量子重ね合わせは「二つある」だけではない

オックスフォード大学の研究チームは、捕捉した 1 個のストロンチウム 88 イオンの運動を使い、スクイーズ状態、三次スクイーズ状態、四次スクイーズ状態など、それ自体が非古典的な構造を持つ量子状態の重ね合わせを生成した。2026 年に Physical Review X へ掲載された原著論文では、構成要素の種類を変えるだけでなく、それぞれの強さ、位相空間上の向き、重ね合わせに含まれる割合、相対位相、構成要素間の距離まで調整している。さらに、生成後の運動状態を再構成し、複数の構成要素が確率的に混在しているのではなく、位相関係を保ったまま干渉する一つの量子状態になっていることを確認した[1]

オックスフォード大学は、この成果を「新しい種類のシュレーディンガーの猫状態」と紹介している[2]。この説明は、互いに区別できる状態を同時に含むという実験の外形を伝えるには分かりやすい。しかし、従来の代表的な猫状態と今回の状態との差は、猫状態の種類が一つ増えたことには収まらない。従来型の構成要素は、量子調和振動子の中では古典的な運動に比較的近いコヒーレント状態である。今回使われた構成要素は、量子揺らぎの配分、占有するエネルギー準位、位相空間上の対称性が異なる。構成要素の内部構造が変わった結果、重ね合わせ全体に現れる干渉の形も変わり、さらに、その違いを実験条件として選択できるようになった。

シュレーディンガーが 1935 年に示した猫は、量子力学の記述を巨視的な対象へそのまま延長したとき、日常的な経験と整合しにくい状態が生じることを示す思考実験だった[3]。今回、箱の中の猫や肉眼で見える物体が、生と死の重ね合わせになったわけではない。実験対象は、電磁場で閉じ込めた単一イオンの軸方向の振動である。この運動は量子調和振動子として振る舞い、異なる運動状態を量子的に組み合わせられる。「猫状態」という呼び名は対象の大きさを表しているのではなく、互いに区別できる複数の状態が、古典的な確率混合ではなく、相対位相を持つ一つの状態として共存している構造を表している。

量子重ね合わせを「二つの状態が同時にある」とだけ説明すると、二つのコヒーレント状態を重ねた従来型の猫状態も、異なる高次スクイーズ状態を組み合わせた今回の状態も、同じ形式に見える。だが、状態の物理的性質を決めるのは、構成要素の数だけではない。第一に、各構成要素がどのエネルギー準位から成り、どの方向に量子揺らぎを持つかが、個々の状態の形を決める。第二に、それらをどの振幅と位相で結ぶかが、全体の干渉構造と対称性を決める。本研究が広げたものは、量子重ね合わせの奇妙さではない。非古典状態を構成要素として選び、それらの内部構造と相互関係を実験的に組み立てる量子状態の設計空間である。


1. 「新しい猫状態」だけでは研究の新規性が見えない

1.1 猫状態が一種類増えた研究ではない

「新しい種類の猫状態を作った」という説明からは、従来より遠く離れた状態、より多くの成分を含む状態、あるいはより巨視的な状態を作ったようにも読める。今回の実験で起きた変化は、そのいずれとも異なる。重ね合わせの成分数は基本的に二つのままであり、実験対象も単一イオンの運動である。変わったのは、二つの成分として何を選べるか、その成分をどのような操作で作り、どのような関係で結べるかという生成条件である。

従来型の代表的な猫状態では、二つの構成要素は同じ形を持つコヒーレント状態であり、主な差は位相空間上の位置にある。片方を一方向へ、もう片方を反対方向へ移し、両者の確率振幅を足し合わせるか差し引くことで、偶型または奇型の猫状態を作る。各構成要素は同じ生成原理に基づき、同じ量子揺らぎの分布を持つため、設計上の中心は二成分の距離、割合、相対位相になる。

今回の実験では、量子揺らぎを一方向へ絞ったスクイーズ状態だけでなく、三次、四次の非線形相互作用によって作られる状態も構成要素として使われた。これらは位相空間上の形が異なるだけではない。相互作用の次数に応じて占有する振動エネルギー準位の間隔が変わり、状態が持つ回転対称性も変化する。さらに、同じ種類の状態を異なる向きで重ねる構成に加え、スクイーズ状態と三次スクイーズ状態のように、異なる非線形相互作用から生じる状態も一つの重ね合わせへ統合している。

観点 従来型の代表的な猫状態 今回生成された状態
主な構成要素 同じ形と量子揺らぎを持つ二つのコヒーレント状態を使う。 スクイーズ状態、三次スクイーズ状態、四次スクイーズ状態などを使う。
構成要素の差 主として位相空間上の位置が異なり、各成分の内部構造は共通する。 形、向き、量子揺らぎ、占有準位、回転対称性が異なり得る。
生成原理 同じ種類の状態を異なる方向へ変位させて重ねる。 同種または異種の非線形相互作用で作った状態を、生成履歴を保ったまま結合する。
調整対象 二成分の距離、相対振幅、相対位相が中心になる。 状態の種類、相互作用の次数、強さ、向き、距離、相対振幅、相対位相を調整できる。
全体への帰結 比較的単純な波束同士の関係に非古典性が現れる。 構成要素の内部と、構成要素間の関係の両方に非古典性が現れる。

この比較から、今回の差異を単なる用語の追加として扱えない理由が見えてくる。第一段階では、構成要素の内部構造が変わることで、各成分が占有するエネルギー準位、量子揺らぎの方向、回転対称性が変わる。第二段階では、それらの成分を重ね合わせることで、個々の成分だけからは決まらない干渉模様と全体の対称性が生じる。重ね合わせの外形が二成分のままでも、内部に持てる情報構造は同じではない。

この違いは、将来の利用可能性にもつながる。量子計算や量子誤り訂正では、状態が非古典的であるというだけでなく、どの準位に情報が分布し、誤りによってどこへ移動し、どの測定で正常状態と区別できるかが問われる。構成要素の対称性と準位構造が変われば、同じ損失や加熱を受けた場合でも、最終状態の変化の仕方が異なる。状態数だけを数える説明では、こうした設計上の差を捉えられない。

1.2 問うべきなのは、何を設計できるようになったかである

今回の成果を評価する軸は、「どれほど奇妙な状態を作ったか」ではなく、「状態を決める条件のうち、何を実験者が選択できるようになったか」にある。研究チームは、構成要素となる状態の種類を選び、それぞれに加える非線形相互作用の強さと位相を変え、重ね合わせに含まれる割合と相対位相を調整し、必要に応じて構成要素を位相空間上で離す手順を示した。

これらの条件は、最終状態の見た目だけを変える装飾的な変数ではない。相互作用の次数を変えれば、構成要素が占有するエネルギー準位と回転対称性が変わる。相互作用の強さを変えれば、状態の広がりと量子揺らぎの配分が変化する。向きと相対位相を変えれば、二成分が強め合う領域と打ち消し合う領域が移動する。相対振幅を変えれば、一方の構成要素が最終状態へ与える寄与が増減する。複数の変数が最終的な干渉構造へ段階的に作用するため、研究者は同じ装置から性質の異なる状態群を作り分けられる。

特定の実験条件で一つの状態だけを生成できる場合、装置の出力はその状態に固定される。状態の種類を変更するには、別の相互作用や別の装置構成を一から用意しなければならない。今回の方法では、共通するスピン・運動相互作用、内部準位の操作、回路途中測定を組み替えることで、複数の状態へ到達できる。直接的には、操作パラメーターの変更が生成状態を変える。さらにその背後では、異なる非線形操作を可逆的に連結できることが、構成可能な状態の範囲を広げている。

この意味での設計空間は、数学的に定義できるすべての量子状態を、任意の精度と確率で生成できる無制約な空間ではない。実際の範囲は、装置で実現できる相互作用、利用可能な内部準位、レーザー制御の精度、運動モードの加熱、状態を保持できる時間、回路途中測定の成功確率によって制限される。操作列が長くなれば加熱とデコヒーレンスの影響が増え、複雑な状態ほど完全な再構成に必要な測定回数も増える。選択肢が増えることは、そのまま安定した利用可能性が増えることを意味しない。

それでも今回の前進は明確である。従来の代表的な猫状態では、同じ種類の波束をどこへ置き、どの位相で結ぶかが主な設計対象だった。今回の実験では、波束の内部構造を作る相互作用そのものを選び、異なる生成原理を持つ状態を一つの重ね合わせへ組み込み、その関係を複数の変数で調整した。量子状態は、あらかじめ与えられた候補から一つを選ぶ対象ではなく、物理的制約の中で構成要素と結合規則を組み替える対象へ移っている。


2. 従来の猫状態は何を重ねていたのか

2.1 コヒーレント状態は古典的な振動に最も近い

捕捉イオンの運動、光の電磁場、機械振動は、物理的な実体こそ異なるものの、平衡点の近くで周期的に変化する自由度として、量子調和振動子という共通の模型で記述できる。量子調和振動子は、最低エネルギー状態を起点として、その上に等間隔のエネルギー準位を持つ。電磁場の励起は光子、イオンや機械系の振動の励起はフォノンとして数えられ、励起数が一つ増えるごとに一段上の準位へ移る。

0 と 1 の二状態だけを使う量子ビットとは異なり、量子調和振動子には原理上、上限のない多数の準位がある。このため、一つの振動モードだけでも、多数の準位へ確率振幅を分配し、その間に位相関係を持たせられる。情報を表現できる状態空間が大きい反面、どの準位をどの割合で含む状態を作るか、その位相関係をどこまで維持できるかという制御上の負担も増える。

コヒーレント状態は、この量子調和振動子の中で、古典的な振動に最も近い振る舞いを示す状態である。位置と運動量に相当する二方向の量子揺らぎは均等に分布し、位相空間上では円形に近い広がりとして表される。時間が進むと分布の中心は古典的な振動軌道に沿って移動するが、その形は大きく崩れない。量子状態でありながら、振幅と位相を持つ古典的な波に近い運動を保つため、光のレーザー場や振動子の準古典的運動を記述する基本状態として使われる。

連続変数量子情報では、状態を位置と運動量の平均値だけでなく、それぞれの測定結果がどの程度ばらつくかによって特徴づける。コヒーレント状態とスクイーズ状態は、位相空間上の分布がガウス関数の形を取ることから、ガウス状態に分類される[4]。両者の違いは、平均値の有無だけではなく、量子揺らぎが各方向へどのように配分されているかにある。

従来型の代表的な猫状態は、同じ形を持つ二つのコヒーレント状態を、位相空間上で異なる位置へ変位させ、その確率振幅を足し合わせるか、差し引くように重ねて作る。各構成要素は同じ量子揺らぎと内部構造を持ち、主として分布の中心位置が異なる。二つの状態が十分に離れれば、それぞれを個別に区別できる一方、相対位相が維持されていれば、両者の間には干渉項が残る。

従来型猫状態の非古典性は、この二段階から生じる。まず、古典的には別々の選択肢となる二つの波束を、一つの量子状態の構成要素として同時に保持する。次に、両者の位相関係を残すことで、単に一方または他方が確率的に現れる混合状態にはない干渉を生じさせる。各波束自体は比較的古典的な形を持つが、それらを結ぶ関係が古典的な確率論では表せない。

2.2 スクイーズ状態は量子揺らぎの配分を変える

スクイーズ状態では、位置と運動量に相当する二つの共役な方向の間で、量子揺らぎの配分を変える。一方向の測定結果のばらつきをコヒーレント状態より小さくすると、その代償として直交する方向のばらつきが大きくなる。両方の揺らぎを同時に任意に小さくできないのは、不確定性関係が両者の積に下限を課しているためである。

位相空間上では、コヒーレント状態の円形に近い分布が、細長い楕円へ変形したように表される。この図形は、物体の形が実際に押しつぶされたことを意味しない。楕円の短軸方向では測定値が狭い範囲に集中し、長軸方向では広く分布することを示す。どの方向の揺らぎを抑えるかは、スクイージング相互作用の位相によって決まる。

量子揺らぎの配分を変更できると、状態はコヒーレント状態とは異なる用途を持つ。信号が現れる方向の揺らぎを小さくすれば、その方向の微小な変化を識別しやすくなる。一方、別方向の揺らぎは増えるため、スクイーズ状態があらゆる測定を一様に高精度化するわけではない。測定対象と揺らぎを抑える方向を一致させて初めて、状態の非古典的性質を計測資源として利用できる。

スクイーズ状態同士を重ね合わせる着想そのものは、今回初めて示されたものではない。1989 年には、向きの異なる二つのスクイーズ真空状態を重ねた場合について、光子数分布や干渉効果が理論的に分析されている[5]。この先行研究が示したのは、量子揺らぎの方向が異なる状態同士を重ねると、それぞれの楕円形分布を並べただけでは得られない干渉構造が生じることである。

この研究史を踏まえると、今回の新規性は「スクイーズ状態を重ねるという発想」に置くことはできない。第一の前進は、捕捉イオンの運動上で、スクイーズ状態だけでなく三次・四次の高次状態まで実験的に準備した点にある。第二の前進は、それらを個別に作るだけで終わらず、構成要素ごとの強さ、向き、割合、位相を調整しながら、一つのコヒーレントな重ね合わせへ統合した点にある。理論上の状態候補が、複数の条件を選択できる実験的な生成対象へ変わった。

2.3 三次・四次の相互作用は状態の対称性を変える

通常のスクイージングは、振動子の励起を二つずつ生成または消滅させる二次の相互作用に対応する。基底状態から操作を始めた場合、主としてフォノン数が 0、2、4、6 と二つ刻みの準位へ確率振幅が分布する。この準位構造が、位相空間上で 180 度回転すると同じ形へ戻る二回回転対称性につながる。

三次スクイージングでは、励起を三つずつ扱うため、0、3、6、9 のような三つ刻みの準位が結びつく。四次スクイージングでは、0、4、8、12 のような四つ刻みの構造が生じる。準位間隔が変わると、位相を回転させたときに各準位が受ける位相変化の組み合わせも変わる。その結果、三次状態は 120 度、四次状態は 90 度の回転で同じ構造へ戻る対称性を持つ。

相互作用の「二次」「三次」「四次」という区別は、計算式の次数だけを表す名称ではない。第一に、何個単位でフォノン数を変化させるかを決める。第二に、その選択則が状態を構成する準位の集合を限定する。第三に、限定された準位構造が、位相空間上の回転対称性と、外部から誤りを受けたときに移動し得る状態の範囲を決める。

同じオックスフォード大学の研究チームは、今回の重ね合わせ実験に先立ち、二つの線形なスピン依存相互作用を組み合わせ、二次、三次、四次の非線形相互作用を生成した。単一の捕捉イオン上でスクイーズ状態、三次スクイーズ状態、四次スクイーズ状態を作り、状態トモグラフィーによってウィグナー関数を再構成している[6]

この先行実験で確認されたのは、異なる次数の非線形相互作用を同じ混成スピン・振動子系で実装し、それぞれに固有の対称性を持つ状態を単独で準備できることだった。今回の研究は、その生成基盤を一段進めている。単独状態の生成操作を、内部状態への一時退避と回路途中測定を介して連結し、同種または異種の高次状態を、一つの位相関係を持つ重ね合わせへ変えた。

この変更によって、猫状態の複雑さを、二つの分布がどれほど遠く離れているかだけでは評価できなくなった。分布間の距離が同じでも、構成要素が二次、三次、四次のどの相互作用から作られたかによって、含まれるエネルギー準位と対称性が異なる。さらに、それぞれの向きと相対位相を変えれば、全体に現れる干渉模様も変化する。

従来型の猫状態では、比較的単純な構成要素を離して結ぶことが設計の中心だった。今回の状態では、構成要素の内部にある準位構造と回転対称性まで選択対象となり、その上で構成要素間の関係を調整する。二成分という外形を維持したまま、各成分の内部と両者の間という二つの階層に設計自由度が加わったことが、この研究の質的な差である。


3. イオンの内部状態を使って運動状態を組み立てる

3.1 一つのイオンに制御系と対象系を持たせる

実験では、3 次元パウルトラップに閉じ込めた 1 個のストロンチウム 88 イオンを使う。パウルトラップは、時間的に変化する電場によって荷電粒子を空間内へ閉じ込める装置である。閉じ込められたイオンは静止しているわけではなく、トラップの中心を基準として 3 方向に振動する。今回、量子状態の生成に使われたのは、そのうち軸方向の一つの運動モードである[1]

この軸方向運動は、離散的なエネルギー準位を持つ量子調和振動子として扱われる。最低エネルギー状態を基準として、フォノン数が 0、1、2 と増える準位へ確率振幅を分配できるため、二準位だけを使う量子ビットよりも大きな状態空間を持つ。スクイーズ状態や三次・四次スクイーズ状態は、この多数の準位へ特定の規則で確率振幅と位相を配置した運動状態である。

一方、同じイオンの内部には、電子の配置によって区別される複数のエネルギー準位がある。この内部状態は、レーザーや高周波によって特定の準位へ初期化し、二準位間の重ね合わせを作り、最後に蛍光の有無から読み出せる。捕捉イオンでは、内部電子状態と外部運動を光で結合し、互いに異なる量子自由度として操作する技術が長年にわたり整備されてきた[7]

今回の実験では、運動状態が最終的な非古典状態を保持する対象系となり、内部状態がその生成を制御する補助系となる。両者の役割を分ける理由は、利用できる自由度と操作のしやすさが一致しないためである。運動状態は多数の準位を使えるため複雑な状態を表現できるが、任意の準位へ直接、個別に確率振幅を配置することは難しい。内部状態は準位数が限られるものの、回転角、相対位相、測定基底を高い精度で指定できる。

研究チームは、この非対称な特性を利用した。自由度の大きな運動を直接加工する代わりに、操作しやすい内部状態と運動を一時的に結合し、内部状態の分岐に応じて異なる運動操作を作用させる。直接原因は、内部状態に依存するスピン・運動相互作用を実装できることにある。その背後では、情報を保持する自由度と操作を仲介する自由度を一つのイオン内に共存させる混成構造が、複雑な状態生成を可能にしている。

捕捉イオンの内部状態と運動モードを組み合わせれば、実験的に扱いやすい線形なスピン・運動相互作用から、スクイージングや三次スクイージングを含む非線形操作を合成できることが理論的に示されていた[8]。線形相互作用を一度加えるだけでは、運動状態の変位など比較的単純な操作に限られる。複数の相互作用を位相と順序を制御して組み合わせると、低次の操作が直接は持たない高次の有効相互作用を作れる。今回の実験は、この合成可能性を、非古典状態を単独で作る段階から、異なる状態を重ね合わせる段階へ利用した。

3.2 生成過程を量子的に分岐させる

状態生成は、イオンの内部状態を二つの準位の重ね合わせにするところから始まる。内部状態を一方または他方へ古典的に選ぶのではなく、両方の確率振幅を同時に持つ状態へ準備する。その後、内部状態に応じて符号や位相が変わる非線形相互作用を運動モードへ作用させる。

内部状態を仮に A と B とすると、A に対応する生成経路では、ある強さと向きのスクイーズ状態が作られる。B に対応する経路では、向きの異なるスクイーズ状態や、次数の異なる高次スクイーズ状態が作られる。内部状態が A と B の重ね合わせであるため、運動状態の生成経路も、どちらか一方に確定せず、内部状態と対応づけられたまま同時に進む。

この操作の結果、内部状態と運動状態は量子もつれする。内部状態だけを見れば A と B の重ね合わせであり、運動状態だけを見れば二つの候補が対応しているが、どの内部状態とどの運動状態が組になっているかという相関を切り離せない。運動側だけに最終的な重ね合わせが完成しているのではなく、「A なら運動状態 X、B なら運動状態 Y」という複合状態が作られている。

この手順は、X と Y を独立に生成した後、両者を古典的に混ぜる方法とは異なる。古典的混合では、各試行で X または Y のどちらか一方が作られ、後から見た統計分布に両方が現れる。今回の方法では、X を作った経路と Y を作った経路の間に相対位相が保持される。生成履歴そのものが量子重ね合わせに含まれているため、経路を識別する内部状態の情報を適切に消せば、X と Y の確率振幅を干渉させられる。

捕捉イオンの運動を二つの離れた波束へ分岐させ、内部状態の測定を通じて運動側へ猫状態を射影する実験は、以前から行われてきた[9]。従来の実験では、主として同じ形の運動波束を異なる位置へ分離し、その間の量子干渉を観測していた。今回の研究では、分岐先が単なる位置の異なる波束ではなく、量子揺らぎ、占有準位、回転対称性の異なる非古典状態へ拡張された。

この拡張によって、生成経路が担う役割も増えている。従来型猫状態では、経路の違いは主としてどちらの方向へ変位したかを表す。今回の実験では、どの次数の相互作用を受けたか、どの強さでスクイーズされたか、位相空間上でどの向きを持つかまで、経路ごとに異なり得る。内部状態は、二つの完成状態を区別する標識ではなく、異なる生成操作を量子的に条件づける制御変数として働いている。

3.3 回路途中測定が運動状態を完成させる

内部状態と運動状態がもつれた段階では、運動だけを独立した量子資源として取り出せない。運動状態 X には内部状態 A、運動状態 Y には内部状態 B という経路情報が残っており、この情報によって二つの運動成分を原理上区別できるからである。経路が区別可能なままでは、運動側の二成分を一つのコヒーレントな重ね合わせとして利用できない。

研究チームは、内部状態を A または B のまま測るのではなく、A と B を足し合わせた状態、または差し引いた状態を区別する基底へ回転してから測定した。この測定で特定の結果が得られると、A と B のどちらを経由したかという情報が失われる。その代わり、運動側には X と Y の確率振幅を足し合わせた状態、または一方を差し引いた状態が残る。

測定結果によって最終状態が変わるのは、測定が既に完成した状態を受動的に読み取っているからではない。測定基底が、二つの生成経路をどの符号と位相で結合するかを決めているためである。内部状態の回転角を変えれば、X と Y の相対振幅や相対位相も変えられる。回路途中測定は、不要な補助自由度を除去すると同時に、運動側に残す重ね合わせの構造を確定する生成操作となる。

ただし、目的の測定結果はすべての試行で得られるわけではない。内部状態を測定し、指定した結果が得られた試行だけを採用するため、生成は測定後選別に依存する。選別によって複雑な状態を準備できる一方、目的状態を得られる確率が下がれば、同じ数の有効データを集めるために必要な実験回数が増える。状態生成の自由度は、成功確率と測定時間という実験上の費用を伴う。

実験では、採用する測定結果が光を散乱しない暗状態に対応するよう操作列を設計した。捕捉イオンの内部状態を読み出す際には、特定の準位だけが測定光を吸収して蛍光を出す。暗状態が得られた試行では測定光子がほとんど散乱されないため、反跳によって運動状態が乱される影響を抑えられる[1]

光を散乱しないことは、回路途中測定の影響が完全にゼロになることを意味しない。測定を追加すれば操作列が長くなり、その間にも運動モードは外部雑音からエネルギーを受け取って加熱される。論文の補足実験では、実際に回路途中測定を行った場合と、測定を行わず同じ時間だけ待機した場合を比較した。その結果、測定光による追加の擾乱よりも、操作時間が長くなったことに伴う加熱の寄与が支配的であることが確認された[1]

この比較には、状態準備の失敗条件を切り分ける意味がある。最終状態が理想形から崩れた場合、原因としては測定光による反跳、運動モードの自然加熱、初期冷却の不完全さ、非線形操作の誤差などが考えられる。測定ありと待機のみを比較すれば、測定そのものが新たに加えた擾乱と、操作時間の延長によって避けられない劣化を分離できる。今回の方式では、暗状態を選ぶ設計によって前者を抑えられたものの、後者は高次状態ほど無視しにくくなる。

生成後の運動状態は、単一方向の分布だけでは古典的混合と量子重ね合わせを区別できない。研究チームは、運動状態の情報を内部状態へ写し取り、位相空間上の多数の点で特性関数を測定したうえで、構成要素の形と干渉構造を含むウィグナー関数を再構成した。捕捉イオンの運動状態を特性関数から復元する方法は既に確立されている[10]。今回はその測定基盤を高次の非古典状態へ適用した。

この章で扱った操作は、内部状態を単なる量子ビットとして使うものではない。内部状態は、生成経路を分岐させ、異なる非線形操作を条件づけ、測定によって経路情報を消し、最後には運動状態を読み出す役割まで担う。運動状態の大きな表現力と、内部状態の高い操作性を組み合わせたことが、非古典状態同士の重ね合わせを実験的に組み立てる基盤となっている。


4. 一つの状態ではなく生成可能な状態群が広がった

4.1 状態を決める複数の変数が制御対象になった

今回の成果は、特定の条件で一つの複雑な状態を生成し、そのウィグナー関数を再構成したことだけにはない。研究チームは、共通する捕捉イオンの実験基盤を使いながら、構成要素を作る相互作用、各成分の強さと向き、二成分を結ぶ割合と位相、位相空間上の距離を変更した。これにより、装置の出力は一つの完成状態に固定されず、複数の条件を組み替えて性質の異なる状態群を生成できるようになった[1]

状態を作り分けるには、最終的な分布を直接変形するのではなく、その分布を生む生成過程を変更する。相互作用の次数を変えれば、何個単位でフォノン数が変化するかが変わり、状態を構成するエネルギー準位と回転対称性が変わる。相互作用の強さを変えれば、各準位へ配分される確率振幅が変化し、位相空間上の分布の広がりも変わる。さらに、相互作用の位相を調整すると、同じ種類の状態であっても、量子揺らぎが小さくなる方向と大きくなる方向を回転させられる。

制御対象 実験上の操作 直接変化する性質 重ね合わせ全体への帰結
相互作用の次数 二次、三次、四次の非線形相互作用を選ぶ。 フォノン数の選択則、非ガウス性、回転対称性が変わる。 内部構造の異なる状態を構成要素として選べる。
相互作用の強さ 各構成要素へ作用させる時間または結合強度を変える。 スクイージングの大きさとエネルギー準位への確率振幅の配分が変わる。 分布の広がりと干渉構造が変化する。
位相空間上の向き 非線形相互作用の位相を調整する。 各構成要素の主軸と回転方向が変わる。 二成分が重なる位置と干渉模様の配置が変わる。
相対振幅 内部状態を準備する回転角を変更する。 二つの生成経路に割り当てられる確率振幅が変わる。 各構成要素が最終状態へ寄与する割合が変わる。
相対位相 内部状態の回転軸と測定基底を調整する。 二つの生成経路を足し合わせる符号と位相が変わる。 強め合う領域と打ち消し合う領域が移動する。
空間的な分離 スピン依存変位を追加する。 各構成要素の中心位置が位相空間上で移動する。 内部構造を保った二成分を、互いに区別できる距離へ離せる。

相対振幅と相対位相は、各構成要素の内部構造ではなく、二つの構成要素をどのように結ぶかを決める。内部状態を最初に準備する回転角を変えると、二つの生成経路へ配分される確率振幅が変わる。その後の回転軸と測定基底を変えると、二つの経路を足し合わせるか差し引くかだけでなく、中間的な相対位相も選べる。この二段階によって、各成分を同じ割合で含む偶型・奇型の状態に限らず、片方の寄与が大きい非対称な重ね合わせも生成できる。

空間的な分離は、構成要素の内部構造を変える操作とは別に加えられる。スクイーズ状態や高次スクイーズ状態を作った後、内部状態に応じて向きが変わる変位操作を作用させれば、二つの成分を位相空間上で反対方向へ移動できる。各成分は、移動する前に持っていた量子揺らぎと回転対称性を保つため、単純なコヒーレント状態を離した猫状態ではなく、内部構造を持つ非古典状態同士を空間的にも分離した重ね合わせとなる。

これらの変数は、互いに無関係な見栄えの調整ではない。一方のスクイーズ状態の強さだけを変えた場合でも、その成分が主に分布する方向だけでなく、もう一方の成分が支配的に見える方向の分散まで変化する。直接には、強さの変更によって一方の構成要素の確率振幅分布が変わる。その変化が二成分間の重なりと干渉項を変えるため、最終状態全体の分散構造も再編される。

この応答は、最終状態が二つの分布を統計的に重ねただけの混合ではないことにも由来する。古典的混合であれば、一方の成分を変更した影響は、その成分が占める領域へ主として限定される。量子重ね合わせでは、二成分の積から生じる干渉項が状態全体に含まれるため、一方の内部構造を変更すると、両者の関係を通じて別の領域の測定統計まで変化する。構成要素と構成要素間の関係を、独立した二層として完全に切り離すことはできない。

同じ実験基盤から複数の状態を生成できるという表現も、単に設定値を変えれば画像が変わるという意味ではない。各パラメーターが、準位構造、量子揺らぎ、生成経路、干渉という異なる物理過程を担当し、それらが最終状態で結合する。装置が一つの結果を再現する段階から、結果を規定する因果連鎖の複数箇所を操作できる段階へ進んだことが、生成可能な状態群を広げている。

4.2 異なる状態を順番に作るために三準位系を使う

同じ種類のスクイーズ状態を異なる向きで重ねる場合は、一つの内部状態に正向き、もう一つの内部状態に逆向きの相互作用を対応させればよい。二つの生成経路は同じ種類の相互作用を受けるため、一回のスピン依存操作で同時に作れる。スクイーズ状態と三次スクイーズ状態のように、生成規則そのものが異なる二成分を組み合わせる場合には、この方法だけでは足りない。

異種状態を作るには、まず一方の生成経路へ二次の相互作用を加え、その状態を保持したまま、もう一方の経路だけへ三次の相互作用を加える必要がある。ところが、二つの経路が同じ二準位の内部状態に対応したままでは、後から加える相互作用が両方へ作用し、一つ目の状態まで変化させてしまう。異なる操作を順番に適用するためには、既に作った構成要素を次の相互作用から切り離す退避先が必要になる。

研究チームは、イオン内部の三つの準位を使ってこの条件を満たした。最初の非線形相互作用で一方の運動状態を作った後、その状態と対応する内部準位を、次の相互作用が作用しない第三の準位へ移す。退避中の運動状態はそのまま保持され、残った生成経路にだけ別の次数の非線形相互作用を作用させられる。最後に第三準位から状態を戻し、二つの内部状態を同じ測定基底で再結合する[1]

第三準位が担うのは、量子情報を新たに追加する役割ではない。異なる操作を受ける時間帯を生成経路ごとに分離し、一方へ加える操作がもう一方を変更しないようにする隔離領域である。この隔離がなければ、二つ目の相互作用によって最初の構成要素も変形し、意図した異種状態の組み合わせを保てない。

中間状態を退避させたまま後続操作を加えられるのは、用いた非線形相互作用が可逆的なユニタリー操作として実装されているためである。ユニタリー操作は、確率振幅と位相の情報を失わずに状態を変換する。途中で測定や散逸を挟まずに操作を連結すれば、一つ目の状態を作った生成履歴と、二つ目の状態を作った生成履歴の間に相対位相を保てる。

この可逆性が失われると、異なる状態を作れても一つの量子重ね合わせにはならない。たとえば、一つ目の状態を測定して確定させた後、別の試行で二つ目を作り、結果だけを統合すれば、得られるのは古典的混合である。今回の手順では、一方を第三準位へ退避させている間も生成経路を測定せず、最後まで位相関係を保持する。そのため、異なる非線形操作から生まれた二つの状態を、一つのコヒーレントな重ね合わせへ統合できる。

装置の能力を広げたのは、三次や四次の強い相互作用を単独で実現したことだけではない。異なる相互作用を、対象となる生成経路を選びながら順番に適用し、その間の位相関係を保存できるようにしたことにある。操作の種類が増えても、それらを合成できなければ、生成可能な状態は個別の出力の集合にとどまる。第三準位を使う経路制御によって、個別操作が一つの構成手順へ変わった。

4.3 「任意」とは定義された操作集合の中での構成可能性である

論文タイトルの「任意の重ね合わせ」は、数学的に定義できるすべての量子状態を、指定どおりの精度と成功率で生成できるという主張ではない。今回の方法で直接選べるのは、実験装置が実現できる非線形相互作用から生じる状態と、それらを二成分の重ね合わせへ組み込むための振幅、位相、向き、分離である。

生成可能な範囲には、明確な物理的境界がある。第一に、構成要素の種類は、装置で合成できる二次、三次、四次などの相互作用に依存する。第二に、相互作用を強く、または長く加えるほど、運動モードの加熱と制御誤差が蓄積する。第三に、回路途中測定で目的の結果が得られた試行だけを採用するため、構成要素の重なりや選んだ振幅によって成功確率が変わる。第四に、生成後の状態が複雑になるほど、完全な状態再構成に必要な測定点と試行数が増える。

この制約下でも「任意」という表現が成立するのは、あらかじめ定められた一種類の状態しか生成できない手順ではないためである。二つの構成要素について、状態の種類を選び、相互作用の複素係数を通じて強さと向きを設定し、内部状態の準備と測定を通じて相対振幅と相対位相を決め、必要に応じて変位を追加できる。定義された操作集合の中では、個別の変数を選択し、その組み合わせから多数の状態を構成できる。

ここでいう複素係数は、単なる数学的表記ではない。係数の大きさは相互作用の強さを決め、偏角は位相空間上の向きを決める。別の複素係数は、二つの生成経路が最終状態へ含まれる割合と相対位相を決める。数学上の係数が、それぞれレーザー位相、操作時間、内部状態の回転角、測定基底という実験変数へ対応しているため、抽象的な重ね合わせの指定を物理操作へ変換できる。

ただし、変数を指定できることと、指定した状態を高い忠実度で得られることは同じではない。相互作用を連結するほど操作列は長くなり、初期熱占有、加熱、レーザー強度の変動、測定誤差の影響を受ける。構成要素を位相空間上で大きく離せば、互いの重なりが小さくなり、選んだ測定結果の成功確率も変化する。状態空間の広がりは、生成効率と状態品質の低下を伴う場合がある。

量子状態工学の発展は、状態名の一覧を増やすだけでは成立しない。個別の基本操作を再現可能に実行し、既に作った状態を壊さず別の操作を加え、補助自由度を測定によって除去し、最終状態をトモグラフィーで検証する必要がある。どれか一つが欠ければ、理論上は存在する状態であっても、実験上の設計対象にはならない。

今回の実験では、非線形相互作用の合成、三準位を使った経路の隔離、内部状態の回転、回路途中測定、完全な状態再構成が一つの生成体系として結びついた。この体系によって、量子状態は個別の専用実験で一つずつ作る対象から、物理的制約の範囲内で構成要素と結合条件を選び直せる対象へ移った。「任意」という語が表すのは無制約な万能性ではなく、状態生成が個別解から構成規則へ進んだことである。


5. 二つの分布が見えるだけでは量子重ね合わせとは言えない

5.1 古典的混合と量子重ね合わせの違いは位相関係にある

位相空間上に二つの分布が現れても、それだけでは量子重ね合わせを生成した証拠にならない。たとえば、同じ装置で状態 X と状態 Y を別々の試行に作り、測定結果を一つの図へ重ねれば、全体には二つの分布が現れる。この場合、各試行で存在するのは X または Y のどちらか一方であり、両者は古典的な確率で混在しているにすぎない。

量子重ね合わせでは、状態 X と状態 Y の確率振幅が、一つの量子状態の中に相対位相を保ったまま含まれる。測定確率は、X に由来する成分と Y に由来する成分を足しただけでは決まらない。両者の確率振幅を掛け合わせた干渉項が加わり、その符号と大きさが相対位相に応じて変化する。二つの状態が同じ領域で強め合うか、打ち消し合うかは、この干渉項によって決まる。

古典的混合では、どちらの状態が作られたか分からなくても、生成経路そのものは各試行で一方に確定している。そのため、状態 X の内部条件を変えれば X に対応する分布は変化するが、X と Y の間に新たな干渉模様は生じない。量子重ね合わせでは、X の変更が Y との重なり方と干渉項を変えるため、X が主に分布する領域以外の測定統計まで変化し得る。

両者を区別するには、構成要素の位置や広がりだけでなく、状態間の位相関係を反映する量を測る必要がある。単一方向の位置分布やフォノン数分布では、異なる密度演算子が同じ測定結果を与える場合がある。複数の測定条件を組み合わせ、対角成分だけでなく、状態 X と状態 Y を結ぶ非対角成分まで含めて再構成して初めて、古典的混合と量子重ね合わせを判別できる。

5.2 ウィグナー関数は構成要素と干渉を同じ位相空間に表す

研究チームは、運動状態の特性関数を位相空間上の多数の点で測定し、フーリエ変換によってウィグナー関数を再構成した。特性関数は、運動状態へさまざまな大きさと方向の変位を加えたときの応答をまとめた量である。測定点を増やすことで、位置や運動量の一つの分布だけでは得られない、状態全体の振幅と位相に関する情報を集められる。

ウィグナー関数は、位置と運動量に相当する二つの変数を軸とする位相空間上に、量子状態を表現する準確率分布である。通常の確率分布と似た形で状態の位置、広がり、向きを表示できる一方、量子状態の位相情報も含む。密度演算子と位相空間上の準確率分布との対応は、量子光学の基礎理論として整備されている[11]

二成分の重ね合わせを再構成すると、ウィグナー関数には三種類の構造が現れる。第一に、状態 X と状態 Y のそれぞれに対応する分布があり、各構成要素の形、向き、広がりを示す。第二に、両者の間には相対位相を反映した干渉模様が現れる。第三に、その干渉模様の一部は負の値を取り、正の確率だけでは表現できない位相空間構造を形成する。

負の値は、測定によって負の確率が観測されることを意味しない。ウィグナー関数は、位置と運動量を同時に測った通常の確率分布ではなく、互いに両立しない複数の測定結果を一つの位相空間表現へ統合した準確率分布である。負の領域は、同じ測定統計を正の古典的位相空間分布だけで再現できないことを示す。

今回の実験では、向きの異なるスクイーズ状態の偶型・奇型重ね合わせ、三次・四次スクイーズ状態の重ね合わせ、スクイーズ状態と三次スクイーズ状態を組み合わせた異種重ね合わせについて、ウィグナー関数が再構成された。構成要素に対応する分布だけでなく、その間に相対位相に応じた干渉構造が現れたことで、二つの状態を試行ごとに作り分けた古典的混合では説明できないコヒーレンスが確認された。

再構成図の形だけを目視で評価したわけではない。研究チームは、初期の熱的占有、運動モードの加熱、操作時間、レーザー条件など、独立に測定した実験条件を数値モデルへ入力し、予測されるウィグナー関数と実験結果を比較した。実験で観測された分布の広がり、回転対称性、干渉模様が同じ条件から再現されることで、意図した生成操作と観測結果の因果関係を検証している[1]

確認対象 ウィグナー関数上の特徴 直接確認できること それだけでは確認できないこと
構成要素 分布の位置、形、向き、広がり、回転対称性を見る。 意図した種類と強さの運動状態が含まれていることを確認できる。 二成分がコヒーレントに結ばれているかは、分布の外形だけでは決まらない。
相対位相 二成分の間または内部に現れる干渉模様を見る。 構成要素間に位相関係が保持されていることを確認できる。 長時間のコヒーレンス維持や反復操作への耐性までは分からない。
ウィグナー負性 準確率分布が負になる領域と、その広がりを見る。 正の古典的位相空間分布では再現できない状態構造を確認できる。 特定の計算や計測で量子優位が得られることを直接は示さない。
模型との整合性 実験再構成と、測定済み条件を使った数値計算を比較する。 観測された状態が既知の相互作用と雑音条件から説明できるかを検証できる。 模型に含まれていない長期的誤差や大規模化した場合の性能までは評価できない。

ウィグナー関数に負の領域がないことが、直ちに古典的な状態であることを意味するわけではない。スクイーズ状態は非古典的な量子揺らぎを持つが、理想的なガウス状態のウィグナー関数は正のままである。今回の負性が示すのは、スクイージングだけでは表せない非ガウス構造と、複数の生成経路の干渉が状態に組み込まれていることである。

5.3 ウィグナー負性は資源量を比較する指標であり、装置性能そのものではない

ウィグナー関数に負の領域が存在するかを確認するだけでなく、その負性の総量を比較するために、ウィグナー対数負性という指標が使われる。この量は、ウィグナー関数の絶対値を位相空間全体で積分し、正規化したうえで対数を取る。負の領域がなく、ウィグナー関数が通常の正規化された分布として振る舞う場合には 0 となり、正負の振動が大きくなるほど値も増える。

ウィグナー負性の資源理論では、ガウス状態、ガウス操作、一定の測定などから成る自由な処理だけでは、負性を任意に増やせないよう操作集合を定める。その操作集合の下でウィグナー対数負性が増加しないため、状態がどの程度の非ガウス資源を持つかを比較する資源単調量として使える[12]。この評価によって、「量子らしい」という曖昧な印象ではなく、指定した操作体系の中で希少な状態構造をどの程度含むかを数値化できる。

今回の論文では、平均フォノン数をそろえた条件で、新しい重ね合わせ、通常のコヒーレント状態型猫状態、フォック状態のウィグナー対数負性を比較している。平均フォノン数をそろえるのは、単に多くのエネルギーを投入した状態ほど複雑に見えるという影響を除き、同じエネルギー資源の範囲でどの状態が大きな負性を持つかを調べるためである[1]

理想比較では、初期状態を完全な基底状態とし、運動モードの加熱、デコヒーレンス、操作誤差を含めない。その条件では、今回生成された高次状態の重ね合わせが、同じ平均フォノン数を持つ通常の猫状態やフォック状態より大きなウィグナー対数負性を示した。直接には、高次の非線形相互作用と重ね合わせによって位相空間上の正負の構造が細かく増えるためである。その背後には、限られた平均エネルギーを、単純な変位だけでなく、複数準位間の高次相関と干渉へ配分する構造がある。

実験データから再構成した負性は、理想計算より小さくなる。初期状態には有限の熱的占有が残り、操作中には運動モードが加熱され、レーザーや測定にも有限の精度しかない。これらの雑音は、構成要素の位置や広がりを変えるだけでなく、正負が細かく交互に現れる干渉構造を平滑化する。位相関係が少しずつ失われると、ウィグナー関数の負の領域が縮小し、対数負性も低下する。

トモグラフィーから求めた負性には、測定回数が有限であることによる統計誤差も入る。再構成時のショット雑音は、実際の状態には存在しない細かな正負の変動を作り、負性を過大評価する場合がある。一方、空間分解能や雑音による平滑化は、本来存在する細かな干渉構造を失わせ、負性を過小評価し得る。著者らが実験値を最終的な精密比較ではなく、状態の資源性を示す定性的な見積もりとして扱うのは、この二方向の不確かさがあるためである。

ウィグナー負性が量子計算資源として注目される理由は、一定の連続変数量子回路について、状態と操作のウィグナー関数が正のまま保たれるなら、効率的な古典シミュレーションが可能であることが示されているためである[13]。正の分布を確率的に追跡できる範囲では、量子回路の発展を古典的な標本抽出として模擬できる。負性が生じると、この単純な確率解釈が破れ、同じ模擬手法を適用できなくなる。

ただし、古典シミュレーションを難しくする資源を持つことと、実際の計算課題で古典計算機を上回ることの間には、複数の工程が残る。第一に、目的の状態を十分な成功確率と忠実度で生成する必要がある。第二に、負性を失わない精度でゲート操作を加えなければならない。第三に、計算結果を読み出すまで加熱とデコヒーレンスを抑える必要がある。第四に、その全工程を含めた量子アルゴリズムが、最良の古典手法より少ない資源で問題を解かなければならない。

ウィグナー対数負性が大きいという結果は、この連鎖の最初にある状態資源の評価である。新しい重ね合わせが、同じ平均エネルギーでより豊かな非ガウス構造を持ち得ることは示しているが、生成時間、成功確率、操作誤差、論理誤り率を含む装置全体の優位性までは示していない。今回確認されたのは、量子情報処理へ投入できる状態候補の質が拡張されたことであり、その候補を計算能力へ変換できるかは後続の実験に残されている。


6. 高い回転対称性は誤りの行き先を制約する

6.1 対称性は図形の特徴ではなく、状態が占有する準位を決める

単独の三次、四次スクイーズ状態をウィグナー関数で表すと、位相空間上に三回、四回の回転対称性が現れる。構成要素だけを見れば、三次状態は 120 度、四次状態は 90 度だけ回転すると元の構造へ重なる。さらに、向きの異なる同種状態を偶型または奇型に重ねると、相対位相によって許される準位が追加で選別され、重ね合わせ全体には構成要素より高い回転対称性が現れ得る。対象論文では、三次スクイーズ状態の重ね合わせに六回回転対称性が現れる例を示している[1]

通常のスクイージングでは、フォノンを二つずつ生成または消滅させる相互作用が働く。基底状態から始めれば、主としてフォノン数が 0、2、4、6 と二つ刻みの準位へ確率振幅が分布する。三次の相互作用では 0、3、6、9、四次では 0、4、8、12 のように、相互作用の次数に対応した間隔で準位が結ばれる。

フォノン数が一つ異なる準位は、位相空間上の回転に対して異なる位相変化を受ける。単独状態では相互作用次数に対応する間隔が基本の対称性を決め、重ね合わせでは構成要素の向きと相対位相が準位をさらに選別する。このため、構成要素の回転対称性と、重ね合わせ全体の回転対称性は区別して扱う必要がある。

相互作用の次数から準位の選択則が生じ、その選択則から回転対称性が生じる。さらに、外部からフォノン損失や利得が起きれば、フォノン数が変化し、状態は元と異なる準位の集合へ移る。対称性は、状態の見た目を整える属性ではなく、正常な状態が存在できる領域と、誤りを受けた状態が移動する領域を分ける構造になる。

量子誤り訂正は、誤りが起きない物理系を前提とする技術ではない。現実の量子系では、エネルギー損失、位相揺らぎ、制御誤差を完全には取り除けない。そこで、量子情報そのものを直接測る代わりに、正常状態が満たす関係が崩れたかどうかを測り、情報を失わずに誤りの種類を推定する。既稿では、量子情報を一つの物理状態へ局所的に保存するのではなく、複数の自由度が作る関係へ符号化する構造として整理した[14]

この考え方は、一つの量子調和振動子へ論理量子ビットを保存するボソン符号にも当てはまる。振動子は多数のフォノン数準位を持つため、複数の準位へ論理 0 と論理 1 の確率振幅を分散させられる。物理的な一準位が変化しても、論理情報を決める全体の関係が残れば、誤りを検出して復元できる可能性が生まれる。

猫状態を振幅減衰から守る符号として使う提案では、位相の異なる複数の猫状態を論理状態へ割り当て、光子やフォノンの損失によって生じる変化を状態の対称性から識別する[15]。GKP 符号では、位相空間上に周期的な格子を作り、位置と運動量に相当する小さな変位を格子点からのずれとして検出する[16]。両者は状態の形こそ異なるが、誤りを正常状態と区別できる方向へ変換する点で共通する。

6.2 状態の内部構造が検出できる誤りを決める

ボソン符号は、振動子を使うという一点だけで同じ性能を持つわけではない。どのフォノン数準位を選び、どの係数と位相で重ねるかによって、損失、利得、変位、位相回転を受けた後の状態が変わる。符号状態の内部構造は、どの誤りを検出できるか、異なる誤りを互いに識別できるか、訂正後に元の論理情報を復元できるかを規定する。

有限個のフォック状態を特定の係数で重ねる二項符号では、想定する損失数や位相雑音に合わせて、論理状態を構成する準位を選ぶ。損失が起きたとき、二つの論理状態が移る先を互いに直交する誤り空間へ配置できれば、論理情報を直接測らずに誤りを識別できる[17]。準位の選択は、状態を表現する手段であると同時に、誤りの移動先を設計する手段でもある。

回転対称ボソン符号は、位相空間上で一定角度回転しても同じ構造を保つ状態群を利用する。猫符号や二項符号は、構成方法が異なっていても、フォノン数を一定の剰余類へ配置する回転対称符号として統一的に整理できる。回転角、フォノン数間隔、論理状態の位相関係を対応づけることで、符号状態、誤り空間、論理測定、ゲート操作を設計できる[18]

たとえば、正常な符号空間がフォノン数の特定の剰余類だけから構成されているとする。単一フォノン損失が起きると、各成分のフォノン数が一つ減り、状態全体が別の剰余類へ移る。直接にはエネルギーが一単位失われただけだが、準位構造の規則があるため、その損失は回転対称性の変化として現れる。正常状態と異なる対称性を測定できれば、論理 0 と論理 1 のどちらであったかを読まずに、損失の発生だけを検出できる。

反対に、誤り後の状態が、別の正しい論理状態と同じ符号空間内に残る場合は扱いが難しい。誤りが論理 0 を論理 1 へ直接変換すれば、外部から見えるのは正しい論理状態の一つであり、異常として識別できない。誤り訂正符号では、誤りを小さくすることだけでなく、誤り後の状態を正しい論理状態から区別可能にする必要がある。

対象論文が示す符号化例では、通常の二成分猫量子ビットに単一フォノン損失が起きると、偶型と奇型の猫状態が入れ替わり、論理ビット反転として作用する場合がある。この変化が符号空間内にとどまれば、誤りが起きたことと、論理状態が最初から反対だったことを区別しにくい[1]

これに対し、向きの異なるスクイーズ状態の重ね合わせを論理状態として選ぶ例では、単一フォノン損失後の状態を、元の論理状態が張る符号空間の外へ移せる。損失そのものを防いだわけではない。構成要素の準位構造と対称性を変えたことで、同じ物理的損失の行き先を、正しい論理状態と重ならない領域へ変更したのである[1]

符号空間外への逸脱を測定できれば、どの論理値が保存されているかを直接読み出さずに、誤りの発生を検出できる。その後、誤りの種類に対応した逆操作を加えれば、元の符号空間へ戻せる可能性がある。状態の対称性は誤りを消去する機構ではなく、誤りを観測可能な状態変化へ変換する機構として働く。

状態設計 誤りによる直接変化 状態空間上の帰結 誤り訂正上の意味
論理状態と誤り後の状態が同じ符号空間にある フォノン損失によって一方の論理状態が別の論理状態へ移る。 誤り後も正しい論理状態と同じ空間に残る。 誤りと正しい論理値を区別しにくく、検出不能な論理反転になり得る。
対称性によって誤り空間を分離する フォノン損失によって占有準位の剰余類が変わる。 状態が元の符号空間と直交する領域へ移る。 論理情報を直接測らずに誤りの発生を検出できる可能性が生まれる。
複数の誤り空間を分離する 損失数や誤りの種類ごとに異なる準位構造へ移る。 誤りごとに識別可能な空間が形成される。 測定結果に応じて異なる訂正操作を選択できる。

今回生成された高次状態が量子誤り訂正へ接続される理由は、ウィグナー関数の模様が複雑だからではない。相互作用の次数がフォノン数の選択則を決め、その選択則が回転対称性を作り、回転対称性が誤り後の状態の移動先を制約するからである。状態の内部構造から誤り空間まで、複数段階の因果関係が成立している。

6.3 状態候補の生成は量子誤り訂正の実証ではない

高い回転対称性を持つ状態を生成できても、量子誤り訂正が実現したことにはならない。今回の実験が直接確認したのは、非古典状態の重ね合わせを生成し、その構成要素、干渉構造、ウィグナー負性を再構成できることである。論理量子ビットを定義し、意図的に誤りを加え、検出結果に応じて訂正し、情報の寿命が延びたことを測定したわけではない。

ボソン量子誤り訂正を実際に運用するには、まず論理 0 と論理 1 を物理的な振動子状態として高い忠実度で準備する必要がある。次に、どの誤りが起きたかを論理情報へ触れずに測定し、測定結果を復号して適切な訂正操作を選ばなければならない。さらに、訂正操作自体が新しい誤りを増やさず、この処理を繰り返しても論理情報が失われないことが求められる。

実用的なボソン量子誤り訂正では、有限のスクイージング、補助量子ビットの誤り、シンドローム測定の不完全さ、訂正操作中の損失、復号遅延、論理ゲートとの両立が同時に問題となる。理想的な符号状態が理論上あるだけでは足りず、状態準備、測定、訂正、論理操作を一つの反復可能な回路として統合する必要がある[19]

猫符号を使った超伝導回路の実験では、共振器に保存した猫状態の光子数パリティーを繰り返し測定し、自然に起きる光子損失の時刻を追跡した。測定履歴を復号し、損失に伴う位相変化を補正することで、符号化した量子情報の寿命を構成要素の寿命より長くするところまで実証している[20]

この実験で評価されたのは、猫状態が作れたかどうかだけではない。誤りの検出率、補助系による追加誤差、測定間隔、復号後の論理状態、最終的な寿命が一つの誤り訂正系として測定された。資源状態の生成が、実際の論理性能へ変換されたかどうかを寿命という結果で検証している。

GKP 格子状態を使った実験でも、振動子へ量子ビットを符号化した後、小さな変位誤りを繰り返し測定し、フィードバックによって状態を格子の正しい位置へ戻している。その結果、誤り訂正を適用した論理量子ビットが、保護されていない符号化状態より長く保持されることが示された[21]

これらの先行実験と比べると、今回の研究の位置は明確になる。今回生成された状態には、誤り後の状態を符号空間外へ分離できる可能性がある。しかし、どの測定でその逸脱を読み出すか、測定が状態へどの程度の追加誤差を与えるか、検出後にどの操作で復元するか、訂正を繰り返した結果として論理寿命が延びるかは検証されていない。

段階 確認すべき内容 今回の研究での到達点 次に必要な検証
資源状態の生成 符号化や計測へ利用し得る非古典状態を再現可能に作る。 高次回転対称性を持つ同種・異種状態の重ね合わせを生成した。 生成成功率、忠実度、準備時間の改善が求められる。
状態の検証 構成要素、相対位相、干渉、負性を測定する。 状態トモグラフィーと数値計算の比較を行った。 測定回数を抑えながら運用中の状態を診断する方法が必要になる。
論理符号化 論理 0 と論理 1、誤り空間、論理測定を定義する。 対称性を利用する符号化例と誤り後の状態構造を理論的に示した。 実験上の論理状態を準備し、符号空間を測定することが課題となる。
誤り検出 論理情報を壊さず、誤りの有無と種類を識別する。 実施していない。 反復可能なシンドローム測定の構築が求められる。
訂正操作 検出結果に応じて状態を符号空間へ戻す。 実施していない。 訂正操作による追加誤差を含む性能評価が求められる。
論理性能評価 論理誤り率、寿命、論理ゲート精度を比較する。 実施していない。 保護されていない状態を上回る論理性能の実証が求められる。

今回の研究は、量子誤り訂正そのものではなく、その上流にある状態設計を拡張した。高次の非線形相互作用と重ね合わせによって、誤り後の移動先を符号空間外へ分離し得る状態候補を増やしている。量子誤り訂正としての成否は、状態準備、反復的な誤り検出、訂正操作を実装し、論理誤り率や寿命が改善された時点で判断される。


7. 状態の豊かさと量子技術としての実用性は別である

7.1 スクイーズ状態は計測資源になり得る

第 2 章で確認したように、スクイーズ状態は一方向の量子揺らぎを減らし、その代わりに共役方向の揺らぎを増やす。この性質を計測へ利用するには、測定したい信号が現れる方向と、揺らぎを抑えた方向を一致させる必要がある。

干渉計では、光路長や位相の微小な変化を、出力光の変化として読み取る。通常の真空状態が入るポートへスクイーズ光を入力すると、測定対象となる位相方向の量子雑音を減らせる。この方法によって、投入する平均光子数だけでは決まらない感度向上が可能になることが理論的に示され、量子計測の基礎となった[22]

スクイージングが感度を高める因果関係は、状態が非古典的であるという一語では説明できない。まず、スクイーズ操作によって測定値の分散が特定方向で小さくなる。次に、外部信号による分布の移動量が同じでも、背景となるばらつきが小さいため、信号を雑音から区別しやすくなる。感度を決めるのは、量子状態の名称ではなく、信号に対する応答量と、その方向に残る雑音との比である。

反対に、揺らぎを抑えた方向と信号が現れる方向がずれていれば、感度向上は得られない。大きくなった反対方向の揺らぎが、装置内の位相ずれや制御誤差によって測定方向へ混入すれば、スクイージングがかえって雑音を増やす場合もある。状態準備の精度だけでなく、信号との結合方向、位相安定性、損失、読出し方法まで含めて設計する必要がある。

量子センシングは、非古典状態を用意するだけで成立するものではない。一般には、初期状態の準備、測定対象との相互作用、信号による状態変化、読み出し可能な自由度への変換、測定結果からの推定という工程を持つ。それぞれの工程で生じる損失や雑音を含めた結果が、最終的な感度と測定時間を決める[23]

たとえば、信号に対して大きく変化する状態を作れても、その準備に長時間を要すれば、単位時間当たりに得られる情報量は減る。高感度な状態が外部雑音にも敏感であれば、信号との相互作用中に量子性が失われる。状態を読み出すために多数回の試行が必要なら、一回当たりの感度が高くても、総測定時間では従来方式を上回れない可能性がある。

捕捉イオンの運動を計測資源へ変えた実例では、約 150 個のイオンから成る二次元結晶の重心運動と集団スピンをもつれさせ、微小な変位と電場を標準量子限界より高い感度で測定した[24]。外部電場はイオン結晶の運動をわずかに変位させる。その変位をスピン状態へ写し取り、多数のイオンをまとめて読み出すことで、運動の変化を測定可能な信号へ変換している。

この実験で感度を支えたのは、非古典的な運動状態だけではない。イオン結晶の冷却、運動とスピンの結合、外部信号を受ける時間、スピンへの逆写像、蛍光読出しを一つの測定手順として調整した結果である。運動状態が持つ量子相関は、その全工程を通じて保持されて初めて、計測性能へ変換される。

今回生成された高次スクイーズ状態の重ね合わせも、位相空間上の変位に対して特徴的な応答を持つ。細かな干渉構造を持つ状態では、小さな変位によって測定分布が大きく変わる可能性がある。特定方向の揺らぎを抑えた構成要素を選び、相対位相と分離を調整できることも、信号に合わせた状態設計へつながる。

ただし、対象論文が測定したのは、生成状態のウィグナー関数、干渉構造、負性である。外部信号を加えたときの応答、推定誤差、測定帯域、単位時間当たりの感度、状態準備を含む総測定時間は評価していない。変位へ敏感な状態構造があることは、量子センサーの候補条件を満たすことを意味するが、既存方式より優れたセンサーが実証されたことを意味しない。

7.2 非ガウス状態は連続変数量子計算の選択肢を広げる

連続変数量子計算では、0 と 1 の二準位だけでなく、光や振動子の位置と運動量に相当する連続的な自由度を使う。一つの振動モードが多数のエネルギー準位を持つため、状態を表現できる空間は大きい。変位、位相回転、スクイージングなどのガウス操作は比較的実装しやすく、連続変数を操作する基本手段となる。

ガウス状態とガウス操作だけでは、任意の量子計算を構成できない。これらの操作は、位相空間上のガウス分布を別のガウス分布へ変換する範囲にとどまり、古典計算機で効率的に追跡できる構造を保つ。普遍的な連続変数量子計算には、三次以上の非線形相互作用など、ガウス性を破る操作が必要になることが理論的に示されている[25]

非ガウス資源を導入する方法は一つではない。装置内で非線形ゲートを直接実行する方法のほか、あらかじめ非ガウス状態を準備し、測定とフィードフォワードを通じて必要な操作を計算回路へ注入する方法がある。後者では、複雑な状態を高い忠実度で準備できるか、その状態をガウス操作と測定だけで有効なゲートへ変換できるかが計算能力を左右する。

三次、四次スクイーズ状態とその重ね合わせは、この非ガウス資源の候補となる。高次の相互作用によって複数のフォノン数準位が非ガウスな規則で結ばれ、さらに異なる状態をコヒーレントに重ねることで、通常のスクイーズ状態にはないウィグナー負性と干渉構造が生じる。同じ平均フォノン数で大きな負性を持てるなら、限られたエネルギーの中に、ガウス操作だけでは生成できない状態構造を多く含められる可能性がある。

捕捉イオンの混成方式には、離散的な内部状態と連続的な運動状態を同じ装置内で使える利点がある。内部状態は条件分岐、補助測定、制御操作に向き、運動状態は多数の準位を使った情報表現に向く。今回の実験では、内部状態によって高次の非線形操作を条件づけ、運動側へ非ガウス状態を生成し、回路途中測定によって目的の重ね合わせを取り出した。

この構造は、非ガウス状態を作る装置と、その状態を操作する量子ビットを別々に用意する方式とは異なる。生成、条件制御、測定を一つのイオン内で行えるため、状態注入や混成ゲートの実装へ接続しやすい可能性がある。その反面、同じ内部状態を生成と測定の双方に使うため、補助系の誤差や操作時間が運動状態の品質へ直接影響する。

状態の非ガウス性が高いほど、計算が自動的に高速化するわけではない。まず、その状態を用いてどの論理操作を実装するかを定義する必要がある。次に、状態準備の成功確率と忠実度を含めても、操作全体が実用的な頻度で実行できなければならない。さらに、非ガウス資源を消費した後の出力を読み出し、誤り訂正された論理回路へ統合する必要がある。

今回の研究は、普遍量子計算に必要な非ガウス資源を直接使ってアルゴリズムを実行したものではない。高次状態を生成し、その負性を比較した段階にある。計算資源としての評価には、状態を使って実装できるゲート、ゲート忠実度、必要な状態数、測定後選別の費用、誤り訂正との両立を調べる後続実験が必要になる。

7.3 設計自由度には生成、保持、検証の負担が伴う

今回の実験が直接示した範囲は、単一のストロンチウム 88 イオンの一つの運動モードに、同種または異種の非古典状態の重ね合わせを生成し、その状態全体をトモグラフィーで再構成できることである。状態の種類、強さ、向き、相対振幅、相対位相、分離を変更できるため、生成可能な状態の範囲は広がった。

この状態空間の広がりと、量子装置全体の性能は同じ尺度では測れない。既稿で整理したように、量子計算機としての能力は、物理状態の複雑さや量子ビット数だけでは決まらない。物理操作の精度、論理誤り率、誤り訂正後に実行できる操作数、計算結果を得るまでの時間、装置を拡張した場合の制御可能性を含めて評価する必要がある[26]

状態設計の自由度を増やすと、生成操作も複雑になる。二次、三次、四次の相互作用を切り替え、構成要素を第三準位へ退避し、別の相互作用を加え、内部状態を再結合し、回路途中測定で目的の結果を選ぶ。操作段階が増えるほど、レーザー位相のずれ、パルス面積の誤差、内部準位の不完全な移送、運動モードの加熱が蓄積する。

実験開始時の運動モードも、完全な基底状態ではない。レーザー冷却によって基底状態に近づけても、有限の熱的占有が残る。初期状態に複数のフォノン数成分が含まれていれば、同じ非線形操作を加えても、理想的な基底状態から始めた場合とは異なる準位へ確率振幅が広がる。直接には初期分布が広がり、その結果として、最終的な干渉模様とウィグナー負性が理想値から低下する。

操作中の加熱は、外部電場雑音などによって運動モードへフォノンが加わる現象である。非線形状態の生成に時間がかかるほど、意図した相互作用による変化と、待機中に生じる加熱の変化が近い大きさになる。今回の四次状態では、相互作用を加えた場合と、装置を同じ時間だけ待機させた場合との差が小さくなり、理想的な数値予測とのずれも大きくなった[1]

高次状態ほど加熱の影響を受けやすい理由は、単に操作時間が長いからだけではない。ウィグナー関数に現れる細かな干渉構造は、フォノン数準位間の精密な位相関係によって作られる。加熱によって意図しない準位遷移が起きると、その位相関係が乱れ、正負が細かく交互に並ぶ構造から先に失われる。分布の大まかな形が残っていても、資源として評価される負性は低下し得る。

量子重ね合わせを利用するには、構成要素間の相対位相が保持されなければならない。環境との相互作用によって、異なる生成経路の位相情報が外部へ漏れ、干渉が失われる過程はデコヒーレンスとして整理できる[27]。デコヒーレンスが進むと、二つの構成要素は図として残っていても、両者の間にあった干渉項が減少し、古典的混合に近づく。

回路途中測定は目的状態を選ぶために必要だが、生成を測定後選別へ依存させる。指定した暗状態が得られた試行だけを採用するため、成功確率が低ければ、多数の試行を捨てることになる。相対振幅や構成要素間の重なりを変更すると、選択した測定結果が得られる確率も変わる。生成できる状態の範囲が広くても、低い成功率のために有効な試行を十分集められなければ、計算や計測へ反復的に供給することは難しい。

状態トモグラフィーにも独立した費用がある。ウィグナー関数を再構成するには、位相空間上の多数の点について特性関数を測り、各点で同じ状態生成を繰り返さなければならない。状態が複雑になるほど細かな干渉構造を捉えるための測定点が増え、統計誤差を減らすための試行数も増える。

測定回数が有限であると、ショット雑音によって再構成図に細かな正負の変動が現れる。本来存在しない負の領域が生じれば、ウィグナー負性を過大評価する可能性がある。逆に、測定分解能が不足すれば、本来の細かな干渉模様が平均化され、負性を過小評価する。状態の生成精度と、生成状態を評価する測定精度を分離して考えなければならない。

評価段階 今回確認された内容 性能へ変換する際の制約 次に必要な検証
生成可能性 同種・異種の非古典状態を重ね、種類、強さ、向き、振幅、位相、分離を調整した。 操作列の長期化、測定後選別、レーザー制御誤差によって生成効率が下がる。 成功確率、準備時間、忠実度を状態ごとに比較することが課題となる。
状態品質 干渉構造とウィグナー負性を含む状態全体を再構成した。 初期熱占有、加熱、デコヒーレンス、統計誤差によって負性が変化する。 測定誤差を分離した忠実度と資源量の定量評価が必要になる。
反復供給 選択した測定結果に応じて目的状態を生成できることを示した。 測定後選別により、必要な状態を毎回確定的に供給できない。 決定論的生成または高成功率の状態準備への改良が求められる。
拡張性 単一イオンの単一運動モードで原理を実証した。 複数モードでは周波数混雑、不要結合、加熱経路、制御変数が増える。 複数イオン、複数モード、他の振動子方式で同じ制御性を検証することが課題となる。
量子計算 高い非ガウス性とウィグナー負性を持つ状態候補を生成した。 状態資源をゲートへ変換する回路、読出し、誤り訂正が未実証である。 具体的な論理操作、ゲート忠実度、資源消費量の測定が求められる。
量子誤り訂正 回転対称性を利用できる符号候補と誤り空間の構造を示した。 誤り検出、復号、訂正、論理寿命の改善を実行していない。 反復訂正後の論理誤り率を、保護されていない状態と比較することが課題となる。
量子センシング 変位へ敏感になり得る量子揺らぎと干渉構造を持つ状態を生成した。 状態準備時間や損失を含めた感度と帯域が不明である。 既知の外部信号を加え、推定誤差と単位時間当たりの感度を測定することが課題となる。

今回確認されたのは、複数種類の非古典状態を生成できることと、その資源性をウィグナー負性や回転対称性から評価できることである。量子計算の実行速度、論理量子ビットの寿命、センサー感度は測定されていない。拡張された設計空間を実用的な選択肢へ変えるには、状態の複雑さを上回る精度で、生成、保持、操作、読出しを制御することが求められる。


8. 非古典状態を組み立てる設計範囲が広がった

8.1 生成操作と状態再構成を同じ基盤で結びつける

今回の成果を生成された状態名だけで整理すれば、スクイーズ状態、三次スクイーズ状態、四次スクイーズ状態を構成要素とする重ね合わせを作ったという一覧になる。しかし、状態の種類を列挙するだけでは、研究チームが確立した操作体系の意味を捉えられない。今回成立したのは、非線形相互作用の選択、生成経路の分岐、内部準位への一時退避、異なる操作の連結、回路途中測定、状態トモグラフィーを、一つの状態生成手順として接続する構造である。

最初の段階では、どの非線形相互作用を、どの内部状態に条件づけて作用させるかを決める。二次、三次、四次の相互作用を選ぶことで、構成要素が占有するフォノン数準位と回転対称性が変わる。相互作用の強さと位相を変えれば、量子揺らぎの大きさと位相空間上の向きを調整できる。ここでは、生成する状態の内部構造が、実験条件から直接決まる。

次の段階では、異なる生成操作を一つの重ね合わせへ統合する。既に作った構成要素を第三の内部準位へ退避させれば、その状態を保ったまま、別の生成経路へ異なる次数の相互作用を加えられる。内部状態を再結合し、特定の基底で回路途中測定を行うと、二つの生成履歴を区別する情報が取り除かれ、運動側には指定した相対振幅と相対位相を持つ重ね合わせが残る。

この時点で目的状態を生成できたと仮定するだけでは、状態設計は成立しない。初期冷却が不完全であれば、想定外のフォノン数準位から操作が始まる。操作中に加熱が起きれば、意図しない準位へ確率振幅が移る。レーザー位相や操作時間がずれれば、構成要素の向きと強さが設計値から外れる。回路途中測定の成功確率が低ければ、同じ状態を反復的に供給することも難しくなる。

そこで、生成後の運動状態について特性関数を測定し、ウィグナー関数を再構成する。再構成結果から、各構成要素の形、向き、回転対称性だけでなく、二成分の間に相対位相が保持されているか、干渉構造と負性がどこに現れるかを確認する。独立に測定した初期温度、加熱率、操作条件を使う数値計算と比較すれば、理想状態との差が、既知の実験条件でどこまで説明できるかも判定できる。

生成条件と再構成結果を同じ物理モデルで対応づけることで、状態の種類、強さ、向き、相対位相を変えたときの影響を検証できる。今回示されたのは、測定結果から自動的に生成条件を更新する閉ループ制御ではなく、非線形操作と回路途中測定によって作った状態をトモグラフィーで確認し、既知の実験条件を含む数値計算と照合できる基盤である[1]

生成操作だけでは、意図した状態と偶然得られた状態を区別できない。状態再構成だけでも、新しい構成要素を選んで重ね合わせることはできない。今回の研究は、両者を高次スクイーズ状態の重ね合わせについて同じ実験基盤へ結びつけた。

8.2 量子重ね合わせは「二つある」だけではない

従来型の猫状態と今回生成された状態は、いずれも複数の構成要素を一つの量子状態へ重ね合わせている。この共通点だけを見れば、違いは猫状態の新しい変種が加わったことに見える。しかし、両者では、構成要素が持つ内部構造と、その構造を決める生成操作が異なる。

従来型の代表的な猫状態では、同じ形を持つ二つのコヒーレント状態を位相空間上で離し、相対振幅と相対位相を与える。各構成要素は、量子調和振動子の中では古典的な振動に近く、非古典性は主として離れた二成分を結ぶ干渉に現れる。設計対象は、波束の位置、距離、割合、位相が中心となる。

今回の状態では、構成要素自体がスクイーズ状態、三次スクイーズ状態、四次スクイーズ状態である。相互作用の次数が異なれば、フォノン数準位の選択則と回転対称性が変わる。強さと向きを変えれば、量子揺らぎの分布も変わる。その上で、異なる内部構造を持つ構成要素同士に、相対振幅、相対位相、空間的分離を与えている。

この違いは、最終状態の外見だけに現れるものではない。準位構造が変われば、フォノン損失を受けた後に状態が移る領域が変わる。回転対称性が変われば、正常な符号空間と誤り空間を区別する方法も変わる。ウィグナー負性と干渉構造が変われば、連続変数量子計算や変位計測へ利用できる状態資源の性質も変わる。

構成要素の内部構造を変える操作と、構成要素間の関係を変える操作は、別の実験変数に対応する。非線形相互作用の次数、強さ、位相は各構成要素を決める。内部状態の準備、第三準位への退避、回路途中測定の基底は、二つの生成経路をどの割合と位相で統合するかを決める。この役割分担によって、状態の内部と状態間の関係を、完全には独立でないものの、別々の設計段階として扱える。

ただし、設計可能な変数が増えるほど、目的状態を安定して得る条件は厳しくなる。高次の相互作用には長い操作時間と精密な位相制御が求められ、初期熱占有と加熱の影響も大きくなる。異種状態を組み合わせるには第三準位への移送が増え、回路途中測定へ依存すれば成功しなかった試行を捨てることになる。細かな干渉構造の確認には、位相空間上の多数の点で状態生成と測定を繰り返す必要がある。

高いウィグナー負性や回転対称性は、量子計算、誤り訂正、計測への接続を検討する根拠になる。ただし、対象論文が実証したのは状態の生成と再構成であり、論理量子ビットの寿命、量子ゲートの忠実度、センサーの推定誤差ではない。研究の到達点は、高次の非古典状態を選択し、相互関係を調整できる状態候補と生成手順を増やしたことにある。

量子重ね合わせの情報構造は、構成要素が二つあるという事実だけでは決まらない。どのフォノン数準位から構成され、どの量子揺らぎと対称性を持つ状態を選び、それらをどの振幅と位相で結び、どの誤差の下でその関係を保持できるかによって決まる。

今回の研究が広げたのは、シュレーディンガーの猫という比喩の奇妙さではない。二次、三次、四次の非線形相互作用で構成要素を作り、三準位系で異なる生成経路を連結し、回路途中測定で重ね合わせを完成させ、トモグラフィーで生成結果を検証する操作体系である。量子状態工学は、構成要素と結合規則を選べる範囲を、高次の非古典状態同士の重ね合わせまで拡張した。


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