自由意志について再考する

自由意志は、古典的には「私は他の選択肢を取り得たのか」「世界が因果法則に従うなら、私はどこまで自由なのか」という形で問われてきた。だが、この問いは単に古い哲学の蒸し返しではない。近年、脳科学は「意識的に決めた」と感じる前に行為準備が進むことを示し、心理学は「意志の感覚」が因果の生成ではなく事後的な帰属である可能性を指摘し、さらに推薦アルゴリズムやスコアリングが日常の選択を外部から整形し始めている。したがって、自由意志は、内面の形而上学ではなく、主体・責任・制度・倫理・AI を含む社会全体の設計問題として再浮上している。

本稿は、前回の記事「人間と環世界」で提示した枠組み、すなわち「環世界(Umwelt)から出発し、『生きるとは何か』『主体とは何か』『社会とは何か』『倫理・行為・責任とは何か』までを、更新構造で接続する」という骨格を維持したまま[1]、自由意志をその内部に位置づけ直す。その際、自由意志を「因果から独立した魔法の力」として守ろうとするのでもなく、「自由は錯覚だから責任も崩れる」と短絡するのでもなく、どの層で何を自由と呼び、どの層で責任を扱うべきかを、段階的に押し込む。


1. 自由意志の問題は、どこで混線してきたのか

最初に整理すべきは、自由意志をめぐる議論が混線しやすい理由である。多くの場合、同じ「自由意志」という語で、別の機能や別の層を指してしまう。例えば、次の 3 つはしばしば区別されないまま議論される。

1.1 「他の選択肢を取り得た」という可能性の自由

「あの時、私は別の行動を選べたはずだ」という直観は強い。しかし、ここで問われているのは、行為直前の瞬間に、因果系列から独立して分岐できる力があるか、という話になりやすい。これは自由意志を最も強い意味で定義してしまう入口であり、後述するように、脳科学や因果理解と正面衝突しやすい。

1.2 「自分の理由で動いた」という所有(オーナーシップ)の自由

人はしばしば「外から操られた」場合と「自分で決めた」場合を区別する。この直観は、原因の有無というよりも、原因となったメカニズムが「自分のもの」かどうか、そしてそのメカニズムが理由に反応するかどうかに近い。これは両立論(compatibilism)が重視してきた軸でもある[13][14]

1.3 「長い時間をかけて自分を変えられる」という更新可能性の自由

さらに日常語の「自由」には、衝動を抑え、学習し、習慣を修正し、次回の振る舞いを変える能力が含まれる。これは瞬間の分岐ではなく、時間的に拡張された自己調整である。自由意志を「能力(capacity)」として捉える議論はこの方向に近い[15]

本稿の立場は明確である。自由意志を「1.1 の意味での超越的分岐」として扱うと、議論はすぐに「決定論か非決定論か」という二分へ回収され、しかも日常的な責任や制度設計に接続しにくい。一方で「1.2 と 1.3 の機能」を適切に定義すれば、脳科学・心理学・社会制度と整合する形で、自由意志を実在する操作対象として扱える。

区別 観点 要点 典型的な混線
1.1 可能性 他の行動が「その瞬間に」可能だったか これだけを自由と見なすと、非決定論の要請に寄りがち
1.2 所有 行為を生んだ仕組みが「自分のもの」か、理由に反応するか 操作・強制・依存・病理などの評価が曖昧になる
1.3 更新 学習と抑制で、将来の自分の更新様式を変えられるか 短期の衝動と長期の自己形成を区別できない

2. 世界は「更新され続ける構造」である

中核仮説の体系の最重要前提は、「時間は実体ではなく、世界の不可逆な更新構造である」という見立てである。ここで「更新」とは、単なる変化ではない。差分が生じ、差分が取り込まれ、状態が次へ移るという連鎖である。不可逆性とは、更新が起きたという事実が履歴として世界を構成してしまい、同一の履歴へ巻き戻す操作が原理的に許されない、という性質である。

この前提は自由意志と関係がないように見えるが、実は逆である。自由意志の議論はしばしば「世界は固定されている(決定されている)か、そうでないか」という問いに吸い込まれる。しかし、ここで定義する枠組みでは、世界は固定された「一枚の完成品」ではなく、そもそも更新され続けている。すると「自由意志」を、世界の外側にある超越的な力として置く必要がなくなる。自由は、更新構造の内部で、どのような更新が可能かという「操作可能性」の話として再配置される。

2.1 因果は「鎖」ではなく「更新の制約条件」である

因果を「過去が未来を一意に固定する鎖」として想像すると、自由は消えたように見える。しかし、因果を「更新が成立するための制約条件」として捉えると、自由は別の形で現れる。すなわち、制約条件の範囲内で、どの差分を取り込み、どのモデルを採用し、どの行為を選ぶかは、主体の構造に依存する。ここで重要なのは「因果がある」ことと「主体の構造が無意味である」ことは同値ではない、という点である。

2.2 「未来が一つに決まる」ことと「予測可能である」ことは別である

社会的に混同されやすいのは、決定論と予測可能性である。仮に世界が決定論的であっても、実務上の予測は情報制約とモデル制約で限界を持つ。逆に、予測が当たる領域が増えても、それだけで「自由が存在しない」ことは論理的に導けない。予測可能性は、自由意志の「層」を区別する必要をむしろ強める。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
2.1 制約としての因果 因果は更新を成立させる制約であり、主体の構造を無意味化しない
2.2 決定論と予測 決定論と予測可能性は別であり、予測が当たるほど層の区別が必要になる

3. 生命は「自己を維持しながら更新する構造」である

「人間と環世界」は、生命を物質の集合ではなく「更新構造」として定義する。生きるとは、外界と自己の差分を取り込み、自己を維持するために状態を更新し続けることだ、と述べる[1]。この定義は、自由意志の再配置に直結する。なぜなら、自由意志を「生命の外側にある追加機能」にせず、生命の更新構造が高度化した局面として扱えるからである。

3.1 死は「停止」ではなく「更新不能性」である

睡眠や麻酔は停止に見えるが、更新が再開される限り死ではない。死は更新不能性である、という定義は、主体を「実体」から「更新の連続性」へ移す[1]。この移動が起こると、自由意志もまた「一瞬の意識の決断」ではなく、更新の連続性の中で成立する機能へと移動する。

3.2 オートポイエーシス:自己生成としての生命

オートポイエーシスは、生命を自己参照的な自己生成過程として捉える[2]。ここで重要なのは、外部から目的や意味を与えられて動くのではなく、自己の境界条件を維持するために自己を作り直す、という点である。自由意志を「外から与えられた特権」として置かず、自己生成の内側で生まれる制御機能として扱うための基盤がここにある。

3.3 サイバネティクス:差分検出とフィードバックとしての更新

サイバネティクスは、生命や機械を「制御と通信」の観点から捉える伝統を形成した[3][4]。差分検出とフィードバックで許容範囲を維持するという一般形は、自由意志を「何かを無から生む」力ではなく、「制御の階層が増える」現象として理解する道を開く。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
3.1 死=更新不能性 主体と自由意志を「実体」から「更新の連続性」へ移す支点になる
3.2 自己生成 生命は外部目的ではなく自己参照的生成で成立し、制御機能は内側から立ち上がる
3.3 制御と差分 更新は差分検出とフィードバックで一般化でき、自由意志を制御階層として扱える

4. 主体は「環世界を生成する更新プロセス」である

環世界(Umwelt)は、「主観的な世界観」ではなく、「検出と行為の結合様式」である。生物は外界のすべてに反応して生きるのではなく、生存課題に結びつく差分だけを検出し、その差分を手がかりに行為し続ける。結果として、その生物にとっての世界が成立する[1][5]。このとき、主体は「外界を写す鏡」ではなく、「差分検出→意味生成→行為」を回し続ける更新プロセスである、という定義が確定する[1]

4.1 環世界差は「意見の違い」ではなく「前景化の違い」である

同じ刺激が存在しても、ある人の注意を強く奪う刺激と、別の人には背景に沈む刺激がある。言語や経験や職業的スキーマが同じ対象に異なる意味を付与し、さらに対象が「何ができるもの」として立ち上がる(アフォーダンス)仕方も異なる[1]。この差異は、自由意志を考える際に決定的である。なぜなら、行為は「選択の瞬間」だけでなく、何が選択肢として立ち上がるか、そもそも何が問題として見えているかに依存するからだ。

4.2 「翻訳可能だが一致不能」という社会の前提

人間は言語を共有するため部分的な翻訳はできるが、注意配分や意味生成の自動過程は完全には共有されない。したがって社会は「一致」を基盤に設計できず、「仮接続」を必要とする[1]。自由意志や責任もまた、内面の一致を前提にするのではなく、行為・結果・説明・制度による接続として設計し直す必要がある。

4.3 主体の自己参照が「自己(自我)」を維持する

主体は更新するだけでなく、自分の更新を参照し、その参照結果を次の更新に反映する。この自己参照が連続すると、主体は「自己」という仮説モデルを維持できる。逆に自己参照が断絶すれば、主体性は損なわれる[1]。自由意志の本体は、この自己参照と更新の結合に現れる。つまり「私は私の行為の作者である」という感覚は、更新の連続性が自己参照的に保たれているときに成立しやすい。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
4.1 前景化 環世界差は「何が見え、何が選択肢になるか」の差として先に現れる
4.2 仮接続 一致は不可能で、制度と言語による翻訳・接続で社会が成立する
4.3 自己参照 更新を参照して更新する連鎖が自己を支え、作者感覚の基盤になる

5. 自由意志を「分岐」から「分岐管理」へ移す

ここまでの準備で、自由意志は「因果から独立した分岐」ではなく、「更新構造の中で分岐を管理する能力」へ移動できる。ポイントは 2 つある。第一に、行為の出発点はしばしば無意識的であり、意識は事後的な説明や調整として働く。第二に、それでも人間は長期にわたって自分の行為傾向を修正できる。自由意志はこの後者の能力として扱うのが、社会的に有益であり、科学とも整合する。

5.1 「他の行為が可能だったか」より「どの分岐を抑制・強化できるか」

ある瞬間に別の行為を選べたかを問うと、議論はしばしば形而上学へ飛ぶ。しかし実務上重要なのは、衝動が立ち上がった時に停止できるか、誘惑に対して回避できるか、説明を更新して次回の行為を変えられるか、という「分岐管理」である。この意味での自由は、技能であり、訓練可能性であり、支援可能性である[15]

5.2 「理由に反応する」ことが自由の中心になる

自由意志を責任と結びつけたいなら、行為が「理由に反応する仕組み」から出たかどうかが中心になる。両立論の系譜では、責任は「ガイダンス・コントロール」や「理由応答性」として整理されてきた[13][14]。ここで自由は「原因がない」ことではない。「自分の仕組みが、説明や理由に応じて更新され得る」ことだ。

5.3 「意志の感覚」は機能として扱う

心理学は「意志の感覚」が因果の源泉というより、出来事に対する著者性の帰属として構成される可能性を論じてきた[16]。この指摘は、自由意志を否定するためではなく、自由意志の位置づけを誤らないために重要である。意志の感覚を、自己参照と社会的説明責任を支えるインタフェースとして扱えば、感覚の成立過程を理解しつつ、その機能を制度設計へ活用できる。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
5.1 分岐管理 自由を「瞬間の分岐」ではなく「抑制・学習・習慣修正」として扱う
5.2 理由応答性 責任と結びつく自由は、理由に反応して更新される仕組みの所有にある
5.3 意志感覚 意志の感覚を、著者性と説明責任を支える機能として理解する

6. 脳科学は自由意志を「否定」したのではなく、「誤配置」を暴いた

自由意志をめぐる脳科学の代表的論点は、リベット実験(準備電位)に象徴される。被験者が自発的に手を動かす課題で、意識的な「動かそう」という報告より前に、運動準備に対応する脳活動が観測されるという結果は、自由意志否定の根拠として頻繁に引用された[6][7]

しかし、この結果が直接に示すのは「意識が最初の起動ボタンではない可能性」であって、「主体の更新や責任が消える」ことではない。むしろ示しているのは、自由意志を「行為直前の意識的瞬間」に置くと誤る、という点である。

6.1 リベット実験が突いたのは「タイミングの直観」

リベットの解釈は多様だが、少なくとも「意識的決定の報告」と「運動準備の開始」が一致しない可能性を提示した[6]。これにより、「意識が行為の第一原因である」という素朴な像は揺らぐ。だが、行為の多くが自動化された下位過程から立ち上がること自体は、日常経験とも整合する。例えば、歩行・発話・運転の微調整を、私たちは逐一意識していない。

6.2 重要なのは「瞬間」ではなく「熟議・学習・抑制」の層

自由意志の実務的核心を、瞬間のボタン押しに置くと、議論は空転する。むしろ、熟議がどのように形成され、学習がどのように更新され、抑制がどの条件で失われるかを対象化する方が有益である。実際、リベット実験の解釈の多様性や、後続研究(予測の強化や課題設計の違い)を整理する研究も存在する[8][9][10]

6.3 「脳が先に動く」ことと「主体が不在」は同値ではない

脳活動が先行しても、その脳は主体の更新構造の一部である。要点は、意識を「起動子」として神格化せず、更新の階層の一機能として位置づけることである。自由意志は「意識が最初に押すスイッチ」ではなく、「更新様式を変える能力」の側へ移動する。この方向は、自由意志を能力として捉える議論とも整合する[11][15]

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
6.1 タイミング 脳活動の先行は「意識が第一原因」という直観を揺らすが、それだけで自由や責任は消えない
6.2 対象の移動 瞬間ではなく熟議・学習・抑制へ対象を移すと、自由意志は実務的に扱える
6.3 同値でない 「脳が先行」≠「主体が不在」。自由は更新能力として再配置される

7. 予測脳と能動推論:自由意志を「最適化された更新」として見る

環世界を「差分検出→意味生成→行為」として捉えると、脳は受動的な入力装置ではなく、予測モデルを更新し続ける装置として理解しやすい。予測処理(predictive processing)や自由エネルギー原理は、知覚・行為・学習を「予測誤差の最小化(サプライズの抑制)」として統一的に記述しようとする系譜である[12][17]

この枠組みは、「自由意志」を神秘化しない形で扱うのに向いている。なぜなら、主体とは予測モデルを持つ更新構造であり、行為とは外界を変えて予測誤差を減らす操作(能動推論)として位置づくからである。自由意志は、この更新構造が、自分のモデルや方策をどの程度メタ的に修正できるか、という能力として現れる。

7.1 環世界とは「予測モデルが切り出した世界」である

環世界は、外界そのものではなく、主体の更新構造が生存上重要な差分を前景化して成立する世界である[1][5]。予測処理の語彙では、主体は「世界のモデル」を持ち、そのモデルに沿って入力を解釈し、誤差が大きいところを重点的に更新する。ここで環世界差は、モデルの違いとして自然に説明できる。

7.2 意志とは「方策の選択」ではなく「方策空間の形成」である

日常的には「どれを選ぶか」が意志のように見える。しかし、重要なのは「何が選択肢として立ち上がるか」「何が禁止されるか」「どこで抑制が働くか」という方策空間の形成である。これは、習慣・教育・制度・環境設計に強く依存し、同時に個人の学習にも依存する。自由意志の再考は、選択の瞬間から、方策空間の形成過程へ焦点を移すことでもある。

7.3 最適化は「良さ」ではなく「安定化」を意味する

最適化という語は誤解を招く。ここでいう最適化は、道徳的に良いことを選ぶという意味ではない。更新構造としての生命が、自己維持のために予測誤差を抑え、環境との整合を取る、という意味での安定化である。したがって自由意志を「最適化された更新」として見るとき、倫理は外部から付与される価値ではなく、他者との共存で更新可能性を壊さないための制約として再定義される(次章)。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
7.1 モデルとしての環世界 環世界差は予測モデル差として説明可能になり、主体=更新構造が強化される
7.2 方策空間 自由の中心は「どれを選ぶか」より「選べる空間を作り直せるか」に移る
7.3 安定化 最適化=道徳ではなく自己維持の安定化であり、倫理は共存の制約へ移る

8. 責任と倫理:自由意志を「制度が扱える形」に変換する

「人間と環世界」は、内面の一致が不可能であることを前提に、社会は言語と制度によって仮接続される、と押し込む[1]。この前提に立つと、責任と倫理は「内面の自由」を裁くものではない。社会が扱えるのは、行為と結果と、その説明可能性である。ゆえに、自由意志の議論は、責任と倫理を制度設計として再構成する方向へ進む。

8.1 「できたはずだ」ではなく「この人の更新様式に介入できるか」

伝統的責任論は「他にできたはずだ(代替可能性)」を重視するが、フランクファルト型事例は、代替可能性がなくても責任が成立しうることを示す[18]。この洞察は、あなたの枠組みと親和的である。責任を「瞬間の分岐」に置くのではなく、「その人の更新機構が自分のものであり、理由に反応し、将来の更新を変え得るか」に置くと、責任は制度が扱える形になる[13][14]

8.2 罰は報復ではなく、更新可能性の設計になる

自由意志を超越的分岐として失うと、報復的正当化は崩れる。しかし、だからといって社会が無力になるわけではない。制度が必要とするのは、被害の回復、再発の予防、危険の隔離、学習支援、依存や病理の治療など、更新可能性の設計である。これは「悪を懲らしめる」ではなく、「更新経路を再設計する」という発想である。

8.3 倫理は「他者の更新可能性を壊さない制約」である

環世界が一致不能であるなら、倫理は「内面の一致」ではなく「破壊の回避」に根拠を置く。暴力が問題なのは、相手の身体だけでなく、相手の環世界と更新を不可逆に損傷するからである。差別が問題なのは、更新経路(教育・就労・居場所)を一方的に封鎖し、将来の更新可能性を奪うからである。このように倫理を定義すると、自由意志の有無に依存せず、制度設計として堅牢になる。

8.4 神経科学と刑罰の関係は「報復の縮退」を促すが、制度の必要は残る

神経科学の進展は、報復的直観を弱める方向に働き得る一方、予防・支援・隔離の設計をより精密化する可能性もある。実際、神経科学と責任論の関係を整理する研究も行われている[19][20]。重要なのは、脳科学を「免責の自動装置」にせず、「更新可能性を回復するための情報」に変換することである。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
8.1 代替可能性の相対化 責任は「他にできたか」より「自分の仕組みで理由に反応し更新できるか」へ
8.2 罰の再定義 報復ではなく、回復・予防・隔離・支援として更新可能性を設計する
8.3 倫理の基盤 一致不能を前提に、他者の更新可能性を壊さない制約として倫理を置く
8.4 脳科学の位置づけ 免責装置ではなく、更新回復のための情報として扱う

9. AI 時代の自由意志:主体性を「更新構造」で測る

AI の登場は、自由意志を再考する実務的圧力を加速させた。なぜなら、推薦・広告・ランキング・信用スコアなどが、人間の「選択肢が見える範囲」を外部から整形するからである。ここで問うべきは、AI に自由意志があるかという空想的問いに先立ち、人間の自由意志(分岐管理)がどの層で侵食され得るかである。

9.1 侵食されるのは「選択」より「方策空間」である

露骨な強制は少なく、日常で起こるのは「何が目に入り、何が候補に上がり、何が自然に選ばれやすいか」の整形である。これは環世界の前景化を外部から誘導することに等しい。すると、自由意志は「この瞬間に別のものを選べたか」ではなく、「方策空間が外部により狭められていないか」「学習と抑制の回路が維持されているか」として評価すべきになる。

9.2 AI の主体性は、自己更新と自己参照の有無で評価される

AI に自由意志があるかを、感覚や内面で判断することはできない。社会的に扱えるのは、更新構造としての機能である。すなわち、AI が自己のモデルを更新し、更新の理由を説明可能な形で保持し、自己の更新を参照して方策を変えられるか、という観点が中心になる。これは人間の責任論(自分の仕組みの所有と理由応答性)と平行である[13][14]

9.3 予測の強化は「自由意志の否定」ではなく「制度要件の強化」を意味する

神経科学や AI により予測が当たりやすくなるほど、自由意志が消えるのではなく、制度は「説明可能性」「介入の正当化」「責任分界」をより厳密に要求する。近年の議論でも、予測能力の増大が自由意志否定へ直結しないことを論じるものがある[21]。要点は、自由意志を形而上学から引き剥がし、制度設計の言語へ翻訳することである。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
9.1 方策空間 外部誘導は選択の瞬間ではなく、候補の可視性と前景化を通じて起きる
9.2 主体性指標 AI の主体性は、自己更新・自己参照・説明可能性で機能評価する
9.3 予測と制度 予測の強化は自由否定ではなく、説明責任と介入正当化の要件を強める

10. 理論地図:世界・生命・主体・自由意志・責任を一枚にする

最後に、本稿の接続関係を一枚の地図として固定する。ここでの狙いは、自由意志を単独の概念として宙吊りにせず、「世界の更新→生命の更新→主体の更新→分岐管理→制度としての責任」という連結として見えるようにすることである。

中心概念 定義(本稿の立場) 自由意志との関係 社会制度への含意
世界 時間=更新 世界は不可逆に更新され続ける構造 自由は世界の外側ではなく、更新構造の内部の操作可能性として現れる 「完全固定」か否かより、どこに制約がありどこに介入余地があるかを問う
生命 自己維持更新 差分検出と自己調整で更新を継続する構造 自由意志は生命の高度な制御階層として位置づく 死や病理は更新不能・更新障害として理解され、支援設計へ接続する
主体 環世界生成 差分検出→意味生成→行為の連鎖で世界を生成する 自由は「選択肢の見え方」「方策空間の形成」と深く結びつく 一致不能を前提に、言語と制度で仮接続する必要がある
自由意志 分岐管理 理由応答性と学習・抑制により更新様式を再設計する能力 瞬間の超越ではなく、時間的に拡張された能力として扱う 責任は能力の差・支援可能性・再発予防として制度化される
責任・倫理 更新可能性の保全 他者の更新可能性を不可逆に壊さない制約と、更新経路の設計 自由意志の形而上学に依存しない基盤を持つ 報復より、回復・予防・隔離・支援・説明責任を中心に置く

以上より、本稿の結論は次の一文に収束する。ただし、これは端的に言い切るためではなく、上で積み上げた連結を短く固定するための文である。

自由意志とは、環世界に拘束された主体が、それでもなお自らの更新様式を時間的に再設計し続ける能力であり、世界・生命・倫理・制度を貫く更新構造の一機能である。


参考文献

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