年収をステータスであると考える人間はしばしば見受けられる

あのなー、俺はたまたま年収が高いわけじゃないんだよ。勉強して良い大学に入って選択肢を広げて、大企業で20代を仕事に費やし、リスク取って外資に転職して、基礎学力に専門性と経験を積み上げた結果が今の高年収なんだよ。
と、今の生活水準を当然と考えて感謝しない妻に叫んだらガチ切れされた。

妻がキレた理由としてはよくある話で、「私も自分のやりたい仕事(年収400万)諦めて、毎日毎日家事育児ばかりしてる!もう少し早く帰ってきて手伝ってよ!」ってやつですね。
毎日定時で帰れるような公務員や、責任のある仕事を任せてもらえない会社員のような甲斐性無し共と一緒にしないでおくれよ…

年収という数字で人間を下に見ている、しかも自分の配偶者ですら。

ちなみにこの年収という言葉は一般的に、資本家に雇用された労働者が年間を通して賃金をいくら受け取ったかという数値を指す概念らしい。

他でもない、奴隷の鎖自慢である。

奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖をお互いに自慢を始める。どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。

可哀想に。

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