、記録が 10 年単位で自然に上方シフトする状況は作りにくい。この結論は、105 歳以降の死亡ハザードが高い水準で推移するという報告と整合する [31]。したがって健康寿命最大化の主効果は「壁そのものを壊す」ことではなく、「壁の手前まで元気に到達する人数を増やす」ことである。最大寿命を大きく押し上げるには、尾部の死亡率曲線そのものを下げる介入が必要になる。
9. 健康寿命 90 歳社会は成立するのか:医療・年金・労働・倫理
9.1 医療:治療中心から予防・回復・在宅・リハ中心へ
健康寿命 90 歳社会は「医療が軽くなる社会」ではない。むしろ医療と介護の形が変わる社会である。90 歳まで自立できる人が増えるほど、肺炎、骨折、感染症、心不全増悪といったイベントから生活へ戻す需要が増える。そのため在宅医療、訪問看護、地域リハ、栄養、口腔、社会参加支援といった回復インフラが中心になる。ここで重要な概念が不健康期間の圧縮(compression of morbidity)であり、Fries は慢性疾患や障害の開始を遅らせ、不健康期間を短く圧縮できる可能性を論じた [39]。圧縮に成功すれば平均寿命が伸びても医療・介護の総負担は一定程度抑えられ得るが、圧縮に失敗すれば寿命延伸がそのまま負担増になる。日本の介護保険制度と高齢社会政策は、この圧縮を社会としてどう実現するかという課題と直結する [40] [41]。
9.2 年金:受給期間の伸長を就労参加で吸収できるか
健康寿命が伸びることは「働ける高齢者が増える」ことでもある。就労が増えないのに受給期間だけが伸びれば現役負担が臨界化するため、年金制度は就労延長とセットで設計される必要がある。OECD は日本における高齢就労の制度改革として、退職慣行、賃金制度、技能更新、労働条件改善などを具体的に論じている [42]。受給開始年齢の調整は単独で押し付けると不公平感が爆発しやすいので、健康格差対策、介護と就労の両立支援、柔軟な働き方の整備と一体で行う必要がある。
9.3 労働:70 代就労を前提に「仕事の設計」を変える
健康寿命 90 歳社会の成立は、医療よりも労働市場設計に依存する面が大きい。なぜなら医療・介護・年金を支えるのは労働供給であり、超高齢化が進むほど依存比率が上がるからである。OECD は高齢化社会での就労参加拡大を重要課題として扱い、制度改革の方向性を示している [42] [43]。ただし 70 代就労は 20 代の働き方の延長では成立しない。短時間、断続就労、プロジェクト単位、教育、品質、調整、監督といった役割へシフトし、身体負荷と認知負荷を適切に配分した設計が必要になる。これは高齢者のためだけでなく、介護と就労の両立で疲弊しやすい 50 〜 60 代の労働維持にも直結する。
9.4 倫理:配分・意思決定・格差を手続きとして制度化する
健康寿命が伸びるほど倫理問題が消えるわけではない。形が変わる。第一に配分の倫理が先鋭化する。高額医療、新薬、介護資源、在宅インフラへの投資をどう配分するか。第二に意思決定の倫理である。認知症や意思能力低下の局面で、事前指示や代理意思決定の手続きを標準化しないと現場が破綻する。第三に格差の倫理である。Lancet Commission が教育、難聴、社会的孤立など社会要因をリスク因子として含めるのは、健康寿命が社会的産物でもあることを示す [17]。また、疾病負荷推計(GBD)系の研究は、リスク因子と障害負荷の国別推計を提供し、政策がどこに効くかを定量的に可視化する入口になる [44]。
10. 2100 年に向けて「何をすれば何が動くか」:指標別のレバーを整理する
10.1 平均寿命を動かすレバー
平均寿命は、死亡率が高い年齢帯の改善で大きく動く。日本では既に乳幼児死亡や感染症死亡が低水準であるため、今後の伸びは慢性疾患の一次予防と高齢期の重症化回避に依存する。その意味で、平均寿命は伸びるとしても伸び方は逓減しやすい。
10.2 健康寿命を動かすレバー
健康寿命は、生活機能低下の入口を遅らせる介入で動く。フレイル対策(筋力、栄養、転倒予防)、血管リスク管理、感覚障害への対応、社会参加の維持が相互に補完し合う。WHO の身体活動ガイドラインは介入の最低ラインを与える [24]。認知症一次予防は中年期からの長期戦であり、Lancet Commission と WHO ガイドラインが具体的な因子を提示している [17] [19]。
10.3 最大寿命を動かすレバー
最大寿命を大きく動かすには、尾部の死亡率曲線そのものを下げる必要がある。老化が多因子である以上、単一介入では代替経路が残りやすい。老化細胞、慢性炎症、免疫老化、CHIP、再生余力などの同時最適化が必要になるが、長期安全性と副作用の壁が重い。現時点では、最大寿命を決定的に押し上げた人間データは確立しておらず、研究は主に健康寿命の改善として評価される段階にある [37] [38]。
11. まとめ:2100 年の到達点と、成立条件
本稿の結論を最後に整理する。日本の健康寿命は 2022 年時点で男性 72.57 年、女性 75.45 年であり、平均寿命との差は大きい [2] [3]。2100 年に向けて平均寿命は 90 〜 100 歳付近まで上昇し得るが、伸び方は逓減しやすい [9]。健康寿命はフレイル連鎖と認知症一次予防の社会実装によって 80 代後半から 90 歳近傍まで到達し得るが、その成否は医療の回復インフラ化、年金と就労制度の同時改革、労働市場の再設計、配分と意思決定と格差の手続き化に依存する [39] [42] [17]。最大寿命は健康寿命の延伸で記録更新が起きやすくなる一方、尾部の死亡率曲線が硬いため自然に 10 年単位で上方シフトする状況は作りにくい [31]。したがって 2100 年の人間寿命の実像は、最大寿命の劇的上限突破より先に、健康寿命の拡張と社会制度の再設計として現れる可能性が高い。
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- OECD「Working Better with Age: Japan」 https://www.oecd.org/en/publications/working-better-with-age-japan_9789264201996-en.html
- OECD「Working Better with Age」 cross-country report(PDF) https://www.oecd.org/content/dam/oecd/en/publications/reports/2019/08/working-better-with-age_e6265636/c4d4f66a-en.pdf
- IHME / GBD Results tool(疾病負荷・リスク因子の国別推計) https://ghdx.healthdata.org/gbd-results-tool