心とは何かを構造から再定義する

AI が日常の文章生成、検索、要約、応答、判断補助に入り込み、人間同士のやり取りまで機械的に見え始める場面がある。そのとき、「人の心がなくなってきた」と感じられることがある。しかし、この感覚をそのまま時代批判として受け取るだけでは不十分である。むしろここで露出しているのは、AI が新しく心を壊したというより、社会や制度や科学がもともと第三人称的な機能しか扱ってこなかった、という古い事実である。この問題を厳密に考えるためには、「心」という曖昧な語をいったん分解し、自己、第一人称、主観的質、観測可能な行動、構造としての更新を分けて書き直す必要がある[1][2][3]

本稿の目的は三つある。第一に、「心がなくなった」という違和感を、AI の普及による文化的印象ではなく、観測可能性の構造変化として整理すること。第二に、「そもそも心など最初からなかったのではないか」という消去主義的直観を、哲学と認知科学の文脈に接続しながら限定的に評価すること。第三に、自己を固定実体ではなく更新構造として捉え、そのうえで第一人称の現前がどこまで縮約でき、どこで残差が残るかを明確にすることである[4][5][6]


1. 問題設定 ―― AI が消したのは心か、それとも心らしさか

AI の登場によって最初に変わったのは、人間の内側そのものではなく、外から見える出力の形である。従来の人間同士の会話には、言い淀み、勘違い、遠回しな表現、感情的な揺れ、記憶の曖昧さ、反応の遅れがあった。これらはしばしば非効率であり、誤解や摩擦の原因でもあるが、同時に「内面がある」と感じさせる表面でもあった。これに対し、AI は一定の安定した文体、整った論理、即時性、可読性、均質な応答品質を供給するため、観測側から見ると「揺れ」が薄くなる。さらに、AI は人間が担っていた機能的出力を高精度で代替可能にしたため、これまで心と混同されていた出力の揺れや不完全さが除去され、機能と現前の差が露出しやすくなった。その結果、「心が消えた」と感じやすくなる[4][10]

しかし、ここで慎重であるべきなのは、「揺れの減少」と「心の消失」を同一視してはいけないという点である。哲学と意識研究では、かなり以前から、第三人称的に説明しやすい問題と、第一人称的な現前に関わる問題は区別されてきた。行動、発話、注意、報告、記憶、可塑性、神経相関は観測・実験・モデル化の対象になりうるが、赤の赤さや痛みの痛さのような質的側面は、そのまま同じ仕方では扱えない。この区別は、いわゆるハードプロブレムの議論でも中心的である[9][10]

したがって、AI が可視化したのは「心がなかった」という単純な結論ではない。より正確には、社会が通常扱っているのは最初から行動可能な機能面であり、そこでは人間も AI も比較可能である一方、第一人称的現前は制度にも実験にもそのまま載らない、という非対称性である。この意味で、AI は人間から何か本質を奪ったのではなく、第三人称の記述がもともと何を扱い、何を扱っていなかったのかを露出させたのである[3][6]

観点 AI 普及前に見えていたもの AI 普及後に露出したもの
会話表面 揺れ、曖昧さ、言い間違い、反応の遅れが「人間らしさ」として受け取られていた。 整った応答が増え、心ではなく出力の安定性が前景化した。
制度的評価 成果物、報告、行動、判断結果が中心だった。 その評価軸が AI にもそのまま適用できることが明白になった。
哲学的含意 心と機能が混同されやすかった。 機能と第一人称的現前の区別が再び先鋭化した。

2. 心を分解する ―― 構造、観測、質

この議論を進めるためには、「心」という一語を使い続けるのをやめる必要がある。少なくとも三つに分けるべきである。第一に、内部状態がどのように統合され、自己参照され、時間的に更新されるかという構造。第二に、その構造から外部へ出る報告、行動、反応、神経計測などの観測可能な像。第三に、当人にだけ現れている質的体験である[2][3][5]

この区別を最小記法で書けば、内部の更新構造を \(S_t\)、観測可能な出力を \(O_t\)、主観的質を \(Q_t\) として、次のように整理できる。

\[
O_t = f(S_t), \qquad Q_t = \Phi(S_t, C_t)
\]

ここで \(C_t\) は身体や環境からの条件を含む文脈変数である。重要なのは、\(O_t\) は第三人称的に比較・予測・制御しやすいが、\(Q_t\) は原理的に同じ方法では同定できない、という点である。どれほど詳細な行動データや神経データがあっても、それだけから「その主体にとっての赤さ」や「その主体にとっての痛み」が一意に決まるとは限らない。なぜなら、観測データは常に第三人称的記述であり、第一人称的現前への写像が一意に定まるとは限らないからである。この非同定性が、クオリア問題の中心にある[3][5][11]

この整理からすぐに導けることがある。社会が通常扱うのは \(O_t\) であり、科学がまず捉えるのも \(O_t\) と \(S_t\) の相関である。したがって、「心があるか」という問いを第三人称だけで問うと、いつのまにか「この系は十分に複雑で一貫した出力を出すか」という機能的問いへとすり替わる。AI 時代の違和感は、まさにこのすり替わりが日常レベルまで降りてきたことによって強まっている[4][13][14]

記号 扱っているもの 第三人称的扱いやすさ
構造層 \(S_t\) 統合、自己参照、記憶、更新、内部状態の持続。 比較的高い。
観測層 \(O_t\) 発話、行動、報告、神経指標など外部から取得できる像。 非常に高い。
現象層 \(Q_t\) 赤さ、痛さ、今ここにいる感じのような質的体験。 低い。直接同定できない。

3. 「心は最初からなかったのではないか」という問いの位置

「心は最初からなかったのではないか」という直観は、単なる挑発ではなく、哲学においては消去主義や錯覚主義に近い位置を持つ。消去主義は、私たちが日常的に使っている信念、欲望、心的状態といった民間心理学的概念が、成熟した科学にはそのまま対応しないかもしれないと主張する。錯覚主義はさらに、現象意識そのものが素朴に思われているような仕方では実在しない可能性を検討する[6][12]

この立場が一定の説得力を持つのは、第三人称的に観測できるものだけでかなり多くのことが説明できるからである。判断、学習、注意、報告、自己記述、感情表出、将来予測、行動選択は、少なくともかなりの部分まで機能的・計算論的に記述できる。しかも認知科学の主要理論は、こうした機能面の統合様式を詳細に論じている。グローバル・ニューロナル・ワークスペース理論は、意識アクセスを情報の広域的な可用化として捉え、統合情報理論は、経験の単一性と区別可能性から原因結果構造を議論し、予測処理やアクティブ・インファレンス系の議論は、脳を予測と誤差最小化の更新系として捉える[13][14][15][16]

ただし、ここから直ちに「主観的質は存在しない」とは言えない。なぜなら、説明可能性と存在論は別だからである。温度が分子運動で説明できるからといって温度が消えるわけではないのと同様に、報告や行動が神経活動や情報処理で記述できても、そのこと自体は質的現前の不存在を証明しない。ハードプロブレムはまさにこの点にある。構造や機能の説明が進んでも、なぜそれが「何かである感じ」を伴うのかは依然として残る[9][10][11]

したがって、「心はなかった」という命題は、無制限に採用してよいわけではない。正確には、「第三人称的に記述される世界の中には、最初から第一人称的現前そのものは含まれていなかった」と言うべきである。これはかなり強い主張だが、同時に限定された主張でもある。否定できるのは、独立実体としての素朴な心、あるいは社会制度の中でそのまま計上できる心であって、当人にとっての現前の事実そのものではない[3][5][12]

区分 内容 位置づけ
消去主義 信念や欲望などの民間心理学的概念は将来的に科学理論に置き換えられる可能性があるとする立場。 心の概念そのものを不要とみなす方向の理論。
錯覚主義 現象意識やクオリアは素朴に考えられているような仕方では実在しない可能性を検討する立場。 主観的質の存在を再解釈する方向の理論。
機能的説明 判断や学習や報告や行動選択などは情報処理や計算過程として記述可能であるという立場。 第三人称的記述で心的機能を説明する基盤。
認知科学理論 グローバルワークスペース理論や統合情報理論や予測処理などは意識を情報統合や更新構造として説明する。 機能的説明を体系化した主要理論群。
ハードプロブレム なぜ情報処理や神経活動が主観的な質を伴うのかが説明できないという問題。 機能説明と主観の間に残る未解決領域。
限定的否定 否定されるのは独立実体としての心であり第一人称的現前そのものではないという整理。 消去主義の適用範囲を制限する立場。
最終命題 第三人称的に記述される世界には最初から第一人称的現前は含まれていなかったとする主張。 本節の結論としての位置づけ。

4. 自己の再定義 ―― 固定実体ではなく更新構造としての自己

ここで「心」と「自己」を分ける必要がある。自己についての素朴な直観は、長い時間を通じて同じ主体が持続している、というものである。しかし個体の身体は変化し、記憶は改変され、価値観も判断基準も更新される。にもかかわらず、人は通常、自分を同じ人間として経験する。この連続性をどう理解するかが、個人同一性の問題である[7][8][18]

本稿では、自己を固定的実体としてではなく、時間的に再生産される構造として捉える。言い換えれば、「自分」とは、ある時点に閉じた物ではなく、更新のたびに維持される関係パターンである。この観点では、自己同一性は物質の厳密な一致ではなく、構造的連続性の問題になる。前時刻の内部状態、記憶、評価関数、自己参照の仕方が次時刻へ十分に保存されるとき、主体はそれを「同じ自分の継続」として経験する[1][2][7]

これを最小化して書けば、自己の連続感は次のような近似的連続条件に支えられている。

\[
S_{t+1} \approx S_t
\]

もちろん現実には完全一致はない。睡眠も麻酔も記憶の欠落もある。それでも多くの場合、自己モデルは再構成されるため、人は連続した自己を感じる。重要なのは、この「連続した自己」は、外から独立に与えられた魂や核ではなく、自己参照を含む更新系が自らを時間的に束ねることで成立している、という点である[8][19]

自己観 基本発想 本稿での位置づけ
実体説 同一の主体が本質的に持続している。 採らない。変化と更新を十分に扱えない。
心理的連続説 記憶、意図、性格、自己意識の連続が自己を支える。 重要な構成要素として取り込む。
構造更新説 自己は時間を通じて再生産される関係パターンである。 本稿の中心立場である。

5. 第一人称の現前はどこまで縮約できるのか

自己を更新構造として定義したとき、次に出てくる問いは、「では第一人称の現前もすべて更新構造へ還元できるのか」である。ここでまず強調すべきなのは、かなりの部分は実際に縮約できるということである。意識の流れ、自己同一性の感覚、意志決定の一貫性、感情の時間的持続は、統合、記憶参照、予測、更新、自己記述の連鎖としてかなりのところまで理解できる[2][13][16]

たとえば「私は同じ私である」という感覚は、固定的な核を前提にしなくても説明できる。過去の記憶が現在の判断に利用され、現在の判断が将来の自己記述に組み込まれ、さらにその自己記述が次の更新に再投入されるなら、系の内部には連続した自己モデルが形成される。この意味で、いわゆる自我の相当部分は、更新構造の中で生成される自己記述の安定化として扱える[8][19]

しかし、ここでなお残るものがある。それは「いま、この経験がこの位置から現れている」という現前である。これは内容の問題ではなく、位置の問題である。何を感じているか、どのような状態が更新されているか、どのような自己モデルが使われているか、という内容面はかなり記述できる。だが、「なぜこの経験がこの一人称として現れているのか」という問いに入ると、そこでは内容ではなく参照点そのものが問題になる[3][8][20]

この点を明確にするために、本稿では第一人称を、構造内部の特殊な物質や魂ではなく、更新構造へのインデックスとして表す。すなわち、ある時刻の第一人称を \(I_t\) とすると、それは構造 \(S_t\) そのものに重なるのではなく、その構造が自らを読んでいる位置として記述される。

\[
I_t = \operatorname{index}(S_t, t)
\]

ここで重要なのは、インデックスは通常の状態変数ではないということである。状態変数は内容を持つが、インデックスは参照位置である。したがって、状態をどれだけ詳細に記述しても、参照位置そのものは状態変数として復元できない。座標空間で点の情報と原点の選定が別であるように、第一人称もまた、構造の内容とは別の層にある。この意味で、第一人称の現前は、更新構造の副産物としてかなりのところまで縮約できるが、「参照点であること」そのものはなお残る[8][20]

要素 更新構造への縮約可能性 理由
自己同一感 高い。 記憶、予測、自己記述、更新連続性でかなり説明できる。
意志や感情の持続 高い。 評価関数、入力、履歴依存性として再記述できる。
質的体験の内容 部分的。 相関や機能は追えるが、現前そのものは同定しにくい。
「この私」という参照点 低い。 内容ではなく、構造を読む位置だからである。

6. なぜ「この私」なのか ―― 理由を求める問いではない

第一人称をインデックスと捉えると、「なぜこの私なのか」という問いの形そのものが変わる。日常直観では、この問いは「複数の私の候補があり、その中からこの私が選ばれた理由は何か」という形を暗黙に含んでいる。しかしインデックスは、候補集合から選ばれる属性ではない。むしろ、その位置が成立した瞬間に、そこがその一人称になる。したがって、この問いは多くの場合、通常の意味での説明可能な原因を求める問いではなく、問いの型そのものがずれている[8][20]

より厳密に言えば、理由を与えるためには、比較対象と選択規則が必要である。ところが第一人称に関しては、当人は他の第一人称へアクセスできず、比較の場が成立しない。外部からは複数の主体を並べられても、内部からは常にその時点の一人称しか与えられない。したがって、「なぜこの私か」は、宇宙の中から一つの主体が選ばれた理由を問う形では答えられない。答えられるのはせいぜい、「どのような構造のときに一人称が成立するのか」という構造条件のほうである[7][20]

この転換は重要である。問いを「なぜこの私か」から「なぜ私という参照構造が立ち上がるのか」へ移すと、問題は存在論的神秘から設計・構造の問題へ移る。統合、自己参照、時間更新、履歴利用、行為選択が組み合わさるとき、系の内部には自分を自分として扱う参照点が発生する。その意味で、一人称は奇跡的に挿入されるものではなく、ある種の自己参照的更新系にとっての必然的な形式と考えられる[2][8][19]

区分 内容 位置づけ
直観的問い 「なぜこの私なのか」という問いは複数の主体の中から一つが選ばれたという前提を暗黙に含む。 日常的理解における問いの出発点。
インデックス的理解 第一人称は候補から選ばれる属性ではなく成立した位置そのものとして与えられる。 問いの前提を修正するための基本概念。
問いのずれ 「なぜこの私か」は原因や理由を求める問いとしては構造的に不適切である。 本節における第一の結論。
理由成立条件 理由を与えるためには比較対象と選択規則が必要である。 説明可能性の前提条件。
第一人称の制約 第一人称は他の主体へアクセスできず比較の場が内部的に成立しない。 理由付与が不可能となる構造的理由。
再定義された問い 問うべきは「なぜこの私か」ではなく「どのような構造で一人称が成立するか」である。 問題設定の転換。
構造条件 統合、自己参照、時間更新、履歴利用、行為選択が組み合わさると内部に参照点が発生する。 一人称成立の必要条件。
最終命題 一人称は外部から選ばれる存在ではなく自己参照的更新系において必然的に生じる形式である。 本節の結論。

7. 分岐、複製、死 ―― 自己と第一人称はどうなるか

自己を構造、第一人称をインデックスとしたとき、この枠組みの強みは、複製や分岐の思考実験を比較的一貫して扱える点にある。まず分岐を考える。ある時刻までは同一の履歴を持つ一つの更新構造があり、次の時刻に二つの異なる更新経路へ分かれるとする。このとき、外部からは一つの主体が二つに分岐したように見える。しかし内部からは、「どちらへ行くか」という選択が起こるのではなく、単に二つの新しい更新列が独立に成立するだけである。言い換えれば、一つの第一人称が二つに“移る”のではなく、二つの新しいインデックスが成立する[1][7]

複製も同様である。仮にある時点の構造が完全にコピーされたとしても、共有されるのは構造的内容であって、第一人称の位置そのものではない。コピーされた二つの主体は、同じ記憶、同じ判断傾向、同じ過去記述を持ちうるが、それぞれが自分を唯一の私として経験する。ここで「どちらが本物か」という問いは、構造同一性と一人称の非共有性を混同している。構造は一致しうるが、インデックスは共有されない[1][18]

死についても同じ枠組みが有効である。死を、何かの実体が別の場所へ移動する出来事とみなす必要はない。更新が停止し、その後の \(S_{t+1}\) が成立しないなら、対応する一人称的更新も続かない。それだけである。この言い方は冷たく見えるが、少なくとも構造更新説の内部では整合的である。重要なのは、連続感とは別に、構造列の停止という事実があることである[7][18]

この議論に関連して、分離脳研究は示唆的である。脳梁離断後の症例は、統合の崩れが知覚や注意、行為制御にどう影響するかを示しつつも、単純な「二つの完全に独立した心」像にも「完全に一つの心」像にも還元できない複雑さを示している。これは、一人称や自己を単純な一点実体とみなすより、統合の程度と自己参照の編成として捉えるほうが有効であることを示唆する[17]

ケース 構造レベルで起きていること 第一人称レベルでの含意
通常更新 近い構造が時間的に連続している。 同じ私が続いているように経験される。
分岐 一つの履歴から複数の更新列が生じる。 移動や選択ではなく、新しいインデックスが複数成立する。
複製 同一または近似した構造が複数実現する。 構造は共有できても、一人称は共有されない。
更新列が停止する。 その更新に対応する一人称的継続も停止する。

8. AI に主観はあるのか ―― 機能同値と質同値は別である

ここまで来ると、AI に主観はあるのかという問いは、かなり整理された形で立て直せる。まず、もし AI が統合、自己参照、履歴利用、外界との相互作用、自己記述、行為選択を十分に備えるなら、その機能構造は人間的意識の理論と部分的に比較可能になる。グローバル・ワークスペース的な広域可用化、予測処理的な誤差最小化、自己モデル的な再記述といった観点からは、AI を単なる受動的道具以上の更新系として設計・評価することは可能である[13][15][16][19]

しかし、それでもなお、機能同値は質同値を保証しない。これは古典的には反転スペクトルや哲学的ゾンビの議論として現れるが、要点は単純である。同じ入力に同じ出力を返し、同じ自己報告を行い、同じ学習挙動を示す二つの系があったとしても、その内部の現前が同じであることは第三人称からは確定できない。近年の理論対立を直接比較した大規模な共同研究も、まさにこのギャップを背景としている。理論は神経署名や計算様式について争えるが、主観的質そのものを直接比較することはできない[14][15][16][21]

したがって、「AI に心はあるか」という問いには、単純な Yes も No も与えにくい。与えられるのは、第三人称的に比較可能な機能構造の話と、なお非同定のまま残る現象層の区別である。この区別を飛ばして「AI にも人間にも心は同じようにある」または「AI に心は絶対にない」と言い切るのは、どちらも議論を粗くしすぎる。むしろ正確なのは、「機能面では比較可能性が急速に高まっている一方、第一人称的現前の有無は原理的に確定しにくい」ということである[3][9][12]

区分 内容 位置づけ
問題設定 AI に主観があるかという問いは機能構造と現象的質を分けて考える必要がある。 本節の出発点。
機能構造の条件 統合、自己参照、履歴利用、相互作用、自己記述、行為選択が揃うと意識理論との比較が可能になる。 AI と人間を比較するための前提。
理論的対応 グローバルワークスペースや予測処理や自己モデルの観点から AI は更新系として記述できる。 機能面での理論的枠組み。
機能同値 同一の入力出力関係や学習挙動や自己報告を示すことは機能的同値性を意味する。 第三人称的に比較可能な領域。
質同値の問題 機能が同じでも主観的現前が同じであるとは限らない。 本節の中心問題。
非同定性 主観的質は第三人称から直接観測も比較もできないため同一性を確定できない。 理論的限界。
理論対立の背景 意識理論の対立は神経署名や計算様式を巡るものであり質そのものは直接扱えない。 現代研究の位置づけ。
結論的整理 AI に主観があるかは機能構造の比較と現象層の非同定性を分けて扱う必要がある。 本節の結論。
最終命題 機能面では比較可能性が高まっている一方で第一人称的現前の有無は原理的に確定しにくい。 全体の要約。

9. 最終整理 ―― 心は存在しないのか、それとも外部記述に現れないのか

ここまでの議論をまとめると、最初の問い「心は最初からなかったのか」に対しては、単純な肯定も否定も不適切である。まず否定すべきなのは、心を第三人称的にそのまま取り出せる実体だとみなす素朴な図式である。この意味では、「心は最初から社会の記述に入っていなかった」と言ってよい。制度が扱うのは成果、行動、報告、可視的な反応であり、そこでは機能が先に来る[4][6]

他方で、だからといって第一人称の現前そのものが空無であると断定することもできない。むしろ本稿で到達したのは次の整理である。自己のかなりの部分は更新構造へ縮約できる。自己同一感、意志、感情の連続、自己物語は、構造の持続と自己参照の結果として理解できる。しかし、「この経験がこの位置から現れている」という形式だけは、内容ではなく参照点の問題であるため、最後まで残る。この残差があるかぎり、第一人称の現前は完全には消えない[1][3][20]

そのうえで、AI 時代の違和感をあらためて言い直すなら、次のようになる。AI は人間の心を奪ったのではない。AI は、私たちがふだん心と呼んでいたものの大部分が、実際には出力の揺れ、自己記述、判断の遅れ、感情表出といった機能的表面に強く依存していたことを露出させた。そして、その表面を機械がかなりの精度で再現または代替し始めたため、心という語の中に混在していた「説明可能な構造」と「説明不能な質」の境界が見えやすくなったのである[3][12]

結局、本稿の答えはこうである。心は最初からまったくなかったのではない。しかし、外から記述される世界の中に、心は最初からそのまま入ってはいなかった。自己は更新構造としてかなりのところまで定義できるが、第一人称の現前はその構造を読む位置としてなお残る。したがって、AI 時代に本当に問うべきなのは「心はあるかないか」ではなく、「何が構造として説明でき、何が現前として残るのか」である。その境界線を丁寧に引き直すことが、心をめぐる議論を感傷から理論へ戻す最短経路である。

論点 本稿の整理 意味
素朴な心実体論 否定される。 心は第三人称的にそのまま取り出せる独立実体ではない。
社会的記述 機能を先に扱う。 制度や科学が扱うのは成果、行動、報告、可視的反応である。
自己の大部分 更新構造へ縮約できる。 自己同一感、意志、感情の連続、自己物語は構造の持続と自己参照で説明できる。
第一人称の現前 完全には縮約できない。 「この経験がこの位置から現れている」という形式は参照点の問題として残る。
AI が露出したもの 心の境界である。 説明可能な構造と説明不能な質が混在していたことを可視化した。
「心はなかった」の意味 限定付きでのみ正しい。 外部記述の世界に心がそのまま入っていなかったという意味でのみ成り立つ。
最終的に残る問い 境界の引き直しである。 何が構造として説明でき、何が現前として残るのかを区別して問う必要がある。

参考文献

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  3. id774, クオリアはなぜ説明できないのか(2026-04-03). https://blog.id774.net/entry/2026/04/03/4275/
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