ここをどういう装置として使うのかを定義する
1. ブログという器の誤解を解く ブログはしばしば「日記」か「メディア」かの二択として理解される。日記は私的な記録であり、メディアは読者規模の拡大を目的に編集される。しかし、この二択は Web 上の文章が持つ第三の用途を … 続きを読む
1. ブログという器の誤解を解く ブログはしばしば「日記」か「メディア」かの二択として理解される。日記は私的な記録であり、メディアは読者規模の拡大を目的に編集される。しかし、この二択は Web 上の文章が持つ第三の用途を … 続きを読む
人間の認知資源はなぜ有限なのか。この問いは、能力論や教育論、あるいは AI 論を論じる以前に、まず単独で検討されるべき問題である。特定の理論的前提に依拠せず、この問いそのものから出発する。認知資源の有限性を曖昧にしたまま … 続きを読む
生成 AI が普及すると「みんなが賢くなるのか」「差が広がるのか」を二択で語りたくなる。しかしこの二択は、議論の粒度が合っていない。現実に起きるのは、(a) 生成コストの急落により平均成果が上がりやすい局面と、(b) 生 … 続きを読む
「選択肢が増えれば増えるほど、人は自由になり、より満足できるはずだ」という直感は強い。商品が多ければ自分に合うものが見つかる確率は上がり、検索結果が増えればより適切な情報に到達できる可能性も高まる。この推論自体は合理的で … 続きを読む
前回の記事では、理解・設計・制度が「初期の過剰 → 運用による観測 → 単純化としての情報抽出 → 成熟としての安定構造」という同一ダイナミクスを持つことを示した。今回は、その次の問いを扱う。なぜ人間は複雑さを欲しがり、 … 続きを読む
前回の記事では、計算機の設定を出発点として、日常の収納、社会制度までを同型の現象として汎化し、「成熟とは単純化であり、単純化は後退ではない」という命題へ到達した。本稿は、その命題を「なぜ必ずそうなるのか」という因果構造へ … 続きを読む
本稿の出発点は、GNU Screen の設定から Control キー絡みのバインドを削減したことだ。具体的には C-a、C-b、C-e のようにカーソル移動で頻繁に押されるキーを「別レイヤの制御」に使うと、連打の途中で … 続きを読む
本事象は、ユーザーセッション側の自動起動設定を整理する過程で systemctl –user enable を用いた設定変更を行った直後に発生した。作業内容自体は入力メソッドの自動起動に関するもので、ネットワ … 続きを読む
本稿は、先週も急パソしたばかりの ThinkPad を「ノート PC」としてだけではなく「サーバーノード」として運用する設計を、判断軸と実務上の具体例に落として記述する。ここでいうサーバーノードとは、VM を大量に回すビ … 続きを読む
iMac(Apple Broadcom Bluetooth USB Host Controller)で Debian GNOME を運用していると、ある日突然 Bluetooth がオンにならず、GUI でも CLI で … 続きを読む