最近の戦国系のゲームでは異なる時代の武将でも時空を超えて登場といったことがごく当たり前になってきているらしい。三國志Ⅴでも 3DS 版は 2010 年、スマホ版は 2018 年と結構最近なので、例に漏れず SP 武将なるものが用意されており、水滸伝とか春秋戦国時代とか日本の武将なんかを登場させることができたりする。そこで試しにこれらを登場させる設定でプレイしてみたら、史実の武将をはるかに凌駕する実力の武将ばかりで能力のインフレもいいとこ、世界観がぶち壊しになってしまった。考えてみれば当たり前の話で、史実の武将は全員登場するので雑魚でも登場するが、このようなスペシャル枠で登場する別の時代の武将はそもそもそれぞれの舞台で活躍した名将ばかりであり、雑魚だったらこのように他の作品にわざわざ登場したりしないのである。だから基本は使わない、万が一使うとしてもせいぜいよほど思い入れのある一人か二人くらいを登場させるくらいがギリギリであって、みんな登場するとゲームバランスがメチャクチャになる。みんなそういう使い方を暗黙のうちに了承しているのだろうか。それならそれで、水滸伝だけとか春秋戦国だけとかでフィルタリングできればいいのに、そうなっていない。まあ使わなければ良いだけの話なのだが、こういうインフレ状態を一度見てしまうと興醒めするというものである。他の時代の武将が登場するのはオマケ要素として徹してほしいところだ。やるとしても史実武将と比べると見劣りするくらいでちょうどいい。

さてそんな三國志Ⅴだが、ゲームバランスに関しては他のブログ記事にもある通り、おそらく最高レベルの出来である。そもそも歴史ゲームというのは史実に基づき再現性を高めていくと、弱小君主では太刀打ちできず英雄でしかクリアできない無理ゲーになってしまう。あるいは誰がプレイしても英雄が大国化して展開が同じになってしまう。それでは面白みが無い。別にシミュレーションがやりたいわけではない。やはりゲームバランスに特化してこそゲームの意味があるというものである。そう考えると、頭を使ってうまくやれば勝負をひっくり返す程度にバランスが調整された形が理想なのだろう。ただ不満も無いわけではない。難易度上級や超級にしてしまうと、敵の勇名が何もしなくても自動的に時間経過で上昇していく設定になってしまうのだ。これではただのチートだろう。果たしてチートと戦って勝つのが高難易度と言えるのだろうか。麻雀で言うと大差を付けて勝っていると突然敵の配牌が良くなって役満をキメてくるような不条理さを感じる。いや、求めているのはそれではないだろう。難易度設定を上昇させることで敵の思考ルーティンが洗練化されていくのが理想のあるべき姿だ。そのあたりもう少し考えてほしいものである。まあ不満はそのくらいで、基本的にはよく出来た名作である。

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