新型コロナウイルスワクチンの四回目を接種した。
これは重要な話なのであるが、副反応の四割は思い込みらしい。
なるほど前回モデルナを打ったとき副反応が出たような気になってしまったけど、熱も出ていないしあれは完全に思い込みだったのだろう。副反応なんて無かった。一回目も二回目も三回目も副反応なんて出ていなかったのだ。
そこで今回も副反応なんて出るはずないと確信した上で気軽に注射を打ったら当日も翌日も案の定一切何も無し。
翌日も体温 36 度台と平熱であるし、部分の痛み、発熱、倦怠感、頭痛、筋肉や関節の痛み、寒気、下痢等の症状といったよくある副反応の類は一切無かった。注射を打ったことを忘れていたくらいだ。やはり四割程度の人は思い込みだったのだ。もちろん実際に副反応が出ている人もいるであろうが、報告された数と実態とは大幅に乖離があると考えたほうが良いだろう。
そもそも新型コロナウイルスの脅威なんてものは存在するのだろうか。もう一度考えてみよう。
確かに新型かもしれない。だがもともと旧型コロナウイルスというものは存在していたのである。いままで人類が旧型コロナウイルスに感染するたびに大騒ぎをしていただろうか。そりゃ新型だから出たばかりの頃は情報が無かったいうのが問題だったし、かつてはワクチンや治療薬が存在しなかったであろう。でもそれから何年も経って今は情報もだいぶ充実しているしワクチンや治療薬もあるじゃん。一体いつまで騒いでんの。
高齢者が死ぬという話もある。ただ高齢者というのはそもそも旧型コロナウイルスに感染しても死ぬ。新型コロナウイルスに感染しても死ぬ。モチを食っても死ぬ。道を歩いても死ぬ。そのへんで転倒しても死ぬ。風呂に入っても死ぬ。もちろん自動車を運転しても死ぬ。ほっときゃどうせ死ぬのが高齢者なのである。
以前も書いたが、莊子が万物斉同を説いたように、生死ですら表裏一体のものであり生きるのも死ぬのも物事の一面にすぎないと考え、いたずらに生にしがみつくのではなく、死を身近にとらえ謙虚に慎ましく過ごすのが人間としての本来あるべき姿なのである。
ほっときゃどうせ死ぬような人間のために未来ある若い人間が悪影響を受けるようなことがあってはならないのである。