世間では相変わらずウイルスが流行っているが、この新型コロナ騒動で自分にとって良くなったことを書き出してみる。

1) 不衛生な環境・文化が軒並み滅んだ

スーパーでは今まで露出していた食品が個別包装になった。あんなもの誰がペッペとツバを飛ばしているかわからない。不衛生極まりない。見た目には美味しそうなのだが衛生面に不安があった。そのようなものが、今回の件があってすべて個別包装になった。
パン屋ではかつて焼きたてのパンを露出したまま店頭に並べていた。これまた不衛生極まりない。食品がそのまま不特定多数が行き交う店内に露出して並べられていたのである。信じられないことだ。
ホテルとかのビュッフェ形式みたいなやつも滅んだ。あれもガキや老人や行儀の悪い客が何をしたかわかったものじゃない。落としたり汚したものをそのまま戻しているかもしれない。よく他人を信用できるなといった感じである。
ついでに串カツの二度漬け禁止とかいうみんなでタレを使い回しましょうとかいう文化も滅んだ。
総じて、感染症などがたまたま今まで流行らなかったから、これまで衛生面で無頓着になっていたものであって、このような緊急事態になって見直されたことは良いことであると言える。

2) テレワークがすさまじい勢いで広がった

業種にもよるだろうが、自分の場合はテレワークに移行することで、出勤しなくて良くなった。そもそも出勤なんてする必要なかったんや。おかげで家族と過ごす時間が増えた。特に用事も無いのにとりあえず時間通り職場に集合しましょうみたいな文化が滅んだことは良いことだ。
自宅でシゴトをするのなら、服装も自由だし、空調も個人にあわせて自由に設定できるし、休憩時間にシャワーを浴びたりできるから衛生的だし、プライバシーも確保されるし、動画や音楽やニュースを流しながらギョームをすることだってできる。自分の部屋なのだから電子タバコを吸ったって自由だろう。そんなもの、自己責任だ。
こうなってみると、生産性がより注目されるようになって、いろいろ無駄が省かれて効率化したり、もしかしたら不要な役職者やら部署やらプロジェクトやらがリストラされるかもしれない。でもそれは元々からして不要だったのだ。みんなが生産性という本質的なものに注目していろいろと考え直す良い機会になったに違いない。
よくわからないけど毎日とにかく時間通り職場に集合しましょうとかいう文化が過去のものとなったのは素晴らしいことだ。

3) 都内の混雑が解消した

みんなが外出を自粛した結果、異常なまでに密集した都内の混雑状況が緩和した。
満員電車とかいう狂気じみた文化も過去のものとなった。何なんだ満員電車って。キャパシティを明らかに超えた人数が電車に乗るのが普通っておかしいだろ。
東京なんてしょせんただの田舎の街にすぎない。駅や道などを見ればわかるが、もともとそんなに大量の人間が暮らすことを想定していない作りになっている部分も多々あるのだ。それがこの数十年で異常なまでに発展して、誰も彼もが東京にとりあえず居るみたいな状態ができあがっていた。だからあちこちに無理ができる。店舗や住居のスペースなどもおかしなレイアウトになっているところがたくさんある。
自分は人生のほとんどを首都圏で過ごしているので知らんが、地方出身者がよくわからないけど成人したらとりあえず東京で暮らそうみたいな文化もあるらしい。そういうのはやめてほしい。用事が無いなら来るな。なにが実家に帰省だよ。どこか遠くに帰る場所がある時点でよそ者だと宣言しているようなものである。

4) 外人がいなくなった

東京の街にはそれぞれ個性がある。たとえば浅草なら江戸って感じだし、秋葉原はオタクとか、いろいろある。つい先日まで、都内のどこにいっても中国語だの韓国語だの正体不明の言語だのが飛び交って、オイオイいったいここはどこの国なんだよみたいな感じになっていた。風情というものが台無しである。
東京には東京なりの暗黙のルールというのがあって、礼儀とか作法とか言えば聞こえが良いのだが、要するに集団で大声でわめき散らしたりして他人に迷惑をかけないということが大切である。ただでさえ土地が狭っ苦しい上に前述の通り大量の人間が集合するので、お世辞にも暮らしやすいとは言えない。だからみんな無言のうちに他人に気を使って、少しでも暮らしやすいようにしていたのだ。挨拶をしなかったり多人に干渉しないのは人間が冷たいとかそういう理由じゃなくて、暮らしやすさを守るための暗黙のルールに則ったものなのである。
また東京を歩くときは、集団全体の歩く方向や速度などから規則性を見出して、不規則な動きをしないことも大切である。これも狭っ苦しい場所に人間が大量にいるからそうやってなんとか日々を安穏に過ごしているのだ。ところが外人は街に不慣れだから当たり前とも言えるが、そのようなルールを理解していない者が多く見受けられた。
これらの不満が今回のことで一気に解消された。これも自分にとっては良いことだ。

5) 死が身近になった

だいたい七十年も生きれば立派な老人である。人間というのは本来、いつ死ぬかわからない。
いつ死ぬかわからない緊張感の中、長いこと生き延びることができたからこそ、旧来の年長者は知恵があるとみなされ尊重されたのである。
ところが最近では人生百年時代などというワードが飛び交い、人間が死なずに長生きするのがまるで当たり前となってしまっていた。一部の知恵者や精進した者のみらなず、誰もが長生きするのがあたかも当然というのはこれはとても不自然なことだ。人間、ある程度の年令になったら、身体もあちこち衰えて欠陥が表面化してくるし、ちょっとしたことがあれば死んでしまうものである。
いくら医療が発達したとはいえ、人間は不老不死になるわけではない。いたずらに現し世にしがみつくのではなく、身の引き際、後進への託し方、といったことを常に心に留め、晩節を汚すことのないようにするのが人の道である。
莊子は万物斉同を説いた。これは生死ですら表裏一体のものであり、生きるのも死ぬのも物事の一面にすぎないという考え方である。
晩年は晩年らしく、将来ある若い人々に道を譲り、死を身近にとらえ謙虚に慎ましく過ごすのが本来のあるべき姿である。
今回の騒動は、このように死というものをあらためて身近にとらえ、生き方を今一度見直す機会となったに違いない。これは良いことだ。

6) 優良企業の株式がお求めやすい価格になった

ウイルス騒動で業績が悪化したから株価も安くなるというのは当たり前のことだが、人間の歴史において感染症が流行しようが大災害が起ころうが戦争で国がメチャクチャになろうが、長期的に見ればこれらを克服して人類は栄えてきた。
このように災厄などで市場全体において株価の値下げが起こるというのは長期的に見れば買い場なのであり、ウイルスが本来あまり関係ないような優良な企業の株式まで値下げしているのであればこれは投資するにあたり絶好の機会であると言える。

7) 東京オリンピックが延期になった

うまく行けば中止もあり得る。とにかく狭っ苦しい土地で大規模なスポーツ大会を無理矢理開催するのをやめろ。
昔は象徴的な意味もあったのかもしれんが、今は高度成長期とはまったく違う。スポーツに興味が無い人からしたら迷惑なだけである。
経済効果が〜とか観光収入が〜とかカネにまつわるクソみたいな声があるようだが、一時的なイベントにあやかって目先の利益を得ようとするのはそもそも邪道である。
本来、企業活動の生産性を高め、付加価値を増大することで、利益を得ることが正道である。
一時的なイベントに頼った邪道な利益などはまやかしであり、消失したとしても惜しくないのである。

以上

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