記憶は、断片から過去を再構成する

昔の出来事を思い出すとき、頭の中に保存されていた映像や文章を取り出しているように感じることがある。この感覚に従えば、記憶の正確さは、保存した情報がどれだけ失われずに残っているかで決まることになる。時間がたって細部を忘れるのは保存情報の欠落であり、思い出せなくなるのは読み出しに失敗した結果だと考えればよい。

人間の記憶について行われてきた実験では、情報の消失だけでは捉えきれない現象が繰り返し観察されている。事故映像を見た後に質問の表現を変えると、その後に報告される事故の内容が変わる。互いに関連する単語を覚えると、実際には提示されていない単語まで見たと判断することがある。また、過去の出来事を思い出した後に新しい情報を与えると、その情報が後の記憶へ入り込む場合もある。記憶の誤りには、保存された情報が減る方向と、過去には存在しなかった内容が加わる方向がある。

既稿「未来の自分に意味を残す」では、記憶だけに頼って過去の意味を保存することの不安定さを扱った[1]。そこでは、後から意味を再接続するためには、当時の判断理由や文脈を記憶の外側に残す必要があると整理した。この不安定さを脳の仕組みまで遡って考えると、記憶をファイルの保存と読み出しにたとえること自体に限界がある。過去の経験によって神経回路が変化し、後の想起では現在の手掛かりを入力として、その回路から関連する活動状態を再び成立させるという構造を考える必要がある。

この構造では、記憶の利点と誤りが別々の原因から生じるとは限らない。現在の入力が過去と完全に一致しなくても、断片的な手掛かりから関連する出来事を思い出せるなら、記憶は日常の不完全な環境でも利用できる。一方、手掛かりと過去の内部表現から記憶内容を補う以上、実際には存在しなかった内容まで関連情報として組み込まれる可能性が残る。断片から過去を復元できることと、誤った過去を成立させることは、同じ構成的な記憶処理の異なる帰結として検討できる。

この観点から神経回路をたどると、人工ニューラルネットワークとの比較にも具体的な意味が生まれる。両者が同じ仕組みで動いているという意味ではない。多数の要素の結合状態に過去の学習結果が残り、現在の入力からネットワーク全体の状態が決まるという計算上の構造が比較対象になる。記憶がなぜ再生ではなく再構成になるのかを考えるには、まず実際に人間がどのような内容を誤って思い出すのかを確認する必要がある。


1. 人は、起きなかったことまで思い出す

記憶の不正確さには、時間の経過による情報の欠落に加えて、経験していない内容が後から記憶へ加わる現象がある。保存した内容の一部が失われるだけなら、後から思い出せる情報量は減っていくとしても、経験していない出来事が新たに記憶として加わる理由にはならない。人間の記憶では、質問によって与えられた情報や、覚えた内容どうしの意味的な関係から、元の経験には存在しなかった内容が後の想起や再認に現れる。

Elizabeth Loftus と John Palmer は 1974 年、交通事故の映像を見た参加者に、車が衝突したときの速度を推定させた。参加者が見た事故映像は同じでも、質問文で衝突を表す動詞を変えると速度の推定値が変化した。さらに別の実験では、強い衝突を示唆する語を含む質問を受けた参加者ほど、1 週間後に、映像には存在しなかった割れたガラスを見たと回答する割合が高くなった[2]。

この結果では、質問文の違いが最初に速度判断へ影響し、その後には実際の映像に存在しない物体についての判断にも差が現れている。質問を受けた時点で単に数値の答え方が変わっただけなら、後日になって割れたガラスの有無まで条件間で異なる理由を説明しにくい。少なくとも実験結果は、出来事の後に与えられた言語情報が、その後に何を見たと判断するかへ影響しうることを示している。

Loftus、David Miller、Helen Burns は 1978 年、この事後情報の影響をさらに直接調べた。参加者に自動車と歩行者の事故をスライドで見せた後、元の場面と一致する情報、元の場面とは異なる誤情報、記憶対象と関係しない情報を与え、その後に元の出来事について再認させた。5 つの実験と予備実験を合わせた 1,242 人で、誤った事後情報を与えられた条件では、正しい情報や無関係な情報を与えられた条件より再認の正確さが低下した[3]。

この実験は、出来事を経験した時点の情報に加えて、その後に得た情報も記憶判断へ関与することを示している。事故を見るという最初の経験の後に別の情報が入り、その情報を含んだ状態で後から事故について問われると、元の出来事と事後情報の区別が記憶判断の中で失われる場合がある。過去についての回答は、経験時の入力と、その後に得た情報を含む履歴から成立する。

過去に存在しなかった内容は、外部から誤情報を与えなくても想起される。James Deese は、意味的に関連した単語をまとめて記憶させると、そのリストには含まれていなかった関連語が自由再生へ侵入することを 1959 年に報告した[4]。Henry Roediger と Kathleen McDermott は 1995 年にこの方法を発展させ、bed、rest、awake のように sleep と関連する語を提示すると、実際には提示していない sleep まで学習時に存在した語として想起・再認されることを示した。実験 2 では、こうした未提示の中心語が自由再生された割合は 55% に達した[5]。

この場合、後から「sleep があった」という誤情報は与えられていない。実際に提示された複数の単語が共通して sleep と意味的に結び付いており、その関係から未提示語まで記憶として成立している。個々の単語を互いに独立した記録として保存し、それぞれを後から読み出しているだけなら、提示されなかった語が高い割合で想起される現象は説明しにくい。記憶された要素どうしの関係が後の検索に影響し、その関係から入力されていない内容まで補われている。

実験系 元の経験 後から加わる要因 記憶に生じる変化
事後情報効果 事故映像など、実際に経験した出来事がある。 経験後に与えられた質問や誤った情報が、その後の記憶判断に影響する。 元の出来事には存在しなかった内容を、経験したものとして判断する場合がある。
関連語による虚偽想起 互いに意味的に関連する複数の単語を記憶する。 外部から誤情報を与えなくても、提示語どうしの意味的関連が未提示語を活性化する。 実際には提示されていない中心語を、提示されたものとして想起・再認する場合がある。

交通事故の実験と単語リストの実験では、誤った内容が生じる経路は異なる。前者では出来事の後に与えられた情報が記憶判断へ影響し、後者では記憶した項目どうしの意味的関連から未提示の内容が生じる。それでも、どちらも「最初に入力された情報の集合」と「後から成立した記憶内容」が一対一では対応していない。人間の記憶を理解するには、保存内容とともに、保存された要素がどのような関係を形成し、現在の手掛かりからどのように再び活動するのかまで説明する必要がある。

この段階では、誤記憶がどの神経回路から生じるかまでは決められない。心理実験から直接確認できるのは、人間の想起内容が過去の入力だけでは決まらず、事後情報や意味的関連によって変化するという事実である。次に必要になるのは、このような再構成を可能にする記憶が、脳内でどのような物理的状態として保持されているのかという問いである。


2. 経験は、一つの場所に完成品として保存されているわけではない

前章の心理実験では、記憶された内容が最初の経験だけでは決まらず、事後情報や意味的な関連によって変化することを確認した。この性質を脳の仕組みから考えるには、まず「経験した内容がどのような物理的変化として残るのか」を分けて考える必要がある。神経科学で直接観察できるのは、事故の映像や単語の一覧そのものではなく、経験の前後で神経細胞の活動や細胞間の信号伝達が変化し、その変化が後の行動や想起と関係することである。

その代表的な現象が、シナプスの長期増強である。シナプスは神経細胞から別の神経細胞へ信号を伝える接続部であり、同じ入力を受けても、その伝達の強さは一定ではない。Tim Bliss と Terje Lømo は 1973 年、ウサギの海馬形成へ入る神経線維を短時間に強く刺激すると、その後、同じ入力に対するシナプス応答が長時間にわたって増強されることを報告した[6]。一時的な電気活動が終わった後にも伝達特性の変化が残るため、過去の入力が将来の回路活動を変える物理的な仕組みが存在することになる。

ただし、この実験だけから「長期増強が記憶そのものである」とは言えない。Bliss と Lømo が操作したのは人工的な電気刺激であり、動物が出来事を経験して何かを学ぶ過程とは条件が異なる。記憶との関係を主張するには、実際の学習によって同種のシナプス変化が生じることと、その変化を操作したときに記憶の発現も変わることを別々に確かめる必要がある。

Jonathan Whitlock らは 2006 年、ラットに新しい環境で回避学習を行わせ、その前後で海馬のシナプス伝達を測定した。学習後には、実験的な刺激によって誘導される長期増強と共通する性質を持つシナプス変化が観察された[7]。人工刺激によって作れる持続的変化と、動物自身の学習によって生じる変化が同じ海馬回路で重なることから、シナプス可塑性は学習に伴って実際に利用される仕組みだと考えられる。

Sadegh Nabavi らは 2014 年、恐怖条件づけで形成された記憶とシナプス強度の関係へ介入した。長期増強とは反対にシナプス伝達を持続的に弱める長期抑圧を人工的に誘導すると、条件づけられた恐怖反応が現れなくなった。その後、同じ回路に長期増強を誘導すると、恐怖反応が再び現れた[8]。学習とシナプス変化が同時に起きるという相関に加え、シナプス伝達の状態を変えることで記憶に基づく行動も変化した点に、この実験の意味がある。

ここまでを見ると、経験によって変化したシナプスが後の記憶に関与することは分かる。実際の想起では、一つの出来事に多数のシナプスと神経細胞が関与し、神経細胞は集団として活動する。どの細胞集団が特定の経験に関与しているかを調べるために使われてきたのが、学習時に活動した神経細胞を標識し、後からその集団だけを操作する方法である。

Xu Liu らは、マウスが特定の環境で恐怖条件づけを受けたときに活動した海馬の神経細胞へ、後から光で活動させられる分子を発現させた。その後、別の環境でこの細胞集団を光刺激すると、実際の恐怖条件づけ場面を再提示していないにもかかわらず、マウスは恐怖記憶の想起に対応する反応を示した[9]。学習時に活動した細胞集団を再び活動させるだけで記憶に基づく行動を誘導できたことから、記憶の想起には経験時の神経活動パターンを構成した細胞集団の再活性化が関与している。

このように特定の記憶の形成や想起に関与する細胞集団は、エングラムと呼ばれる。ただし、エングラムを「一つの記憶が格納された場所」と理解すると、再びファイル保存の比喩へ戻ってしまう。ある出来事の記憶に関与する細胞は一つの領域だけに集まっているとは限らず、同じ経験について複数の脳領域が異なる役割を担いながら活動する。

Dheeraj Roy らは 2022 年、マウスの文脈恐怖条件づけについて、学習時に活動する細胞集団を脳全体で調べた。記憶に関連する細胞集団は海馬だけでなく、扁桃体や皮質を含む複数の領域に分布していた。それらのうち複数の細胞集団を同時に人工的に再活性化すると、一つの集団だけを再活性化した場合より強い記憶想起行動が生じた[10]。一つの文脈恐怖記憶であっても、その物理的基盤を単一の場所だけへ対応させることはできない。

観察する階層 実験で確認されたこと 記憶について説明できること
シナプス 神経活動によってシナプス伝達の強さが長時間変化し、実際の学習でも同種の変化が生じる。 過去の経験が、後の神経活動の起こり方を変える物理的な痕跡を残せる。
細胞集団 学習時に活動した特定の神経細胞集団を再活性化すると、記憶に対応する行動を誘導できる。 想起では、経験に関与した神経活動の構成を再び成立させる過程が関与する。
複数脳領域 一つの記憶に関与する細胞集団が複数領域に分布し、複数集団の再活性化が想起を強める。 一つの記憶を、一つの細胞や一つの脳領域に保存された完成品として対応付けることはできない。

この三つの階層は、記憶に残る物理的変化から実際の想起までを連続して構成する。経験によって個々のシナプスの伝達特性が変わると、その後に神経細胞がどのように活動しやすいかが変わる。多数のシナプス変化が細胞集団の活動パターンに影響し、その細胞集団が複数の脳領域をまたいで相互作用することで、出来事に対応する神経活動が成立する。シナプス、細胞集団、領域間回路という複数の階層が連続している。

この構造では、過去の経験をもう一度利用するために、経験時の感覚入力を完全に保存しておく必要はない。経験によって変化した回路が残っていれば、後から一部の手掛かりを入力したときに、関連する細胞集団を再び活動させられる可能性がある。保存されるものを「出来事そのもの」と考えるのではなく、「後から出来事に対応する活動を成立させるよう変化した神経回路」と考えると、記憶の物理的な仕組みと想起の関係を連続して説明できる。

すると次に問うべきことも変わる。記憶が一つの保存場所から完成品を取り出す処理なら、正しい番地から正しいデータを読む仕組みを考えればよい。複数の神経細胞と脳領域から活動状態を再形成する場合には、現在与えられた手掛かりの一部から、どのように過去の活動状態へ戻れるのかを説明する必要がある。この問いが、海馬で調べられてきたパターン補完へつながる。


3. 断片しかなくても思い出せる

前章では、経験によって変化した神経回路が残り、想起時にはその回路の一部が再び活動するという構造を見た。ここで次の問題が生じる。過去の出来事を思い出すとき、経験時と同じ感覚入力が再び与えられることはほとんどない。昔住んでいた家を思い出す場合でも、玄関の匂い、最寄り駅の名前、部屋の一角の写真といった断片から、当時見えていた景色、聞こえていた音、人物や出来事までまとまって想起されることがある。

この性質を説明する考え方がパターン補完である。過去の経験に対応する神経活動を一つのパターンと考えると、想起時に与えられるのはその一部分にすぎない。それでも部分的な入力が以前形成された回路を十分に刺激できれば、活動は入力された部分を越えて、過去の経験に対応するより完全な状態へ近づいていく。記憶検索は、一部の手掛かりから関連する状態を回復する処理として成立する。

海馬の CA3 領域は、このパターン補完を調べる主要な対象になってきた。CA3 では神経細胞同士が相互に結合する再帰的な回路が発達しているため、一部の細胞が活動したとき、その活動が過去に同時に活動した別の細胞へ広がる構造を持つ。この回路構造から、部分的な入力を過去に形成された活動パターンへ近づける働きが古くから予測されてきた。

Kazu Nakazawa らは、この予測を行動実験から検証した。CA3 の NMDA 受容体を選択的に欠損させたマウスでも、十分な手掛かりが残っている環境では学習済みの空間記憶を検索できた。一方、周囲の手掛かりを減らすと、通常のマウスに比べて記憶検索が大きく障害された[11]。この違いは、記憶そのものが全面的に失われた場合とは異なる。十分な情報を与えれば検索できるのに、入力が不完全になると検索できなくなるため、障害されたのは記憶の保持全体よりも、部分的な入力から既存の記憶表現を回復する処理だと解釈できる。

パターン補完が働くなら、入力が少し変わるたびに海馬の表現が同じ割合で少しずつ変わるとは限らない。Tom Wills らは、ラットが置かれる環境を段階的に変えながら海馬の場所細胞活動を記録した。すると、環境が変化してもある範囲では元の活動表現が維持され、一定の境界を越えたところで別の表現へ急に切り替わる挙動が観察された[12]。入力の変化をそのまま連続的に写しているだけなら、このような切り替わりは生じにくい。

この挙動は、ネットワークがいくつかの安定した活動状態を持つアトラクター動力学と整合する。入力が多少欠けたり変化したりしても、現在の状態が過去に形成された安定状態の近くにあれば、回路内の相互作用によってその状態へ引き寄せられる。環境の変化が一定範囲を越えると、今度は別の安定状態へ移る。この仕組みなら、感覚入力が経験時と完全には一致しなくても、「同じ場所についての記憶」として活動状態を維持できる。

Joshua Neunuebel と James Knierim は、パターン補完を入力側と出力側の活動を比較することでより直接に調べた。海馬へ情報を送る歯状回と、その情報を受け取る CA3 の神経活動を同時に記録し、環境から得られる手掛かりを段階的に減らした。入力条件が悪化すると歯状回の活動表現は大きく変化したが、CA3 ではより一貫した表現が維持された[13]。入力された表現が崩れているにもかかわらず、その後段の CA3 で以前の状態に近い表現が回復するため、パターン補完を神経集団の活動として観察した結果になる。

ただし、記憶系が補完だけを行えば別の問題が生じる。昨日入った部屋と今日入ったよく似た部屋、隣り合った二つの駐車場所、似た場面で交わした別々の会話まで同じ活動状態へ引き寄せられれば、個々の経験を区別できなくなる。過去の状態へ戻す処理とは反対に、互いによく似た入力を異なる記憶表現へ分ける処理も必要になる。これがパターン分離である。

Arnold Bakker らはヒトの機能的磁気共鳴画像法を用い、過去に見た画像、それとよく似ているが異なる画像、まったく新しい画像を提示したときの海馬活動を比較した。歯状回と CA3 を含む領域では、よく似た新しい刺激に対して、単なる入力の類似度をそのまま反映するよりも、新しい刺激として区別する方向の活動が観察された[14]。ヒトの測定では歯状回と CA3 を完全に分離して評価することには限界があるものの、この結果は、類似した入力を異なる記憶表現へ変換するパターン分離と整合する。

処理 入力 神経表現の変化 成立する記憶機能 一方だけが強い場合の問題
パターン補完 過去の経験と部分的に一致する、不完全な手掛かりが入る。 部分的な活動から、以前形成された記憶表現に近い状態を回復する。 経験時と完全に同じ入力がなくても、断片から出来事を想起できる。 似た経験まで同じ記憶として回復すれば、別々の出来事を混同しやすくなる。
パターン分離 過去の経験とよく似ているが、同一ではない入力が入る。 互いによく似た入力を、重なりの小さい異なる記憶表現へ変換する。 場所や出来事が類似していても、それぞれを個別の経験として保持できる。 わずかな違いまで別の表現に分ければ、共通する手掛かりから関連する記憶を検索しにくくなる。

この二つは、片方が正しく片方が誤りを生むという関係ではない。記憶を利用するには、似た入力の一部を同じ経験へ結び付けながら、区別する必要がある差異は別の経験として保持しなければならない。パターン補完がなければ、過去と少し条件が違うだけで記憶へ到達できなくなる。パターン分離がなければ、似た経験が同じ表現へ重なり、いつ、どこで、何が起きたのかを区別できなくなる。

この構造では、想起内容は保存済みデータの一意な読み出しではなく、現在の手掛かりと過去に形成された神経回路の双方から成立する。入力の一部が過去に形成された回路を活動させ、その活動がネットワーク内部の結合によって補われる一方、似ていても別の経験として保持すべき入力は別の表現へ分けられる。

この仕組みは、断片から記憶を呼び戻せる理由を説明すると同時に、次の問題を生む。ネットワークは不足した部分を既存の表現から補うため、補われた内容が実際の過去と一致するとは限らない。第 1 章で見た、存在しなかった内容まで記憶として成立する現象を神経回路の側から考えるためには、この補完能力がどのような条件で誤った内容へ結び付くのかを検討する必要がある。


4. 補完できる仕組みは、存在しなかった内容も作りうる

前章で扱ったパターン補完には、明確な利点がある。過去の経験と現在の入力が完全に一致しない状況でも、一部の手掛かりから以前の記憶表現へ到達できるからである。昔の友人を横顔だけで認識し、店の名前を聞いただけでそこで交わした会話を思い出し、数年前の写真から当時一緒にいた人物まで想起できる。経験時の入力を完全に再現せず、断片から関連する記憶へ到達できることが、この仕組みの利点である。

その能力は同時に、想起内容へ過去の入力以外の要素が加わる余地を作る。現在与えられるのは経験全体の一部分であり、神経回路はその部分入力を手掛かりとして、過去に形成された内部表現から不足部分を補う。補完された部分は、過去の経験によって形成された結合関係や、現在同時に与えられている文脈に依存して成立する。

ここで、第 1 章の心理実験との接続が生まれる。事後情報効果では、事故を見た後に与えられた言語情報が、その後の記憶判断へ入り込んだ。関連語による虚偽想起では、外部から誤った情報を追加しなくても、提示された語同士の意味的な関係から未提示語が記憶として成立した。どちらも、後の想起内容が最初の入力だけでは決まっていない。ただし、この共通点だけから、人間の誤記憶が海馬 CA3 のパターン補完によって直接生じると結論することはできない。心理実験が測定しているのは記憶判断であり、CA3 の実験が測定しているのは特定の神経回路における記憶検索だからである。

両者を接続できる範囲は、もう一段抽象度を上げたところにある。過去を思い出す処理では、すでに形成されている内部表現が現在の入力に応答して活動する。入力が不完全であれば、内部表現による補完が必要になる。現在の文脈や関連情報がその活動へ加われば、最終的に成立する記憶内容が過去の入力と一致しない場合がある。誤記憶には、「どこかに保存された正しい記録が壊れた」という経路に加えて、現在の入力と既存表現の相互作用から別の内容が成立する経路も考える必要がある。

この構造へ神経回路の側から介入した研究がある。Steve Ramirez らは 2013 年、マウスがある環境を経験したときに活動した海馬の神経細胞集団を標識した。次にマウスを別の環境へ移し、そこで電気刺激による恐怖条件づけを行う最中に、最初の環境を経験したときの細胞集団を光で人工的に再活性化した。その後、マウスを最初の環境へ戻すと、そこでは実際に電気刺激を受けていないにもかかわらず、恐怖反応が現れた[15]。

この実験では、経験した出来事そのものが後から変更されたわけではない。マウスが最初の環境を経験したことも、別の環境で電気刺激を受けたことも変わらない。操作されたのは、その二つの経験を結ぶ関係である。本来は別の時点と場所に属していた「最初の環境の神経表現」と「恐怖を生じさせる経験」が同時に活動する状況を人工的に作ることで、実際の経験履歴にはなかった連合が形成された。

この違いは、記憶の再構成を考えるうえで重要である。誤記憶には、存在しなかった映像や文章を脳内で一から作る場合に加えて、実際に経験した要素の時間、場所、原因、結果の関係が誤って結び付けられる場合もある。後者では、個々の要素が実在していても、出来事全体としては事実と異なる記憶になる。Ramirez らの実験は、神経回路の再活性化と新しい経験を同時に成立させることで、そのような誤った連合を人工的に形成できることを示した。

証拠 何が変化するか 直接確認できること そこからは断定できないこと
事後情報効果 経験後に与えられた情報によって、後の記憶判断が変化する。 人間の想起や再認が、経験時の入力だけでは決まらないことを確認できる。 どの神経回路がその変化を直接生じさせたかまでは特定できない。
関連語による虚偽想起 提示項目の意味的関連から、提示されていない内容が記憶として成立する。 外部から誤情報を与えなくても、既存の関連構造によって虚偽想起が生じうることを確認できる。 海馬のパターン補完だけを原因として人間の虚偽想起を説明することはできない。
海馬のパターン補完 不完全な入力から、過去に形成された表現に近い神経活動が回復する。 記憶検索が、入力された情報をそのまま読み出すだけの処理ではないことを神経回路から検討できる。 この機構だけから人間の自伝的誤記憶まで説明することはできない。
人工的な誤連合 過去の文脈表現と、別の時点で生じた恐怖経験との関係が人工的に形成される。 神経回路の再活性化と新しい経験を結び付けることで、実際の経験履歴とは異なる連合を形成できる。 マウスの文脈恐怖記憶と、人間の複雑な自伝的誤記憶を同一の現象として扱うことはできない。

この表で区別した四つの証拠は、一つの実験系列ではない。対象も測定方法も異なり、それぞれが示す範囲も異なる。それでも、記憶を「経験時に完成した内容を固定しておき、後からそのまま読む仕組み」と考えた場合には説明しにくい性質を、別々の方向から示している。現在の入力から過去の表現を呼び戻すこと、既存の関連から不足部分を補うこと、再活性化された表現を新しい経験と結び付けることが、記憶の利用に含まれている。

この構造では、記憶の正確さと有用性は、同じ再構成処理から異なる帰結として生じうる。パターン補完そのものが必ず誤記憶を生むわけではない。不完全な手掛かりから関連する過去へ到達し、その経験を現在の状況で利用するためには、過去に形成された内部表現を現在の入力から再活性化する必要がある。その過程が適切な表現へ収束すれば有効な想起になり、関連付ける対象や文脈を誤れば事実とは異なる記憶が成立しうる。

この違いは、記憶を「不正確だから信用できない」と評価するより、過去の経験を現在の判断へ利用する仕組みとして捉える必要があることを示している。現在の状況に応じて過去の表現を再活性化し、新しい経験との関係を形成できることで、経験から継続的に学習できる。

この可塑性は記憶を形成した時点に限られない。すでに成立した記憶を後から思い出したときにも、再活性化された記憶が一定の条件で変更可能になることが報告されている。記憶が再構成されるという議論を、検索時の補完に加えて想起後の更新まで進めるには、再活性化された記憶がどのような条件で変化するのかを見る必要がある。


5. 思い出した記憶は、そのまま元の状態へ戻るとは限らない

前章までに扱った再構成は、主として「想起するときに何が成立するか」という問題だった。現在の手掛かりから過去の表現を呼び戻すとき、意味的な関連や事後情報が入り、実際の経験とは異なる内容が想起されることがある。想起にはもう一つ、過去の記憶を呼び戻したことによって、その後に残る記憶そのものが変化する場合があるという問題がある。

この二つは区別する必要がある。再構成的記憶とは、想起された内容が保存済みの情報をそのまま複製するのではなく、手掛かり、意味関係、現在の文脈、事後情報などとの相互作用から成立するという広い性質を指す。一方、再固定化は、すでに形成され安定していた記憶が再活性化された後、一定の条件で再び変更可能な状態へ移り、その後に再度安定化するという過程を指す。前者は想起内容の成立についての概念であり、後者は再活性化後の記憶表現が時間をかけて変化しうるという仮説である。

再固定化を考える出発点になった代表的研究が、Karim Nader、Glenn Schafe、Joseph LeDoux による 2000 年の実験である。ラットに音と電気刺激を組み合わせた恐怖条件づけを行い、いったん記憶を形成した後、音を再提示して恐怖記憶を再活性化した。その直後に扁桃体へタンパク質合成阻害薬を投与すると、後のテストで恐怖反応が低下した[16]。

この結果だけなら、薬剤によって記憶全般が損なわれた可能性も考えられる。しかし、記憶を再活性化せずに同じ処置をした条件では同じ障害が生じなかった。形成済みの記憶が常に薬剤へ弱くなっているのではなく、記憶を呼び戻した直後にだけ、その後の維持にタンパク質合成が必要になる状態が生じたことになる。固定済みの記憶も、再活性化されると一定時間だけ再び不安定になり、その後の安定化を必要とするという再固定化の考えは、この条件差から導かれた。

この実験が示したのは、想起すると過去の内容が自由に書き換えられるということではない。直接確認されたのは、再活性化された恐怖記憶の維持が、その直後の分子過程へ再び依存するということである。記憶が更新される可能性を考えるための神経生物学的な条件を示したのであって、人間の複雑なエピソード記憶が想起のたびに内容を変えることまで、この実験だけから導くことはできない。

人間のエピソード記憶について、再活性化後に新しい情報が取り込まれるかを調べたのが Almut Hupbach らの実験である。参加者は 1 日目に一組の物体を学習し、2 日目にはその記憶を思い出すための手掛かりを与えられた後、別の物体群を学習した。3 日目に最初の物体群を思い出させると、2 日目に最初の記憶を再活性化された参加者では、後から学習した物体が 1 日目のリストへ混入しやすかった[17]。

この実験では、新しい物体を学習したという事実だけでは混入を説明できない。最初の記憶を再活性化せずに新しい物体を学習した条件では、同じ程度の混入は生じなかった。また、再活性化後すぐのテストではなく、時間を置いた後のテストで混入が現れた。古い記憶を呼び戻した状態で新しい情報を学習すると、その情報が時間をかけて古い記憶へ統合されるという結果は、再固定化に伴う更新と整合する。

ただし、物体リストは実験室で作られた記憶であり、日常の出来事とは構造が異なる。Peggy St Jacques、Christopher Olm、Daniel Schacter は、参加者自身が博物館を歩いて経験した出来事を利用し、再活性化後の更新をより自然なエピソードで調べた。参加者は見学時に撮影された写真を見て出来事を思い出し、その後、実際には経験していない内容を含む写真も提示された。後の記憶テストでは、再活性化によって実際の出来事を正しく思い出しやすくなる場合がある一方、後から提示された誤情報まで自分が経験した内容として取り込む場合もあった[18]。

この結果では、再活性化が既存の記憶を強める方向にも、新しい情報を取り込んで内容を歪める方向にも働いている。再活性化された記憶が変更可能になるのであれば、その後に何が入力されるかによって帰結が変わる。元の経験と一致する情報が再び与えられれば既存の表現を補強し、経験とは異なる情報が加われば後の想起内容を変える可能性がある。

現象 記憶のどの段階を扱うか 実験から確認できること 主張できる範囲
再構成的記憶 過去の出来事を現在の手掛かりから想起するときの内容を扱う。 事後情報、意味的関連、文脈などによって、想起や再認の内容が元の経験と異なる場合がある。 記憶検索が固定データの忠実な読み出しだけでは説明できないことを示す。
再固定化 形成済みの記憶を再活性化した後、その記憶が再び安定するまでの過程を扱う。 一定の条件では、再活性化後の記憶維持が新たな分子過程に依存し、後続情報の影響を受ける場合がある。 想起されたすべての記憶が必ず不安定化し、毎回内容を書き換えるとまでは言えない。
再活性化後の更新 再活性化された記憶と、その直後に入る新しい経験との関係を扱う。 新情報が古い記憶へ統合されたり、正しい記憶と誤った記憶の双方が強まったりする場合がある。 更新の成否や方向は、記憶の性質と再活性化条件に依存する。

再固定化については、成立条件そのものが研究対象になっている。Kristen Jardine らが 2022 年に人間と非ヒト動物の研究を整理したところ、再活性化後の記憶更新を支持する結果が多数ある一方、同じ効果を再現できなかった研究も存在する[19]。再活性化したという事実だけで、必ず記憶が不安定化すると考えることはできない。

記憶がどれほど強く形成されているか、形成からどれだけ時間が経過しているか、再活性化時に予想外の情報が含まれるか、どの程度の時間記憶を呼び戻すかといった条件によって、その後の更新可能性が変わると考えられている[19]。既存の予測と現在の入力が完全に一致する状況では、古い記憶を変更する必要が生じにくい。これに対して、既存の記憶だけでは説明できない新しい情報が入れば、現在の経験に適応するために記憶表現を更新する意味が生じる。この境界条件を含めて考えると、再固定化は「想起による上書き」よりも、既存の記憶を現在の経験へ適合させる条件依存の過程として位置付けられる。

再構成的記憶と再固定化を区別すると、記憶が変化する二つの段階も見えてくる。第一に、過去を思い出す時点で、現在の手掛かりと既存の内部表現から想起内容が構成される。第二に、その再活性化された状態へ新しい情報が入ると、一定の条件ではその影響が後の記憶表現にも残る。想起時に内容が構成されることと、想起後に記憶そのものが更新されることは別の過程だが、どちらも過去の記憶が現在の神経活動として再び成立することを前提としている。

この構造では、記憶を一度保存した後は読み取り専用になる情報として扱うことはできない。過去の経験から形成された表現は、後の手掛かりによって再活性化され、その時点の文脈や新しい経験と再び接触する。更新が起きなければ過去の経験を安定して保持でき、更新が起きれば新しく得た情報を既存の知識へ統合できる。固定と変更可能性の両方があることで、記憶は過去を保持しながら、その後の経験にも対応できる。

この性質は、次に人工ニューラルネットワークとの比較を考える際にも重要になる。比較すべきなのは、記憶内容がどこかに完成品として格納されているかどうかではなく、過去の学習によって形成された結合構造が現在の入力に応じて活動し、その活動と新しい入力によって後の状態が変化しうるという計算上の構造である。生物の記憶と人工モデルの違いを残したまま、この共通する構造を取り出す必要がある。


6. 人工ニューラルネットワークと似ているのは、記憶の形ではなく計算原理である

ここまでの神経科学研究を並べると、記憶について一つの共通した構造が見えてくる。経験によってシナプスの伝達特性が変わり、その変化を含む細胞集団が後の想起に関与する。想起時には、過去と同じ感覚入力を再現するのではなく、現在与えられた一部の手掛かりから関連する活動状態が再形成される。さらに、再活性化された記憶は一定の条件で新しい情報の影響を受ける。記憶を一つの場所に置かれた完成済みデータとして考えるより、過去の経験によって変化したネットワークが現在の入力に応答して状態を形成する過程として考えた方が、これらの現象を同じ枠組みの中で扱える。

既稿「意味は差異の読み取りから生まれる」では、知覚や判断を、発火、シナプス結合、神経伝達物質、神経回路の活動が重なる階層として扱った[20]。記憶についても同じ見方が必要になる。一つの経験には多数の要素の結合と活動が関与し、その関係が後の想起を可能にする。人工ニューラルネットワークとの比較が成立するのは、この多数の要素から状態が形成されるという水準である。

この比較を明確にする古典的なモデルが Hopfield ネットワークである。John Hopfield は 1982 年、多数の単純な計算要素を相互に接続し、その結合関係によって複数の安定した活動状態を保持できるネットワークを示した[21]。ある記憶に対応する完全な状態を毎回入力する必要はない。その状態の一部を初期値として与えると、要素同士の相互作用によって活動が更新され、十分に近い記憶状態へ収束できる。

通常のコンピュータの記憶装置と比べると、この違いが分かりやすい。メモリアドレスを使う記憶装置では、保存場所を指定して、そこに置かれた値を読み出す。Hopfield ネットワークの内容アドレス型記憶では、保存場所の番号ではなく、探している内容の一部分そのものが検索の手掛かりになる。「どこに保存したか」を指定する代わりに、「これに似た状態を探す」という検索がネットワークの状態変化として実行される。

この計算は、第 3 章で扱った海馬 CA3 のパターン補完と共通する構造を持つ。CA3 では不完全な手掛かりから過去の表現に近い活動状態が回復し、Hopfield ネットワークでは部分的な初期状態から既存の安定状態へ収束する。どちらも、過去に形成された内部の結合関係が、入力断片から不足部分を回復する過程に関与する。

この共通点は、誤りが生じる条件も説明しやすくする。部分入力がある記憶状態に十分近ければ、ネットワークは適切な状態へ収束できる。しかし、複数の記憶が互いに似すぎていたり、入力された手掛かりが曖昧だったりすれば、別の安定状態へ引き寄せられる可能性がある。第 3 章でパターン補完とパターン分離の両方が必要だったのも、このためである。断片から既存表現を回復する能力だけを高めても、類似した経験を区別する能力がなければ、別々の記憶が干渉する。

ただし、ここから Hopfield ネットワークと海馬 CA3 が同じ仕組みだと結論することはできない。Hopfield ネットワークは、相互結合した単純な要素が安定状態へ収束するという計算原理を調べるための数学モデルである。CA3 は生物学的な神経細胞、複数種類のシナプス、他の海馬領域からの入力、神経修飾などを含む実際の回路である。比較できるのは、部分入力から既存の活動状態を回復するという計算上の役割であって、構成要素や学習則まで一致しているわけではない。

人工ニューラルネットワークとの比較は、記憶の検索に加えて学習にも広がる。記憶には、個別の経験を保存することと、複数の経験に共通する規則を学ぶことの両方が必要になる。個別経験の保持だけでは新しい状況へ知識を適用しにくく、共通性の抽出だけでは、いつ、どこで、何が起きたのかという個別の経験が失われやすくなる。

James McClelland、Bruce McNaughton、Randall O’Reilly は 1995 年、この二つの要求を海馬と新皮質の役割分担として説明する補完学習系のモデルを提示した[22]。このモデルでは、海馬系は個々の経験を短時間で学習し、互いによく似た経験でも個別の表現として保持する。一方、新皮質側では、多数の経験から繰り返し現れる構造を時間をかけて学習する。二つの学習系で速度と表現の重なり方を変えることで、個別経験の保持と一般化を両立させる。

この役割分担には、ニューラルネットワーク特有の制約がある。多数の経験を同じ結合へ急速に重ねて学習すると、新しい学習による変更が既存の表現へ干渉し、それまで獲得した情報を損なう可能性がある。逆に、干渉を避けるために結合をほとんど変更しなければ、新しい経験を素早く記憶できない。補完学習系は、急速に個別経験を保持する系と、経験を繰り返し統合する系を分けることで、この二つの要求を両立させようとする。

計算上の課題 生物の記憶系で観察される性質 人工ニューラルネットワークで対応する考え方 共通して生じる制約
情報の保持 経験に伴うシナプス可塑性や細胞集団、領域間回路の変化が後の想起に関与する。 学習による多数の結合パラメータの変化が、その後のネットワーク出力を変える。 情報を単一要素へ独立に格納しないため、新しい学習が既存の表現へ干渉する可能性がある。
部分入力からの検索 海馬 CA3 では、不完全な手掛かりから既存の記憶表現に近い活動を回復するパターン補完が観察される。 内容アドレス型記憶では、部分的な状態から学習済みの安定状態へ収束できる。 入力が曖昧だったり複数の表現が近すぎたりすると、別の状態へ収束する可能性がある。
類似経験の区別 パターン分離によって、互いによく似た経験を異なる記憶表現として保持する。 表現の重なりを抑えることで、類似した学習事例の干渉を減らせる。 分離を強めすぎると、複数の経験に共通する構造を利用しにくくなる。
一般化 多数の経験から共通する知識を形成し、個別の状況を越えて利用できる。 複数の学習例に共通する特徴を結合構造へ反映し、未経験の入力にも応答できる。 共通性を優先しすぎると、個別の経験に固有だった情報が失われる。

この比較から分かるのは、脳と人工ニューラルネットワークが直面する計算上の課題が一部重なっているということである。不完全な入力から過去の状態を回復すること、類似した経験を区別すること、複数の経験から共通性を抽出すること、新しい学習と既存の記憶の干渉を抑えることは、多数の要素の結合によって情報を扱うシステムに共通して現れる。一方、両者を構成する部品や実装は異なる。

この視点に立つと、記憶を「保存したものを取り出す」という一つの操作で表すことが難しい理由も明確になる。経験時にはネットワークの結合状態が変わり、想起時には現在の手掛かりから関連する活動が形成される。複数の経験があれば、その間の類似性や差異によって検索と一般化の仕方も変わる。記憶されるものと、後から想起されるものの間には、ネットワーク内部の計算が介在している。

人工ニューラルネットワークは、この構造の一部を数学的に切り出して調べるためのモデルになる。Hopfield ネットワークは部分入力から記憶状態を復元する原理を示し、補完学習系は個別経験の保持と一般化が一つの学習系だけでは両立しにくい理由を示す。人工モデルを介すると、脳の記憶をファイルシステムの比喩から離し、「過去の経験によって形成された結合構造が、現在の入力に応じて状態を生成する仕組み」として捉えやすくなる。

ただし、この計算上の類似をそのまま生物学的な同一性へ広げることはできない。人工ニューラルネットワークが実際の神経細胞をどこまで抽象化しているのか、人工モデルの学習則が脳内の可塑性とどこまで対応するのかは別の問題である。記憶の計算原理を比較できることと、脳が現在の人工ニューラルネットワークと同じ装置であることの間には、なお大きな距離がある。


7. それでも、脳は人工ニューラルネットワークそのものではない

前章では、生物の記憶回路と人工ニューラルネットワークの間に、部分入力から過去の状態を回復すること、複数の経験から共通構造を学ぶこと、新しい学習と既存記憶の干渉を調整することなど、計算上の共通課題があることを見た。両者は同じ課題の一部を扱っていても、実装の仕組みは異なる。計算原理の類似をそのまま部品、回路構造、学習則の同一性へ広げると、人工モデルが何を抽象化し、何を省いているのかが見えなくなる。

既稿「クオリアは脳だけでは説明できない」では、人工ニューラルネットワークを、神経細胞同士の結合から着想を得た情報変換原理の抽象化として位置付けた[23]。人工ニューロンという名称は生物の神経細胞との関係を示しているが、両者が同じ計算要素であることを意味しない。人工ニューラルネットワークでは通常、入力値に結合の重みを掛け、それらを集約し、一定の関数を通して出力を決めるという単純化された計算単位を組み合わせる。

生物の神経細胞では、一つの細胞の内部でも複数の段階の処理が起きる。多数のシナプスから入った信号は樹状突起上の異なる位置で受け取られ、その大きさや時間関係によって細胞体へ届く影響が変わる。発火したかどうかだけでなく、いつ発火したか、どの頻度で発火したか、どの入力が同時に入ったかも、その後の回路活動やシナプス変化に影響する。人工ニューロン一個を生物の神経細胞一個へそのまま対応させると、この内部構造を失う[23]。

結合そのものにも違いがある。人工ニューラルネットワークの重みは、数値として表現された結合強度であり、学習アルゴリズムによって更新される。生物のシナプスでは、伝達物質の放出、受容体の状態、細胞内の信号伝達、局所的なタンパク質合成、長期増強や長期抑圧など、複数の機構が時間尺度を変えながら作用する。第 2 章で扱った長期増強はその一部であり、一つの数値を更新する操作だけで生物の可塑性全体を表せるわけではない。

学習の進み方にも大きな差がある。現代の深層学習では、出力と目標との差から損失を求め、誤差逆伝播によって各層の重みに対する勾配を逆向きに計算し、その勾配を用いて多数の重みを更新する方法が広く使われる。一方、生物の神経回路では、個々のシナプスがネットワーク全体の出力誤差を同じ形式で受け取り、同じ計算によって更新されていると確認されているわけではない。学習した一つの出来事が、深層学習モデルにおける一回の勾配計算と重み更新と同じ処理で脳へ書き込まれると考える根拠はない[23]。

脳では、局所的な活動だけでなく、神経修飾物質によって学習条件そのものが変わる。ある出来事が報酬や危険と結び付いているか、注意が向いているか、覚醒状態がどうなっているかによって、同じ感覚入力でも残る記憶は変わりうる。人工ニューラルネットワークでは、学習率、損失関数、最適化アルゴリズムなどを設計者が外部から設定する場合が多い。脳では、その「何を学習するか」「どの程度変化させるか」を調整する機構自体が生物学的な回路の内部に組み込まれている。

記憶を支える回路構造も、均質な人工ネットワークとは異なる。海馬だけを見ても、歯状回、CA3、CA1 はそれぞれ異なる入力と出力を持つ。第 3 章で扱ったように、類似した経験を分けるパターン分離と、不完全な入力から過去の表現を回復するパターン補完では、求められる計算が異なる。文脈恐怖記憶では、海馬に加えて扁桃体や皮質を含む複数領域が関与する。脳の記憶系は、異なる計算特性を持つ回路を接続した系として動いている。

比較する階層 生物の神経回路 人工ニューラルネットワーク 比較できる範囲
計算要素 神経細胞は樹状突起、発火時間、細胞内信号などを含む複雑な動的系として働く。 人工ニューロンは入力、重み、集約、活性化関数などに抽象化された計算要素として扱われる。 多数の要素が結合して情報処理するという構造は比較できるが、一要素ずつを同一視することはできない。
結合の変化 シナプス可塑性には複数の分子機構と時間尺度が関与する。 結合は数値パラメータとして表現され、定められた最適化則で更新される。 経験によって結合状態が変わり、その後の出力が変化するという原理は比較できる。
学習則 局所活動、発火の時間関係、神経修飾、行動状態など複数の条件が可塑性へ影響する。 誤差逆伝播など、明示的に定義されたアルゴリズムで多数の重みを更新するモデルが多い。 学習によってネットワークの内部状態を変える点は共通するが、更新手続きの一致は前提にできない。
回路構造 海馬、皮質、扁桃体など性質の異なる領域が接続し、記憶の形成、検索、情動との結合を分担する。 目的に応じて層、注意機構、再帰結合などを設計し、モデルごとに異なる構造を持つ。 複数の機能を異なる計算部分へ分担させるという設計原理は比較できる。
記憶の利用 過去の経験を現在の知覚、行動、情動、予測と結び付けながら想起する。 学習済みの結合と現在の入力から、設定された計算手続きに従って出力を生成する。 過去の学習結果と現在の入力の相互作用から出力が決まるという計算構造を比較できる。

この違いを押さえると、「脳はニューラルネットワークそのものだ」という表現が二つの意味を混ぜていることが分かる。生物学的な意味では、脳が神経細胞同士の結合からなるネットワークであることはその通りである。しかし、機械学習でいう人工ニューラルネットワークと同じ仕組みであるという意味に読み替えると、主張は成立しない。前者は脳の物理的構造についての記述であり、後者は人工モデルとの実装上の同一性についての主張だからである。

人工モデルの意義は、複雑な生物系から特定の計算問題だけを取り出し、その問題を解くために最低限どのような仕組みが必要かを調べられることにある。Hopfield ネットワークでは、相互結合した要素が安定状態を形成すれば、部分的な手掛かりから既存の状態を回復できる。補完学習系では、急速な個別学習と緩やかな一般化を一つの学習系へ押し込むと干渉が生じるため、性質の異なる学習系を組み合わせる理由を検討できる。

このようなモデルは、生物の詳細を省くから役に立つ。樹状突起、神経伝達物質、遺伝子発現まで含めた複雑なモデルだけでは、パターン補完に必要な要素を切り分けにくい。単純なモデルでも部分入力から安定状態への回復が成立するなら、その計算原理自体は生物固有の分子機構とは切り離して検討できる。その後で実際の海馬がどの回路によって同じ課題を解いているかを実験と照合する。

この関係は、飛行機と鳥の比較に近い。飛行機は鳥の身体を縮小して再現した装置ではないが、揚力という物理原理を利用して飛ぶ。鳥と飛行機の違いを列挙しても揚力という共通原理は消えず、揚力が共通だからといって羽ばたき、筋肉、羽毛まで同じになるわけでもない。脳と人工ニューラルネットワークについても、共通する計算原理と、それを実現する物理機構を別々の階層として扱う必要がある。

この区別を保てば、人工ニューラルネットワークとの比較は、記憶について何を説明すべきかを明確にする道具になる。部分的な手掛かりから過去の状態を回復できるのはなぜか。似た経験を区別しながら共通性も利用できるのはなぜか。新しい経験を学びながら古い記憶を維持できるのはなぜか。こうした問いは、生物と人工モデルの双方で現れるが、その解決方法が同じであるとは限らない。

今回の議論で共通項として残るのは、過去の経験によって変化したネットワークが現在の入力に応じて状態を形成する過程として記憶を捉えることである。この計算上の見方は人工ニューラルネットワークから借りられる。実際にその状態を形成し、維持し、更新する物理的な仕組みは、生物の神経細胞、シナプス、神経修飾、複数領域の回路によって実現されている。共通する原理と異なる実装を分けることで、脳の記憶がなぜ再生より再構成に近いのかという最初の問いへ戻ることができる。


8. 思い出すとは、過去を現在の回路から再び成立させることである

人間の記憶を録画装置やファイル保存にたとえると、記憶の誤りは、保存された情報が壊れたか、読み出しに失敗した結果として理解される。本稿で見てきた実験は、それに加えて、事故の後に与えられた言語情報が後の記憶判断へ入り、意味的に関連する単語から実際には提示されていない語が想起される現象を示している。すでに形成された記憶も、再活性化された後の条件によっては新しい情報の影響を受ける。記憶の変化には、情報が失われる方向と、関連付けられ、補われ、更新される方向がある。

これらの現象を、一つの神経機構だけで説明することはできない。事後情報効果や関連語による虚偽想起は、人間の行動実験から確認された現象である。海馬 CA3 のパターン補完やエングラムの再活性化は、神経回路がどのように記憶検索へ関与するかを動物実験から調べたものである。再固定化研究は、形成済みの記憶が再活性化された後に再び変更可能になる条件を扱っている。対象、測定方法、説明する階層が異なる以上、一つの実験結果から他の階層まで直接導くことはできない。

異なる研究系列を並べると、共通して支持されるのは、記憶を固定された完成品よりも、経験によって変化した神経回路として捉える像である。神経科学で観察されるのは、経験によってシナプスの伝達特性や細胞集団の活動関係が変化し、その変化が後の想起に関与するという構造である。記憶として後に利用されるのは、過去の感覚入力そのものではなく、その経験を受けた後に変化した神経回路である。

想起時には、その回路へ現在の手掛かりが入力される。一部の手掛かりから関連する活動状態へ近づけるため、過去と完全に同じ入力を再現せずに昔の出来事を思い出せる。海馬で調べられてきたパターン補完は、この性質を神経回路の水準で具体化する。類似した経験をすべて同じ状態へまとめると混同が生じるため、パターン分離によって別々の経験を区別する処理も必要になる。想起には、現在の入力を過去に形成された内部表現へ対応付ける処理が含まれている。

この構造では、記憶の正確さと柔軟性が同じ再構成処理に支えられている。不完全な入力から過去へ到達するには、入力されていない部分を既存の内部表現から補う必要がある。その補完が過去の経験と整合すれば、断片から正しい記憶へ到達できる。別の経験、意味的関連、現在の文脈、後から得た情報が強く関与すれば、実際の過去とは異なる内容が成立する可能性が生じる。記憶の誤りは、情報を利用可能な形で再構成する処理と切り離して考えにくい。

研究から見える段階 確認された性質 記憶について導けること 導けないこと
心理学的な想起 事後情報や意味的関連によって、経験していない内容が想起や再認へ入り込む。 想起内容は経験時の入力だけでは決まらない。 どの神経回路が個々の誤記憶を直接生じさせたかまでは特定できない。
神経回路による検索 経験による回路変化が後の想起に関与し、不完全な手掛かりから既存表現を回復できる。 記憶検索には、現在の入力と過去に形成された内部表現の相互作用が関与する。 パターン補完だけで人間の複雑な誤記憶すべてを説明することはできない。
再活性化後の更新 一定の条件では、再活性化された記憶が後続情報の影響を受ける。 形成済みの記憶も常に読み取り専用とは限らない。 思い出すたびに必ず記憶が書き換わるとは言えない。
人工モデルとの比較 部分入力、分散した結合、安定状態への収束という計算原理をモデル化できる。 記憶をネットワーク状態の形成として捉えるための計算上の枠組みを得られる。 人工ニューラルネットワークと生物脳の実装が同一であるとは言えない。

再固定化を加えると、想起と学習は連続した過程としても捉えられる。過去の記憶を再活性化した状態で新しい情報が入ると、一定の条件ではその影響が後の記憶へ残る。記憶を呼び戻すことによって、過去に形成された表現が現在の経験と再び接触し、過去を参照する処理と新しい経験から学習する処理が重なる場合がある。

この点で、人工ニューラルネットワークとの比較には限定された意味がある。人工モデルでも、情報を一件ずつ独立した場所へ保存する代わりに、過去の学習によって形成された多数の結合と現在の入力から出力状態を決める仕組みを作れる。Hopfield ネットワークでは、部分入力から既存の安定状態を回復できる。補完学習系では、個別経験の保持と多数の経験からの一般化を異なる学習特性の系へ分担させる。生物の記憶回路そのものを再現しているわけではないが、記憶を「保存場所からの読み出し」以外の形で記述できる。

脳と人工ニューラルネットワークを結び付けるべきなのは、この計算上の水準である。脳は神経細胞、シナプス、神経修飾、複数の脳領域からなる生物学的な系であり、人工ニューラルネットワークはその一部の性質を抽象化した数学モデルである。構成要素も学習則も異なる。それでも、多数の要素の結合に過去の学習結果が残り、現在の入力によってネットワークの状態が形成されるという見方は、両者を比較する共通の座標になる。

この見方に立つと、「記憶は再生ではなく再構成である」という表現の意味も限定できる。人間が過去を思い出すとき、過去の経験によって変化した神経回路へ現在の手掛かりが入り、その時点の回路活動として記憶内容が成立する。想起された内容には、過去の経験に加えて、現在の手掛かり、既存の関連構造、場合によってはその後に得た情報も関与する。

記憶の再構成性は、保存精度の低さだけを指す概念ではない。不完全な入力から関連する過去を検索し、類似した経験を区別し、新しい経験を既存の記憶へ接続するには、過去の経験によって形成された内部構造を現在の状況に応じて再び活動させる必要がある。その過程が正確な想起を可能にすると同時に、誤った補完や更新が入り込む条件も作る。

思い出すとは、過去のコピーを再生することではなく、過去によって変化した現在の脳から、過去に対応する状態を再び成立させることである。この違いを押さえると、なぜ断片から豊かな記憶を呼び戻せるのかと、なぜ存在しなかった内容まで思い出せるのかを、別々の例外としてではなく、同じ記憶系が持つ二つの帰結として理解できる。


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