相対性理論と量子力学の矛盾を追求する

本稿は、一般相対性理論(以下 GR)と量子力学(以下 QM)が「矛盾している」と言われる理由を、数式の技巧ではなく、世界の置き方(一次概念)と依存関係の観点から、知識がなくても追える順序で解体していく。ここで言う「矛盾」は、両者が同じ実験に対して異なる数値を出す、という意味ではない。両者はそれぞれの領域で圧倒的に成功している。問題は、ブラックホールや宇宙初期のような極限条件で両者を同時に使おうとしたとき、理論を置く足場(時間、因果、空間、背景)が循環してしまい、理論を一枚の図として貼れなくなる点にある。まずは「問題設定」と「見取り図」に徹する。何が衝突しているのかを、専門語を最小限にして、しかし曖昧にせずに固定する。ここが固まると、以降で扱う時間問題、背景依存と背景独立、発散と非可繰り込み、ブラックホール情報問題が、バラバラな難問ではなく、同じ根から生えていることが見えるようになる。


0. まず確認:二つの理論は「どちらも正しい」

最初に強調しておきたいのは、GR と QM の両方が、現実世界の観測・実験で強固に支持されているという事実である。GR は、重力レンズ、GPS の補正、重力波観測などで検証されてきた。QM(およびその相対論的拡張である量子場理論)は、原子・分子・固体・素粒子のふるまいを驚異的精度で記述してきた。したがって、矛盾の議論は「どちらが間違いか」を問うものではない。矛盾とは「両方を同時に使うための共通の足場がない」という意味である。この点を曖昧にすると、議論はすぐに二つの誤解に落ちる。第一に、特異点の無限大を「物理的に本当に無限大が存在する」と直読し、どちらかが破綻していると決めつける誤解である。第二に、ブラックホール情報問題を「情報が消えるか消えないか」の情緒的論争にしてしまう誤解である。本稿では、どちらも避ける。特異点は多くの場合「古典理論の適用限界」を示す信号であり、情報問題は「何を情報と呼び、どのレベルで追跡するか」が核心である。

領域 何が「成功」しているか この段階で押さえるべきポイント
一般相対性理論(GR) 重力を時空幾何として扱い、光・物体の運動や時間の遅れを説明できる 「重力=力」ではなく「時空の測り方(計量)の変化」として扱う
量子力学(QM)/量子場理論(QFT) 原子・分子・固体・素粒子のふるまいを確率として高精度に記述できる 「状態」と「確率規則」を前提にし、結果は原理的に確率で与えられる
矛盾が意味するもの どちらかが間違いではなく、同時適用の前提が衝突する 「数値が合わない」より先に「足場(時間・因果・背景)が両立しない」を見る

1. 「矛盾」と呼ばれてきた症状を先に列挙する

GR と QM の矛盾は、教科書や解説では主に次の形で紹介される。ここでは詳細に入らず、まず名前と直感だけを押さえる。

特異点問題

ブラックホール中心や宇宙初期では、一般相対論の方程式が曲率無限大を与える特異点を含む。この無限大は、物理量が実際に発散していることを意味するというよりも、「連続時空を前提とした古典理論の記述がここで破綻する」ことを示す警告として理解されるのが一般的である。特異点近傍では量子効果が無視できず、時空そのものを量子論的に扱う必要性が強制される点で、量子重力が不可避であることを最も端的に示している。
[1] [2]

ブラックホール情報問題

ホーキング放射が完全に熱的であると仮定すると、ブラックホール蒸発後に初期状態の量子情報が回復不能に見え、量子力学が要請するユニタリティ(情報保存)と衝突する。この問題の核心は、情報が本当に消滅したのか、それとも粗視化や観測者分割によって観測不能になっただけなのか、という点にある。ブラックホールは、時空の因果構造と量子相関を同時に扱う枠組みの不在を露呈させる試金石であり、量子論と重力理論の前提が最も鋭く衝突する場となっている。
[3] [4] [5]

発散と非可繰り込み

重力を他の相互作用と同様に摂動的に量子化すると、高エネルギー領域で無限大(発散)が次々に現れ、有限個のパラメータだけでは理論として予測を閉じることができない。この事実は、量子重力が構成不可能であることを意味するというよりも、「この枠組みは低エネルギーでの有効理論としては機能するが、より高エネルギーでは新しい一次構造や原理が必要になる」という警告として読むのが正確である。
[6] [7] [8]

時間問題

量子力学では、外部から与えられた時間パラメータに沿って状態が更新されることが前提とされる。一方、一般相対論では時間は時空幾何の一部であり、物質分布によって変化する量、すなわち「解」として決まる。このため、「外部時間を固定する」量子論の前提と、「時間を動的に決める」相対論の前提が正面衝突し、両者を同一の枠組みで扱うことが困難になる。
[9] [10]

これらは表面的には別々の問題に見える。しかし本稿の立場では、これらは「原因」ではなく「症状」である。原因は、理論が世界を記述する際に何を一次概念として採用しているか、そしてその依存関係が極限条件で輪を作ってしまうことにある。最初の目的は、この「輪」がどこで生まれるかを、誰でも追える形で固定することにある。


2. 何を一次概念と呼ぶか

一次概念とは、理論の中で説明抜きに「最初から置く」前提である。ここが固定されると、理論はその上に構造を積み上げて世界を記述する。逆に言えば、一次概念は理論の設計思想そのものであり、ここが異なる理論を無理に貼り合わせると、見えないところで矛盾が生まれる。

たとえばニュートン力学は、絶対時間と絶対空間を一次概念として置く。時間は世界の外から与えられ、すべての現象はその上で起きる。相対論は、時間と空間を混ぜた「時空」を用いるが、特殊相対論はその時空(ミンコフスキー時空)を固定の一次概念として置く。そこに速度や同時性の相対性が乗る[11]

量子力学は、状態と確率規則、そして外部時間に沿った時間発展を一次概念として置く。状態は「いまこの瞬間の世界」を表し、外部時間パラメータが進むことで状態が変わる。一般相対性理論はここが決定的に違う。GR は、時空そのもの(計量)が未知数であり、物質分布とともに方程式の解として決まる。つまり時間と距離は「結果」である[12] [13]

この対比を「舞台と演者」に置き換えると直感しやすい。量子場理論は、舞台(時空)をまず固定し、その上で演者(場や粒子)が揺らぐ。一般相対性理論は、舞台そのものが演者に反応して変形し、舞台と演者が分離できない。この非対称性が、矛盾の根である。

理論 一次概念(最初から置く) 二次概念(解・派生) 理解ポイント
量子力学(QM) 状態、確率規則、外部時間に沿う更新 観測結果の分布、相関の構造 時間は「説明対象」ではなく「前提条件」になりやすい
量子場理論(QFT) 固定時空(背景)、局所場 粒子概念、真空、散乱 舞台(背景)があるから粒子や真空が定義できる
一般相対性理論(GR) (背景なし)計量方程式、物質分布 時間の刻み、距離、因果構造(光円錐) 時間・距離が「結果」であり、事前に固定できない

3. GR を「誰でもわかる」形に言い換える

一般相対性理論を、最小限の言い方にするなら、「重力は時空の形である」と言える。

ここで重要なのは、重力を何かが引っ張る力としてではなく、「ものが動く道筋(最短経路)が曲がって見える」現象として扱う点である。地球が周囲の時空を曲げると、衛星や光はその曲がった時空の上で動くため、直線に見える動きが地上からは曲がって見える。これが重力レンズである[14]

この説明で大事なのは「時空が曲がる」という言葉の意味である。曲がるとは、距離と時間の測り方(計量)が場所によって変わることを意味する。たとえば重いものの近くでは時間の進み方が変わる。GPS はこの効果を補正しないと正しく位置が出ない[15]。つまり GR では、時間は固定の時計ではない。どの時計で測るか、どこで測るかで時間の刻みが変わる。これを「時間が伸び縮みする」と言ってもよいが、本質は「時間の定義が時空の解に依存する」という点である。ここが後に量子論の外部時間と衝突する。

用語 日常語の言い換え 物理としての意味 誤解しやすい点
時空が曲がる 距離や時間の「測り方」が場所で変わる 計量が変化し、最短経路が変わる 「空間がゴムのように凹む」比喩だけで終わらせる
重力レンズ 光がまっすぐ進んでいるのに曲がって見える 光も時空幾何に従って進む 光に力が働いて曲がる、と誤解する
時間の遅れ 同じ時計でも場所で進み方が違う 時間は幾何の一部で、解として決まる 「時間が伸びる=不思議現象」で止める

4. QM を「誰でもわかる」形に言い換える

量子力学を最小限の言い方にするなら、「世界の状態は確率としてしか予測できない」ということである。

ここでいう確率は「知らないから確率」ではなく、原理的に確率である、という含意を持つ。状態は、測定するとどの結果がどれくらいの確率で出るかを与える。重要なのは、量子論が「状態」と「時間発展」を基本として設計されている点である[16] [17]。さらに量子場理論では、粒子は点の玉ではなく「場の励起」として理解される。電磁場の揺らぎが光子として観測される、というように、粒子は場の特別な状態として現れる。この枠組みは現代物理の標準であり、標準模型はその完成形である[18]

量子論の時間は通常、外から与えるパラメータである。これは「時間は時計で測れる」という日常直感と相性が良く、計算も可能にする。しかし GR と同時に考えると、時間は外から与えられないはずである。ここに矛盾の入口がある。

要素 一言で 本文の要点 次章への接続
状態 結果の確率をまとめた「予測の器」 「知らないから」ではなく理論が確率を要請する 状態は外部時間に沿って更新される
時間発展 外部時間に沿う規則 時間は理論の外から与えるラベルになりやすい GR の「解としての時間」と衝突する
場と粒子 粒子は場の励起 固定背景の上で粒子・真空が定義される 背景依存/独立の問題へ

5. 何が「同時に成り立たない」のか

矛盾を次の三重要求として定義する。以後は、この三重要求をそれぞれの角度から掘り下げ、最後に一次概念の置き換えへ向かう。

固定背景の要請

量子場理論は、時間や因果構造を含む時空背景があらかじめ固定されていることを前提として構成される。この固定背景のもとで、場の自由度が定義され、粒子概念や真空状態、さらには散乱過程の計算が可能になる。背景が固定されているからこそ、エネルギー保存や粒子数の概念が明確になり、理論は高い予測精度を持つ。しかしその一方で、この前提は「時空そのものが動的に変化する」という重力の本質を理論の外に追いやることになる。
[18] [19]

背景独立の要請

一般相対性理論は、時空背景をあらかじめ固定することを拒否し、時空の幾何(計量)そのものを物質やエネルギーの分布によって決定される動的な量として扱う。この枠組みでは、時間や因果構造もまた理論の入力ではなく、方程式の解として事後的に現れる。重力を「力」ではなく「幾何」として理解するためには背景独立性は不可欠であるが、その代償として、量子論が暗黙に要求する外部時間や固定因果構造を自然に導入することが難しくなる。
[12] [13]

情報保存の要請

量子論は、閉じた系の時間発展がユニタリであることを基本要請としており、これは情報、すなわち量子状態に含まれる相関構造が原理的に失われないことを意味する。この要請は、測定や粗視化によって情報が見えなくなることと、理論的に情報が消滅することとを厳密に区別する立場に立っている。重力を含む状況、特にブラックホールや宇宙論的極限において、この情報保存の要請をどのように維持するかが、量子力学と一般相対論の統合をめぐる中心問題の一つとなる。
[20]

この三つはそれぞれ「正しい」。しかし同時に採用すると循環が生じる。量子論を定義するには時間が要る。しかし GR では時間は解であり、解を得るには物質分布が要る。物質分布は量子的である。量子的な物質を定義するには時間と因果が要る。こうして足場が輪になる。ここが本稿が指す「矛盾」の核心である。

三重要求 内容 なぜもっともらしいか 同時に置くと起きる循環
固定背景 量子論を定義するため舞台(時間・因果)を固定する 粒子・真空・散乱が定義できる 背景が「解」になる GR と衝突する
背景独立 時空は物質分布で決まる(時間も解) 重力を幾何として扱う核心 量子論が必要とする「外部時間」を置けない
情報保存 閉じた系で相関(情報)が失われない 量子論の基本要請 地平面・熱的粗視化で「消えたように見える」

6. なぜ「ブラックホール」が中心に来るのか

ブラックホールは、矛盾を最も鋭く露出させる装置である。GR の観点では、ブラックホールは事象の地平面という因果境界を持つ。地平面の内側から外側へは、古典的には情報が出てこない。一方 QM の観点では、ホーキング放射によってブラックホールは蒸発するように見える。もし放射が純粋に熱なら、最終的に情報が失われたように見える。これが情報パラドックスである[3] [4] [5]

この問題が重要なのは、単にブラックホールが不思議だからではない。ブラックホール情報問題は、上の三重要求が同時に立つかどうかをテストする。放射が熱に見える(粗視化)という事実と、情報が保存される(ユニタリティ)という要請を両立させるには、因果境界の扱い、そして「何を情報と呼ぶか」を精密にしなければならない。

観点 GR 的説明 QM 的説明 衝突点(ここが試金石)
因果境界 地平面の内側は外へ因果的に到達できない 相関は全体として保存されるべき 「内外分割」と「情報保存」の同時成立
熱的ふるまい 外からは熱力学的性質が見える 熱なら情報が消えたように見える 「熱に見える」ことと「相関が残る」ことの両立
特異点 古典理論の適用限界が出る 無限大は理論破綻の合図 一次構造の更新が必要になる

7. なぜ「宇宙初期」が中心に来るのか

宇宙初期もまた、矛盾を強制する。宇宙初期では、密度が高く重力が強いだけでなく、背景そのものが成立する過程を扱わなければならない。固定背景を前提にする量子場理論の枠はここで揺らぐ。一方で GR は古典理論であり、特異点のような適用限界を示す。宇宙初期の問題は、ブラックホールと並んで、量子重力が必要であることを最短で示す。

観点 固定背景だと困る理由 GR 単独だと困る理由 言い換え
背景の成立 背景そのものが成立する過程を扱う必要がある 特異点で古典記述が破綻し得る 「舞台ができる前の舞台」を扱う必要がある
量子効果 高エネルギーで量子効果が無視できない 古典方程式では極限に弱い 「小ささ」ではなく「極端さ」が問題を強制する
観測可能性 初期の痕跡が後で拡大される可能性 初期条件の取り方が結果に影響 直接見えなくても「痕跡」は残り得る

8. なぜ時間問題が最初に現れるのか

時間は、物理学においてもっとも身近で、同時にもっとも深い概念である。日常生活では、時間は一様に流れるものとして経験され、物理学も長らくこの直感に沿って理論を構築してきた。しかし、GR と QM を同時に扱おうとした瞬間、この直感的な時間像は維持できなくなる。時間問題とは、両理論が共有できる時間概念が存在しないという事実そのものを指す。

量子力学では、時間は理論の外部から与えられる。状態は「ある時刻における世界」を表し、時間が進むにつれて状態が変化する。この関係はシュレーディンガー方程式に明示的に組み込まれており、時間は確率的時間発展を記述するための不可欠な外部パラメータである[16] [20]。量子場理論においても事情は同じで、場や粒子、因果順序は固定された時空背景の上で定義される[18]

一方、一般相対性理論では、時間は外部から与えられるものではない。時間は空間と一体となった時空の一成分であり、その測り方は物質とエネルギーの分布によって決まる。重い物体の近くでは時間の進み方が変わり、どの時計が「正しいか」は状況に依存する。GR において時間は未知数であり、方程式を解いた結果として初めて定まる[2] [12]

この非対称性は偶然ではない。量子論は予測可能性を確保するために時間を固定せざるを得ず、GR は重力を幾何として扱うために時間を動的にせざるを得ない。両者はそれぞれ合理的だが、同時には立たない。

比較軸 量子論(QM/QFT) 一般相対論(GR) 衝突の形
時間の地位 外部パラメータ(更新のラベル) 幾何の一部(解として決まる) 「前提」と「結果」の取り違えが循環を生む
因果 固定背景に付随して与える 計量で決まる 因果枠を固定できない状況で量子論が揺らぐ
必要なもの 予測のための外部時間 重力のための動的時間 一次概念の再配置が必要になる

9. 正準量子重力と「時間の消失」

時間問題が最も露骨に現れるのが、正準量子重力の試みである。一般相対性理論をハミルトニアン形式に書き換え、それを量子化すると、時間発展を生成するはずのハミルトニアンが制約条件として現れる。その結果として得られるウィーラー=ド・ウィット方程式には、通常の意味での時間微分が現れない[9] [10]。このため「時間が消えた」と言われることがあるが、ここで起きているのは時間の物理的消失ではない。外部時間を前提としないまま量子化した結果、時間発展という概念を理論の中に置けなくなったのである。時間問題は計算技法の失敗ではなく、前提の置き方の問題として現れる。

段階 何をするか 何が起きるか ここでの読み方
正準化 GR を「時間+空間」の形に分けて記述する ハミルトニアンが制約として現れる 外部時間を置かないと「発展」を定義しにくい
量子化 制約を量子条件として課す 時間微分が消えた形の方程式が現れる 時間が消えるのではなく、外部時間が置けない
含意 時間発展の概念の再定義が要る 内部時間などの試みが出る 後段の「更新・因果・相関」へ繋がる

10. 内部時間という回避策とその限界

時間問題への対処として、「内部時間」という考え方が提案されてきた。これは、系の中のある物理量を時計として選び、他の自由度の変化をそれに対して記述する方法である。この方法は局所的・近似的には有効であり、特定の状況では時間の役割を果たす。しかし、内部時間には本質的な限界がある。どの自由度を時計として選ぶかは一意ではなく、選択によって記述が変わる。また、ブラックホール内部や宇宙初期のような極限条件では、安定した内部時計そのものが存在しない。このことは、時間問題が単なる表現の工夫で解消できないことを示している[21]

論点 内部時間でできること 内部時間でできないこと 結論
局所的代用 特定の自由度を時計として使い、相対的変化を記述 どの自由度を選ぶかが一意でない 「回避」にはなる
極限条件 近似が成立する範囲では有効 ブラックホール内部・宇宙初期では時計が安定しない 「解決」にはならない
本質 時間の役割を一時的に提供 時間を一次概念として固定できない問題は残る 一次概念の再配置が必要

11. 背景依存と背景独立の衝突

次に、背景依存と背景独立の問題を整理する。量子場理論は、固定された時空背景を前提に構築される。この前提があるからこそ、局所性、粒子、真空、散乱といった概念が定義できる[18] [22]。固定背景は計算と解釈を可能にするための強力な足場である。一方、一般相対性理論は背景独立である。時空そのものが力学変数であり、事前に固定された舞台は存在しない。舞台と演者を分離できない点が、GR の本質である。この背景独立性を捨てた瞬間、重力を幾何として扱うという理論の核心が失われる。

観点 背景依存(典型:QFT) 背景独立(典型:GR) 言い換え
舞台 固定した舞台の上で演者を扱う 舞台そのものが解として決まる 舞台が変わるなら、舞台に依存した概念が揺らぐ
粒子・真空 背景があるから定義できる 背景が固定されない 「粒子」と「真空」は状況依存になり得る
狙い 計算・予測がしやすい 重力を幾何として扱える どちらも捨てがたいので循環が生じる

12. 背景固定と背景独立のそれぞれの代償

重力を他の相互作用と同じ枠組みで扱うために背景を固定すると、重力はスピン 2 の場として表現される。この方法は計算を可能にするが、なぜエネルギーが時空の形を決めるのか、なぜ重力だけが特別なのかといった問いが説明できなくなる。逆に、背景独立を保ったまま量子化しようとすると、量子場理論で用いられる多くの概念が使えなくなる。粒子や真空といった概念は固定背景を暗黙に仮定しているからである。その結果、背景独立な量子重力理論はしばしば「物理的意味が分からない」と評される。しかしこれは、背景依存的な直感をそのまま当てはめていることによる混乱である。

選択 得られるもの 失うもの ここでの結論
背景を固定する QFT 的道具(粒子・真空・散乱)を使える GR の背景独立性(重力=幾何)を薄める 根本解決ではなく便法になりやすい
背景を固定しない GR の本質(時空が解)を保てる QFT 的直感(粒子・真空)が揺らぐ 一次概念の再配置が必要になる

13. 非可繰り込み性の意味

重力を摂動的に量子化すると、高次の計算で無限大が現れ、有限個のパラメータでは吸収できない。これが非可繰り込み性である[6] [7]。かつてはこれが量子重力の致命的欠陥と考えられてきた。しかし現在では、非可繰り込み性は「この枠組みが通用する範囲」を示す警告と理解される。実際、重力を低エネルギー有効理論として扱うと、予測は整合的に行える[8]。非可繰り込み性は、より深い一次構造が必要であることを示唆している。

観点 摂動量子化の解釈 有効理論(EFT)的解釈 一次概念再配置の位置づけ
発散 高次で無限大が増え、基礎理論として閉じにくい 低エネルギーでは有限個の係数で予測可能 高エネルギーで新しい一次構造が必要という合図
意味 このままの枠では限界がある 射程を限定すれば理論は使える 「失敗」ではなく「境界条件」

14. 三つの問題を貫く共通構造

時間問題、背景問題、非可繰り込み性は、一見すると異なる問題に見える。しかし共通しているのは、時空を一次概念として前提にしたまま量子論を適用しようとした点である。時間は外部から必要とされ、同時に解として決まる。背景は固定である必要があり、同時に動的でなければならない。発散は、同一の枠組みで両者を扱おうとした結果として現れる。ここまで、三つの問題が独立ではなく、同一の構造から必然的に生じていることが分かる。ここまで、時間・背景・発散という古典的論点が、一次概念の配置という観点から統一的に理解できることを示した。

主要問題の再配置対応表

従来の問題 従来の理解 再配置後の理解
時間問題 外部時間が必要だが、時間は力学変数でもある 時間を二次概念に降ろし、因果順序を一次に置くことで解消
背景依存/背景独立 時空を固定すべきか動的にすべきかの対立 時空を二次表現とすることで対立自体が消失
非可繰り込み性 量子重力理論の失敗 一次構造が別にあることを示す警告信号
ブラックホール情報問題 情報が失われるか否かの二分法 相関は保存され、観測者により可視性が異なるだけ
宇宙初期特異点 物理量が無限大になる破綻点 時空記述の有効性限界を示す境界

15. なぜ「時空」を一次概念から降ろす必要があるのか

ここまで見た通り、時間問題・背景問題・非可繰り込み性は、いずれも時空を一次概念として前提にしたまま量子論を適用しようとしたことに起因していた。時間は外部パラメータとして必要とされ、同時に解として決まる。背景は固定である必要があり、同時に動的でなければならない。この二重要求が循環を生む。ここで重要なのは、「時空が実在しない」と主張することではない。問題は、時空をどのレベルで置くかである。時空を一次概念として置く限り、量子論と重力論は互いに相手を前提にしてしまう。そこで、本稿では時空を二次概念へと降ろし、その下にあるより原初的な構造を一次概念として採用する[2] [18] [19]

症状として見える問題 一次概念が時空のときに起きること 再配置(一次→二次)での扱い
時間問題 外部時間が必要だが、時間は重力で変わる 時間を派生量に落とし、更新順序で記述
背景問題 固定背景が必要だが、背景は解として決まる 背景(距離)を一次に置かず、因果から幾何を再構成
発散問題 同一枠で量子化しようとして無限大が暴れる 低エネルギー有効理論として切り分け、一次構造を別に置く

16. 更新(event / update)を一次に置く

第一の一次概念として導入するのが「更新」である。更新とは、世界の状態が差分を伴って変化する出来事そのものを指す。ここでは、更新は時間の中で起きるものではない。むしろ、更新の連なりから時間が構成される。この考え方は、日常的な直感とも相性が良い。私たちは「今」という瞬間を、過去から未来へと更新され続ける体験として認識している。物理的にも、観測とは常に何らかの更新を伴う操作である。更新を一次に置くことで、時間を前提にしない記述が可能になる。重要なのは、更新が必ずしも均一な間隔で起きる必要がない点である。更新の頻度や密度は状況によって異なり、その粗密が後から時間や距離として解釈される[23] [24]

要素 ここでの定義 後段で効く点
更新 状態の連続変化ではなく「出来事」そのもの 外部時間なしで“変化”を記述できる
ネットワーク 更新同士の接続関係の集合 距離・時間を二次的に再構成する土台
粗密 更新の頻度は一定とは限らない クロック(時間尺度)の導入が派生操作になる

17. 因果順序を時間から分離する

第二の一次概念は因果順序である。因果とは、「どの更新がどの更新に影響を与えうるか」という関係であり、必ずしも数値的な時間を必要としない。更新 A が更新 B に影響を与えうるなら、A は B の原因である。一般相対性理論では、因果構造は光円錐によって定義され、時空幾何に強く依存する。一方、ここで採用する立場では、因果順序が一次であり、光円錐や距離はその表現にすぎない。この分離により、時間問題は自然に解消される。量子論が必要とするのは外部時間ではなく、更新間の因果的順序である。更新がどの順で関連するかが分かれば、時間パラメータを事前に置く必要はない[2] [23] [25]

観点 従来(時刻中心) 再配置(因果中心)
順序 時刻 t の大小で順序を与える 影響可能性(先行関係)で順序を与える
因果境界 固定背景の光円錐で与える 到達可能性の統計から光円錐を再構成する
時間問題への効き 外部時間が前提になりやすい 外部時間なしで「前後」を定義できる

18. 相関(情報)を保存量として再定義する

第三の一次概念は相関である。ここで言う相関とは、複数の更新の間に成立する統計的・構造的な結びつきであり、単なる数値データではない。量子論における情報保存(ユニタリティ)は、この相関構造が失われないことを意味する。相関を一次に置くことで、「情報がどこへ行ったか」という問いは、「相関がどのレベルで保持されているか」という問いへと置き換えられる。これは、ブラックホール情報問題の理解に決定的な役割を果たす[20]

用語 本稿での意味 ブラックホール問題での読み替え
情報 履歴を一意に復元するための相関構造 「消える/残る」ではなく「相関がどこへ移るか」
ユニタリティ 閉じた系で相関が失われない 熱に見えても微細相関が残る可能性を要求
粗視化 観測可能量への射影(見えない自由度を捨てる) 熱的に見える原因(見えない相関の切り捨て)

19. ブラックホール情報問題の再配置

ブラックホール情報問題は、時空を一次に置いたときに最も鋭く現れる矛盾であった。事象の地平面という因果境界が、情報の流出を遮断するように見え、ホーキング放射が熱的に見えることで、情報が失われたように見える。しかし、更新・因果・相関を一次に置く枠組みでは、問題の見え方が変わる。地平面は因果順序の境界として現れるが、それは相関構造の消失を意味しない。放射が熱的に見えるのは、外部観測者が相関の一部しかアクセスできないためである。この立場では、「情報が消えるか否か」という二分法自体が不適切になる。相関は全体として保存されており、観測者の立場によって可視性が異なるだけである[5] [26] [27] [28]

大枠 通常の言い方 更新モデルでの翻訳 注意点
1 情報は放射に出る 相関が外部更新列に符号化される “完全熱”ではない微細相関を要求
2 内外分割が壊れる 因果境界が微視更新では固定でない 巨視的因果(観測)との整合が鍵
3 残骸が情報を保持 相関の一部が最後まで閉じたまま残る 別の矛盾(無限種など)を招きやすい

20. 宇宙初期への適用

宇宙初期もまた、時空を前提にすると記述が困難になる領域である。更新を一次に置く枠組みでは、宇宙初期は「時空が形成される前の更新密度が極端に高い段階」として理解される。この見方では、特異点は「無限大が物理的に存在する点」ではなく、時空記述が有効でなくなる境界を示す信号である。更新と因果の記述が可能な限り、物理は破綻しない[1] [2]

観点 時空一次の読み 更新一次の読み
特異点 物理量が無限大になる点 時空記述が有効でなくなる境界
初期条件 連続幾何の初期値問題 更新規則の統計痕跡として残る可能性
観測窓 直接は見えない 痕跡が拡大されて残る可能性

21. 非可繰り込み性の再解釈

非可繰り込み性は、時空を一次に置いた摂動的量子化が限界に達したことを示す警告であった。更新・因果・相関を一次に置く枠組みでは、重力は低エネルギーで有効に現れる派生的記述と理解される。このため、非可繰り込み性は失敗ではなく、「一次構造が別にある」ことを教える指標となる。[6] [7] [8]

読み方 主張 本稿の位置づけ
失敗説 量子重力は構成不能 過度に断定的で、低エネルギーの有効理論を説明しにくい
EFT 説 低エネルギーでは予測可能、高エネルギーで新構造が必要 一次概念再配置の必要性と整合する
再配置説 時空一次の量子化が限界で、一次構造を別に置くべき 更新・因果・相関を一次に置く理由になる

22. 全体理論地図

結論を理論地図としてまとめると、次のようになる。

  • 一次概念:更新・因果順序・相関
  • 二次概念:時間・距離・時空幾何
  • 観測:更新への局所的アクセス
  • 情報保存:相関構造の保存

一覧表:理論地図(一次→二次→有効理論)

一次 二次(粗視化) 有効理論としての現れ
更新 時間尺度(クロック) 量子論の時間発展の記述
因果順序 光円錐・距離 相対論的因果・局所性
相関 エントロピー・熱 熱的現象と情報保存の両立

一般相対性理論は、更新と因果が連続極限で表現された有効理論として理解できる。量子力学は、更新間の相関を確率的に記述する理論として位置づけられる。両者は競合する理論ではなく、異なるレベルの記述なのである。


23. 結論

相対性理論と量子力学の矛盾は、世界が矛盾していることを意味しない。それは、私たちが同じ一次概念配置で両者を語ろうとしたことによって生じた見かけの矛盾である。一次概念を更新・因果・相関へと再配置することで、時間問題、背景問題、非可繰り込み性、ブラックホール情報問題は一つの構造として理解できる。本稿が示したのは、最終理論の完成ではなく、理論を正しく並べ直すための地図である。この地図の上で、既存の量子重力理論や今後の理論的試みは、それぞれの位置を明確にできるだろう。

理論間対応表

観点 一般相対性理論 量子力学 再配置後
基本対象 時空幾何 状態ベクトル 更新と相関
時間の扱い 幾何の一部 外部パラメータ 更新順序から派生
因果構造 光円錐 明示されない 一次的関係として明示
情報 幾何に埋め込まれる ユニタリに保存 相関構造として保存

参考文献

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