「AI を使ったから駄目」を分解する

企業が公開した料理画像で、自社商品のパッケージにある文字が崩れていた。そこで生成 AI の利用が疑われ、画像の誤りだけでなく、「AI を使ったこと」そのものまで批判の対象になった。この反応には、成果物として確認できる不備、制作工程についての推測、AI 利用そのものへの評価が重なっている。三つを分けなければ、何が実際に失敗し、誰が何を確認すべきだったのかが曖昧になる。

味の素が公式に示している商品名は「ほんだし®」であり、1970 年に誕生して 50 年以上続くブランドである[1]。商品ページでも同じ名称とパッケージの商品が確認できる[2]。一方、問題の発端になった画像では、商品パッケージ上の文字がこの正規表示と一致していなかった[3]。したがって、完成画像について直接確認できる事実は、正規の商品表示と公開された成果物の間に差異があったということである。

この差異だけで、どの画像生成モデルを使ったのか、画像全体を生成したのか、一部だけを補正したのか、制作途中でどのような編集を加えたのかまでは確定できない。文字の崩れ方から生成 AI の関与を推測することと、その制作工程を事実として確認することは別である。完成画像は工程の結果を示すが、工程そのものの記録ではない。

ただし、制作手段を確定できないことは、成果物の誤りまで評価できないという意味ではない。自社商品の名称やパッケージは、発信主体自身が正しい情報を保有している対象である。公開前に正規の商品画像や商品名と照合すれば、文字の不一致を発見できる。この確認が行われず誤った表示が公開されたのであれば、まず問われるべきなのは生成手段ではなく、公開物を検査する品質管理の工程である。

それでも「AI を使ったから駄目だ」という言葉には、異なる種類の批判が入り込みやすい。文字が間違っている。自社ブランドを正しく表示できていない。人間に頼まず手を抜いた。AI は信用できない。本物の商品や料理を写しているのか分からない。AI を使ったなら表示すべきだ。学習データや著作権が気になる。人間のクリエイターの仕事を奪っている。これらは同じ画像をきっかけに語ることはできるが、同じ事実によって成立する主張ではない。

たとえば、文字が誤っていることは正規表示との比較だけで判定できる。一方、「手抜きだった」と判断するには、実際の制作工程、費用、作業量、確認手順を知る必要がある。「著作権上の問題がある」と主張するなら、利用したモデルや生成物と既存著作物との関係を具体的に確認しなければならない。「人間に仕事を頼むべきだった」という主張は、成果物の正誤ではなく、創造労働へどのように仕事と報酬を配分するかという社会的な判断を含む。一つの誤表示から、これらすべてを同時には導けない。

既稿では、AI を能力や危険性の一軸だけで評価すると、異なる性質の論点が一つの物語に押し込まれると論じた[4]。本稿では逆向きに、一枚の画像から始まった批判を構成要素へ分解する。目的は AI を擁護することでも、批判を弱めることでもない。成果物の誤り、企業の品質管理、制作工程の透明性、技術への評価、著作権、雇用といった別々の問題について、それぞれ何を根拠に判断できるのかを区別することである。


1. 文字が崩れた画像から、何が言えるのか

1.1 観察できる現象と評価は同じではない

最初に確認できるのは、商品パッケージ上の文字が正規の商品表示と違うという現象である。この判定には、画像を生成した手段についての情報は必要ない。公式の商品名やパッケージと公開画像を比較し、対応する文字列が一致していなければ、成果物として不整合がある。

ここでは原因と責任も分ける必要がある。文字が崩れた直接原因が生成処理にあったとしても、その画像が企業の公式な公開物として外部へ出た原因は、それだけでは説明できない。生成された画像をそのまま公開せず、商品名、ロゴ、価格、説明文などを正規情報と照合する工程があれば、生成段階で生じた誤りを公開前に止められるからである。

つまり、仮に生成 AI が文字を誤って描いたとしても、「AI が誤った」という一段階だけでは公開事故の説明として不足する。生成または編集工程で誤りが生じ、それを検出する確認工程でも止められなかったため、外部から観察できる状態になった。生成技術の出力特性と、企業が公開物を承認する品質管理は別の層にある。

この区別は、AI を使った場合だけに必要なものではない。人間のデザイナーが商品名を誤記しても、画像編集ソフトで別商品のパッケージを貼り付けても、撮影後の加工で文字を欠損させても、公開物として誤っているという判定は変わらない。制作方法によって誤りの発生確率や種類は変わり得るが、外部公開物の正しさを確認する責任まで制作方法へ移るわけではない。

生成 AI が疑われると、この順序が逆転しやすい。文字の形が生成画像で見られる崩れ方に見えると、「AI を使ったらしい」という工程上の推測が先に立ち、そこから「AI だから品質が低い」「AI を使う企業は手を抜いている」「AI を使うこと自体が良くない」という評価へ進む。すると、本来は正規表示との照合だけで判定できた成果物の不備が、AI 全体を評価する議論へ拡張される。

ここで扱われている判断は少なくとも四つに分かれる。文字が間違っていることは成果物の品質に関する判断である。自社商品を正しく表示できていないことはブランド管理と公開前確認に関する判断である。AI を使うことが手抜きかどうかは制作工程、費用、作業配分に関する判断である。AI の利用を開示すべきかは、受け手の判断に必要な情報をどこまで提示するかという透明性の問題である。

さらに著作権や雇用まで議論するなら、必要な事実は一段と離れる。著作権については利用したモデルや素材、入力、出力と既存著作物との関係を確認する必要がある。雇用については、企業が従来どの仕事を誰へ発注し、AI 導入によって仕事量、報酬、必要技能がどう変わったかを見なければならない。パッケージ上の一文字が崩れているという観察だけでは、そこまでの因果関係は成立しない。

1.2 「AI」という一語が複数の論点を束ねる

同じ画像への批判でも、何を問題としているかによって確認対象は変わる。成果物の誤りを指摘するだけなら正規表示との比較で足りるが、制作姿勢、技術の信頼性、透明性、著作権、雇用まで評価対象を広げるほど、追加の事実が必要になる。

観察・主張 実際に確かめる対象 その判断が成立する条件
商品名の文字が崩れている 正規の商品表示と成果物が一致しているかを確かめる。 正規表示との比較によって差異を確認できれば、制作方法を特定しなくても成果物の不備として判断できる。
自社商品なのにおかしい ブランドを識別する名称やパッケージを発信主体が正確に扱っているかを確かめる。 発信主体が正規情報を確認できるにもかかわらず、不一致を検出しないまま公開したことが確認できる。
AI 利用は手抜きである 制作時間や費用の削減、担当者の配置、確認工程と、成果物の品質低下が実際に結びついているかを確かめる。 AI を利用したという事実だけでなく、必要な制作または確認工程を省略した事実が必要になる。
AI は信用できない 発生した失敗が、特定の生成方法、モデル、利用条件にどの程度再現するのかを確かめる。 一つの成果物の失敗を技術全体へ一般化できるだけの範囲と再現性が示される必要がある。
画像は本物なのか 画像が示している商品や料理と、実際の商品、調理結果、撮影対象との対応関係を確かめる。 画像のどの部分が撮影、生成、合成、補正されたのかが、受け手の判断に影響する範囲で確認できる。
AI 利用を表示すべきだ 何が生成・改変され、それによって受け手が商品や出来事を誤認する可能性があるかを確かめる。 制作手段の情報が、商品の性質や画像の証拠性について受け手の判断を変える場合に、表示の必要性が具体的な論点になる。
生成 AI には著作権上の問題がある 利用したモデル、入力、生成物、利用方法と既存著作物との具体的な関係を確かめる。 一般的な生成 AI への懸念ではなく、対象となる利用行為について権利上の問題を特定する必要がある。
人間に仕事を頼むべきだった 創造労働の雇用、発注、報酬、技能、創作主体を社会としてどう評価するかを考える。 成果物の正誤とは別に、企業が制作業務を誰へどのように配分すべきかという価値判断を提示する必要がある。

この表の各行は、同じ一枚の画像を見たときに生じ得る。しかし、必要な証拠も、判断主体も、成立条件も異なる。商品名の誤りは画像と公式情報を比較すれば確認できるが、手抜きだったかどうかは制作工程を知らなければ判断できない。著作権上の問題は具体的な利用関係を調べなければならず、人間へ発注すべきだったかどうかは事実認定だけでは決まらない。

「AI を使った」という一点を共通原因として置くと、この違いが見えなくなる。AI が文字を誤生成した可能性が高いという推測から、企業の品質管理が悪いという評価へ進むことには一定のつながりがある。生成物に誤りが含まれ得るなら、正規情報との照合を公開工程へ組み込む必要があるからである。しかし、そこから著作権侵害や雇用の是非まで進むには、新しい事実と別の評価基準が必要になる。

逆に、論点を分けることは批判を弱めることではない。自社商品の名称すら確認せずに公開したのであれば、「AI を使ったから駄目」とまとめるより、「正規情報を保有している企業が、外部公開物を正規情報と照合する工程で誤りを止められなかった」と指摘する方が、失敗箇所は具体的になる。この表現なら、次に改善すべき工程も決められる。生成 AI を禁止するのか、文字を含む領域だけ実素材へ置き換えるのか、公開前に商品マスターや公式画像との照合を行うのかという選択肢を比較できる。

一方、「AI だから駄目」というまとめ方では、何を直せば同じ失敗を防げるのかが定まらない。AI を使わなければ今回と同種の文字崩れは避けられるかもしれないが、人間による誤記、画像の取り違え、古いパッケージの使用まで防げるわけではない。公開物の正確性を目的とするなら、制作手段の選択だけでなく、正しい情報との照合をどこで行い、誰が公開を承認するかまで設計する必要がある。

一枚の画像から最初に問えるのは、AI への賛否ではなく、成果物のどこが正規情報と食い違い、その誤りがどの確認工程を通過したのかである。AI を利用した事実が確認された場合でも、それは批判の終点ではなく、どの工程でどの種類の失敗が起きたのかを特定するための一つの条件にすぎない。


2. 文字が崩れたことは、まず成果物の品質問題である

2.1 画像の中で文字を正確に描くこと自体が技術課題だった

生成画像における文字崩れは、単に「AI は文字が苦手らしい」という経験則だけで知られてきた現象ではない。画像生成モデルにとって、物体の形や色、構図をそれらしく再現することと、指定された文字列を一文字ずつ正しい順序で描くことは異なる課題である。前者では画像全体としてもっともらしい視覚的特徴を作れればよいが、後者では文字の種類、順序、位置まで離散的に一致させなければならない。

2023 年の ACL 論文では、文字を構成する文字単位の情報を直接扱えるモデルが、そうでないモデルより画像内の綴りを正確に描けることが示され、珍しい単語では従来手法に対して 30 ポイント以上の精度向上が報告された[5]。これは、画像内文字の誤りが単なる画質不足ではなく、モデルが文字列をどのような表現単位で扱うかに関係することを示している。

同年の NeurIPS で発表された TextDiffuser も、画像内文字の配置と描画を独立した課題として扱い、文字描画品質を評価するためのデータセットを用意している[6]。画像生成全体の品質が高くなったとしても、文字について別の評価方法が必要になるのは、見た目の自然さと文字列の正確さが同じ尺度では測れないためである。料理がおいしそうに見え、皿や背景が自然に描かれていても、商品名が一文字違えば、その部分については正しい成果物とは言えない。

商品広告に近い条件では、この分離はさらに明確になる。2025 年の CVPR で発表された PosterMaker は、商品ポスター生成において「商品を忠実に保つこと」と「文字を正確に描くこと」を別々の要求として扱い、文字描画精度を明示的に改善している[7]。商品の外観を似せる処理と、広告に含まれる文字列を正しく保持する処理を分けて考えている点に意味がある。

この構造は、実際の商品画像を扱う場合にそのまま品質管理上の問題になる。商品写真の一部にパッケージ文字が含まれているとき、画像全体を自然に生成できたとしても、商品名まで自動的に正しく保存されるとは限らない。しかも企業広告では、その文字列は単なる背景模様ではない。商品を識別する名称であり、企業自身が正解を保持している情報である。

そのため、生成モデルに文字列保存の失敗条件が存在すると分かっているなら、運用側ではその性質を前提に工程を設計する必要がある。生成結果をそのまま完成品とみなすのではなく、商品名やロゴの部分を実素材へ差し替える、正規の商品画像を合成する、公開前に商品マスターと照合するといった処理が必要になる。モデル側の弱点が直接原因だとしても、それが公開物の誤りになるかどうかは、その後段に検出と修正の工程が存在するかによって変わる。

したがって、文字崩れが生成 AI に特有の技術課題であることと、公開された画像の文字が間違っていてよいことは両立しない。むしろ逆である。既知の失敗条件であれば、利用者側はその条件を織り込んで制作工程を組むことができる。技術的制約を知っていたかどうかは原因分析の対象になるが、最終成果物に正しい商品名を表示するという品質基準そのものは変わらない。

2.2 AI を使ったか分からなくても誤りは判定できる

この区別から、成果物を評価するための基準を先に置くことができる。正しい商品名が決まっている場面では、公開画像に記された文字列がそれと違えば誤りである。この判定に、生成 AI を使ったという事実の確定は必要ない。

たとえば、人間が画像編集ソフトで一文字を消した場合、別商品のパッケージを誤って配置した場合、撮影した画像へ古いロゴを重ねた場合でも、正規の商品表示との不一致という結果は同じである。原因はそれぞれ違うが、成果物について適用する品質基準は変わらない。制作手段は「なぜ誤ったのか」を調べる情報であり、「誤っているか」を決める唯一の条件ではない。

これは、評価の順序として重要である。最初に「AI を使ったか」を判定条件にすると、AI の関与を証明できない限り品質問題まで保留することになる。しかし商品名、ロゴ、価格、容量、注意書きのように正解が企業側に存在する項目では、先に外部の基準と照合できる。商品名が一致しているか、価格表示が正しいか、容量が現行商品と対応しているかという検査は、画像がどのような制作手段で作られたかとは独立して実施できる。

既稿では、生成が容易になっても、生成された主張の検証は主張ごとに外部資料へ戻る必要があり、生成量と検証量は対称ではないと整理した[8]。画像制作でも、生成工程を高速化できることと、検証工程を同じ割合で省略できることは別である。画像を短時間で大量に作れるようになれば、むしろ商品名や価格など確認対象の総数は増え得る。

ただし、ここで焦点にしているのは「AI を使った企業には特別に重い検証責任がある」という主張ではない。正解が外部に存在する要素については、制作手段にかかわらず、その正解との一致を確認できるということである。人間が制作した広告でも商品名の確認は必要であり、生成 AI を使った広告でも同じ基準が適用される。

生成 AI が加わることで変わるのは、品質基準ではなく失敗の分布である。人間による制作では起こりにくかった文字の変形や、見た目には文字らしいが実際には存在しない文字列が生じるのであれば、その種類の誤りを検査対象へ追加する必要がある。つまり新しい技術を導入したことで、新しい失敗条件が増えることはある。しかし、それは「AI を使ったこと」が直ちに品質不良を意味するのではなく、利用する技術に応じて検査項目を変更しなければならないという運用上の帰結である。

この順序で考えれば、「AI を使ったから駄目」という評価を置かなくても、今回のような文字崩れは十分に批判できる。正しい商品名が企業自身によって確定しており、公開画像ではそれと異なる文字が表示されていた。その差異を公開前に検出できる基準も存在していた。まず問われるべきなのは、制作手段への賛否ではなく、その明確な品質基準を公開工程で満たせなかったことである。


3. 自社商品の文字が崩れると、ブランドの論点が加わる

3.1 同じ誤字でも発信主体によって意味が変わる

文字列の正誤だけを判定するなら、第三者が作った画像でも、ブランドを所有する企業自身が作った画像でも基準は同じである。正規の商品名と異なる文字が表示されていれば、それは成果物としての誤りである。しかし、同じ誤りでも、誰が発信したかによって追加される論点は変わる。

第三者が商品名を誤記した場合、まず問われるのは、その第三者が正しい情報を確認したかどうかである。一方、企業自身が自社商品の名称を誤って公開した場合、その企業は正規の商品名、ロゴ、パッケージ画像、商品仕様を管理する主体でもある。つまり、正解となる情報を外部から探さなければならない立場ではなく、自ら保有し、通常は管理している立場にある。

この違いによって、単純な誤字にブランド管理の問題が加わる。商品名やブランド名は、広告画像を飾るための文字ではない。消費者が商品を他の商品から識別し、過去に見た広告、購入経験、味や品質についての記憶と結びつけるための識別子として機能する。パッケージ上の名称やロゴが継続して同じ形で使われるのも、その対応関係を保つためである。

Keller は顧客側から見たブランド価値を、ブランドについての知識がマーケティングへの反応を変える構造として整理し、そのブランド知識をブランド認知とブランドイメージから捉えている[9]。この枠組みに照らせば、名称やパッケージの一貫性は単なる美観の問題ではない。消費者が「これはあの商品である」と認識するための手掛かりの一部である。

そのため、自社商品の名称やパッケージが崩れた状態で公式発信されると、二種類の不整合が同時に生じる。一つは、正規の商品情報と公開画像が一致していないという成果物上の不整合である。もう一つは、ブランドを管理する主体自身の発信物と、その主体が管理しているはずのブランド情報が一致していないという管理上の不整合である。

後者は、第三者による誤記には必ずしも存在しない。第三者が誤れば「正しい商品名を確認しなかった」という失敗で済む場合があるが、ブランド所有者が誤れば、正規情報を管理する系統と外部へ公開する系統の間で照合が機能しなかったことになる。つまり、問題の所在が画像制作担当者一人の入力ミスだけではなく、ブランド情報を公開物へ反映する工程全体へ広がる。

生成 AI が関与していた場合でも、この構造は変わらない。モデルが文字を変形させたことが直接原因だったとしても、企業側には正規の商品画像や名称が存在する。生成結果とそれらを比較できる以上、ブランド所有者として問われるのは、AI が間違えたことだけではなく、その間違いを自社の正規情報との照合で止められなかったことである。

3.2 「愛がない」という感想を、管理上の論点へ戻す

自社商品の表記ミスを見ると、「商品への愛がない」「自社商品を大切にしていない」と感じることがある。この反応が生じる理由は理解できる。自社の商品名であれば当然知っているはずだという期待があり、その期待と公開物の誤りとの落差が、企業の姿勢そのものへの評価につながるからである。

しかし、公開された画像だけから、担当者が商品をどの程度好きだったのか、社員がブランドへどの程度愛着を持っているのか、企業文化がどのようなものなのかまでは確認できない。一件の表記ミスを、組織内部の感情や文化の証拠として扱えば、成果物から観察できる範囲を越える。

ここでは「愛があるか」を測る代わりに、企業が実際に管理できる項目へ戻した方がよい。正式な商品名が定義されているか。正規のロゴや商品画像が管理されているか。制作物がそれらと照合されているか。公開前にブランドを識別する要素を確認する担当者がいるか。誤りを発見した場合に差し戻せる承認工程があるか。これらは感情を推測しなくても確認可能な管理上の問いである。

たとえば、広告画像を外部の制作会社へ依頼した場合でも、最終成果物の商品名をブランド所有者が確認する工程を設けることはできる。生成 AI を用いた場合なら、画像内文字が変形し得るという失敗条件を踏まえ、商品パッケージ部分には正規素材を使用する、生成部分と実素材を分離する、公開前に商品マスターとの照合を必須にするといった対策を取れる。制作主体や制作手段が変わっても、ブランド情報を正規状態で維持するための統制は設計できる。

このように整理すると、「自社商品なのに間違えている」という違和感の中身を、担当者の愛情ではなく、ブランド所有者としての管理能力へ置き換えられる。批判の対象は「商品を好きではなかったのではないか」という推測ではなく、「正解を管理している主体が、その正解と公開物との不一致を止められなかった」という具体的な失敗になる。

この差は、改善可能性にも影響する。「愛を持って仕事をするべきだ」という要求では、何を変更すれば再発を防げるかを定義しにくい。一方、正規の商品情報との照合が不足していたと捉えれば、チェック対象、承認者、使用素材、公開手順を変更できる。ブランド管理として必要なのは、担当者の内面を推測することではなく、誰が制作しても、どの道具を使っても、企業自身の識別情報が崩れた状態では公開されない仕組みを持つことである。


4. AI を使ったことは、手抜きを意味するのか

4.1 制作費を下げたことと、品質を下げたことは別である

AI を使ったと分かった瞬間に、「人に頼む費用を惜しんだ」「手間を省いた」という評価が加わることがある。ここでは、議論の対象が成果物の正誤から、制作工程に投入された費用、時間、人員、技能へ移っている。画像に誤りがあるという事実と、その誤りがコスト削減の結果として生じたという判断は、同じではない。

この二つを結びつけるためには、少なくとも制作工程について追加の情報が必要になる。従来は人間が行っていた作業を生成 AI に置き換えたのか。制作時間や外注費は実際に減ったのか。その際に校正、ブランド確認、最終承認といった工程まで削減されたのか。単に生成 AI を利用したという事実だけでは、どの工程でどれだけコストを削減し、それが品質へどう影響したかまでは分からない。

広告研究では、消費者が広告に投入された費用を、ブランド品質を推測する手掛かりとして利用する場合がある。Kirmani は、知覚された広告コストがブランド評価へ影響し、その効果が広告内容の情報量や消費者の関与度によって変わることを示している[10]。広告に相応の資源を投入しているように見えることが、「この企業は自社商品に投資している」「品質にも自信があるはずだ」という推測につながる場合がある。

ただし、この研究自体は生成 AI や広告制作費の削減を直接扱ったものではない。ここで参照できるのは、受け手が知覚した制作コストをブランド評価の手掛かりにする場合があるという点までである。

生成 AI は、この推測を崩しやすい。従来なら撮影、デザイン、レタッチ、コピー作成などに複数の人員や時間を必要とした工程の一部を短縮できるため、「安く作ったのではないか」という印象が生じやすいからである。しかし、ここでも低コスト化と品質低下は分ける必要がある。制作費を半分にしても、商品名、ロゴ、構図、説明内容が正確で、目的を満たす成果物が得られるなら、それは単に生産性が上がったことを意味する。

反対に、費用や時間を削った結果として、正規の商品画像との照合、文字確認、法務確認、ブランド承認など必要な工程まで省かれ、その結果として誤った成果物が公開されたのであれば、そこで初めてコスト削減と品質低下の因果関係を論じられる。問題なのは、安く作ったことそれ自体ではなく、必要な品質を維持するための工程まで削減したかどうかである。

この違いは、同じ生成 AI 利用でも評価を分ける。一つは、生成 AI によって制作時間を短縮しつつ、文字やブランド情報は正規素材へ差し替え、従来と同等以上の確認工程を残す使い方である。もう一つは、生成結果をほぼそのまま完成品として扱い、目視確認や正規情報との照合まで省く使い方である。両者をまとめて「AI を使った手抜き」と呼ぶと、どの工程設計が問題だったのかを区別できなくなる。

4.2 同じ画像でも「AI が作った」と知るだけで評価は変わる

さらに、成果物そのものの品質とは別に、誰が作ったと認識されるかが評価へ影響する。AI 生成であると知ったあとに評価が下がったとしても、それが必ずしも画像の視覚的品質を再評価した結果とは限らない。

Bellaiche らは、作品について「人間が作った」「AI が作った」という異なる情報を与えて評価させ、人間制作とされた作品の方が好まれる傾向を報告した。また、人間が作ったと認識された作品では、物語性や知覚された努力が高く評価され、それが選好と関係していた[11]。ここでは、鑑賞者が見ている画像だけでなく、その背後にどのような制作主体や制作過程を想定するかが評価へ組み込まれている。

これは、同じ完成画像に対して少なくとも二種類の評価軸が存在することを意味する。一つは、構図、色、文字の正確さ、商品の見え方といった成果物そのものへの評価である。もう一つは、人間がどれだけ時間や技能を投入したのか、誰が創作主体なのかといった制作過程への評価である。

たとえば、同一の画像を見ている二人が、片方は「人間のデザイナーが長時間かけて作った」と聞き、もう片方は「生成 AI で短時間に作った」と聞けば、完成画像の画素は変わらなくても評価が変わり得る。その差は、画像の品質差ではなく、制作主体、努力、創作行為に対する価値判断から生じている。

この点を区別しないと、「AI だから評価が低い」という現象を、そのまま「AI の生成物は品質が低い」という命題へ読み替えてしまう。前者は制作主体についての情報が人間の評価を変えるという心理的な現象であり、後者は生成物自体の品質についての比較命題である。両者を証明するために必要な実験もデータも異なる。

今回のような商品画像でも、この区別は必要になる。文字が崩れているなら、その部分は制作主体の情報を知らなくても品質上の誤りとして批判できる。一方、「AI を使ったと知って企業への印象が悪くなった」という反応には、成果物の不備だけでなく、制作への努力、雇用、人間の創作価値といった別の評価が含まれている可能性がある。

4.3 省力化には利益も損失もあり得る

AI 利用を手抜きと同一視できないもう一つの理由は、省力化によって投入労働が減っても、成果が必ずしも悪化するとは限らないことである。作業時間、処理件数、個々の成果物の品質、組織全体の多様性は、それぞれ別の指標であり、一つが改善したから他も同じ方向へ動くとは限らない。

Brynjolfsson、Li、Raymond は、顧客対応業務で生成 AI 支援を利用した場合を調べ、平均的に生産性が上昇し、とくに経験の少ない労働者で効果が大きいことを報告した[12]。この場合、AI によって一件あたりの処理時間や必要な探索作業が減ったとしても、それだけで「手抜きによってサービス品質を落とした」とは言えない。少ない時間で同等以上の成果を出せるなら、省力化はそのまま生産性向上になる。

一方、創造的な仕事では別の損失が現れる場合がある。Doshi と Hauser は短編物語の実験で、生成 AI の支援を受けた個々の作品が、より創造的で書き上がりも良いと評価される一方、作品群全体では内容の類似性が高まり、多様性が低下することを示した[13]。一作品だけを評価すれば改善していても、多数の作品を並べると似た発想へ収束するということである。

この結果は、「AI を使うと品質が上がる」と単純化することも、「AI を使うと創造性が失われる」と単純化することもできない。個別成果物の完成度、制作時間、必要技能、作品群の多様性という複数の指標が、それぞれ異なる方向へ動く可能性があるからである。

広告制作でも、個々の成果物の完成度と、複数案を並べたときの多様性は別々に評価する必要がある。生成 AI によって試作画像を短時間で大量に作れるようになれば、担当者はより多くの案を比較できるかもしれない。さらに生成枚数が増えれば、商品名やロゴを確認すべき箇所も増えるため、生成工程の高速化だけで全体の確認コストまで比例して下がるとは限らない。

そのため、「手抜き」という言葉では、何を減らし、何を維持し、何を失ったのかを区別できない。制作時間を減らしたのか、外注費を減らしたのか、人間の作業量を減らしたのか、確認工程を減らしたのか。その結果として、正確性が下がったのか、個々の成果物は改善したのか、表現の多様性が失われたのか。それぞれを別々に測る必要がある。

この章で区別すべきなのは、効率化と品質低下である。AI を利用して制作コストや時間を減らすこと自体は、企業活動として不自然ではない。批判の根拠になるのは、その省力化によって本来維持すべき正確性、ブランド管理、確認工程まで削られた場合である。今回のように自社商品の文字が崩れたのであれば、「AI を使ったから手抜きだ」と推測するより、どの工程を省いたために正規の商品名との不一致を止められなかったのかを問う方が、失敗の構造を具体的に捉えられる。


5. 一つの失敗から「AI は駄目だ」まで広げられるのか

5.1 失敗を見た後にアルゴリズムを避けることがある

文字崩れのように、見た瞬間に分かる失敗があると、評価の対象は個別の画像から制作手段へ、さらに AI という技術全体へ広がりやすい。「この画像の商品名が間違っている」という判断と、「生成 AI は広告制作に向いていない」という判断、さらに「AI は信用できない」という判断は射程が異なるが、実際の反応では連続して語られることがある。

この広がり方を考える手掛かりとして、意思決定研究で報告されてきた「アルゴリズム忌避」がある。Dietvorst、Simmons、Massey は、人間より総合的に優れた予測を行うアルゴリズムであっても、そのアルゴリズムが誤るところを見た参加者は、その後アルゴリズムを利用しにくくなることを報告した[14]。性能を平均的な成績だけで評価するのではなく、目の前で確認した一回の失敗が、その後の選択へ強く影響する場合がある。

ここでは二つの段階がある。まず、アルゴリズムが誤る場面を直接見ることで、「この仕組みも間違える」という情報が具体的に可視化される。次に、その失敗が個別事例として処理されず、「この仕組みを使うこと自体が危険ではないか」という利用判断へ波及する。平均的な性能が高いことと、失敗を見た後にも使いたいと感じることは同じではない。

商品画像の文字崩れも、失敗が目立つという点では似た構造を持つ。料理や背景が自然に描かれていても、自社商品の名称が意味をなさない文字列になっていれば、その一点は容易に発見できる。しかも商品名には正解があるため、「好みの違い」ではなく明確な誤りとして認識される。この可視性の高さが、画像全体の評価だけでなく、生成 AI を利用した制作方法への不信へつながる可能性はある。

ただし、Dietvorst らの研究だけから、今回のような画像への反応を説明したことにはならない。研究対象は予測課題におけるアルゴリズム利用であり、広告画像や創作物の鑑賞ではない。予測では数値的な正確さが中心になるが、広告や創作物では正確性に加えて、美しさ、ブランドとの整合性、制作主体、努力、真正性など複数の評価軸が入る。

そのため、この研究から直接導けるのは、「生成 AI の文字崩れを見れば人は AI を嫌う」という結論ではない。一つの明確な失敗が、個別の結果だけでなく、その背後にある仕組みを今後利用するかどうかの判断へ影響する場合がある、という補助線までである。

さらに、技術全体への評価を妥当なものにするには、別の確認が必要になる。文字崩れがどのモデルでも同程度に起きるのか、特定の生成方法や条件で起きやすいのか、正規素材の合成や後処理で回避できるのか、現在のモデルでも同じ失敗率なのかを区別しなければならない。一件の失敗は「この成果物には問題があった」ことを示せても、「この技術を使えば常に同種の問題が起きる」ことまでは証明しない。

5.2 人は常にアルゴリズムを嫌うわけでもない

アルゴリズムに対する人間の態度は、一方向に固定されているわけでもない。失敗を見た後に避ける現象がある一方で、人間よりアルゴリズムの判断を重く見る条件も報告されている。

Logg、Minson、Moore は、一定の条件では、人間による助言よりアルゴリズムによる助言を重く利用する「アルゴリズム選好」を報告した[15]。したがって、「人間は本質的にアルゴリズムを嫌う」とまとめることもできない。誰が判断したかだけでなく、どのような課題で、どのような性能情報が与えられ、利用者が何を期待しているかによって態度は変わる。

Castelo、Bos、Lehmann は、この違いを課題の性質から調べ、主観的だと認識される課題ではアルゴリズムが避けられやすく、客観的だと認識される課題では受け入れられやすいことを示した[16]。同じアルゴリズムであっても、「数値を計算する」「正解を予測する」といった課題と、「好みに合うものを選ぶ」「創造的な表現を作る」といった課題では、人間が期待する役割が異なる。

広告画像は、この区分を一つに固定しにくい対象である。商品名が正しいか、容量が合っているか、ロゴが正規のものかという項目には明確な正解がある。一方、料理がおいしそうに見えるか、ブランドらしい雰囲気があるか、表現として魅力的かという評価には主観が入る。同じ一枚の画像の中に、客観的に検証できる部分と、受け手の判断に依存する部分が共存している。

この混在が、「AI だから嫌われた」という説明を難しくする。商品名が崩れていることへの批判は、AI への好悪を持ち込まなくても成立する。正規の商品名と異なるという客観的な不一致があるからである。一方、「人間が撮影した写真の方が温かみを感じる」「AI で作った広告には価値を感じにくい」といった反応は、制作主体や創作過程を含む主観的評価である。

さらに、第 4 章で見たように、同じ画像でも「AI が作った」と知らされることで評価が変わる場合がある。すると、観察された低評価には少なくとも三つの経路が考えられる。第一に、文字崩れのような成果物そのものの欠陥によって評価が下がる。第二に、その欠陥を生成 AI の既知の弱点と結びつけ、技術への信頼が下がる。第三に、成果物の品質とは別に、AI を制作主体として用いたこと自体への価値判断が加わる。

この三つをまとめて「AI が嫌われている」と表現すると、改善策も曖昧になる。第一の問題なら、文字確認や正規素材への差し替えによって対処できる。第二の問題なら、どの条件でどの程度失敗するのかを示し、利用範囲や検証方法を設計する必要がある。第三の問題は、技術性能だけでは解消できず、企業がどこまで AI を利用するか、利用をどのように説明するかという社会的な選択になる。

一つの失敗から一般化すること自体が常に誤りなのではない。新しい技術で同じ種類の失敗が繰り返し起こり、運用上も回避しにくいのであれば、その技術の適用範囲を狭める判断には根拠がある。しかし、その判断には再現性、発生条件、代替手段、検出可能性といった追加情報が必要になる。今回の画像から直接言える「商品名が崩れている」という命題と、「生成 AI は企業広告に使うべきではない」という一般命題の間には、それだけの検証段階が存在する。

個別の失敗を正確に批判することと、技術全体を無条件に擁護することは対立しない。むしろ、どこまでの一般化を証拠が支えているかを分けなければ、生成 AI に固有の弱点まで曖昧になる。一枚の画像で文字が崩れたなら、その失敗は明確に指摘できる。その事実を AI 全体の評価へ広げるなら、次に必要なのは感想の強さではなく、同じ失敗がどの条件で、どの程度、どこまで回避可能なのかという追加の根拠である。


6. 実写、加工、生成では、現実との距離が違う

6.1 「AI を使ったか」より、何を変えたかを見る

画像に AI を使ったという情報だけでは、その画像が現実をどの程度そのまま示しているのかは判断できない。写真の明るさを調整する。背景から不要物を除く。背景そのものを生成する。商品のラベルを書き換える。料理の量を増やす。撮影していない料理そのものを生成する。いずれもデジタル処理を含み得るが、画像が受け手に伝える事実をどこまで変更するかは大きく異なる。

この違いを考えるには、制作手段ではなく、変更された対象を分ける必要がある。画像の色調を補正しても、そこに写っていた商品や料理の種類、量、形状が変わらないなら、主として見え方を変更したことになる。背景の壁や机を置き換えた場合も、商品の内容そのものを変更していなければ、商品について画像が伝える情報への影響は限定される。

一方、商品の大きさを実物より大きくする、料理の具材や量を増やす、パッケージ上の容量表示を書き換えるといった加工では、画像が示す対象そのものの属性が変わる。さらに、実際には撮影していない商品や料理を生成した場合には、「撮影時にそこに存在したものを記録した画像」という写真が通常持つ関係自体がなくなる。見た目が自然かどうかとは別に、画像と現実との対応関係が一段ずつ変化する。

そのため、「実写か AI 生成か」という二分法だけでは粗すぎる。実写でも、商品を大きく見せる加工を加えれば実物との対応は変わる。逆に、生成 AI を背景処理だけに使い、商品本体には実際に撮影した正規画像をそのまま使用することもできる。AI の使用有無と、商品の実態がどれだけ保持されているかは別の軸である。

たとえば、料理の後ろにある壁だけを生成画像へ置き換えたとしても、皿の上の料理が実際に撮影されたものであり、その量や構成を変更していなければ、「この料理が存在した」という理解への影響は小さい。一方、肉を追加して実物より多く見せれば、消費者が商品の量について受け取る情報が変わる。パッケージの文字を変えれば、商品名、容量、原材料表示など、商品を識別する情報そのものが変わり得る。

ここで見るべきなのは、画像処理の技術名ではなく、変更された部分が受け手の判断にどのような役割を持つかである。背景、照明、構図のように演出として理解されやすい部分を変更したのか。商品の量、形、名称、性能を示す部分を変更したのか。あるいは、商品そのものを生成したのか。この区別によって、同じ「AI を使った画像」でも、現実との距離は大きく異なる。

この考え方を使えば、「AI 画像だから本物ではない」という一括した評価も避けられる。本物か偽物かを画像全体に対して一度に決めるのではなく、どの要素が実物に由来し、どの要素が加工または生成され、それによって受け手が何を誤認し得るのかを見る。商品広告で問われるのは、制作工程の純粋さではなく、画像が商品についてどのような事実を伝えているかである。

6.2 広告規制も表示内容と実物の関係を見る

この区別は、広告表示を評価するときの考え方とも対応する。日本の景品表示法における優良誤認表示の規制は、広告制作に AI を使ったか、写真加工ソフトを使ったかという制作手段そのものを基準にするものではない。消費者庁は、商品やサービスの品質、規格その他の内容について、実際のものより著しく優良であると示す表示などを規制対象として説明している[17]

この枠組みで中心になるのは、広告がどのような方法で制作されたかではなく、表示された内容と実際の商品やサービスとの対応である。実写写真であっても、実物より内容量が多く見えるように加工し、それによって商品の実態について誤った認識を与えるのであれば、制作手段が写真であること自体は評価を決めない。反対に、生成 AI を用いていたとしても、商品について伝える情報が実態と一致しているかどうかは別に検討できる。

また、表示の問題は、制作担当者が消費者を欺こうと考えていたかどうかだけでは決まらない。消費者庁は、故意に行った表示でなくても、表示内容が要件を満たせば規制対象となり得ると説明している[17]。この点でも、制作時の意図と、最終的に外部へ示された内容は分けて考える必要がある。

もちろん、ここから今回の画像が景品表示法に違反していると結論づけることはできない。どの表示が対象となり、実際の商品との間にどの程度の差があり、それが法的な要件を満たすかは、具体的な事実関係に基づいて別途判断する必要がある。本稿で参照しているのは、個別事案への法的評価ではなく、広告表示を考える際の評価軸である。

この評価軸を AI 画像へ当てはめると、確認すべき順序が明確になる。最初に「AI を使ったか」を問うのではなく、画像のどの部分が実物と異なるのかを見る。その差異が、単なる背景や色調の演出なのか、商品の種類、量、性能、名称、容量といった購買判断に関係する情報なのかを分ける。そのうえで、変更が受け手の商品理解をどの程度変えるかを考える。

この順序なら、実写、加工画像、生成画像を同じ基準上で比較できる。実写だから常に現実を忠実に示すとは限らず、生成画像だから常に商品について虚偽を伝えるとも限らない。画像と実物との距離を決めるのは、使用した道具の名称ではなく、何が変更され、その変更によって商品について伝えられる内容がどこまで変わったかである。

したがって、広告画像における AI 利用を評価する際には、「AI を使った」という事実を結論にするのではなく、そこから一段下りて具体的な変更箇所を見る必要がある。背景を生成したことと、実物より多い料理を生成したことは同じではない。商品名の文字を誤って変えたことと、撮影時の照明を補正したことも同じではない。制作技術ではなく、現実との対応関係がどこで変わったのかを特定して初めて、その画像が受け手に何を誤って伝え得るのかを評価できる。


7. 「AI を使ったなら表示すべき」も一つの規則では処理できない

7.1 AI 利用を二値にすると境界が曖昧になる

成果物の品質とは別に、生成 AI を使った事実そのものを受け手へ知らせるべきかという透明性の論点がある。「AI を使ったなら表示する」という規則は分かりやすい。しかし、現在の画像制作を「AI を使った」「使っていない」の二つだけに分けようとすると、どこからを表示対象にするのかという問題がすぐに生じる。

画像制作では、被写体の自動切り抜き、ノイズ除去、解像度の拡大、色調補正、不要物の除去、背景の補完、背景全体の生成、物体の追加、人物や商品の生成まで、機械学習を利用する処理が連続して存在する。撮影した商品写真のノイズを除去した画像と、商品そのものを生成した画像では、どちらも広い意味では AI を利用していても、現実との対応関係への影響は同じではない。

ここで「少しでも AI が関与したら AI 使用と表示する」という規則を採ると、商品そのものを生成した広告と、通常の画像補正に機械学習を使った広告が同じ表示になる。反対に、一定以上の生成だけを表示対象にするなら、今度は「一定以上」をどこで区切るのかを決めなければならない。利用技術だけを基準にすると、表示の境界を定めるために別の基準が必要になる。

第 6 章で見たように、受け手の判断へ直接影響するのは、AI が処理系のどこかに存在したことより、画像の何が現実から変更されたかである。背景だけを生成したのか。実在する商品の外観を変更したのか。料理の量を増やしたのか。存在しない料理そのものを生成したのか。これらを区別せず「AI 使用」という一つの表示へ圧縮すると、受け手は結局、画像のどこまでを現実の記録として扱ってよいのか分からない。

透明性の目的を、単に制作履歴を申告することではなく、受け手が画像を適切に解釈できる状態を作ることだと考えると、必要な情報も変わる。商品そのものが生成されているなら、その事実は商品の実在性を判断するために意味を持つ。料理の量や形が変更されているなら、実物との対応を判断するために意味を持つ。一方、ノイズ除去の内部で機械学習が利用されたという情報は、通常、それだけでは商品の内容についての判断を変えない。

日本の AI 事業者ガイドライン第 1.2 版も、AI を安全性、公平性、プライバシー保護、セキュリティ確保、透明性、アカウンタビリティなど複数の共通指針から扱っている[18]。透明性だけを取り出して、あらゆる AI 利用を一種類のラベルへ変換する仕組みではない。開発者、提供者、利用者という主体と、AI システム・サービスが使われる状況を踏まえて対応を考える構成になっている。

この考え方からも、透明性は「AI を使ったか」という履歴の開示だけでは完結しない。誰に対して、何を、なぜ知らせる必要があるのかを決めなければならない。商品の実態についての誤認を防ぐための表示と、AI システムと対話していることを知らせる表示と、生成コンテンツであることを機械的に識別できるようにする措置では、目的も受け手も異なる。

7.2 EU の透明性義務も、生成・操作内容を区別している

EU の AI Act 第 50 条は、この違いを制度上さらに細かく分けている[19]。規定されているのは、「AI を利用した場合はすべて同じ表示を付ける」という単一の義務ではない。AI システムを提供する者と利用する者、対話型システムと生成コンテンツ、機械による検出と人間への表示を分け、それぞれ異なる透明性義務を置いている。

たとえば、人と直接対話する AI システムについては、相手から見て AI との対話であることが明らかな場合などを除き、その事実を知らせることが求められる[19]。これは画像へのラベルではなく、人間が誰と、あるいは何と対話しているのかを誤認しないための透明性である。

一方、合成された音声、画像、映像、テキストを生成する AI システムの提供者には、出力を機械可読な形式でマーキングし、人工的に生成または操作されたことを検出できるようにする義務が置かれている[19]。ここで対象になっているのは、人間が画面上で読む「AI 使用」という表示だけではなく、コンテンツの来歴を技術的に識別可能にする仕組みである。

しかも、この義務にも境界がある。AI が通常の編集を補助する機能として働く場合や、入力されたデータまたはその意味内容を実質的に変更しない場合には、第 50 条 2 項の機械可読マーキング義務は適用されない[19]。つまり EU の制度自体が、AI が処理に関与したという一点だけではなく、その処理が入力内容をどの程度変更したかを区別している。

画像を見る人へ直接知らせる義務も、すべての AI 生成画像へ一律に課されているわけではない。AI によって生成または操作され、実在する人物、物体、場所、主体、出来事に似せることで本物または真実であるかのように見えるディープフェイクについては、利用者側に人工的に生成または操作されたことを開示する義務が置かれている[19]。明らかに芸術、創作、風刺、フィクションなどの作品である場合には、その表示方法についても作品の鑑賞を妨げない形が認められている。

ここでも制度が見ているのは、AI が一度でも使われたかという履歴だけではない。人が AI と対話していることを誤認する可能性、コンテンツが人工的に生成・操作されたことを後から検出する必要性、実在する対象について本物の記録だと誤認する可能性など、透明性によって防ごうとする問題ごとに義務が分かれている。

第 50 条の透明性義務は 2026 年 8 月 2 日から適用されており、欧州委員会は同年 7 月 20 日に、提供者と利用者のどちらにどの義務が及ぶのかを具体化するガイドラインを公表した[20]。ただし、2026 年 8 月 2 日より前に市場投入されたシステムについては、第 50 条 2 項の生成コンテンツのマーキングと検出可能性に限り、同年 12 月 2 日までの限定的な猶予が設けられている[19]

この制度設計は、「AI 使用」という一個のラベルでは透明性の目的を十分に表せないことを示している。機械が生成物を識別できることと、人間が目の前の画像を生成物だと知ることは別である。さらに、人間へ知らせる場合でも、対話相手が AI であることを知らせたいのか、実在する出来事の記録ではないことを知らせたいのかによって、必要な情報は変わる。

商品広告についても同じ順序で考えられる。背景生成に AI を利用したことを知らせる必要性と、実際には存在しない料理を商品写真として生成したことを知らせる必要性は同じではない。実物の商品を撮影したうえでノイズを除去した場合と、パッケージを含む商品全体を生成した場合も同じではない。受け手の商品理解に関係する部分が生成・変更されているほど、その違いを知る意味は大きくなる。

そのため、透明性について問うべきなのは「AI を使ったなら表示したか」だけではない。「何が生成されたのか」「何が実物から変更されたのか」「その違いを知らないことで、受け手は何を事実だと誤認し得るのか」を分ける必要がある。表示は AI 利用を告白するための印ではなく、受け手が画像と現実の関係を判断するための情報として設計されるべきである。


8. 著作権とクリエイターの仕事は、文字崩れとは別に論証が要る

8.1 著作権の論点には、利用方法についての別の事実が必要になる

生成 AI と著作権の関係は、文字崩れとは独立して検討すべき現実の論点である。文化庁は 2024 年 3 月に「AI と著作権に関する考え方について」を取りまとめ、AI の開発・学習段階と生成・利用段階を分けながら、著作権法との関係を整理している。その後も AI 開発者、サービス提供者、利用者、権利者など、それぞれの立場で取り得るリスク低減策を示している[21]

ただし、生成 AI に著作権上の論点が存在することと、目の前の生成物に著作権上の問題があることは別である。商品画像の文字が崩れているという事実だけから分かるのは、正規の商品表示と成果物が一致していないという品質上の不備である。その文字崩れ自体は、どの著作物が利用されたのか、どのような生成過程を経たのかを示していない。

著作権上の評価へ進むには、別の事実が必要になる。どの AI モデルやサービスを利用したのか。制作担当者が入力として画像や文章を与えたのか。その入力物についてどのような権利関係があったのか。生成された画像が既存著作物の創作的表現とどの程度共通しているのか。その画像を広告としてどのように利用したのか。少なくとも、こうした関係を個別に確認しなければ、具体的な権利問題の有無は判断できない。

ここでは原因となる事実の系統が違う。文字崩れは、正規の商品名と公開画像を比較すれば確認できる。一方、著作権上の問題は、制作に使われた入力、生成結果と既存著作物との関係、利用行為など、完成画像の表面的な誤字とは別の情報を調べなければならない。前者について証拠が十分だからといって、後者の証拠までそろうわけではない。

逆方向も成り立つ。商品名やロゴが完全に正しく描かれ、外見上は非の打ち所がない画像であっても、その制作過程や生成物と既存著作物との関係によっては、著作権について検討すべき事項が生じ得る。視覚的な完成度が高いことは、権利処理が適切であることの証明にはならない。

つまり、品質と権利は同じ成果物について同時に問題となることはあっても、一方が他方の証拠になる関係ではない。文字が崩れているから著作権上も問題がある、あるいは著作権上の懸念がある技術だから成果物の文字も信用できない、と連結すれば、異なる評価軸を一つの因果関係として扱うことになる。

この区別には実務上の意味もある。品質問題なら、正規の商品情報との照合、校正、承認工程によって対処する。著作権上のリスクなら、入力素材の権利確認、利用するサービスの条件確認、生成結果と既存著作物との類似性の確認など、別の管理が必要になる。「生成 AI に問題がある」という一語にまとめると、それぞれ異なるはずの予防策まで曖昧になる。

8.2 「人間に頼むべきだった」は創造労働の問いである

「AI ではなく、人間のデザイナーやカメラマンに仕事を頼むべきだった」という批判も、文字崩れとは別の根拠を必要とする。この主張が問題にしているのは、成果物が正しいかどうかだけではなく、企業が制作業務を誰に配分し、その仕事から生じる報酬や技能形成の機会を誰に与えるかという創造労働のあり方である。

生成 AI がメディア・文化産業へ与える影響について、ILO は 2025 年の報告で、雇用だけでなく、技能需要、労働条件、報酬、職務内容、創作上の主導権など複数の側面から整理している[22]。生成 AI の導入によって、一つの職業がそのまま消滅するという単純な構図だけではなく、従来は人間が担当していた作業の一部が自動化され、残る仕事や必要技能が再編される可能性まで考える必要がある。

たとえば、広告画像の制作で生成 AI が試作や背景制作を担えば、制作会社へ発注する作業量が減る可能性がある。その一方で、生成結果の選定、商品素材との合成、ブランド確認、修正、権利確認といった仕事が残ったり、新たに増えたりすることもある。ここで起きているのは、単純な「人間から AI への置換」だけではなく、制作工程のどこに人間の技能を配置するかという再編である。

この再編をどう評価するかは、品質だけでは決まらない。仮に生成 AI を利用することで制作費が下がり、完成画像の品質も従来と同等以上になったとしても、従来その仕事から収入を得ていたデザイナーやカメラマンへの発注が減ることはあり得る。企業にとって効率化であっても、労働者側から見れば仕事や技能形成の機会が縮小する場合がある。

さらに、創造労働では、誰が最終的な表現を決めるのかという問題も残る。人間の制作者が構図、光、色、商品の見せ方を一つずつ決定する場合と、生成モデルが大量の候補を出し、人間がそこから選択する場合では、人間が担う創作上の役割が変わる。最終成果物が同程度の品質であっても、制作過程における判断主体の配置は同じではない。

したがって、「人間に頼むべきだった」という主張を成立させるには、文字が崩れたという失敗だけでは足りない。人間への発注を維持することに、雇用、技能継承、創作主体、報酬配分などの観点からどのような価値を置くのかを示す必要がある。それは成果物の正誤を判定する品質基準ではなく、産業や社会としてどのような制作体制を選択するかという価値判断を含む。

この違いは、反対方向から見るとさらに明瞭になる。仮に AI で制作した画像が、商品名もロゴも正しく、写真としての品質にも問題がなかったとしても、「創造労働をどこまで自動化してよいのか」という問いは消えない。成果物の品質が高いことは、人間への仕事の配分について社会的な合意が成立したことを意味しない。

反対に、人間のデザイナーやカメラマンだけで制作した画像でも、商品名を誤記したり、実物と異なる表示を行ったりすれば、品質上の問題はそのまま残る。「人間が作った」という事実によって成果物の誤りが正当化されるわけではない。品質評価と創造労働への評価は、どちらか一方を選べば他方が不要になる関係ではない。

著作権、雇用、技能、創作主体はいずれも、生成 AI を社会へ導入するときに避けて通れない論点である。しかし、それらを文字崩れという一件の品質問題から自動的に導くことはできない。文字崩れには文字崩れの証拠があり、著作権には権利関係についての証拠があり、創造労働には仕事と報酬の配分についての事実と価値判断がある。それぞれを独立して論証することによって初めて、「AI を使ったから駄目」という一文の中に隠れていた批判のうち、どれが事実認定で、どれが制度上の問題で、どれが社会としての選択なのかを分けられる。


9. AI であることは、問題の名前ではない

一枚の画像で商品名の文字が崩れていたという事実から、本稿では少なくとも八つの論点を分離してきた。成果物の品質、ブランド管理、制作努力、技術への信頼、画像と現実との対応、透明性、著作権、創造労働である。いずれも生成 AI と関係する可能性はある。しかし、「AI が使われた」という一つの事実だけから、八つすべてについて同じ結論を導くことはできない。

違うのは論点の名前だけではない。それぞれで確認すべき事実、判断する主体、適用する基準、改善方法まで異なる。文字の正誤なら正規の商品情報と成果物を比較すればよい。ブランド管理なら、企業が保有する正規情報と公開工程がどのように接続されていたかを見る。著作権なら、入力、生成物、既存著作物、利用方法の関係を調べる。創造労働なら、仕事、報酬、技能、意思決定権がどのように再配分されたかを考える必要がある。

論点 判断の中心 追加して確認すべきこと
品質 正しい文字、形、数値、商品情報を保持できているか。 正規の商品情報と公開された成果物を比較する。
ブランド ブランドを識別する名称や視覚要素が正確に維持されているか。 正規のブランド情報と、制作・確認・承認工程との対応を確認する。
制作努力 省力化によって何を減らし、何を維持し、何を失ったか。 制作費、作業時間、人員、確認工程と成果物の品質を分けて確認する。
技術への信頼 個別の失敗をどの範囲まで技術一般へ広げられるか。 失敗の再現性、発生条件、モデル差、回避方法、比較対象を確認する。
真正性 画像が示す商品や出来事と、現実の対象がどのように対応しているか。 何が撮影され、何が加工され、何が生成されたのかを分ける。
透明性 生成・改変について知らないことが、受け手の判断を変えるか。 生成・操作された対象と、それが商品理解や真正性の判断へ与える影響を確認する。
著作権 入力、生成物、既存著作物、利用行為が権利とどう関係するか。 具体的なモデル、素材、入力、出力、利用方法について事実認定する。
創造労働 雇用、報酬、技能、創作上の意思決定権をどう配分するか。 AI 導入前後で仕事の内容と配分がどう変化したかを確認する。

八つの論点はいずれも、AI 利用だけでは結論できない。これは AI が評価不能な技術だからではない。評価対象を具体化すれば、それぞれについてかなり明確な判断ができる。「AI を使った」という情報は原因分析の入口にはなっても、それ自体が品質、権利、透明性、労働といった問題の結論にはならない。

たとえば、今回のように商品名が崩れているなら、正規の商品名との比較だけで成果物の誤りを指摘できる。さらに企業自身の商品であれば、正解となる情報を保有している主体が、公開前の照合でその誤りを止められなかったというブランド管理上の問題まで進める。ここまでは、AI に対する好悪を持ち込まなくても論証できる。

そこから「生成 AI は文字を正確に扱えない」と一般化するなら、どのモデル、どの条件、どの程度の頻度で失敗するのかという追加の検証が必要になる。「AI で作った画像だから表示すべきだ」と主張するなら、何が生成または改変され、それを知らないことが受け手の商品理解をどう変えるのかを示す必要がある。「著作権上問題がある」と主張するなら、利用された素材や生成物と権利との具体的な関係を示さなければならない。

この順序を守ると、AI に対する批判は弱くなるどころか、対象が明確になる。「AI だから駄目」という表現では、企業が次に何を改善すればよいのかが分からない。生成 AI を全面的に禁止するのか、商品部分だけ正規素材を使うのか、文字を含む箇所を検査するのか、公開前のブランド承認を追加するのか、生成・改変範囲を表示するのかでは、対策がまったく違うからである。

原因を具体化すれば、失敗条件と対策を対応させられる。文字生成の精度が問題なら、文字部分を生成させない設計にできる。正規情報との照合不足が問題なら、商品マスターや公式素材との確認工程を追加できる。実物と異なる表現が問題なら、商品のどの属性を加工してよいかという制作基準を定められる。透明性が問題なら、受け手の判断に影響する生成・改変内容を開示対象として設計できる。

反対に、「AI」という分類だけで原因と対策を決めると、AI を使わない制作工程に残る同種の失敗を取り逃がす。人間が商品名を誤記することもある。画像編集で実物より料理を大きく見せることもできる。権利処理を誤ることも、確認工程を省略することも、生成 AI がなくても起こる。問題を技術名だけで定義すると、その技術を除外した時点で管理が完了したように見えてしまう。

もちろん、AI であることが無関係なのではない。生成 AI には、文字列をそれらしく崩して描く、実在しない細部を自然に補う、大量の候補を短時間で生成するといった、人間による従来の制作とは異なる失敗条件や運用上の特徴がある。その特徴によって新しい検査項目や表示方法が必要になる場合もある。問うべきなのは「AI だから問題か」ではなく、「AI を工程へ入れたことで、従来と比べてどの失敗条件が増え、どの管理を追加する必要が生じたか」である。

一枚の画像に対して「AI を使ったから駄目だ」と言えば、品質への不満、企業への失望、技術への不信、創作者への配慮、権利への懸念を一度に表現できる。その簡潔さの代わりに、それぞれの批判が何を根拠としているのかは見えなくなる。本稿で行ってきたのは、その一文を八つの問いへ戻し、それぞれに必要な証拠と判断基準を置き直すことである。

AI であることは、問題の名前ではない。それは、どの工程で何が変わったのかを調べるための一つの条件である。AI を使ったことで何が壊れ、何が変わり、誰の判断や権利にどのような影響が生じ、その結果どの基準を満たせなくなったのか。そこまで特定して初めて、「AI を使ったから駄目」という反応は、再発防止や制度設計につながる批判になる。


参考文献

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