気付いている人もそれなりにいるだろうが、長らく自由の身を謳歌していた生活も終わりを迎え、人間社会に復帰することになった。日々の予定を自分で決め、マイペースで暮らすことができる生活は、今にして思えば確かに贅沢だった。時間に縛られないというのは、現代社会においては最高の特権である。だがその自由も、静かに終わった。
実を言うと、今月から働いている。華々しい再出発というよりは、なんとなく区切りのようなものだ。社会復帰といえば聞こえは良いが、正直なところ、復帰したいと思っていたわけではない。成り行きでそうなっただけである。
勤務地は都心の一等地。地価を反映したような整った建物が並び、周囲にはそれにふさわしい人々が行き交っている。雰囲気は悪くない。むしろ、とても良い。いま住んでいる場所も、まあまあ都心といえる位置にあり、自宅と職場のあいだに郊外を経由する必要がない。通勤のたびに感じるのは、その事実のありがたさである。東京の中心部を周回する移動。チャリ通の環境が整っているというのも、実に良い。
もちろん、手放しで満足しているわけではない。仕事には避けられない煩雑さがあるし、人間関係も思うようにはいかない。すべてが理想通りに進む世界など、どこにも存在しない。それでも、場所が良いということは大きい。職場までのルートを選択できる自由、その短い距離の中にある日々の発見、それだけで他の不満はある程度緩和されるというものである。
さらに言えば、裁量のある働き方が可能で、在宅勤務もある程度は自由に選択できる。これは確実に大きい。毎日決まった時間や場所に束縛される生活だったなら、今頃どうなっていたかは分からない。
新しい生活には、それなりに慣れてきた。ただ、それにしても今月は長かった。日数の問題ではない。密度の問題である。慣れたからといって楽になるわけではないが、このくらいなら続けられるかもしれないと思えるだけでも、ひとつの収穫だ。
しかし、働くってのは、やっぱり最悪だな。本当に。