量子計算機は、何を競う時代に入ったのか

量子計算機をめぐるニュースでは、しばしば「何量子ビットか」という数字が強調される。数字は分かりやすい。100 量子ビットより 1000 量子ビットの方が大きく見えるし、大きい方が高性能に見える。しかし、量子計算機では、この直感だけでは性能を判断できない。量子ビットは壊れやすく、操作にも測定にも誤りが入る。量子ビットをたくさん並べても、その量子ビット群を使って長い計算を信頼して実行できなければ、実用的な計算機にはならない。

重要なのは、量子計算機の大きさを、単なる物理量子ビット数としてではなく、誤り訂正された論理計算の能力として見ることである。物理量子ビットは、実際の装置上にある量子ビットである。一方、論理量子ビットは、多数の物理量子ビットを組み合わせ、誤りを検出しながら、1 つの計算単位として扱えるようにした量子ビットである。量子計算機として本当に使いたいのは、壊れやすい物理量子ビットそのものではなく、それらから構成された信頼できる論理量子ビットである。

この問題を考えるうえで、QuEra Computing と Amazon Web Services が 2026 年 6 月に発表した誤り耐性量子コンピュータ Libra の計画は、分かりやすい入口になる。QuEra は、2028 年に Amazon Braket 上で Libra を提供する計画を発表し、256 以上の誤り訂正済み論理量子ビット、論理エラー率 10⁻⁶、100 万回規模の信頼できる論理量子演算を掲げている[1][2]。ここで前面に出ているのは、物理量子ビットを何個並べるかではない。誤り訂正された量子ビットで、どれだけ長く、深く、信頼できる計算を実行できるかである。

本稿の中心命題は単純である。量子計算機の開発競争は、物理量子ビットを多く並べる競争から、多数の壊れやすい物理量子ビットを使って、誤り訂正された論理量子ビットを構成し、長く、深く、再現性のある計算を実行する競争へ移っている。量子ビット数が重要でなくなったのではない。量子ビット数の意味が変わったのである。


1. QuEra の発表は、量子計算機の「大きさ」の意味が変わったことを示している

QuEra の Libra 発表を読むとき、最初に避けるべき誤解は、「2028 年に万能の量子計算機が実用化される」という読み方である。発表されているのは、すでに完成した汎用実用機ではない。2028 年にクラウド上で提供することを目指す、初期の誤り耐性量子計算機のロードマップである。したがって、本稿では、完成済みの成果報告としてではなく、量子計算機開発の評価軸がどこへ移っているのかを示す事例として読む必要がある。

Libra の計画で前面に出ているのは、256 以上の論理量子ビット、10⁻⁶ の論理エラー率、100 万回規模の論理量子演算である。これらはすべて、量子ビットを単に多く並べるだけではなく、その量子ビット群を誤り訂正された計算単位として扱えるかを問う指標である。物理量子ビットは実際の装置上にある部品であり、ノイズや制御誤差を受ける。論理量子ビットは、その部品群から構成される計算上の単位であり、誤りを検出しながら長い計算に使うための構造である。

この違いは、建物の材料と建物そのものの違いに近い。大量の鉄骨やコンクリートがあっても、それだけでは建物ではない。材料が適切な構造に組まれ、荷重を支え、揺れに耐え、長期に使える形になって初めて建物になる。量子計算機でも同じである。物理量子ビットは材料であり、論理量子ビットは誤り訂正によって組み上げられた計算構造である。

観点 物理量子ビット中心の見方 論理量子ビット中心の見方
問い 量子ビットを何個並べたかを問う。 誤り訂正後に何個の計算単位として使えるかを問う。
強調点 装置上の部品数が目立つ。 計算としての信頼性が目立つ。
限界 誤りが多ければ長い計算では結果が崩れる。 誤り訂正、復号、ゲート、測定まで含めた全体設計が必要になる。
評価の焦点 大きいかどうかを見る。 壊れずにどれだけ深い計算を走らせられるかを見る。

したがって、QuEra の発表の意味は、単に大きな量子計算機を作るという話ではない。量子計算機の「大きさ」が、物理量子ビット数という見かけの大きさから、誤り訂正された論理計算の大きさへ移りつつあることを示している。ここから先で見るべきなのは、量子ビットが何個あるかだけではなく、その量子ビットがどのような構造によって、どれだけ信頼できる計算へ変換されているかである。


2. 既稿で見た問題は、壊れやすい情報をどう守るかだった

本稿は、既稿「量子計算機はなぜ壊れやすい情報で計算できるのか」の続編である。既稿では、量子計算機を「従来の計算機より速い装置」としてではなく、「壊れやすい量子情報を、どうやって計算に使える状態として保つのか」という問題として整理した[3]。この整理が必要になるのは、量子計算機をめぐる議論では、暗号を破る、創薬に使う、最適化に使う、従来の計算機を超えるといった結果の話が先に出やすいからである。しかし、結果を得るには、その前に計算途中の情報が壊れず、あるいは壊れても訂正され、最後の出力を信頼できる状態に保たなければならない。量子計算機の難しさは、速いか遅いかという性能比較の前に、計算として成立するだけの信頼性をどのように構成するかにある。

この問題意識は、既稿群の中でも孤立していない。量子アニーリングを扱った既稿では、量子計算を単なる高速化ではなく、問題の形を物理系のエネルギー地形へ写し、系の振る舞いを計算として読むものとして整理した[4]。暗号を扱った既稿では、暗号の強さを、絶対に破れない性質ではなく、計算量、時間、資源、攻撃者の能力との関係として整理した[5]。乱数を扱った既稿では、乱数の価値を、数字がばらばらに見えることではなく、予測不能性の根拠をどこに置くかという信頼境界の問題として扱った[6]。これらに共通しているのは、技術を表面的な能力ではなく、その能力が成立するための条件から見る姿勢である。本稿も同じ系列にある。量子計算機を、量子ビット数や将来応用の宣伝文句からではなく、壊れやすい情報を信頼できる計算へ変換する条件から見る。

既稿 扱った中心問題 本稿への接続
量子計算機はなぜ壊れやすい情報で計算できるのか 量子情報を、重ね合わせ、位相、もつれを保ったまま計算に使うには、物理量子ビットをそのまま信じるのではなく、論理量子ビットと誤り訂正の構造が必要になることを扱った。 本稿では、その概念が産業ロードマップ上で、論理量子ビット数、論理エラー率、論理演算回数という評価指標へ変換されていることを見る。
量子アニーリングは何を計算しているのか 量子計算を、通常の手順計算とは異なる物理過程として理解する必要があることを扱った。 本稿では、量子計算機を通常の計算機の延長としてではなく、物理系を制御して信頼できる計算を構成する装置として見る。
暗号はいずれ破られる 暗号の強さを、絶対性ではなく、計算資源と時間に対する耐性として扱った。 本稿では、量子計算機の実用性を、未来の可能性ではなく、実際にどれだけ深い計算を信頼して実行できるかとして扱う。
乱数を作るのはなぜ難しいのか 乱数の信頼性を、見かけのばらつきではなく、予測不能性をどこに根拠づけるかという問題として扱った。 本稿では、量子計算機の信頼性を、量子ビット数の見かけではなく、誤り訂正された論理計算の根拠から見る。

既稿でまず確認したのは、通常のビットと量子ビットでは、情報の壊れ方が違うという点である。通常のビットは、現実の回路では電圧や電荷のような物理状態として存在するが、論理的には 0 か 1 のどちらかとして扱われる。物理信号には多少の揺らぎがあっても、しきい値より低ければ 0、しきい値より高ければ 1 と判定できる。この丸め込みによって、通常の計算機は物理的には揺らぎを含む装置でありながら、論理的には比較的安定した 0/1 の体系として動作できる。

量子ビットでは、この事情が変わる。量子ビットは、0 または 1 のどちらかに固定された箱ではない。0 と 1 の重ね合わせを持ち、その重ね合わせには、0 成分と 1 成分の割合だけでなく、両者の位相関係も含まれる。さらに、複数の量子ビットはもつれによって、個々の量子ビットだけを見ても全体の情報が分からない状態を作る。量子計算では、これらの性質を使って、正しい答えにつながる経路を強め、不要な経路を打ち消す。したがって、量子ビットにとっての誤りは、0 が 1 に変わることだけではない。位相が乱れること、もつれが崩れること、環境との相互作用によって重ね合わせが失われることも、計算の意味を壊す誤りになる。

ここで重要なのは、「壊れる」という言葉の意味である。量子ビットが壊れるとは、量子ビットを作っている物理部品が目に見えて破損するという意味ではない。壊れるのは、計算に使いたい量子状態である。超伝導回路、イオン、原子、光子、半導体中のスピンなど、どの方式であっても、量子ビットは周囲の熱、電磁ノイズ、制御信号のずれ、測定装置、隣接する量子ビットとの不要な相互作用から完全には切り離せない。周囲と相互作用すれば、量子ビットが持っていた重ね合わせや位相の情報が環境へ漏れ、量子計算に必要な干渉が失われる。このため、量子計算機では、通常の計算機なら小さな信号の揺らぎとして吸収できるものが、計算過程そのものを変える誤りになりうる。

この違いがあるため、量子計算機の課題は「量子ビットをたくさん並べればよい」という問題にならない。量子ビット数が増えれば、計算に使える自由度は増える。しかし同時に、制御すべき重ね合わせ、位相、もつれ、ゲート操作、測定結果、相互作用も増える。裸の物理量子ビットを大量に並べても、それぞれが短時間で乱れ、ゲート操作や測定にも誤りが含まれるなら、長い計算は途中で崩れる。最後に得られる出力が、計算の答えなのか、途中で蓄積した誤りの結果なのか区別できなくなるからである。

そこで既稿では、物理量子ビットと論理量子ビットを区別した。物理量子ビットとは、実際の装置上に存在する 1 個 1 個の量子ビットである。これは量子計算機の材料だが、ノイズや制御誤差や測定誤差を受けるため、そのまま長い計算を任せられるほど安定した単位ではない。一方、論理量子ビットとは、多数の物理量子ビットを組み合わせ、誤りを検出しながら 1 つの計算単位として扱えるようにした量子ビットである。計算機として本当に使いたいのは、この論理量子ビットである。

この関係は、1 本の糸と網の違いに近い。1 本の糸に荷物をかければ、その糸が切れた瞬間に全体が落ちる。しかし、多数の糸を組み合わせて網を作れば、数本の糸が切れても、網全体はすぐには破綻しない。量子誤り訂正における論理量子ビットも、1 個の物理量子ビットに情報を丸ごと載せるのではなく、多数の物理量子ビットの関係全体に情報を分散して保持する。個々の物理量子ビットは壊れうる。それでも、壊れ方の痕跡を読み取り、全体の整合性を保てれば、論理情報は守られる。

区分 意味 本稿での役割
物理量子ビット 実際の装置上に存在する 1 個 1 個の量子ビットであり、ノイズ、制御誤差、測定誤差を受ける。 量子計算機を構成する材料であり、単純に数を増やすだけでは信頼できる長い計算にならないことを示す対象である。
論理量子ビット 多数の物理量子ビットを組み合わせ、誤りを検出しながら 1 つの計算単位として扱えるようにした量子ビットである。 量子計算機の実用性を判断する中心指標であり、本稿で見る QuEra や IBM のロードマップでも重要になる。
量子誤り訂正 量子情報そのものを不用意に読まず、誤りの痕跡を測定し、多数の物理量子ビット全体として論理情報を守る仕組みである。 物理量子ビットを論理量子ビットへ変換する背後構造として扱う。
デコーダー 測定された誤りの痕跡から、どこでどのような誤りが起きた可能性が高いかを推定し、どの補正を行うべきかを決める処理である。 量子計算機の信頼性が、量子ビット単体だけでなく、測定結果を解釈する古典計算にも依存することを示す要素である。
耐故障量子計算 保存、ゲート操作、測定、補正の過程で誤りが起きても、計算全体が破綻しないようにする設計である。 量子計算機を、短い実験ではなく、長く深い計算を実行する装置へ近づける条件として扱う。

この表で重要なのは、量子計算機の信頼性が、個々の量子ビットの性能だけでは決まらないという点である。もちろん、物理量子ビットの品質は重要である。物理誤り率が高すぎれば、誤り訂正は追いつかない。ゲート操作が粗ければ、計算するたびに誤りが増える。測定が不正確であれば、誤りの痕跡を読み間違える。しかし、物理量子ビットがある程度よくなっただけでも十分ではない。必要なのは、物理量子ビット、ゲート、測定、誤り検出、デコーダー、補正、論理演算が全体として組み合わさり、論理量子ビットの上で計算を続けられることである。

この観点に立つと、QuEra の Libra 発表は、既稿の問題意識を産業ロードマップへ移したものとして読める。発表の中心にあるのは、単に中性原子を何個並べるかではない。誤り訂正済み論理量子ビットを 256 以上用意し、論理エラー率を 10⁻⁶ 程度に抑え、100 万回規模の論理量子演算を実行できるシステムを 2028 年にクラウド上で提供する、という目標である。ここでは、既稿で説明した物理量子ビット、論理量子ビット、誤り訂正、デコーダー、耐故障量子計算という概念が、論理量子ビット数、論理エラー率、論理演算回数、実時間復号、クラウド上の計算ワークフローという評価指標へ置き換えられている。

既稿の概念 本稿で見る指標 意味
物理量子ビット 量子ハードウェアの規模と品質。 実際の装置上にある材料であり、数だけでなく、誤り訂正に使える品質を持つかが問われる。
論理量子ビット 誤り訂正済み論理量子ビット数。 長い計算で使いたい安定化された計算単位であり、FTQC ロードマップの中心指標になる。
量子誤り訂正 論理エラー率。 誤り訂正後の計算単位が、どれくらい低い確率で間違うかを表す。
耐故障量子計算 信頼できる論理演算回数。 誤りに呑まれる前に、どれだけ長く深い計算を実行できるかを表す。
デコーダー 実時間復号。 誤りの痕跡を計算の進行に追いつく速度で解釈できるかを表す。
計算機としての運用 クラウドと HPC ワークフロー。 量子プロセッサ単体ではなく、前処理、復号、後処理、既存計算資源との結合を含む計算基盤として使えるかを表す。

したがって、本稿で扱うのは、QuEra の発表がすぐに万能量子計算機の到来を意味する、という話ではない。むしろ、既稿で整理した「壊れやすい量子情報をどう守るか」という問いが、量子計算機開発の評価軸そのものになっているという点である。かつては、量子計算機の発展を語るとき、何量子ビットかという数字が前面に出やすかった。しかし、現在の誤り耐性量子計算機のロードマップでは、単なる物理量子ビット数ではなく、論理量子ビット数、論理エラー率、論理演算回数、実時間復号、資源効率、既存の計算基盤との統合が問われるようになっている。

この意味で、既稿は本稿の理論編であり、本稿はその産業ロードマップ編である。既稿では、量子計算機を「壊れやすい情報を構造で守る計算機」として見た。本稿では、その構造が、企業の開発計画、クラウド提供、査読済み要素技術、外部評価枠組みの中で、どのような指標として現れているのかを見る。量子計算機の競争軸が変わったという本稿の結論は、この接続から出てくる。競争は、物理量子ビットを多く並べることだけではなく、多数の壊れやすい物理量子ビットを使って、信頼できる論理計算をどれだけ長く深く実行できるかへ移っている。


3. NISQ の限界は、量子ビット数だけでは超えられない

この転換を理解するには、NISQ という言葉を確認しておく必要がある。NISQ は Noisy Intermediate-Scale Quantum の略であり、ノイズを含む中規模量子計算機を指す。John Preskill は 2018 年の論文で、50 から 100 量子ビット級の装置が、古典計算機では直接追跡しにくい量子系を扱う可能性を持つ一方、その装置はまだ誤り訂正された大規模量子計算機ではないと整理した[7]。ここで重要なのは、NISQ が失敗した量子計算機を意味する言葉ではないという点である。NISQ は、量子ビットを作り、制御し、測定する技術が現実の装置として成立し始めた段階を指している。しかし同時に、その装置にはノイズがあり、長く深い量子回路を信頼して走らせるにはまだ足りない、という制約も含んでいる。

量子計算機について語るとき、「何量子ビットか」という数字は分かりやすい。50 量子ビットより 100 量子ビット、100 量子ビットより 1000 量子ビットの方が大きく見える。通常の計算機でも、メモリ容量、ストレージ容量、CPU コア数のような数字は性能を想像する手がかりになる。しかし、量子計算機では、この数字だけでは実用性を判断できない。量子ビットは、数が増えれば計算に使える状態空間も広がるが、同時に誤りが起きる場所、制御しなければならない関係、測定しなければならない対象も増える。したがって、量子ビット数の増加は前進ではあるが、それだけで長い計算が正しくなるわけではない。

NISQ という言葉の意義は、量子計算機が「動く」ことと「信頼して長い計算を実行できる」ことを分けた点にある。量子ビットを準備できる。量子ゲートをかけられる。測定結果を得られる。これらはすべて重要であり、研究装置としても計算装置としても大きな前進である。しかし、量子ゲートに誤りがあり、量子ビットが時間とともに乱れ、測定にも誤差が含まれるなら、深い計算では誤りが積み重なる。短い回路なら、まだ結果に意味が残るかもしれない。限定的な量子シミュレーションなら、物理的な振る舞いを観察できるかもしれない。しかし、複雑な量子アルゴリズムを多数のステップにわたって実行する場合、途中で蓄積した誤りが、最後の答えを覆い隠してしまう。

この違いは、短い暗算と長い筆算の違いに近い。短い暗算なら、途中で一度も確認しなくても答えにたどり着けることがある。しかし、何十行にもわたる計算では、途中の桁を間違えれば、その後のすべての計算がずれる。計算が長くなるほど、途中で誤りを見つけ、戻し、整合性を保つ仕組みが必要になる。NISQ 量子計算機では、量子ビットとゲートは存在するが、この長い計算を支える誤り訂正の仕組みがまだ十分ではない。だから、NISQ は「量子計算機ではない」のではなく、「誤り訂正された長い計算にはまだ届かない量子計算機」と理解する方が正確である。

通常の計算機でも、部品数を増やすだけでは信頼性は上がらない。たとえば、ディスクを何台も並べれば容量は増える。しかし、冗長化、検査、故障検知、交換手順がなければ、故障する部品の数も増える。大量のディスクをただ並べただけのシステムは、大容量ではあっても、信頼できる保存基盤とは言えない。信頼できる保存基盤にするには、どのディスクが壊れても全体のデータが失われない構造、壊れた場所を検出する仕組み、交換後に整合性を回復する手順が必要になる。

量子計算機では、この問題がさらに厳しい。物理量子ビットを増やすと、計算に使える空間は広がる。しかし同時に、誤りが発生する場所も増える。1 個の量子ビットが乱れる可能性、2 個の量子ビットを結ぶゲートが失敗する可能性、測定が誤る可能性、制御信号がずれる可能性が、装置全体の中で積み重なる。つまり、量子ビット数の増加は、計算能力の増加であると同時に、誤りの発生面積の増加でもある。ここに、NISQ の本質的な限界がある。

したがって、NISQ から次の段階へ進むには、量子ビット数を増やすだけでは足りない。必要なのは、増えた物理量子ビットを、誤り訂正された論理量子ビットとして組織化することである。物理量子ビットは、装置上にある壊れやすい部品である。論理量子ビットは、その壊れやすい部品を多数組み合わせ、誤りを検出しながら 1 つの計算単位として使えるようにしたものである。NISQ の限界を超えるとは、裸の量子ビットをさらに増やすことではなく、壊れやすい物理量子ビット群を、計算に耐える論理量子ビットへ変換することである。

段階 何ができるか 何が足りないか 本稿での意味
NISQ ノイズを含む量子ビットを使って、短い回路や限定的な量子シミュレーションを実行できる。 誤り訂正された長い計算を安定して実行する能力が足りない。 量子計算機が動き始めた段階であり、同時に量子ビット数だけでは実用性を判断できないことを示す段階である。
誤り訂正の初期段階 物理量子ビットを組み合わせて論理量子ビットを作り、誤りの痕跡を検出できる。 復号速度、論理ゲート、測定、制御、資源効率を含む全体統合が足りない。 物理量子ビットを単に増やす段階から、信頼できる論理計算を構成する段階へ移る途中にある。
FTQC 誤りが起きることを前提に、論理量子ビット上で長く深い計算を実行する。 大規模化、コスト、実用問題への適用可能性を検証する必要がある。 量子計算機を、短い実験装置から、信頼して計算を任せられる計算基盤へ近づける段階である。

この表で見るべきなのは、NISQ、誤り訂正の初期段階、FTQC が、単なる時代区分ではないという点である。それぞれは、量子計算機の信頼性をどのように作るかという設計段階の違いである。NISQ では、ノイズを含む量子ビットをそのまま使い、短い計算の範囲で意味のある結果を探す。誤り訂正の初期段階では、物理量子ビットを組み合わせ、誤りの痕跡を読み取り、論理量子ビットを作ろうとする。FTQC では、誤りが起きることを前提にしても、計算全体が破綻しないように、保存、ゲート、測定、復号、補正を統合する。

この違いを踏まえると、NISQ から FTQC への移行は、単に装置を大型化することではない。むしろ、装置の大きさに意味を持たせるための構造を作ることである。NISQ 的な量子ビット数の増加は、計算に使える自由度を増やす。しかし、誤り訂正がなければ、同時に誤りの発生場所も増やす。FTQC 的な大規模化では、多数の物理量子ビットを、論理量子ビット、誤り訂正符号、デコーダー、論理ゲート、測定、制御系の中に組み込み、壊れやすい量子情報を長く保つ構造へ変える。

観点 NISQ 的な大型化 FTQC 的な大型化
量子ビット数 物理量子ビットの個数が増える。 多数の物理量子ビットを使って、論理量子ビットを構成する。
誤り 量子ビット数やゲート数が増えるほど、誤りが蓄積しやすくなる。 誤りを検出し、復号し、補正することで、論理情報を守る。
回路の深さ 短い回路では意味のある結果を得られる場合があるが、長い回路では誤りが支配的になりやすい。 論理エラー率を下げることで、より長く深い回路の実行を目指す。
性能指標 物理量子ビット数や限定的な実験結果が前面に出やすい。 論理量子ビット数、論理エラー率、論理演算回数、実時間復号が重要になる。
実用性 短期的な実験、限定的な量子シミュレーション、ノイズを含む近似的ワークフローに向く。 長く複雑な量子アルゴリズムを、信頼できる計算として実行する方向へ進む。

QuEra の Libra 発表が重要なのは、この移行を物理量子ビット数ではなく、論理量子ビット数と論理演算回数の言葉で語っている点にある。もし発表の中心が「何個の中性原子を並べるか」だけであれば、それは従来の量子ビット数競争の延長として読める。しかし、Libra で前面に出ているのは、誤り訂正済み論理量子ビット、論理エラー率、100 万回規模の論理量子演算である。これは、NISQ の限界を、単なる大型化ではなく、信頼できる論理計算への変換によって超えようとしていることを示している。

このため、本稿でいう「量子計算機の競争軸が変わった」とは、量子ビット数が不要になったという意味ではない。むしろ、量子ビット数はこれまで以上に必要になる。論理量子ビットを作るには、多数の物理量子ビットが必要だからである。しかし、その数は、裸の部品数としてではなく、誤り訂正された計算単位を作るための資源として評価される。NISQ の限界は、量子ビット数の不足だけではなく、量子ビット数を信頼できる論理計算へ変換する構造の不足にあった。FTQC への移行とは、その構造を作ることである。


4. 誤り訂正は、壊れない部品を作る技術ではなく、壊れる部品から信頼性を作る技術である

量子誤り訂正は、量子計算機を実用機へ近づける中心技術である。Shor は 1995 年に、量子情報を複数の物理量子ビットへ符号化し、デコヒーレンスによる誤りから守る考え方を示し、量子誤り訂正の基礎を築いた[8]。その後、物理的な誤り率が一定の値を下回っていれば、誤り訂正と耐故障操作を組み合わせることで、任意に長い量子計算を原理的に実行できるという閾値定理の考え方が発展した[9]。さらに、実装上有力な方式として surface code が整理され、大規模量子計算へ向けた代表的な誤り訂正方式になった[10]

この流れで重要なのは、量子誤り訂正が「完全に壊れない量子ビットを作る技術」ではないという点である。現実の物理量子ビットは壊れる。量子状態は時間とともに乱れる。ゲート操作にも誤差が入り、測定にも誤りが入る。量子誤り訂正は、この現実を消す技術ではない。むしろ、壊れることを前提にして、誤りの痕跡を継続的に読み取り、どこでどのような誤りが起きた可能性が高いかを推定し、論理情報としては壊れていない状態を保とうとする技術である。

ここでいう信頼性は、部品単体の頑丈さではなく、全体構造から生まれる。通常の直感では、信頼できる計算機を作るには、できるだけ壊れない部品を作ればよいと考えやすい。もちろん、物理量子ビットの品質は重要である。物理誤り率が高すぎれば、誤り訂正は追いつかない。しかし、量子計算機では、部品を少しよくするだけでは長い計算に届かない。必要なのは、壊れやすい部品を多数組み合わせ、壊れ方を検出し、壊れた場所を推定し、計算全体としては意味が保たれるようにする仕組みである。

この点は、通常のビットの誤り訂正と比べると分かりやすい。通常のビットなら、同じ情報を複数個にコピーし、多数決で正しい値を選ぶことができる。たとえば、1 という情報を 111 として保存し、そのうち 1 個が 0 に化けて 101 になったとしても、多数決を取れば 1 だったと推定できる。しかし、未知の量子状態では、同じ方法をそのまま使えない。未知の量子状態は単純にコピーできない。また、途中で量子状態そのものを直接読めば、重ね合わせや位相が壊れてしまう。したがって、量子誤り訂正では、情報本体を読むのではなく、情報の整合性がどのように崩れたかという痕跡を読む必要がある。

この痕跡がシンドロームである。シンドロームは、量子情報そのものの値ではなく、誤りが起きた可能性を示す測定結果である。たとえば、論理量子ビットを構成する多数の物理量子ビットの間には、本来成り立つべき関係がある。その関係が一部だけずれていれば、どこかで誤りが起きたと分かる。ただし、シンドロームを見ただけで、ただちに誤りの位置が一意に分かるとは限らない。複数の誤り方が同じような痕跡を残す場合があるためである。そこで必要になるのが、シンドロームから最もありそうな誤りを推定するデコーダーである。

この関係は、建物の内部を壊して調べるのではなく、外側の歪み、振動センサー、警報、温度変化から異常箇所を推定することに近い。建物の内部を直接すべて開ければ、かえって構造を壊してしまう場合がある。そのため、外側から観測できる痕跡を集め、どこに異常があるかを推定し、必要な補修を行う。量子誤り訂正でも、量子情報そのものを直接読むのではなく、誤りの痕跡だけを読み、古典計算側のデコーダーで解釈し、論理情報を保つように補正する。

要素 意味 本稿での役割
物理量子ビット 実際の装置上にある 1 個 1 個の量子ビットであり、ノイズ、制御誤差、測定誤差を受ける。 壊れやすい材料として扱う。
論理量子ビット 多数の物理量子ビットを組み合わせ、誤り訂正された 1 つの計算単位として扱えるようにした量子ビットである。 実用的な量子計算で使いたい単位として扱う。
シンドローム 量子情報そのものではなく、誤りの痕跡を示す測定結果である。 誤りを推定する手がかりとして扱う。
デコーダー シンドロームから、どこでどのような誤りが起きた可能性が高いかを推定する古典計算側の仕組みである。 量子計算機が古典計算と結合する理由として扱う。
耐故障量子計算 保存、ゲート操作、測定、復号、補正の途中で誤りが起きても、計算全体が破綻しないようにする設計である。 FTQC の中心条件として扱う。

この表で見るべきなのは、量子誤り訂正が量子ハードウェアだけの話ではないという点である。物理量子ビットは量子力学的な部品である。ゲート操作も測定も量子装置上で行われる。しかし、シンドロームを解釈し、誤りを推定し、どの補正を適用すべきかを決める処理は、古典計算側に大きく依存する。つまり、量子計算機の信頼性は、量子ビット単体の性能だけではなく、量子装置、測定装置、制御系、復号アルゴリズム、古典計算資源が組み合わさって初めて成立する。

閾値定理の意味も、ここで誤解しないようにする必要がある。閾値定理は、どんなに粗い量子ビットでも誤り訂正すればよい、という話ではない。物理誤り率が高すぎる場合、誤り訂正のために追加した物理量子ビットや操作自体が新たな誤りを生み、補正は追いつかない。これに対して、物理誤り率がある閾値を下回ると、符号を大きくすることで、論理エラー率を下げられるようになる。つまり、量子ビットを増やすことが意味を持つのは、増やした量子ビットが誤りを増やすだけでなく、誤りを抑える構造として働く場合である。

この点は、本稿全体の中心命題につながる。量子計算機の開発競争は、物理量子ビットを多く並べる競争から、物理量子ビットをどのような誤り訂正構造へ組み込むかを競う段階へ移っている。量子ビット数は不要になったのではない。むしろ、論理量子ビットを作るためには、多数の物理量子ビットが必要になる。しかし、その数は裸の量子ビットの数としてではなく、誤り訂正された論理情報を作るための資源として評価される。

観点 壊れない部品を目指す発想 壊れる部品から信頼性を作る発想
前提 部品の誤りをできるだけゼロに近づければ、計算機全体も信頼できると考える。 部品は一定の確率で壊れると考え、その壊れ方を検出し、全体として論理情報を守る。
量子ビット数 多く並べるほど計算能力が増すように見える。 多く並べるだけではなく、誤り訂正符号の中に配置して初めて信頼性に変換される。
誤りの扱い 誤りをできるだけ起こさないものとして設計する。 誤りが起きることを前提に、シンドローム、デコーダー、補正によって論理情報を守る。
評価指標 物理量子ビット数や物理誤り率が前面に出やすい。 論理量子ビット数、論理エラー率、論理演算回数、復号速度が重要になる。
実用性 部品性能が高くなれば自然に長い計算へ進めるように見える。 部品性能に加えて、誤り訂正、耐故障ゲート、測定、古典制御を統合して初めて長い計算へ進める。

surface code が大規模量子計算に向けた代表的な方式として重視されてきたのも、この構造化のためである。surface code は、多数の物理量子ビットを平面上に並べ、局所的な測定を繰り返しながら、論理量子ビットを守る方式である。実装上は多くの物理量子ビットを必要とするが、局所的な接続で構成しやすく、誤り訂正の閾値も比較的高いとされる。そのため、超伝導方式を中心に、大規模 FTQC へ向けた代表的な設計として扱われてきた。

ただし、surface code は唯一の答えではない。中性原子方式、イオントラップ方式、超伝導方式など、方式ごとに得意な接続性、測定方法、ゲート、再配置の自由度が異なる。QuEra が中性原子方式で論理量子ビットや資源効率の高い誤り訂正を前面に出し、IBM が別の符号構造やロードマップを示しているのは、同じ FTQC という目標に対して、複数の実装経路が競っているからである。したがって、本稿で見るべきなのは、どの方式が勝つかではなく、どの方式であっても、誤り訂正された論理計算を作ることが評価軸になっているという点である。

この構図から見ると、量子計算機の信頼性は、個々の部品の品質だけで決まらない。物理量子ビット、測定、ゲート、誤り訂正符号、デコーダー、古典制御が組み合わさって、初めて論理的な信頼性が生まれる。つまり、量子計算機は、壊れやすい物理的情報を、構造によって信頼できる論理情報へ変換する装置である。誤り訂正とは、その変換を可能にする技術であり、FTQC とは、その変換を計算全体にわたって持続させる設計である。


5. 新しい評価指標は、論理量子ビット、論理エラー率、論理演算回数である

ここまで見たように、誤り耐性量子計算機の評価では、物理量子ビット数だけでは足りない。物理量子ビット数は、量子計算機がどれだけ大きな材料を持っているかを示す重要な指標である。しかし、それは材料の量を示しているのであって、その材料からどれだけ信頼できる計算単位が作られているかを直接示すものではない。壊れやすい物理量子ビットを多数並べても、それらが誤り訂正された論理量子ビットとして組織化されていなければ、長い計算を任せることはできない。したがって、FTQC の段階では、何個の物理量子ビットがあるかだけでなく、それらがどれだけ信頼できる論理計算へ変換されているかを見る必要がある。

このため、少なくとも 3 つの指標が必要になる。第一に、何個の論理量子ビットを使えるかである。これは、計算に使える安定化された量子情報の横幅を表す。第二に、その論理量子ビットや論理ゲートがどれくらいの確率で誤るかである。これは、計算結果をどれだけ信頼できるかを表す。第三に、誤りが計算結果を壊す前に、どれくらい多くの論理演算を実行できるかである。これは、計算の深さを表す。量子計算機の実用性は、この横幅、信頼性、深さの組み合わせで決まる。

この見方が必要になるのは、実用的な量子プログラムが、単に量子ビットを横に並べるだけのものではないからである。複雑な量子計算では、一定数の論理量子ビットを用意し、それらに対して多数の論理ゲートを順に適用する。途中で 1 回でも致命的な誤りが入れば、その後の計算は正しい状態から外れていく。したがって、必要なのは、広いだけの計算機ではない。一定の横幅を持ち、その横幅の上で、深い計算を最後まで保てる計算機である。

QuEra が Libra で掲げる Megaquop という表現は、この第三の点を前面に出している。quop は quantum operation、すなわち量子演算を意味する。Megaquop 級とは、おおまかに 100 万回規模の信頼できる論理量子演算を実行できることを狙う表現である。ここで数えているのは、物理量子ビットの数ではない。誤り訂正された論理計算として、どれだけ長く計算を進められるかである。量子計算機の性能が、部品の個数だけでなく、信頼できる操作の総量で語られ始めていることがここに表れている。

この違いは、計算機の「横幅」と「深さ」を分けて考えると分かりやすい。論理量子ビット数は、同時に扱える量子情報の数を表すため、計算の横幅に対応する。一方、論理演算回数は、どれだけ多くの操作を順番に積み重ねられるかを表すため、計算の深さに対応する。論理エラー率は、その横幅と深さをどれだけ信用できるかを決める。横幅だけが大きくても、数ステップで誤りが支配的になるなら、複雑な計算には届かない。深い計算を走らせるには、論理エラー率を十分に下げる必要がある。

指標 意味 なぜ重要か
論理量子ビット数 誤り訂正された計算単位として使える量子ビットの数である。 計算の横幅を決める。扱える問題の規模や、同時に保持できる量子情報の量に関係する。
論理エラー率 論理量子ビットや論理演算が、誤り訂正後にもどれくらいの確率で失敗するかを示す。 長い計算を信用できるかを決める。論理エラー率が高ければ、計算が深くなるほど結果を信頼しにくくなる。
論理演算回数 誤りに呑まれる前に実行できる論理操作の規模を示す。 計算の深さを決める。複雑な量子アルゴリズムを最後まで走らせられるかに関係する。
復号速度 測定結果から誤りを推定する古典計算が、量子計算の進行に追いつくかを示す。 誤り訂正を実時間で回せるかを決める。復号が遅ければ、量子計算が進む速度に補正が追いつかない。
資源効率 1 個の論理量子ビットや 1 回の論理演算を実現するために必要な物理量子ビット、制御装置、測定、古典計算資源の量を示す。 装置を現実的な規模とコストに収められるかを決める。資源効率が悪ければ、原理的に可能でも実装が巨大になりすぎる。

この表で見えるのは、量子計算機の評価が「横幅」だけではなく、「深さ」「信頼性」「速度」「資源効率」へ広がっていることである。物理量子ビット数は、計算の横幅を作るための材料を示す。しかし、実際の量子計算では、材料があるだけでは足りない。材料を論理量子ビットへ変換し、その論理量子ビット上で論理ゲートを実行し、途中の誤りを復号し、補正し、最後まで計算を保たなければならない。したがって、量子計算機の評価は、物理量子ビット数という単一の数字から、複数の指標を組み合わせた評価へ移る。

この変化は、通常の計算機における性能評価にも似ている。通常の計算機でも、CPU のクロック周波数だけで性能は決まらない。メモリ帯域、キャッシュ、ストレージ、ネットワーク、消費電力、実際に走らせるアプリケーションの性質によって、体感される性能は変わる。同じように、量子計算機でも、物理量子ビット数だけで性能は決まらない。論理量子ビット数、論理エラー率、論理演算回数、復号速度、資源効率が組み合わさって、初めて「どのような計算を、どの程度信頼して実行できるのか」が決まる。

特に重要なのは、論理エラー率と論理演算回数の関係である。仮に、1 回の論理演算で誤る確率が高ければ、短い計算なら偶然うまくいくことがあっても、長い計算では誤りが蓄積する。100 回の操作では目立たない誤りでも、100 万回の操作では無視できなくなる。したがって、Megaquop 級という表現は、単に大きな数字を掲げているのではない。100 万回規模の論理演算を語るには、その規模で結果が崩れないだけの論理エラー率が必要になる。論理演算回数と論理エラー率は、別々の宣伝文句ではなく、互いに支え合う指標である。

見方 物理量子ビット数中心の評価 論理計算中心の評価
中心に置くもの 装置上に存在する物理量子ビットの個数を中心に見る。 誤り訂正された論理量子ビットと、その上で実行できる論理演算を中心に見る。
分かりやすさ 数字が単純で比較しやすい。 複数の指標を組み合わせる必要があり、単純な比較は難しい。
見落としやすい点 ノイズ、誤り訂正、回路の深さ、復号速度を見落としやすい。 計算がどれだけ信頼できるか、どれだけ長く実行できるかを評価しやすい。
実用性との関係 大きな装置であることは分かるが、長い計算ができるかは分からない。 実際に意味のある量子プログラムを実行できるかに近い評価になる。
本稿での位置付け NISQ 的な見え方として扱う。 FTQC へ向かう評価軸として扱う。

このため、QuEra の Libra 発表は、物理量子ビット数競争の延長として読むよりも、評価指標の変化として読む方がよい。発表で前面に出ているのは、256 以上の誤り訂正済み論理量子ビット、10⁻⁶ 程度の論理エラー率、100 万回規模の論理量子演算である。これらは、量子計算機を「何個の量子ビットを持つ装置か」ではなく、「どれだけ広く、どれだけ深く、どれだけ信頼できる論理計算を実行できる装置か」として評価するための指標である。

ただし、ここでも注意が必要である。論理量子ビット数、論理エラー率、論理演算回数という指標が出てきたからといって、物理量子ビット数が不要になったわけではない。論理量子ビットは、多数の物理量子ビットを使って作られる。論理エラー率を下げるにも、より多くの物理量子ビット、より正確なゲート、より安定した測定、より高速な復号が必要になる。したがって、新しい評価指標は、物理量子ビット数を捨てるものではなく、物理量子ビット数を計算の信頼性へ変換できているかを問うものである。

この章の結論は、量子計算機の性能を「大きさ」だけで見てはいけないということである。必要なのは、大きさがどのような論理計算に変換されているかを見ることである。論理量子ビット数は計算の横幅を示す。論理エラー率は、その横幅をどれだけ信頼できるかを示す。論理演算回数は、その信頼性の上でどれだけ深い計算を走らせられるかを示す。QuEra の Libra 発表が示しているのは、量子計算機の競争軸が、このような論理計算中心の評価へ移っているということである。


6. Google Willow は、大きくすると信頼性が上がる条件を実験的に示した

この評価軸の転換は、QuEra の発表だけに由来するものではない。Google Quantum AI は、2023 年に surface code の論理量子ビットを大きくすることで量子エラーを抑制する実験を Nature で報告した[11]。さらに Willow では、surface code の閾値以下で動作する量子誤り訂正を示し、Google Research は、誤り訂正された量子ビットが大きくなるほど良くなるプロセッサとして説明している[12][13]。ここで重要なのは、Google の成果を「量子計算機が完成した」という意味で読むことではない。重要なのは、量子ビットを増やすことが、条件を満たせば誤りを増やす方向ではなく、論理情報を守る方向へ働くことを、実験的に示した点である。

普通に考えれば、量子ビットを増やすと装置は壊れやすくなる。量子ビットが 1 個なら、誤りが起きる場所は 1 個分である。量子ビットが 100 個になれば、誤りが起きうる場所も増える。さらに、量子ビット同士をつなぐゲート、測定、制御信号、読み出し、隣接する量子ビットとの不要な相互作用も増える。したがって、裸の物理量子ビットを増やすだけなら、大きな装置は大きな故障面積を持つ装置にもなりうる。これが、NISQ の限界でもあった。

しかし、量子誤り訂正が働く場合には、量子ビットを増やす意味が変わる。物理量子ビットをただ並べるのではなく、論理量子ビットを守る符号構造の中に配置する。すると、追加された物理量子ビットは、単なる故障点ではなく、誤りを検出し、吸収し、論理情報を守るための余裕になる。つまり、同じ「大きくする」でも、裸の装置を大きくすることと、誤り訂正符号を大きくすることは意味が違う。Google Willow の成果は、この後者の意味での大きさが、信頼性の向上へつながる条件を示したものである。

この条件を理解するには、閾値という考え方が必要になる。閾値とは、誤り訂正が有効に働くかどうかを分ける境界である。物理量子ビットやゲートの誤り率が高すぎる場合、誤り訂正のために追加した量子ビットや操作そのものがさらに誤りを生み、補正は追いつかない。この場合、装置を大きくしても、誤りも一緒に増えてしまう。これに対して、物理誤り率が閾値を下回る場合、符号を大きくすることで、論理エラー率を下げられるようになる。つまり、大きくすることが悪化ではなく改善として働く。

ここでいう「大きくする」とは、単に量子ビットの総数を増やすことではない。surface code では、論理量子ビットを守るための格子を大きくし、誤りの連鎖が論理情報に到達しにくくする。この大きさは、しばしば符号距離という言葉で表される。符号距離は、どれくらい多くの誤りが積み重なると論理情報が壊れるかに関係する量である。符号距離が大きいほど、多くの物理量子ビットと測定を必要とするが、条件が整えば、論理情報はより壊れにくくなる。

見方 大きくすると何が起きるか 信頼性への影響
裸の物理量子ビットを増やす場合 量子ビット数、ゲート数、測定箇所が増え、誤りが起きうる場所も増える。 誤り訂正がなければ、計算は長くなるほど壊れやすくなる。
誤り訂正符号を大きくする場合 多数の物理量子ビットを使って、論理情報をより広い構造の中に分散して保持する。 物理誤り率が閾値以下であれば、論理エラー率を下げられる。
閾値を上回る場合 追加した量子ビットや操作から生じる誤りが、誤り訂正の効果を上回る。 大きくしても信頼性は改善せず、むしろ悪化しうる。
閾値を下回る場合 追加した物理量子ビットが、論理情報を守る冗長性として働く。 大きくするほど、論理量子ビットをより強く守れる。

この表で重要なのは、「量子ビットを増やす」という同じ言葉の中に、正反対の意味が含まれていることである。誤り訂正の構造を伴わずに増やすなら、量子ビット数の増加は誤りの発生場所の増加でもある。しかし、物理誤り率が十分低く、誤り訂正符号と復号が機能するなら、量子ビット数の増加は論理情報を守る構造の強化になる。Google Willow が示したのは、この後者の方向である。

この関係は、細い糸をただ大量に積むことと、網として編むことの違いに近い。細い糸をバラバラに増やせば、切れる糸も増える。数が多いほど、どこかで切れる可能性も増える。しかし、糸を適切に編んで網にすれば、数本の糸が切れても、荷物はすぐには落ちない。糸の本数は増えているが、その増加は故障点の増加だけではなく、全体を支える構造の増加になっている。量子誤り訂正でも同じである。物理量子ビットをただ増やすのではなく、論理量子ビットを守る符号構造として増やす必要がある。

Google の 2023 年の報告は、この考え方の重要な前段である。そこでは、surface code の論理量子ビットをスケールさせることで、量子エラーを抑制する方向が示された。つまり、物理量子ビットを増やすことが、単なる複雑化ではなく、論理量子ビットの安定化へ使えることが実験的に確認され始めた。これは、量子誤り訂正が紙の上の理論にとどまらず、実際のハードウェア上で意味を持つ段階に入ったことを示している。

Willow の成果は、その流れをさらに進めるものである。Willow では、surface code が閾値以下で動作することが示され、Google は、誤り訂正された量子ビットが大きくなるほど良くなるプロセッサとして説明している。ここでの「良くなる」とは、物理量子ビットが突然壊れなくなるという意味ではない。物理量子ビットは依然として誤る。しかし、その誤りを検出し、復号し、論理情報としては壊れにくくする構造が働くため、符号を大きくすることで論理エラー率を下げられる、という意味である。

成果 示したこと 本稿での意味
2023 年の surface code 実験 surface code の論理量子ビットを大きくすることで、量子エラーを抑制する方向を実験的に示した。 物理量子ビットの追加が、条件を満たせば論理情報の保護に使えることを示す前段になる。
Willow surface code の閾値以下で動作する量子誤り訂正を示し、誤り訂正された量子ビットが大きくなるほど良くなることを示した。 量子計算機の大型化が、誤りを増やすだけではなく、信頼性を高める方向へ使えることを示す根拠になる。
Google Research の説明 Willow を、量子誤り訂正を実際に機能させる方向の重要なプロセッサとして位置付けている。 企業ロードマップ上でも、物理量子ビット数ではなく、誤り訂正された論理量子ビットの信頼性が中心になっていることを示す。

この成果を評価するときには、二つの誤読を避ける必要がある。第一に、Willow によって汎用の実用量子計算機が完成したと読むべきではない。Willow は、量子誤り訂正の重要な条件を実験的に示した成果であり、それだけで大規模な実用計算がすぐに可能になったわけではない。第二に、量子ビットを増やせば常に信頼性が上がると読むべきでもない。信頼性が上がるのは、物理誤り率が閾値以下にあり、誤り訂正符号、測定、復号、制御が適切に働く場合である。

この注意は、本稿の中心命題に直結する。量子計算機の競争軸が変わったというのは、量子ビット数が不要になったという意味ではない。むしろ、量子ビット数は誤り訂正のためにますます重要になる。しかし、その数は、裸の物理量子ビットとして多いかどうかではなく、論理エラー率を下げ、論理演算回数を増やし、長く深い計算を支える構造として使えているかで評価される。Google Willow は、この意味での「大きさ」が信頼性へ変わる条件を実験的に示した。

したがって、Willow の意味は、QuEra の Libra 発表と同じ方向にある。QuEra は、2028 年の Libra を、論理量子ビット数、論理エラー率、Megaquop 級の論理演算回数という指標で語っている。Google は、誤り訂正された量子ビットが大きくなるほど良くなる条件を実験的に示した。両者は方式も段階も異なるが、共通しているのは、量子計算機の価値が物理量子ビット数そのものではなく、誤り訂正された論理計算の信頼性によって測られ始めているという点である。


7. QuEra の要素技術は、完成済み実用機ではなく、統合へ向かう部品である

QuEra のロードマップを読むときには、Aquila、Gemini、Libra の段階を区別する必要がある。これらは、同じ中性原子方式の延長線上にあるが、意味している段階は同じではない。Aquila は、Amazon Braket 上で 2022 年から利用可能になった 256 物理量子ビット級の中性原子量子プロセッサである[14][15]。Aquila の技術資料では、最大 256 個の中性原子量子ビットを用いるアナログ Hamiltonian シミュレータとして説明されている[16]。これは、量子ビットを実際に並べ、制御し、特定の物理問題を量子系の振る舞いとして調べる段階である。これに対して、Libra が前面に出すのは、物理量子ビット数ではなく、誤り訂正された論理量子ビット数と、信頼できる論理演算回数である。

この違いは、同じ「256」という数字を見ても、意味がまったく違うことを示している。Aquila の 256 は、装置上に配置される物理量子ビットの規模を表す。これは、量子ハードウェアとしてどれだけ多くの中性原子を扱えるかという数字である。一方、Libra の 256 以上は、誤り訂正済みの論理量子ビット数を表す。論理量子ビットは、多数の物理量子ビットを組み合わせ、誤りを検出しながら計算単位として使えるようにしたものである。したがって、Aquila の 256 と Libra の 256 以上は、同じ物差しの上で比較できる数字ではない。

この区別をしないと、量子計算機の発表は数字の大小だけに見えてしまう。物理量子ビットは部品であり、論理量子ビットは誤り訂正された計算単位である。部品が 256 個あることと、誤り訂正された計算単位が 256 個あることは、計算機としての意味が大きく異なる。前者は、量子状態を作って操作できる規模を示す。後者は、その壊れやすい量子状態を、長く深い計算に使える論理情報として維持できる規模を示す。本稿が注目するのは、この物理量子ビットから論理量子ビットへの意味の移動である。

システム 中心にある指標 意味 本稿での位置付け
Aquila 256 物理量子ビット級の中性原子量子プロセッサ。 中性原子を多数配列し、アナログ Hamiltonian シミュレーションを実行する装置である。 QuEra が中性原子方式の実機をクラウド提供してきた前段として扱う。
Gemini 論理量子ビット能力を持つ中間段階のシステム。 物理量子ビットの配列から、誤り訂正や論理量子ビットへ進む段階を示す。 Aquila から Libra へ直接飛ぶのではなく、論理量子ビット能力へ進む中間段階として扱う。
Libra 256 以上の誤り訂正済み論理量子ビットと Megaquop 級の論理演算。 物理量子ビット数ではなく、誤り訂正された論理計算の規模と信頼性を前面に出す計画である。 量子計算機の評価軸が、物理量子ビット数から論理計算の信頼性へ移ったことを示す事例として扱う。

ただし、Libra の発表を過大に読むべきではない。QuEra が述べているのは、Libra そのものがすでに完成し、実機として査読されたということではない。発表の根拠になっているのは、Libra を構成する複数の要素技術が、査読済み研究によって支えられているという主張である。論理量子プロセッサ、magic state distillation、連続的な原子補給、fault-tolerant neutral-atom architecture、低オーバーヘッドな誤り訂正などは、それぞれ Libra の構成要素になりうる。しかし、構成要素が示されたことと、それらが 1 つの商用クラウドシステムとして統合され、予定通りの性能で安定運用されることは同じではない[17][18][19][20][21]

この区別は、量子計算機に限らず重要である。自動車でいえば、エンジン、ブレーキ、タイヤ、センサー、制御ソフトがそれぞれ優れていても、それだけでは公道を安全に走る完成車にはならない。各部品が相互に接続され、故障時の挙動が設計され、制御が統合され、長時間の運用に耐えることが確認されて初めて、車として使える。同じように、誤り耐性量子計算機も、論理量子ビットの実証だけで完成するわけではない。ゲート、測定、復号、補正、原子補給、誤り訂正符号、古典制御、クラウド運用が、全体として計算を壊さず進める必要がある。

まず、論理量子プロセッサは、物理量子ビット群をそのまま使うのではなく、誤り訂正された論理量子ビットとして扱うための基礎になる。中性原子方式では、原子を光ピンセットのような技術で捕まえ、並べ替え、相互作用させることができる。この再構成可能性は、量子ビットを固定配線の上に置く方式とは異なる特徴である。論理量子プロセッサの実証は、この特徴を使って、物理量子ビットの集団から論理量子ビットを構成し、論理操作へ進めることを示すものである。

しかし、論理量子ビットを作るだけでは汎用量子計算には足りない。誤り訂正された計算では、比較的扱いやすい操作だけでは実行できる計算が限られる。そこで必要になるのが、magic state distillation である。これは、汎用量子計算に必要な特殊な量子状態を、誤りを含んだ状態からより高品質な状態へ精製する技術である。名前は特殊だが、役割は明確である。誤り訂正された世界の中で、より広い種類の量子計算を信頼して行うための資源を作る技術である。

中性原子方式では、連続的な原子補給も重要になる。中性原子量子ビットは、レーザーで原子を捕まえて配列することで作られる。しかし、長時間の運用では、原子が失われることがある。これは、計算機の部品が途中で抜け落ちるような問題である。短い実験なら、最初にきれいな配列を作って計算し、終わった後に結果を見るだけでもよい。しかし、深い回路や長時間運用を目指すなら、失われた原子を補い、配列を保ち続ける仕組みが必要になる。連続的な原子補給は、この運用上の弱点を補うための要素技術である。

さらに、耐故障アーキテクチャは、個別の技術を 1 つの計算機設計へ組み込む役割を持つ。論理量子ビットがあり、ゲートがあり、測定があり、復号があり、補正があっても、それらがばらばらに存在しているだけでは長い計算はできない。どの順序で測定するのか。測定結果をどの速度で復号するのか。復号結果をどのように制御に戻すのか。原子損失が起きたときに、計算をどう維持するのか。こうした全体設計がなければ、誤り訂正は実験要素にとどまり、計算機としての FTQC にはならない。

低オーバーヘッドな誤り訂正も、実用性に直結する。誤り訂正では、1 個の論理量子ビットを作るために多数の物理量子ビットが必要になる。もしその数があまりに多ければ、原理的には正しくても、装置規模、制御資源、測定時間、コストが現実的でなくなる。したがって、同じ論理量子ビットを作るにしても、どれだけ少ない物理量子ビットと操作で実現できるかが重要になる。低オーバーヘッド符号は、量子誤り訂正を実験室の原理実証から、現実的な規模の計算機へ近づけるための技術である。

要素技術 何を支えるか なぜ必要か
論理量子プロセッサ 物理量子ビット群から論理量子ビットを構成し、論理操作を行う。 壊れやすい部品を、そのままではなく、誤り訂正された計算単位として使うために必要である。
magic state distillation 誤り訂正された量子計算で、汎用計算に必要な特殊状態を高品質化する。 Clifford 操作だけでは汎用量子計算に足りないため、非 Clifford 操作を信頼して使う道具が必要である。
連続的な原子補給 中性原子方式で、計算中に失われる原子を補いながら大規模配列を維持する。 原子損失が長時間運用や深い回路の制限になるためである。
耐故障アーキテクチャ 保存、ゲート、測定、復号、補正、原子補給を統合して、誤りを前提に計算を進める。 個別技術があっても、全体として計算が破綻しない構造がなければ、FTQC として機能しないためである。
低オーバーヘッド符号 少ない物理量子ビットや制御資源で論理量子ビットを構成する。 誤り訂正に必要な物理資源が膨大になりすぎると、原理的には可能でも実用機にならないためである。

この表から分かるのは、誤り耐性量子計算機が単一の発明ではないということである。量子チップだけでは足りない。論理量子ビットだけでも足りない。magic state distillation があっても、それだけでは長い計算は走らない。原子補給があっても、復号と制御が追いつかなければ誤り訂正は実時間で回らない。低オーバーヘッド符号があっても、それを実際のハードウェアに載せ、測定し、制御し、論理ゲートとして動かせなければ計算機にはならない。FTQC は、個別成果の足し算ではなく、誤りを前提に計算全体を維持する統合システムである。

読み方 過大な読み方 妥当な読み方
Libra 発表 Libra がすでに完成し、実用機として性能が実証済みであると読む。 2028 年に向けた誤り耐性量子計算機のロードマップとして読む。
査読済み要素技術 要素技術が査読済みであれば、完成システムの性能も実証済みであると読む。 要素技術は重要な根拠だが、それらを統合し、安定運用する工程は別に残ると読む。
Aquila から Libra への流れ 物理量子ビット 256 個の実機があるので、論理量子ビット 256 個もすぐ同じ意味で実現できると読む。 物理量子ビット規模の実機運用から、誤り訂正済み論理量子ビットの運用へ段階が移ると読む。
中性原子方式 中性原子方式が他方式より決定的に優位であり、勝者が決まったと読む。 中性原子方式は有力な実装経路の 1 つであり、評価軸は方式そのものより論理計算の信頼性にあると読む。

このように読むと、QuEra の発表の価値は弱まるのではなく、むしろ正確になる。Libra は、すでに完成した万能量子計算機ではない。しかし、Aquila で示された中性原子実機のクラウド提供、論理量子プロセッサの研究、magic state distillation、原子補給、耐故障アーキテクチャ、低オーバーヘッド符号といった要素技術を、2028 年のクラウド提供へ向けて統合しようとするロードマップである。この統合の難しさを認めたうえで読むからこそ、Libra 発表は単なる宣伝文句ではなく、量子計算機開発の評価軸がどこへ向かっているかを示す材料になる。

したがって、本稿では QuEra のロードマップを、完成済み実用機の発表としてではなく、要素技術を統合して誤り耐性量子計算機へ進む計画として扱う。ここで重要なのは、個別の論文や装置の成果を積み上げれば自然に FTQC になるわけではないという点である。FTQC には、物理量子ビット、論理量子ビット、ゲート、測定、復号、補正、原子補給、誤り訂正符号、古典制御、クラウド運用を、計算の全体設計として接続する必要がある。QuEra の発表は、その接続を中性原子方式で実現しようとするロードマップであり、本稿の主題である「物理量子ビット数から論理計算の信頼性へ」という転換を具体的に示している。


8. IBM Starling は、方式が違っても同じ評価軸へ向かっていることを示している

この変化は QuEra だけのものではない。IBM は 2025 年に、大規模な fault-tolerant quantum computer へ向けたロードマップを更新し、2029 年に IBM Quantum Starling を、200 論理量子ビットで 1 億ゲート規模の量子回路を実行できるシステムとして提供する計画を示した[22]。IBM の Quantum Roadmap でも、Starling と、その後の Blue Jay へ続く fault-tolerant quantum computer の拡張が示されている[23]。ここで重要なのは、IBM の方式や企業戦略そのものを詳しく比較することではない。重要なのは、QuEra とは異なる方式を採る IBM もまた、物理量子ビット数ではなく、論理量子ビット数、ゲート数、誤り訂正、復号、資源効率を中心にロードマップを語っていることである。

QuEra は中性原子方式であり、IBM は超伝導方式を中心に進めている。中性原子方式では、レーザーで原子を捕まえ、配列し、相互作用させる。超伝導方式では、極低温環境で動作する人工的な量子回路を量子ビットとして使う。物理的な実装は大きく異なる。量子ビットの作り方、接続の仕方、ゲートの得意不得意、測定方法、装置の制御方法も違う。しかし、FTQC を目指す段階に入ると、方式の違いを超えて共通する問いが現れる。壊れやすい物理量子ビットから、どれだけ多くの論理量子ビットを作れるか。論理エラー率をどれだけ下げられるか。どれだけ深い論理回路を実行できるか。復号と制御を計算の進行に追いつかせられるか。必要な物理資源を現実的な規模に抑えられるか。これらは、方式が違っても避けられない問いである。

IBM Starling の計画が示しているのは、量子計算機の評価が、装置上の物理量子ビット数ではなく、誤り訂正後の論理計算能力へ移っているという点である。200 論理量子ビットという数字は、物理量子ビット 200 個という意味ではない。多数の物理量子ビットを誤り訂正符号の中に配置し、論理的な計算単位として使える量子ビットを 200 個程度用意するという意味である。また、1 億ゲート規模という数字は、量子ビットを並べた瞬間の大きさではなく、論理量子ビット上でどれだけ深い計算を走らせるかを表す。ここでも、評価軸は横幅と深さの組み合わせになっている。

観点 QuEra Libra IBM Starling 共通している評価軸
主な方式 中性原子方式を中心に、再構成可能な原子配列を用いる。 超伝導方式を中心に、極低温の量子回路を用いる。 方式は異なるが、壊れやすい物理量子ビットから論理量子ビットを構成する点は共通する。
前面に出る規模 256 以上の誤り訂正済み論理量子ビットを掲げる。 200 論理量子ビットを掲げる。 物理量子ビット数ではなく、論理量子ビット数が中心指標になっている。
計算の深さ Megaquop 級、すなわち 100 万回規模の論理量子演算を目標にする。 1 億ゲート規模の量子回路を目標にする。 単に量子ビットを並べるのではなく、長く深い論理計算を実行できるかが問われている。
必要な構成 論理量子ビット、誤り訂正、復号、原子補給、クラウド提供の統合が必要になる。 論理量子ビット、誤り訂正、復号、論理ゲート、量子メモリ、システム統合が必要になる。 FTQC は量子チップ単体ではなく、誤り訂正と古典制御を含む統合システムとして成立する。
本稿での意味 中性原子方式において、論理計算の信頼性を前面に出すロードマップである。 超伝導方式において、論理量子ビットと深い回路を前面に出すロードマップである。 方式を超えて、評価軸が物理量子ビット数から論理計算能力へ移っていることを示す。

この表で見るべきなのは、QuEra と IBM の数字を単純に競わせることではない。256 論理量子ビットと 200 論理量子ビットのどちらが多いか、100 万回規模の論理演算と 1 億ゲート規模の回路をどう比較するか、という読み方をすると、すぐに企業別性能比較へ流れてしまう。しかし、本稿の主題はそこにはない。重要なのは、異なる方式、異なる企業、異なるロードマップであっても、論理量子ビット、論理エラー率、論理ゲート数、復号、資源効率という同じ種類の指標が前面に出ていることである。

この共通性が生まれるのは、実用的な量子計算が要求する構造が方式に依存しないからである。材料シミュレーション、量子化学、高エネルギー物理などの問題では、短い回路だけでは足りない。多くの論理量子ビットを使い、非常に多くの論理ゲートを順に重ねる必要がある。途中で誤りが蓄積すれば、最後に得られる出力は計算結果ではなく、誤りの蓄積になる。したがって、どの方式であっても、壊れやすい物理量子ビットをそのまま使う段階から、誤り訂正された論理量子ビットの上で長く深い計算を行う段階へ進まなければならない。

ここで、方式間競争と評価軸の転換を分けて考える必要がある。中性原子、超伝導、イオントラップ、光量子、半導体スピンなどの方式には、それぞれ利点と制約がある。ある方式は量子ビットを多数並べやすいかもしれない。別の方式はゲート精度に強みを持つかもしれない。さらに別の方式は接続性や測定に特徴を持つかもしれない。しかし、FTQC として評価する段階では、それらの利点が、最終的に論理量子ビット、論理エラー率、深い論理回路、復号速度、資源効率へ変換されるかが問われる。方式そのものが目的なのではなく、方式を通じて信頼できる論理計算を構成できるかが目的である。

階層 見る対象 評価の問い
物理方式 中性原子、超伝導、イオントラップ、光量子、半導体スピンなどの実装方式を見る。 量子ビットをどのように作り、制御し、測定するのかを問う。
誤り訂正構造 物理量子ビットをどの符号構造に配置し、どのように誤りを検出するかを見る。 物理誤りを論理情報の保護へ変換できるかを問う。
論理計算 論理量子ビット、論理ゲート、論理エラー率、論理演算回数を見る。 長く深い計算を信頼して実行できるかを問う。
計算システム 復号、古典制御、クラウド、HPC、ワークフローとの統合を見る。 量子プロセッサを実際の計算基盤として運用できるかを問う。

この階層で見ると、IBM Starling は QuEra Libra の単なる競合例ではなく、評価軸転換の補強材料になる。QuEra は中性原子方式の文脈で、Libra を論理量子ビット数、論理エラー率、Megaquop 級の論理演算として語っている。IBM は超伝導方式の文脈で、Starling を 200 論理量子ビット、1 億ゲート規模の回路として語っている。異なる方式が、同じように論理量子ビットと深い計算を前面に出しているなら、それは個別企業の宣伝文句ではなく、量子計算機開発全体の評価軸が変わりつつあることを示す。

この変化は、量子計算機の研究開発が成熟してきたことも意味する。初期段階では、まず量子ビットを作り、制御し、測定できること自体が大きな成果だった。その段階では、量子ビット数や個別のデモンストレーションが注目されやすい。しかし、実用計算を目指す段階では、単発の実験だけでは足りない。計算途中で発生する誤りを検出し、復号し、補正し、論理量子ビットの上で多数のゲートを実行し、最後の出力を信頼できる状態に保つ必要がある。だからこそ、各社のロードマップは、物理量子ビット数の自慢から、論理計算の持続性へ移っていく。

この点で、量子計算機開発は、単なる部品技術の競争から、計算システムとしての信頼性の競争へ移っている。中性原子方式でも、超伝導方式でも、最終的に問われるのは、壊れやすい物理量子ビットから、どれだけ効率よく、どれだけ低いエラー率で、どれだけ深い論理計算を構成できるかである。方式の違いは重要である。しかし、その違いは、論理計算の信頼性という上位の評価軸へ接続されて初めて、実用性の判断材料になる。

したがって、IBM Starling の意味は、QuEra とは別方式のロードマップが存在するというだけではない。IBM のロードマップは、FTQC を目指す企業が、方式の違いを超えて、論理量子ビット、論理ゲート、誤り訂正、復号、資源効率、システム統合を中心に据え始めていることを示している。これは、本稿の中心命題である「量子計算機の競争軸は、物理量子ビット数から、誤り訂正された論理計算の信頼性へ移っている」という見方を、QuEra 以外の事例から支えるものである。


9. クラウドと HPC 連携は、量子計算機が単独の箱ではないことを示している

QuEra と AWS の発表でもう一つ重要なのは、Libra が Amazon Braket 上で提供される計画であり、HPC や AI・機械学習リソースとの統合が前提になっている点である。これは、量子計算機が単独で完結する箱ではなく、古典計算環境と結合した計算基盤として扱われ始めていることを示している。量子プロセッサだけを取り出して見ると、量子計算機は特殊な物理装置に見える。しかし、実際に計算を行う場面では、量子プロセッサは計算全体の一部であり、問題の準備、実行制御、復号、後処理、結果の解釈は古典計算側と密接に結びついている。

この点は、通常の計算機を考えても分かる。CPU だけが高性能でも、メモリ、ストレージ、ネットワーク、OS、ライブラリ、ジョブ管理、監視、データ入出力が整っていなければ、実際の計算基盤としては使いにくい。HPC でも、重要なのは個々の演算器だけではない。多数の計算ノード、並列ファイルシステム、ジョブスケジューラ、通信基盤、ソフトウェア環境が組み合わさって、初めて研究者や企業が大規模計算を実行できる。量子計算機も同じである。量子プロセッサが存在するだけでは、実用的な計算ワークフローにはならない。

量子計算には、量子プロセッサだけでなく、古典計算が多く関わる。まず、解きたい問題を量子計算機が扱える形へ変換する前処理がある。量子化学であれば、分子や電子状態の問題を量子回路や量子アルゴリズムへ写す必要がある。最適化であれば、目的関数や制約条件を、量子計算機と古典計算機が分担できる形へ整える必要がある。量子計算機は、問題をそのまま投入すれば答えを返す万能箱ではない。量子プロセッサが担当できる形へ問題を翻訳する古典計算側の工程が必要になる。

次に、実行中の制御がある。量子回路を実行するには、どの量子ビットにどのゲートをかけるか、どのタイミングで測定するか、測定結果に応じて次の操作をどう変えるかを制御しなければならない。特に誤り訂正を伴う量子計算では、シンドローム測定の結果を読み取り、デコーダーで誤りを推定し、その情報を以後の制御へ反映する必要がある。この処理は、量子プロセッサの外側にある古典計算と制御系に依存する。復号が遅ければ、量子計算の進行に補正が追いつかない。制御が不安定なら、誤り訂正そのものが新たな誤りを生む。

さらに、量子計算の後には後処理がある。量子計算機の測定結果は、通常のプログラムのように 1 回の実行で明確な答えを返すとは限らない。多数回の実行結果を集計し、統計的に意味のある値を取り出し、古典計算側で結果を評価する必要がある。ハイブリッドアルゴリズムでは、量子プロセッサで得た測定結果をもとに古典計算機がパラメータを更新し、再び量子プロセッサを実行する。このような反復では、量子計算と古典計算は分離した処理ではなく、1 つの閉じたワークフローとして結合する。

工程 古典計算側の役割 量子計算との関係
前処理 解きたい問題を、量子回路、Hamiltonian、最適化問題、入力パラメータなど、量子計算機が扱える形へ変換する。 量子プロセッサが担当できる問題形式を作る。
実行制御 ゲート操作、測定、タイミング、条件分岐、ジョブ管理を制御する。 量子プロセッサを単発の実験装置ではなく、計算装置として動かす。
復号 シンドローム測定の結果から、どこでどのような誤りが起きた可能性が高いかを推定する。 誤り訂正を実時間で機能させ、論理量子ビットを守る。
後処理 測定結果を集計し、統計的に評価し、物理量や目的関数の値として解釈する。 量子プロセッサの出力を、人間や既存システムが使える結果へ変換する。
反復最適化 量子計算の結果をもとに、古典計算機が次のパラメータや探索方針を更新する。 量子計算と古典計算を往復させ、ハイブリッドワークフローとして計算を進める。

この表から分かるように、量子計算機は、量子プロセッサだけで完結する計算機ではない。量子プロセッサは、量子状態を作り、操作し、測定する中心部である。しかし、問題を準備し、実行を制御し、誤りを復号し、結果を集計し、次の計算へ戻す処理は、古典計算側が担う。特に FTQC では、復号と制御の重要性が増す。誤り訂正を行うには、量子プロセッサ上で起きている誤りの痕跡を継続的に読み取り、古典計算側で解釈し、論理計算が破綻しないように処理を続けなければならない。

このため、Libra を Amazon Braket 上で提供するという計画は、単なる販売経路の話ではない。クラウド上で提供するということは、量子プロセッサを既存の計算資源、開発環境、ジョブ管理、認証、データ管理、HPC、AI・機械学習リソースと接続するということである。利用者から見れば、量子計算機は研究室の奥にある特殊装置ではなく、既存のクラウド計算資源の一部として呼び出す対象になる。これは、量子計算機が「物理装置」から「計算基盤」へ移るための重要な変化である。

HPC との接続も、本質的である。量子計算機が得意とする可能性のある問題でも、計算全体のすべてを量子プロセッサが担当するわけではない。量子化学や材料計算では、古典計算によるモデル構築、基底の選択、近似、結果の評価が必要になる。高エネルギー物理や複雑なシミュレーションでも、量子計算機は大きな計算パイプラインの一部になる可能性が高い。したがって、量子計算機を実用化するとは、量子チップを単独で高性能にすることだけではなく、既存の HPC ワークフローへ、どのように量子計算を組み込むかを設計することでもある。

AI・機械学習リソースとの統合についても、過大に読む必要はない。これは、量子計算機が AI を置き換えるという話ではない。むしろ、既存の機械学習、最適化、データ解析、モデル探索のワークフローの中に、量子計算機を部分的な計算資源として組み込む可能性を示している。たとえば、量子計算の出力を古典側の最適化へ戻す、探索空間の一部を量子プロセッサに評価させる、あるいは量子デバイスの制御や復号を古典側の高速処理で支えるといった形である。ここでも主役は、量子と古典の置き換えではなく、結合である。

見方 単独の箱としての量子計算機 計算基盤としての量子計算機
装置の位置付け 量子プロセッサを中心に、特殊な研究装置として見る。 量子プロセッサを、古典計算、HPC、クラウド、ソフトウェア環境と結合した計算資源として見る。
利用方法 量子計算機に問題を入れれば、単独で答えを返すように考える。 前処理、量子実行、復号、後処理、反復最適化を含むワークフローとして使う。
性能評価 量子チップ単体の量子ビット数やゲート性能を中心に見る。 論理計算の信頼性、復号速度、ジョブ実行、データ入出力、既存ワークフローへの統合を含めて見る。
実用化の意味 量子プロセッサが十分高性能になれば、自然に実用化すると考える。 量子プロセッサが、既存の計算基盤の中で意味のある計算結果を返せるようになって初めて実用化へ近づく。

この違いは、本稿の中心命題にも関わる。量子計算機の評価軸が、物理量子ビット数から論理計算の信頼性へ移るとき、評価対象は量子チップ単体ではなくなる。論理量子ビットを作るには、誤り訂正符号が必要である。論理エラー率を下げるには、測定と復号が必要である。論理演算回数を増やすには、復号と制御が計算の速度に追いつかなければならない。さらに、実際の問題に使うには、前処理、後処理、HPC、クラウド上のワークフローが必要になる。したがって、信頼できる量子計算とは、量子チップが立派であることではなく、計算全体が最後まで意味のある出力を返せることである。

この観点から見ると、Amazon Braket 上で Libra を提供するという計画は、QuEra のロードマップを産業利用の文脈へ接続する。量子計算機が研究室の装置である間は、専門家が装置ごとの制約を理解し、実験ごとに制御できればよい。しかし、クラウド上の計算資源として提供するなら、利用者は既存の開発環境、既存のデータ、既存の HPC や AI・機械学習基盤と組み合わせて使うことを期待する。そのとき問われるのは、量子プロセッサ単体の存在ではなく、量子計算を含む全体ワークフローが再現可能で、管理可能で、意味のある結果を返せるかである。

したがって、クラウドと HPC 連携は、量子計算機が単独の箱ではないことを示している。FTQC は、量子プロセッサ、古典制御、復号器、クラウド基盤、HPC、ソフトウェア開発環境がつながって初めて、実際の研究者や企業が使える計算ワークフローになる。量子計算機の競争軸が信頼できる論理計算へ移るということは、その信頼性を量子チップの内部だけでなく、計算基盤全体で作る段階へ入るということでもある。


10. DARPA QBI は、企業ロードマップを「本当に役に立つか」で測ろうとしている

企業ロードマップは重要である。QuEra が Libra を 2028 年に提供すると述べ、IBM が Starling を 2029 年に示すなら、それは量子計算機開発がどの方向へ進もうとしているかを知る材料になる。しかし、企業ロードマップだけで実用性が保証されるわけではない。ロードマップは将来計画であり、技術目標であり、顧客や研究機関に向けたメッセージでもある。そこには、実現済みの成果、査読済みの要素技術、開発中の統合計画、将来の事業構想が混在しやすい。したがって、読む側には、企業発表をそのまま結論として受け取るのではなく、どの段階まで実証され、どこから先が計画なのかを分ける姿勢が必要になる。

量子計算機は期待が大きい技術である。暗号、創薬、材料、金融、最適化、物理シミュレーションなど、多くの応用可能性が語られる。しかし、期待が大きい分、過大な宣伝も生まれやすい。量子計算機が量子らしい振る舞いを示すことと、産業的に意味のある計算を行うことは同じではない。量子ビットを多数並べることと、古典計算では難しい問題に対して有用な出力を返すことも同じではない。さらに、量子計算で何らかの優位性が示されたとしても、その計算に必要な装置、運用、開発、人材、時間、クラウド利用料を考えたとき、実際に採算が合うかは別の問題である。

このため、量子計算機の評価では、単一の指標に頼ることが難しい。量子計算機のベンチマークに関する議論では、規模、正確性、速度、対象問題、実行可能な回路の深さ、古典計算との比較、利用者にとっての計算価値などを含めた評価が必要であることが整理されている[24]。物理量子ビット数だけを見ても、ノイズや誤り訂正の状態は分からない。論理量子ビット数だけを見ても、どれだけ深い回路を走らせられるかは分からない。論理ゲート数だけを見ても、その計算が実際の問題に対して価値を持つかは分からない。評価には、装置の性能と、計算課題と、コストを結び付ける視点が必要になる。

単一指標 分かること それだけでは分からないこと
物理量子ビット数 装置上にどれだけ多くの量子ビットを配置できるかが分かる。 その量子ビットがどれだけ低い誤り率で動き、論理量子ビットとして使えるかは分からない。
論理量子ビット数 誤り訂正された計算単位をどれだけ用意できるかが分かる。 その上でどれだけ深い計算を実行できるか、対象問題に十分かは分からない。
論理エラー率 誤り訂正後の計算単位がどれくらい信頼できるかが分かる。 実際の問題を解くために必要な総ゲート数や実行時間に対して十分かは分からない。
論理演算回数 どれだけ深い論理計算を目指しているかが分かる。 その計算が古典計算に対して意味のある価値を出すかは分からない。
実行速度 ジョブやゲートや測定がどれくらいの時間で進むかが分かる。 正確性、コスト、対象問題での有用性を含めた総合的な価値は分からない。

この表が示すように、量子計算機の性能は、ひとつの数字だけでは評価できない。装置が大きいこと、誤り率が低いこと、ゲート数が多いこと、実行が速いことは、それぞれ重要である。しかし、どれかひとつだけが優れていても、実用的な計算資源になるとは限らない。実用性を判断するには、その装置が、特定の問題に対して、どれだけ正確に、どれだけ速く、どれだけ安く、どれだけ再現性のある形で、古典計算を上回る価値を返せるかを見なければならない。

DARPA の Quantum Benchmarking Initiative は、この問題を制度的に扱う枠組みである。DARPA は、2033 年までに産業的に有用な量子計算機を構築できるかを検証する取り組みとして QBI を位置付け、utility-scale operation を、計算価値がコストを上回る状態として定義している[25]。ここで重要なのは、評価の中心が「量子計算機らしく動くか」だけではないことである。問われているのは、実際の計算課題に対して、量子計算機が費用に見合う価値を出せるかである。

utility-scale operation という言葉は、単なる技術デモとは違う段階を指している。研究室の実験では、ある物理現象を示すこと、特定の量子ゲートを実行すること、限定されたベンチマークで良い数字を出すことが重要な成果になる。しかし、産業的に有用な計算資源として見る場合には、それだけでは足りない。利用者が持つ問題を解き、古典計算だけでは難しい価値を出し、その価値が利用コスト、開発コスト、運用コスト、待ち時間、専門家の投入に見合う必要がある。DARPA QBI は、この段階へ量子計算機を引き上げて評価しようとしている。

また、DARPA は 2025 年に複数の量子計算企業を初期段階の評価対象として選び、QuEra、IBM、Google Quantum AI などもそのリストに含まれている[26]。これは、企業ロードマップをただ眺めるのではなく、第三者的な枠組みの中で検証しようとする動きである。もちろん、QBI に選ばれたことは、その企業の方式が最終的に成功することを意味しない。むしろ、複数の方式や企業を対象に、将来的に本当に産業的価値を持つ量子計算機へ到達できるかを段階的に評価するための入口と見るべきである。

評価段階 中心となる問い 意味
物理実証 量子ビットを作り、制御し、測定できるか。 量子装置として動くかを見る。
論理実証 誤り訂正された論理量子ビットを作り、誤り率を下げられるか。 壊れやすい部品から信頼性を作れるかを見る。
計算実証 十分な論理量子ビットと論理ゲートで、深い計算を実行できるか。 実用的な量子プログラムに近づいているかを見る。
ワークフロー評価 前処理、量子実行、復号、後処理、古典計算との連携が成立するか。 量子プロセッサ単体ではなく、計算基盤として使えるかを見る。
産業評価 計算価値がコストを上回るか。 研究装置ではなく、計算資源として意味があるかを見る。

この評価段階を順に見ると、量子計算機が実用へ進むための道筋が分かる。まず、物理量子ビットを作り、制御し、測定できなければならない。次に、それらを組み合わせて論理量子ビットを作り、誤り率を下げなければならない。さらに、十分な論理量子ビットと論理ゲートを用いて、深い計算を実行できなければならない。そのうえで、前処理、復号、後処理、HPC、クラウド、ソフトウェア環境と結合し、実際の利用者が使えるワークフローにならなければならない。最後に、その計算がコストを上回る価値を持つかが問われる。

この最後の段階は特に重要である。量子計算機は、古典計算機と別世界に存在する装置ではない。実際に企業や研究機関が使う場合、量子計算機は既存の計算資源、既存のソフトウェア、既存の人材、既存の費用構造と比較される。古典計算機で 1 週間かかる計算を、量子計算機で 1 日に短縮できたとしても、そのために膨大な費用や特殊な開発が必要なら、実用価値は限定されるかもしれない。逆に、限られた範囲でも、古典計算では事実上到達できない結果を妥当なコストで出せるなら、産業的価値は大きい。QBI が問うのは、このような計算価値とコストの関係である。

見方 期待先行の読み方 評価枠組みに基づく読み方
企業ロードマップ 発表された目標がそのまま実用化を意味すると読む。 実証済みの部分、開発中の部分、将来計画を分けて読む。
量子優位性 量子計算機が古典計算機より速い場面があれば、ただちに実用的だと読む。 対象問題、正確性、再現性、コスト、既存手法との比較を含めて評価する。
産業応用 創薬、材料、最適化などの応用分野名が挙がれば、すでに価値があると読む。 その分野の具体的な計算課題で、計算価値が費用を上回るかを見る。
ベンチマーク 単一のスコアや量子ビット数で優劣を判断する。 規模、正確性、速度、深さ、対象問題、古典比較を組み合わせて判断する。

このような評価枠組みは、量子計算機に対して冷淡な見方をするためのものではない。むしろ、期待を現実の技術開発へ接続するために必要である。量子計算機が本当に社会や産業で使われるには、単に将来性を語るだけでは足りない。どの問題で、どの規模で、どの精度で、どのコストで、どの古典手法を上回るのかを明確にしなければならない。DARPA QBI のような取り組みは、量子計算機を宣伝の言葉から、評価可能な計算資源の言葉へ移す役割を持つ。

ここで、本稿の中心命題との接続も明確になる。量子計算機の競争軸が物理量子ビット数から論理計算の信頼性へ移るなら、その先には、さらに厳しい評価が待っている。論理量子ビットを作れるか。論理エラー率を下げられるか。深い論理計算を走らせられるか。クラウドや HPC と結合できるか。そのうえで、計算価値がコストを上回るか。DARPA QBI は、この流れの最後にある問いを制度的に提示している。つまり、量子計算機が「動く」ことから、「信頼して計算できる」ことへ、さらに「使う価値がある」ことへ進むための評価軸である。

したがって、DARPA QBI の意義は、量子計算機を「将来すごいかもしれない技術」としてではなく、「実際にコストを上回る計算価値を出せるか」という基準で見る点にある。これは、量子計算機の評価軸が成熟しつつあることを示している。物理量子ビット数、論理量子ビット数、論理エラー率、論理演算回数は重要である。しかし、それらは最終的には、具体的な計算課題において価値を生むための中間指標である。量子計算機が計算インフラへ移るためには、技術的な正しさだけでなく、計算価値とコストの関係を通過しなければならない。


11. 量子ビット数競争は終わったのではなく、意味が変わった

ここまでの議論は、「量子ビット数はもう重要ではない」という意味ではない。むしろ逆である。論理量子ビットを作るには、多数の物理量子ビットが必要になる。量子誤り訂正では、情報を 1 個の物理量子ビットに置くのではなく、多数の物理量子ビットの全体構造に分散して保存する。したがって、誤り訂正された量子計算機へ進むほど、物理量子ビット数の拡大は重要になる。問題は、物理量子ビットを増やすこと自体ではない。増えた物理量子ビットを、どのような構造の中に置き、どのように論理情報の信頼性へ変換するかである。

この点を誤ると、量子計算機の評価を逆に読んでしまう。物理量子ビット数中心の競争が相対化されたからといって、量子ビット数の拡大が不要になったわけではない。論理量子ビット数、論理エラー率、論理演算回数を改善するには、むしろ多くの物理量子ビット、より高い物理ゲート精度、より安定した測定、より高速な復号、より効率的な誤り訂正符号が必要になる。つまり、数の重要性は消えたのではなく、裸の数から、構造化された数へ移ったのである。

裸の物理量子ビットを多く並べるだけなら、誤りが起きる場所も増える。量子ビットが増えれば、制御信号、ゲート操作、測定箇所、相互作用、環境との結合も増える。これらが誤り訂正の構造に組み込まれていなければ、大きな装置は、大きな故障面積を持つ装置にもなりうる。しかし、それらの物理量子ビットを誤り訂正符号、シンドローム測定、デコーダー、論理ゲート、古典制御の中に組み込み、論理量子ビットとして使えるなら、物理量子ビット数の増加は信頼性を作る材料になる。

ここで変わったのは、大きさそのものではなく、大きさの意味である。NISQ 的な文脈では、量子ビット数は装置の規模を示す分かりやすい数字だった。FTQC 的な文脈では、量子ビット数は、誤り訂正された論理情報を作るための資源になる。前者では、量子ビット数は「どれだけ多くの物理部品を並べたか」を示す。後者では、量子ビット数は「どれだけ強い論理情報を作るために使われているか」を問われる。したがって、重要なのは大きさそのものではなく、信頼性を作るために組織化された大きさである。

観点 従来の読み方 FTQC へ向かう読み方
量子ビット数 装置上に物理量子ビットが何個あるかを見る。 物理量子ビットが、論理量子ビットを作る資源としてどう使われているかを見る。
大きさ 量子ビット数が多いほど大きな量子計算機であると見る。 大きさが、誤り訂正された論理情報の保護へ変換されているかを見る。
誤り 量子ビット数が増えるほど、誤りが起きる場所も増える。 誤り訂正の条件を満たせば、追加された量子ビットが論理エラー率を下げる構造として働く。
性能 物理量子ビット数の多さが性能を代表するように見える。 論理量子ビット数、論理エラー率、論理演算回数、復号速度、資源効率の組み合わせで性能を見る。
実用性 大きな装置であれば、自然に実用計算へ近づくように見える。 大きな装置が、長く深い論理計算を信頼して実行できるかを見る。

この違いは、通常の計算機や情報システムでも見られる。単にストレージを増やせば、安全な保存システムになるわけではない。ディスク台数を増やせば容量は増えるが、故障する部品も増える。保存システムとして信頼できるものにするには、冗長化、整合性検査、バックアップ、復旧手順、監視、交換運用が必要になる。容量の大きさは重要だが、それは保存の信頼性へ組織化されて初めて意味を持つ。

サーバーでも同じである。単に台数を増やせば、サービスが安定するわけではない。むしろ、台数が増えるほど、故障するノード、ネットワーク障害、設定差分、デプロイの失敗、監視漏れも増える。安定したサービスにするには、負荷分散、フェイルオーバー、監視、ログ、構成管理、復旧訓練、運用手順が必要になる。台数の増加は、構造化されなければ複雑性の増加であり、構造化されれば可用性を高める資源になる。

量子計算機でも同じである。物理量子ビット数の増加は、単独では信頼性を保証しない。むしろ、誤りが起きる場所を増やす可能性がある。しかし、誤り訂正符号の中に物理量子ビットを配置し、シンドロームを測定し、デコーダーで誤りを推定し、論理量子ビットとして計算を継続できるなら、その増加は信頼性を作る資源になる。大きさは、構造を伴うときに初めて、計算の深さと信頼性へ変換される。

単なる拡大 信頼性を作る拡大
ストレージ ディスクを増やして容量だけを増やす。 冗長化、整合性検査、バックアップ、復旧手順を組み合わせて保存基盤にする。
サーバー 台数を増やして処理能力だけを増やす。 負荷分散、監視、フェイルオーバー、構成管理を組み合わせて可用性を高める。
量子計算機 物理量子ビットを増やして装置規模だけを大きくする。 誤り訂正符号、測定、復号、制御を組み合わせて論理量子ビットを作る。

このため、量子計算機の競争は、大きさを捨てたのではない。むしろ、大きさをどう使うかを問う段階に入ったのである。大きな装置を作ることは依然として難しい。大量の物理量子ビットを安定して作ることも、低い物理誤り率でゲートを行うことも、測定を正確に行うことも、制御系を拡張することも、いずれも重要である。しかし、それらは最終的に、論理量子ビット、論理エラー率、論理演算回数、復号速度、資源効率へ結び付いて評価される。

QuEra の Libra は、この意味での大きさを示す事例である。発表で前面に出るのは、物理量子ビットを何個並べるかではなく、256 以上の誤り訂正済み論理量子ビット、論理エラー率 10⁻⁶、Megaquop 級の論理演算である。Google の Willow は、条件を満たせば、誤り訂正された量子ビットを大きくするほど信頼性が上がることを示した。IBM の Starling は、別方式でも論理量子ビット数と深い論理回路を前面に出している。DARPA の QBI は、そうした企業ロードマップを、最終的に計算価値がコストを上回るかという基準で評価しようとしている。

事例 示していること 本稿での意味
QuEra Libra 論理量子ビット数、論理エラー率、論理演算回数を前面に出す。 物理量子ビット数ではなく、誤り訂正された論理計算の規模と信頼性が評価軸になっていることを示す。
Google Willow 誤り訂正された量子ビットを大きくすることで、条件を満たせば信頼性を高められることを示す。 大きさが、単なる誤りの増加ではなく、論理情報の保護へ変換されうることを示す。
IBM Starling 超伝導方式でも、論理量子ビット数と深い論理回路を中心にロードマップを語っている。 方式が違っても、FTQC の評価軸が論理計算の信頼性へ向かっていることを示す。
DARPA QBI 企業ロードマップを、産業的に有用な計算価値とコストの関係で評価しようとしている。 量子計算機の評価が、装置規模から、信頼できる計算、さらに使う価値へ進んでいることを示す。

このように見ると、「量子ビット数競争は終わった」という表現は正確ではない。終わったのは、物理量子ビット数だけを見れば量子計算機の実用性が分かる、という単純な読み方である。量子ビット数は今後も重要であり、むしろ FTQC へ進むほど大量の物理量子ビットが必要になる。ただし、その数は、誤り訂正された論理計算を作るための資源として見られる。重要なのは、数そのものではなく、数が信頼性へ変換されているかである。

したがって、量子計算機の競争は、大きさを捨てたのではない。大きさを、信頼性を生む構造として使えるかを問う段階に入ったのである。QuEra の Libra、Google の Willow、IBM の Starling、DARPA の QBI を並べて見ると、この変化は一社の発表ではなく、業界全体の評価軸の変化として見えてくる。物理量子ビットを多く並べることから、多数の物理量子ビットを使って、低い論理エラー率で、長く深い論理計算を実行することへ、量子計算機の競争軸は移っている。


12. 量子計算機は、壊れやすい情報を信頼できる計算へ変換する競争に入った

本稿で見てきたことを整理すると、量子計算機開発の中心は、物理量子ビット数の単純な拡大から、誤り訂正された論理計算の信頼性へ移っている。これは、量子ビット数が不要になったという意味ではない。むしろ、論理量子ビットを作るには、多数の物理量子ビットが必要になる。しかし、その物理量子ビット数は、裸の部品数としてではなく、論理量子ビット、論理エラー率、論理演算回数、復号速度、資源効率へ変換されているかによって評価されるようになっている。量子計算機の大きさは、もはや単なる規模ではなく、信頼性を生む構造として問われている。

QuEra の Libra 発表は、この変化を中性原子方式とクラウド提供の文脈で示している。発表の中心にあるのは、物理量子ビットを何個並べるかではなく、256 以上の誤り訂正済み論理量子ビット、論理エラー率 10⁻⁶、Megaquop 級の論理演算である。ここで語られているのは、量子装置の見かけの大きさではない。壊れやすい中性原子量子ビットを、誤り訂正された論理計算へどこまで変換できるかである。Libra はまだ完成済み実用機ではないが、その発表が重要なのは、評価指標そのものが論理計算の信頼性へ移っていることを示しているからである。

Google Willow は、この転換を実験的な側面から支えている。量子ビットを増やせば、普通は誤りが起きる場所も増える。しかし、物理エラー率が閾値以下にあり、誤り訂正符号と復号が機能するなら、追加された物理量子ビットは単なる故障点ではなく、論理情報を守る構造として働く。Willow の意味は、汎用量子計算機が完成したということではない。重要なのは、量子ビットを大きくすることが、条件を満たせば論理エラー率を下げる方向へ働くことを示した点である。これは、量子計算機の大型化が、単なる物理量子ビット数の増加ではなく、誤り訂正された構造の強化として理解されるべきことを示している。

IBM Starling は、方式が違っても同じ評価軸へ向かっていることを示している。QuEra は中性原子方式であり、IBM は超伝導方式を中心にしている。物理的な実装は異なる。量子ビットの作り方、接続の仕方、測定方法、制御方法も異なる。それでも、IBM のロードマップでも、200 論理量子ビット、1 億ゲート規模の量子回路、誤り訂正、復号、資源効率が前面に出ている。これは、FTQC を目指す段階では、方式間の違いを超えて、壊れやすい物理量子ビットから信頼できる論理計算を構成できるかが共通の評価軸になることを示している。

DARPA QBI は、この流れをさらに外側から測ろうとしている。企業ロードマップは重要だが、それだけでは実用性は保証されない。量子計算機が量子らしく動くこと、論理量子ビットを作れること、深い論理回路を実行できることは、いずれも重要な段階である。しかし、計算インフラとしての価値を問うなら、その先に、具体的な計算課題で価値がコストを上回るかという評価が必要になる。DARPA QBI は、量子計算機を「将来すごいかもしれない装置」としてではなく、「産業的に有用な計算資源になりうるか」という基準で評価しようとしている。この点で、量子計算機の評価軸は、装置規模から、論理計算の信頼性へ、さらに計算価値とコストの関係へ進んでいる。

事例 本稿で確認したこと 示している一般化
QuEra Libra 256 以上の論理量子ビット、論理エラー率 10⁻⁶、Megaquop 級の論理演算を前面に出している。 量子計算機の評価が、物理量子ビット数から、誤り訂正された論理計算の信頼性へ移っている。
Google Willow 誤り訂正された量子ビットを大きくすることで、条件を満たせば論理エラー率を下げられることを示した。 量子ビット数の増加は、誤り訂正構造の中では信頼性を高める資源になりうる。
IBM Starling 別方式でも、論理量子ビット数と深い論理回路を中心にしたロードマップを示している。 方式が異なっても、FTQC の評価軸は論理計算の信頼性へ収束しつつある。
DARPA QBI 企業ロードマップを、計算価値がコストを上回るかという基準で評価しようとしている。 量子計算機の評価は、動くかどうかから、信頼できるか、さらに使う価値があるかへ進んでいる。

この全体像から見ると、量子計算機は「速い計算機」というより、「壊れやすい情報を信頼できる計算へ変換する計算機」として理解した方がよい。もちろん、量子計算機が将来、ある種の問題で古典計算機より速くなる可能性は重要である。しかし、その速度の議論は、計算途中の量子情報が信頼できる形で保たれていることを前提にしている。途中で誤りが蓄積し、最後の出力が計算結果なのか誤りの残骸なのか分からないなら、速さは意味を持たない。量子計算機の実用性は、まず壊れやすい量子情報を、最後まで意味のある計算として保てるかにかかっている。

このため、量子計算機の本質的な課題は、部品を壊れなくすることではない。現実の物理量子ビットは壊れる。ゲートにも誤りがあり、測定にも誤りがあり、制御にもずれがある。量子計算機は、その現実を前提にしながら、多数の物理量子ビットを組み合わせ、シンドロームを測定し、デコーダーで誤りを推定し、論理量子ビットとして情報を守り、長い計算を進める装置である。信頼性は、壊れない部品から生まれるのではなく、壊れる部品を前提にした構造から生まれる。

したがって、QuEra の発表を「2028 年に量子計算機が完成する」という話として読むと、過大評価になる。Libra はまだ将来計画であり、完成済みの汎用実用機ではない。一方で、「まだ完成していないから意味がない」と読むのも浅い。重要なのは、発表の中心指標が物理量子ビット数ではなく、論理量子ビット数、論理エラー率、論理演算回数に置かれている点である。この読み方をすれば、Libra 発表は単なる企業宣伝ではなく、量子計算機開発の評価軸がどこへ移っているかを示す事例になる。

読み方 問題点 本稿での読み方
2028 年に量子計算機が完成する Libra を完成済み実用機のように扱ってしまい、ロードマップと実証済み成果を混同する。 Libra は、誤り耐性量子計算機へ向かう将来計画として読む。
まだ完成していないから意味がない 要素技術の進展や評価指標の変化を見落とす。 完成済みかどうかだけでなく、何を性能指標として掲げているかを見る。
量子ビット数競争は終わった 論理量子ビットを作るために多数の物理量子ビットが必要になる点を見落とす。 量子ビット数の重要性は残るが、その意味が、裸の部品数から信頼性を作る資源へ変わったと読む。
企業ごとの方式比較で見る 中性原子、超伝導、イオントラップなどの勝敗予想に流れ、共通する評価軸を見落とす。 方式の違いを超えて、論理量子ビット、論理エラー率、論理演算回数が共通指標になっている点を見る。

量子計算機の競争軸は、物理量子ビットを多く並べることから、多数の壊れやすい物理量子ビットを使って、信頼できる論理計算をどれだけ長く深く実行できるかへ移っている。ここで重要なのは、「長く」と「深く」である。長く計算するには、途中で誤りが蓄積しても論理情報を保つ必要がある。深く計算するには、多数の論理ゲートを順に重ねても、最後の出力が意味を持つ必要がある。したがって、論理量子ビット数だけでは足りない。論理エラー率、論理演算回数、復号速度、資源効率、ワークフロー全体の統合が必要になる。

量子ビット数は今後も重要である。しかし、その数は単独では十分な意味を持たない。重要なのは、その数が、誤りを前提にした計算構造として組織化され、現実の問題を解くための信頼できる計算へ変換されるかである。物理量子ビットは材料である。論理量子ビットは計算単位である。論理エラー率は信頼性である。論理演算回数は計算の深さである。復号速度とクラウド・HPC 連携は、量子計算機を実際の計算基盤へ組み込む条件である。これらがつながって初めて、量子計算機は、研究装置から計算資源へ近づく。

この意味で、本稿の結論は単純である。量子計算機は、物理量子ビット数の競争を終えたのではない。物理量子ビット数を、誤り訂正された論理計算の信頼性へ変換する競争に入ったのである。QuEra の Libra、Google の Willow、IBM の Starling、DARPA の QBI を並べて見ると、この転換は一社の発表ではなく、量子計算機開発全体の評価軸の変化として見えてくる。壊れやすい量子情報を、信頼できる計算へ変換できるか。これが、これからの量子計算機を測る中心の問いである。


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