生き延びるための仕組みが苦痛を生む

ショーペンハウアーは、生きることに伴う苦痛を、偶然の不幸や社会制度の欠陥だけから説明しようとしたわけではない。『意志と表象としての世界』では、生命の根底に、生存を維持し、欲求を満たそうとする絶え間ない意志があると考えた[1]。空腹を満たしても再び空腹になり、危険を回避しても新しい危険に直面する。何かを獲得すれば満足が生じるが、その満足はやがて薄れ、別の欲求が現れる。ショーペンハウアーにとって、苦痛は生の営みを妨げる外部の出来事であると同時に、生きようとする活動そのものに深く結び付いていた。

この思想を端的に示すのが、『余録と補遺』に収められた苦痛論である。ショーペンハウアーは、世界に存在する快楽と苦痛のどちらが多いかを考えるなら、一方がもう一方を食べている二匹の動物の感情を比較すればよいと論じた[2]。捕食者にとって、獲物を捕らえることは空腹を満たし、生存に必要なエネルギーを得る行為である。対する被食者は、逃走を試み、負傷し、場合によっては生命を失う。捕食者の利益と被食者の損失は、同じ捕食という出来事から発生している。

この対比には、自然界の幸福と苦痛を考えるうえで重要な論点が含まれている。捕食者が食事によって得る満足と、被食者が捕獲される過程で経験する苦痛は、強度も持続時間も一致するとは限らない。捕食者は食事を終えれば当面の空腹を解消できるが、被食者にとって捕食は回復不能な結果を伴い得る。ただし、捕食者の満足と被食者の苦痛を比較するには、両者の主観的経験を評価する尺度が必要になる。ショーペンハウアーの指摘は、捕食という身近な現象から幸福と苦痛の非対称性を問いかけるものであり、それ自体が自然界全体の苦痛の総量を測定した結果ではない。

現代の都市生活では、食事を確保し、雨風を避けて眠り、体調を崩せば医療を利用できるという条件が、日常生活の基盤になっている。食料の生産、流通、保存を担う仕組みがあり、建物や上下水道が生活環境を安定させ、感染症や外傷には医療が対応する。これらの仕組みによって、人間は生存に必要な条件の多くを毎日自力で獲得する負担から解放されている。もちろん、こうした保護を受けられる程度には社会的・地域的な格差があり、安全な暮らしがすべての人間に等しく保障されているわけではない。

一方、野生動物の生活では、食料の獲得、外敵の回避、気温や天候への対応、疾病への抵抗などが、生存のための継続的な活動となる。例えば、小型の鳥が採餌のために開けた場所へ出れば、食料を得られる可能性が高まる一方、捕食者に発見される危険も増す。危険を避けて隠れていれば捕食される確率は下がるが、十分な食料を得られなければ体力が低下する。生存に有利な行動を選ぶことが、別の生存条件を悪化させる場合がある。

こうした状況は、個体の不運だけで生じるわけではない。食料には季節的な変動があり、生物同士は限られた資源を利用し合い、多くの動物はほかの生物を食べることで生命を維持する。そのため、ある個体の生存に役立つ活動が、別の個体の負傷や死亡につながることがある。さらに、生まれた個体のすべてが繁殖年齢まで生き残るわけではなく、繁殖に成功した個体も病気、飢餓、老化などの影響を受け続ける。生き残るために発達した能力と、苦痛の少ない生涯を送るために必要な条件には、必ずしも一致しない部分がある。

ここには二つの異なる問いが存在する。第一は、なぜ生命を維持する仕組みから苦痛が発生するのかという因果的な問いである。これは進化生物学、生態学、動物行動学などによって検討できる。第二は、自然界の動物が生涯を通じて経験する幸福と苦痛のどちらが総量として大きいのかという評価の問いである。こちらには、動物の感覚能力、経験の強度、持続時間、比較の単位といった測定上の問題が加わる。前者について多くの知見が存在しても、それだけで後者の答えが確定するわけではない。


1. ショーペンハウアーの苦痛論を、生命の仕組みから捉え直す

1.1 欲求が満たされても、生存のための活動は終わらない

ショーペンハウアーが『意志と表象としての世界』で述べた生きようとする意志は、特定の目的を意識的に選ぶ行為よりも広い概念である。人間が将来の生活を計画したり、動物が獲物を追ったりする行動の背後に、存在を維持しようとする根源的な働きを見いだした。彼にとって、欲求とは何かが不足している状態であり、その不足が解消されるまでの過程には苦痛が伴う。欲求が満たされると一時的な満足が生じるが、その状態が永続する保証はなく、生命は再び新しい欲求に向かう。

例えば、空腹を感じた動物が食料を探す場合を考える。食料を摂取できなければ、体内に蓄えられたエネルギーが消費され、活動能力が低下していく。食料を探す行動は、この不足を補うために生じる。十分な食事ができれば一時的に空腹は解消されるものの、生命を維持する代謝活動は続くため、時間が経過すれば再びエネルギーが必要になる。ある時点での欲求の充足は、その個体が以後の生涯にわたって食料を必要としなくなることを意味しない。

体温の維持にも同様の循環がある。寒冷な環境で体温が低下すれば、動物は日光の当たる場所へ移動したり、巣穴に入ったり、身体を寄せ合ったりして熱の損失を抑える。環境条件が改善すれば低体温の危険は減少するが、気温の低下や降雨によって再び対応が必要になる。さらに、寒さを避ける場所が安全とは限らず、温度条件と捕食リスクを同時に考慮する必要も生じる。環境に対する適応は、生命の維持に必要な問題への対応を繰り返す過程として現れる。

生存に必要な条件が繰り返し変化するという点は、ショーペンハウアーの苦痛論と対応している。ただし、哲学でいう意志と、生物学でいう代謝、恒常性、行動の調節機構は、説明する対象と方法が異なる。生物学では、血糖値、体温、神経活動、ホルモン、行動などを測定し、状態の変化に対して生物がどのように反応するかを調べる。これに対し、ショーペンハウアーの意志は、生物学的な測定によって直接検出される物質や機能として定義されているわけではない。両者を結び付けるのは、生命の維持が一度の充足によって完結する活動ではないという共通の問題である。

1.2 苦痛を避ける能力が、生存に役立つ理由

痛みや恐怖には、生物が危険に対応するうえで役立つ側面がある。例えば、熱い物体に触れたとき、接触を続ければ組織の損傷が進む可能性がある。刺激を検出して手足を引く反応は、熱源との接触時間を短縮し、損傷を軽減する方向に働く。さらに、痛みを伴った経験が学習に結び付けば、同じ対象への接触を避ける行動が生じる場合もある。危険を検出する能力と、それに応じて行動を変える能力が組み合わさることで、将来の損傷リスクが低下する。

ここでは、侵害受容と主観的な痛みを区別する必要がある。侵害受容とは、身体の損傷につながり得る刺激を神経系が検出し、それに反応する仕組みである。一方、痛みは不快な感覚や情動を伴う主観的な経験である。動物が有害な刺激から逃げるという観測結果だけで、その動物がどの程度の苦痛を感じたかを直接読み取ることは難しい。それでも、感覚能力を持つ動物では、危険と結び付いた不快な経験が行動の変化を促す働きを持ち得る。

捕食者への警戒も、同じ構造で理解できる。捕食者の姿や鳴き声を認知した動物が採餌を中断して隠れれば、捕獲される危険を下げられる可能性がある。しかし、警戒を続けている時間には食料を獲得できず、移動や繁殖のために使える時間も減少する。危険が去った後も警戒が続けば、その影響は実際に捕食されなかった個体にも残る。捕食回避に有効な反応が、採餌機会の減少などの別の負担を生み出すのである。

この仕組みを進化の観点から見ると、危険を検出して適切に回避できる個体は、そうした能力を持たない個体より生存や繁殖に有利になる場合がある。その結果、危険への反応に関係する形質が世代を超えて維持され得る。一方、その反応に伴う不快な経験がどれほど強いか、どれほど長く持続するかという問題は、繁殖成功とは別に評価する必要がある。生存上の利益と個体の福祉は、同じ反応から生じる異なる結果である。

ショーペンハウアーは、欲求が妨げられた状態を苦痛として捉え、その妨げが解消されることを満足と結び付けた。現代の生物学は、こうした区別をそのまま採用しているわけではないが、危険や不足への反応が生存に役立つ過程を説明できる。苦痛を伴う仕組みが生存に有利だからといって、その苦痛が個体にとって望ましい経験になるわけではない。自然選択によって維持される形質が、幸福な経験の増加と常に結び付くとは限らない理由がここにある。

1.3 一方の生命を支える活動が、他方の生命を損なう

捕食関係では、生存に役立つ活動と他個体の損失が直接結び付いている。肉食動物は、ほかの動物を捕らえて栄養を得る。獲物を捕らえられなければエネルギー不足が続き、体力の低下や繁殖への悪影響が生じる可能性がある。反対に、捕食が成功すると獲物は負傷するか死亡する。捕食者が生存条件を改善するための行動を完了したとき、被食者には重大な損失が生じる場合がある。

捕食者と被食者の間には、それぞれ異なる進化的な圧力が働く。捕食者にとっては、獲物を発見し、追跡し、捕獲する能力が食料獲得に影響する。被食者にとっては、捕食者を早期に発見し、逃走し、身を隠す能力が生存率に影響する。被食者の逃走能力が高まれば、捕食者はより高度な捕獲能力を必要とする場合があり、捕食者の能力が高まれば、被食者にもさらなる防御が求められる。こうした相互作用の中では、どちらか一方が適応を進めても、危険そのものが消失するとは限らない。

捕食関係が維持される理由は、個々の動物の幸福とは別のところにある。捕食者は被食者からエネルギーを得て生存し、被食者の個体群は出生と死亡を繰り返す。捕食によって個体数が変化すれば、餌となる生物の利用可能性も変わり、それが捕食者の個体数や繁殖にも影響する。このような相互作用は、複数の種が生態系の中で共存する過程を構成している。その過程が個体群の存続に寄与していても、そこで死亡する一個体が経験する苦痛まで解消されるわけではない。

例えば、捕食者が少なくなった環境では、被食者の死亡率が一時的に低下する場合がある。しかし、被食者の個体数が増加して利用可能な食料を消費すれば、栄養不足や個体間競争が強まる可能性もある。反対に、捕食者が増加すれば被食者の個体数が抑制され、資源への負担が変化する場合がある。実際の帰結は種の特性や環境条件によって異なるが、捕食、競争、飢餓は相互に関係している。ある危険が減少することによって、別の危険の発生条件が変化するのである。

ここで、生態系が維持されることと、その内部で暮らす個体が幸福であることを区別できる。生態系の状態は、種の構成、個体数、資源の循環、捕食関係などによって記述される。一方、個体の福祉は、健康状態、負傷、恐怖、痛み、快適さといった、その個体に生じる状態に関係する。安定した生態系であっても、捕食や疾病による死亡は継続的に発生し得る。個体群が長期にわたって存続しているという観測結果は、その構成員が苦痛の少ない生涯を送っていることを意味するものではない。

1.4 生存を支える仕組みと個体の経験を分けて考える

自然界の苦痛を分析するときは、生存に関わる現象、それが生じる仕組み、個体の福祉への影響を分けて考えると整理しやすい。同じ現象でも、生物学的な役割と当事者に生じる経験は一致するとは限らない。

現象 直接的な仕組み 背後にある生態学的な条件 個体の福祉を評価する際の論点
飢餓 必要なエネルギーや栄養を摂取できず、体内の蓄えが消費される。 食料の供給量、季節変動、個体間競争、採餌能力などが摂取機会を左右する。 栄養不足の程度に加え、飢餓に伴う不快な経験の有無、強度、持続時間を評価する必要がある。
捕食 捕食者がほかの生物を捕獲し、栄養源として利用する。 生物間のエネルギー移動と、捕食者・被食者の個体群動態が関係する。 捕食者の食料獲得と被食者の負傷・死亡を区別し、それぞれの経験を検討する必要がある。
捕食者への警戒 危険を示す刺激に反応し、逃走、隠避、採餌の中断などが起きる。 捕食リスクのある環境では、危険を検出して回避する能力が生存率に影響する。 実際に襲われた回数だけでなく、警戒に伴う負担や行動の制約も考慮する必要がある。
病気・寄生 病原体や寄生生物によって組織の損傷、炎症、栄養の消費などが生じる。 宿主と病原体・寄生生物の相互作用、感染機会、免疫機能、環境条件が関係する。 疾病による死亡率に加え、生存中の痛み、活動制限、衰弱などの状態を評価する必要がある。
早期死亡 出生後の個体が、捕食、疾病、栄養不足などによって繁殖年齢に達する前に死亡する。 種ごとの繁殖戦略、出生数、生存率、資源制約が個体群の動態に影響する。 死亡数に加え、死亡した発達段階で主観的経験が成立していたか、その経験がどのようなものだったかを検討する必要がある。

この表で示した現象には共通する特徴がある。飢餓、捕食、疾病、早期死亡は、生命の維持や種間関係から独立した例外的な出来事としてだけ存在するのではなく、生存と繁殖の条件に組み込まれている。自然選択が働く環境では、こうした条件のもとで相対的に多くの子孫を残す形質が広がり得る。生存に役立つ性質が維持されることと、その性質を持つ個体が幸福を経験することの間には、別の検証が必要になる。

もっとも、表に並べた現象をすべて同じ種類の苦痛として集計することには限界がある。飢餓状態にある動物が感じる不快さと、捕食者に追跡された動物が感じる恐怖は、経験の種類も時間的な推移も異なる。さらに、発達初期の個体では、主観的な痛みを経験する神経系がどの段階で成立するかという問題もある。死亡率や疾病率は観測可能な指標だが、それらを主観的な苦痛の量に変換するには追加の証拠が求められる。

1.5 自然の正常な過程から苦痛が生じるという問題

人間の社会では、負傷、感染症、飢餓などを防止・緩和することが、医療や公衆衛生、社会保障の重要な役割になっている。感染を防ぐために衛生環境を整え、食料不足に対して供給体制を構築し、外傷には治療を施す。生命の維持を脅かす要因を減らし、その影響を受けた個体の状態を改善する方向に、技術や制度が用いられている。

自然界では、これらの危険を取り除くことを共通の目的とする仕組みが存在するわけではない。捕食者は自らの食料を確保するために獲物を捕らえ、寄生生物は宿主から資源を得て生存し、個体間競争では利用可能な資源を獲得できる個体と獲得できない個体が生じる。これらの関係は、生物の活動と進化の過程から生まれる。そこでは一方の生存を支える結果が、他方の損傷や死亡と同時に成立することがある。

自然選択が直接評価するのは、形質を持つ個体が環境の中でどの程度生き残り、繁殖に成功するかという結果である。例えば、危険に敏感な個体が捕食を回避して多くの子孫を残すなら、その敏感さに関係する形質は広がり得る。その敏感さが日常的な警戒や強い恐怖を伴う場合でも、繁殖上の利益が維持される条件では、形質の存続と苦痛の存在が両立する。自然選択の結果として成立した性質を、個体の幸福を最大化した結果として解釈する根拠は、繁殖成功だけからは得られない。

ショーペンハウアーが生の根底に見いだした欲求の反復は、この構造を哲学的な言葉で捉えようとしたものである。生命は生存条件を満たすために活動し、その活動の過程で新たな不足や危険にさらされる。現代の生物学は、そうした活動がどのような生理機構や進化的条件によって成立するかを説明する。一方、個体がその過程をどれほど苦痛として経験するかは、感覚能力と福祉の評価に関わる独立した問題として残る。

この区別から導かれるのは、自然界の幸福と苦痛の総量について結論を急ぐ必要はない一方で、苦痛の発生を説明する仕組みそのものは具体的に検討できるということである。捕食、飢餓、疾病、資源競争は、それぞれ異なる直接原因を持ちながら、生命が限られた環境の中で生存し繁殖するという条件につながっている。自然が正常に機能することと、その中で生きる個体の幸福が保証されることは、異なる命題なのである。


2. 自然選択は幸福ではなく繁殖成功に作用する

2.1 多数の出生と少数の生存

動物の繁殖方法には、種によって大きな違いがある。哺乳類の中には、一度の出産で少数の子を産み、授乳や保護に長い時間を費やす種がある。一方、魚類や無脊椎動物には、一度の繁殖で数千から数百万もの卵を産む種が存在する。後者では、卵や幼生の段階で多数の個体が死亡しても、少数が繁殖年齢まで生き残ることによって、次の世代を維持できる。個体の生存率が低いことと、その種の繁殖戦略が進化的に成立していることは両立する。

例えば、海中に大量の卵を放出する魚類を考える。卵はほかの動物に食べられることがあり、孵化した幼生も捕食、食料不足、水温や海流などの環境条件に左右される。成長に必要な食料を獲得できても、より大きな捕食者に遭遇すれば死亡する可能性がある。成体になるまでには複数の危険を通過する必要があり、それぞれの段階で生存する確率が次の段階に到達する個体数を左右する。

この過程は、生存率の積み重ねとして考えられる。仮に、ある発達段階を通過できる割合が 10%、その次の段階を通過できる割合も 10% なら、両方を通過できる割合は 1% になる。さらに次の段階でも 10% しか生き残らなければ、最初の個体数に対する生存割合は 0.1% まで低下する。各段階の危険が独立しているとは限らず、実際の生存率も環境によって変動するが、複数の発達段階で死亡が重なると、出生数と成体数の間に大きな差が生じ得ることは、この計算から理解できる。

繁殖に到達する個体数についても、同じ考え方ができる。仮想的な集団で 1,000 個体が生まれ、そのうち 2 個体だけが次世代の繁殖に参加すると仮定する。この場合、出生個体のうち繁殖個体になった割合は 0.2% である。残る 998 個体は繁殖に参加していないが、そのすべてが出生直後に死亡したとは限らない。幼少期に死亡した個体、成体になっても繁殖機会を得られなかった個体、繁殖する前に死亡した個体など、異なる経過が含まれ得る。この例は特定の種について測定した値ではなく、出生数と繁殖成功数の関係を示すための仮定である。

個体群の大きさが長期的にほぼ一定である場合、世代を通じて生まれる個体数と、死亡や繁殖を経て次世代を構成する個体数の間には一定の関係が成立する。多数の子を産む種では、すべての子が生存して繁殖し続ければ、個体数は急速に増加する。しかし、食料、空間、繁殖場所などの資源には制約があり、捕食や疾病による死亡も生じる。こうした要因が出生と生存に作用することで、出生数の多さが、そのまま個体群の無制限な増加に結び付くことは避けられる。

ただし、個体群の大きさが一定であるという条件は、すべての年に同じ数の個体が生まれ、同じ割合で死亡することを意味しない。気温、降水量、食料の豊凶、捕食者の増減などによって、出生数も死亡率も年ごとに変化する。ある年には多数の幼生が生き残り、別の年にはほとんど生き残らないという変動も起こり得る。長期的な個体群の維持という集団全体の結果と、個々の出生個体がたどる生涯は、異なる時間軸と評価単位で捉える必要がある。

自然選択は、こうした環境の中で、形質によって生存率や繁殖成功が異なることから生じる。例えば、多数の卵を産む個体と少数の卵を産む個体がいる場合、卵の数だけで繁殖上の有利不利が決まるわけではない。卵が孵化する確率、幼生が成長する確率、親が繁殖に費やす資源、その後の生存や繁殖への影響などが関係する。多数の卵を産む性質が有利になる環境もあれば、少数の子を保護する性質が有利になる環境もある。それぞれの繁殖戦略は、特定の条件のもとで次世代に残る子孫の数に影響する。

進化生物学でいう適応度は、このような生存と繁殖への寄与に関係する概念である。個体が長く生きること自体が常に最大の適応度につながるわけではなく、短命でも多くの子孫を残す形質が広がる場合がある。反対に、繁殖の回数を抑えて子の生存率を高める形質が有利になる場合もある。環境とほかの個体との関係によって、どの形質が相対的に多くの子孫を残すかが変わる。

この仕組みが持つ重要な特徴は、形質の進化的な成功を判断する基準と、その形質を持つ個体の主観的な経験が異なることである。例えば、子を大量に産むことで次世代に遺伝的な特徴を残せたとしても、親自身が快適な生涯を送ったとは限らない。また、繁殖に至る前に死亡した多数の子が、それまでにどのような経験をしたかも、繁殖個体数から直接判断することはできない。繁殖戦略が成立しているという事実から、その戦略に従って生まれた個体の幸福まで保証されるわけではない。

Yew-Kwang Ng は 1995 年、進化、個体群動態、動物の意識と苦痛を結び付ける「福祉生物学」という研究の枠組みを提唱した[3]。従来の進化生物学では、ある形質が生存率や繁殖成功にどのように影響するかが中心的な問いになる。これに対して福祉生物学は、その進化的な過程を生きる動物が、どのような肯定的・否定的経験をするのかを問題にする。例えば、捕食を避ける能力が繁殖成功に寄与することと、捕食者への警戒に伴ってどの程度の恐怖が生じるかは、別々の研究課題になる。

Ng の問題提起を理解するには、生態学的な個体数と、動物の経験を区別することが重要である。出生数、死亡率、繁殖成功率などは、集団の動態を数量として把握するための指標になる。一方、動物が経験する恐怖、痛み、快適さ、満足などは、その個体の福祉を評価するための対象になる。両者を結び付ければ、ある繁殖戦略が集団の維持に有利であっても、その過程で多数の個体が苦痛を経験している可能性を検討できる。

福祉生物学という発想は、進化が個体の幸福を最大化する過程だという前提を置かない点に特徴がある。ある性質が自然選択によって維持されるのは、それが特定の環境で繁殖成功に寄与するためである。生存や繁殖に有利な形質が幸福な経験を増やす場合も考えられるが、苦痛を伴う行動を促す場合もある。進化的な成功と主観的な幸福を別々に測定することで、その一致と不一致を検討できるようになる。

2.2 早期死亡は何を意味するのか

Oscar Horta は 2010 年の論文で、多数の子が生まれても、その大部分が繁殖年齢まで生き残れないという個体群動態に注目した[4]。自然界を、動物が自由に暮らし、その種に適した生活を送る場所として肯定的に捉える見方に対し、出生個体の側から生涯を考える必要性を指摘した。種が存続しているという事実は、繁殖に成功した個体や現在生きている個体だけでなく、途中で死亡した多数の個体を含む過程の結果だからである。

この観点では、野生動物の生涯を評価するときに、観察されやすい成体だけを対象にすることが問題になる。例えば、成体の鳥が採餌し、繁殖し、子を育てている様子を観察すれば、その種が自然環境で生活を維持する能力を持っていることが分かる。しかし、繁殖に成功した成体だけを観測対象にすると、巣立ち前に死亡した雛や、巣立っても繁殖年齢に達しなかった若い個体の経過が見えにくくなる。生存した個体だけを基準にすると、出生した集団全体の経験を代表できない可能性がある。

特に、出生数が多く、初期の死亡率も高い種では、この違いが大きくなる。大量の卵が産まれても、孵化前に捕食されるもの、発生途中で死亡するもの、孵化後に食料を得られず死亡するもの、成長途中で捕食されるものがある。さらに、繁殖年齢まで生き残った個体でも、繁殖相手や産卵場所を確保できるとは限らない。出生から繁殖までの過程は複数の段階に分かれ、それぞれで生存と繁殖の機会が制限される。

Horta はこのような個体群動態から、野生動物が生涯を通じて経験する苦痛を重視すべきだと論じた。さらに 2015 年の論文では、限られた資源を利用して多数の子孫が生まれる進化的な仕組みを背景に、自然界では負の経験が広く発生し、その総量が幸福を上回るという立場を提示した[5]。この主張では、自然界における苦痛が、例外的な災害や人間の活動だけに由来するのではなく、通常の生存と繁殖の過程から生じることに重点が置かれている。

この議論には、個体群動態として確認できる部分と、動物の主観的経験について推論する部分が含まれている。例えば、ある種で卵から成体までの生存率が低いことは、生存段階ごとの個体数を測定することによって調べられる。死亡原因についても、捕食、感染症、栄養不足、環境条件などを調査できる。しかし、死亡した個体が生前にどのような経験をしていたかは、死亡数だけでは決まらない。生存率を苦痛の総量に結び付けるためには、死亡に至る過程と、その段階における感覚能力を把握する必要がある。

例えば、卵の発生初期に死亡した個体と、成長して神経系が発達した後に捕食された個体では、主観的経験が成立していたかどうかという条件が異なる可能性がある。卵の段階で死亡した個体が、どの程度の感覚能力を持っていたかは、種と発達段階に応じて検討する必要がある。一方、成長した動物では、侵害刺激への反応、学習、危険回避行動などから、痛みや恐怖に関係する能力を調べることができる。ただし、外部から観測できる行動と、当の動物が経験する主観的な苦痛の強度を正確に対応させることには限界がある。

死亡までの時間も、苦痛の評価に影響する。捕食によって短時間で死亡する場合と、栄養不足や病気によって長期間衰弱する場合では、負の状態が持続する期間が異なる。さらに、同じ疾病であっても、個体の年齢、身体状態、病原体の種類によって、痛みや活動制限の程度が変わり得る。死亡という結果が同じであっても、その結果に至る過程は一様ではない。

また、短命な個体の生涯が必ず苦痛優勢になるという推論も、慎重に扱う必要がある。例えば、感覚能力が成立した後に短期間だけ生存した動物がいたとして、その期間に強い苦痛を経験したのか、比較的穏やかな状態で過ごしたのかによって、生涯の福祉評価は変わる。生存期間が短いという情報だけでは、肯定的な経験と否定的な経験の比率を決められない。死亡までに経験した状態の種類、強度、持続時間を把握して、初めて生涯全体の評価に近づくことができる。

出生数から自然界全体の苦痛を論じる際には、何を数えているのかを区別すると、推論の範囲を明確にできる。

評価対象 観測・計算できる内容 その情報から導けること 追加で必要になる情報
出生個体数 一定期間に生まれた卵、幼生、子の数を数える。 繁殖によって新たに生じた個体の規模を把握できる。 各個体の発達段階、生存期間、感覚能力を調べる必要がある。
繁殖年齢までの生存率 出生個体のうち、繁殖可能な年齢まで生き残った割合を求める。 成長途中で死亡した個体の規模を推定できる。 死亡原因、死亡時期、死亡に至る過程を調べる必要がある。
繁殖成功率 繁殖可能な個体のうち、実際に子孫を残した個体の割合や子孫数を調べる。 生存した個体の間でも繁殖上の結果が異なることを把握できる。 繁殖機会の有無と、個体の生活の質との関係を調べる必要がある。
死亡原因と経過 捕食、疾病、栄養不足などの原因と、死亡までの状態の変化を調べる。 生命が失われる過程と、それに関係する環境条件を把握できる。 痛み、恐怖、衰弱などが主観的に経験されたかを評価する必要がある。
生涯の幸福と苦痛 肯定的・否定的な状態について、行動や生理反応などの指標から評価を試みる。 個体の生涯を福祉の観点から比較するための情報が得られる。 経験の強度、持続時間、種間比較の尺度、肯定的経験と否定的経験の重み付けを検討する必要がある。

この区別は、出生個体数と繁殖個体数の差が大きいという観測結果を、どこまで一般化できるかを判断するために必要である。出生した個体の大部分が繁殖に参加しなかったとしても、その理由がすべて早期死亡であるとは限らない。また、早期死亡した個体が多数存在しても、そのすべてが同じ程度の苦痛を経験したと仮定する根拠はない。生態学的な数量から主観的な福祉を推論するときには、この複数の段階を区別する必要がある。

他方、感覚能力を持つ個体が、捕食、疾病、飢餓などによって苦痛を経験する場合があることは、自然界の福祉を考えるうえで無視できない。死亡数だけでは苦痛の総量を計算できないとしても、動物が生存するために直面する危険と、その危険に伴う負担を調べることには意味がある。繁殖に成功する個体の生活だけを見て自然界の福祉を判断すれば、そこに至るまでに死亡した個体や、繁殖機会を得られなかった個体の経験を評価から落としてしまう。

さらに、苦痛と幸福の総量を比較する場合には、何を集計の単位とするかによって結論が変わり得る。生まれた個体をそれぞれ 1 個体として数える方法では、短命な個体も長寿な個体も同じ重みを持つ。一方、生存期間を考慮して集計すれば、長く生きた個体が経験した時間の比重が大きくなる。経験の強度まで考慮するなら、短時間の強い苦痛と長期間の穏やかな満足をどのように比較するかという問題も生じる。幸福と苦痛の収支は、単に死亡率を測定するだけでは確定しない。

このように、Horta の議論は、自然界の福祉を評価する際に出生個体全体を視野に入れる必要性を示している。一方、自然界全体で苦痛が幸福を上回るという結論には、死亡と主観的経験の関係について追加の前提が必要になる。特に、感覚能力が成立する発達段階、死亡までの経験、肯定的状態の存在、個体間の比較可能性は、結論を左右する条件である。

それでも、進化と個体の幸福を区別するという基本的な構造は変わらない。自然選択によって広がるのは、環境の中で相対的な繁殖成功に寄与する形質である。生まれた個体の大部分が途中で死亡する繁殖戦略であっても、その戦略が次世代に十分な子孫を残すなら、進化的に成立し得る。個体の生涯にどれほど苦痛が含まれるかは、その繁殖戦略の成功とは別の評価対象である。

自然界では、ある個体の繁殖成功が、多数のほかの個体の死亡と両立する場合がある。種が長期的に存続していても、各世代で生まれるすべての個体が繁殖し、寿命を全うする必要はない。自然選択は、次世代への遺伝的な寄与に関係する差異を通じて作用するため、個体の苦痛が少なくなる方向へ常に変化するとは限らない。生命の進化が継続しているという事実と、その過程で生じる主観的な経験の良し悪しは、独立して検証しなければならないのである。


3. 野生動物の負担は、実際の捕食だけでは測れない

3.1 捕食者の声だけで繁殖が変わる

自然界で捕食が動物に与える影響を考えるとき、最も分かりやすいのは、捕食者に襲われて死亡した個体の数である。例えば、ある地域で鳥の巣が捕食者に襲われ、卵や雛が失われれば、その数を調べることで直接的な被害を把握できる。しかし、捕食者が存在する環境では、実際に襲われた個体以外にも影響が及ぶ。捕食者を発見した鳥は採餌を中断し、身を隠し、巣に戻る時間を遅らせることがある。捕食されずに生き残った個体であっても、危険を避けるために行動を変えることによって、食料の獲得や繁殖に使える時間が変化する。

例えば、雛を育てている親鳥が、近くに捕食者がいると認識した場合を考える。親鳥が雛に餌を運ぶためには、巣と採餌場所を往復しなければならない。しかし、頻繁に巣へ出入りすれば、捕食者に巣の位置を発見される可能性が高まる。そこで親鳥が巣への接近を控えれば、捕食される危険を下げられる一方、雛に与えられる食料が減少する可能性がある。雛が十分な栄養を得られなければ、成長が遅れたり、体力が低下したりして、生存率に影響することも考えられる。

この関係を確かめるには、実際の捕食による死亡と、捕食者を恐れて行動を変えたことによる影響を分離する必要がある。捕食者が多い場所と少ない場所を単純に比較しても、捕食による死亡数の違いと、恐怖による行動変化の違いが同時に含まれてしまう。さらに、食料の量、植生、気温などの環境条件も繁殖に影響するため、野外観察だけでは原因を特定しにくい。捕食者への恐怖が独立した影響を持つことを調べるには、実際の捕食を抑えたうえで、危険を感じる程度を実験的に変える方法が有効になる。

Liana Zanette らは 2011 年、カナダのブリティッシュコロンビア州にある島々で、自由生活下のウタスズメを対象とした野外実験を行った[6]。研究では、巣が実際に捕食されることを防ぐ措置を講じたうえで、捕食者の鳴き声などを再生する群と、捕食の脅威を示さない動物の音声を再生する対照群を設けた。音声は繁殖期を通じて繰り返し再生され、研究者は各群の雌が産んだ卵の数、孵化率、雛の生存状況などを調べた。

この実験の特徴は、捕食者そのものを増やすのではなく、捕食者が近くにいると認識させる刺激を操作したことにある。音声が捕食の危険を示すものであるかどうかを変えることで、直接の捕食による死亡とは区別して、危険の認知が繁殖結果に及ぼす影響を調べた。野生動物を対象としながら、特定の環境要因を実験的に変えることで因果関係を検証しようとした研究である。

その結果、捕食者の音声を聞かせた群では、繁殖期を通じて産出された子の数が対照群より 40% 少なかった[6]。これは、捕食者が雛を食べたために 40% 減少したという意味ではない。研究では直接の捕食を防ぐ措置が取られており、危険を感じること自体が繁殖結果に大きな違いを生じさせた。捕食者の音声を聞いた雌は産卵数が少なく、産まれた卵のうち孵化しなかった割合も高くなり、孵化した雛の死亡も増加した。

さらに、親鳥の行動にも違いが認められた。捕食者の音声を聞かせた群では、抱卵中に巣を離れている時間が長くなり、雛を育てる期間には餌を運ぶ回数が減少した。雛の集団全体の体重は小さくなり、親鳥が巣を離れた後の体温維持にも不利な状態が認められた。つまり、捕食者の存在を感じることが親鳥の行動を変え、その行動変化が卵や雛の状態に関係し、最終的な繁殖成功にまで影響したと解釈できる。

この結果を因果関係として整理すると、まず捕食者の音声が危険の認知を引き起こす。危険を認知した親鳥は、巣への出入りや採餌、育雛に関係する行動を変える。その結果、卵の保温や雛への給餌など、子の発達に必要な条件が変化する。こうした変化が積み重なることで、捕食者に直接襲われていないにもかかわらず、繁殖期全体で育てられる子の数が減少する。音声への反応と繁殖結果の間には、複数の行動的・生理的な過程が存在する。

特に注目すべきなのは、危険を回避するための行動が、別の生存条件を悪化させる可能性である。親鳥が捕食者の接近を警戒して巣への出入りを減らせば、巣を発見される危険を下げられるかもしれない。しかし、その間に雛は十分な食料を得られず、体温を維持するための条件も悪化し得る。親鳥自身も、危険を避けながら食料を確保しなければならない。捕食者から身を守ることと、子を十分に育てることが、同じ行動時間や資源をめぐって競合するのである。

このような関係は、行動生態学で扱われる危険と利益の兼ね合いとして理解できる。動物が採餌に費やす時間を増やせば、食料を獲得する機会が増える一方、捕食者に発見される機会も増える場合がある。安全な場所に長くとどまれば捕食される危険は減るが、十分な栄養を得られなくなる可能性がある。動物は、それぞれの環境において複数の生存条件を満たす必要があり、一つの危険を小さくする行動が、別の危険を大きくすることもある。

2011 年の研究は、このような行動上の兼ね合いが、個体の一時的な反応にとどまらず、繁殖期全体の結果に影響し得ることを示した。従来の個体群研究では、捕食者が被食者を直接殺すことで個体数を減らす作用が重視されてきた。しかし、この実験では、捕食による直接の死亡を防いだ条件でも、捕食者の存在を示す刺激が子の産出数を減らした。捕食者が個体群に与える影響を評価する際には、直接の死亡と、恐怖に伴う繁殖や生存への影響を区別して測定する必要がある。

もっとも、繁殖結果が悪化したことと、親鳥が経験した主観的な苦痛の強度は同一ではない。親鳥の警戒行動、巣への出入り、産卵数などは観測できるが、それらの指標から恐怖の主観的な強さを直接計算することは難しい。また、野外での生存に適応した警戒行動には、危険の程度に応じて柔軟に調整される側面もある。2011 年の研究が直接示したのは、捕食リスクの認知が行動と繁殖成功に影響するという因果関係である。この結果は、自然界の苦痛を評価するうえで、実際の負傷や死亡だけに注目する方法には限界があることを示している。

3.2 危険が去った後にも変化が残る

捕食者への反応が危険を認知した瞬間だけに生じるのであれば、危険が去るとともに元の行動へ戻ると考えられる。しかし、動物が捕食者との遭遇を記憶し、その後も警戒を続ける場合には、危険を示す刺激が存在しなくなってからも影響が残る。例えば、捕食者に襲われた場所を避けたり、以前は安全だと判断していた場所でも警戒を強めたりする行動が考えられる。こうした変化が生存上の利益を持つ場合もあるが、採餌や休息に使える時間を減らす可能性もある。

危険に対する反応には、刺激を受けた直後の短期的な変化と、経験を記憶したことによる持続的な変化がある。捕食者の声を聞いて身を隠す行動は、差し迫った危険への対応として理解できる。一方、捕食者の声が聞こえなくなった後も、別の警戒刺激に対して過敏に反応するようになれば、過去の経験がその後の行動に影響していると考えられる。持続的な反応を調べるには、危険を示す刺激を与えた後に一定の時間を置き、別の刺激への反応や神経活動を測定する必要がある。

Zanette らは 2019 年、野生で捕獲したアメリカコガラを用いて、捕食者の音声を聞いた経験がその後の行動や脳活動に持続的な影響を与えるかを調べた[7]。実験では、捕獲した鳥を飼育施設に移し、捕食者の鳴き声を聞かせる群と、捕食者ではない動物の声を聞かせる群に分けた。音声を与える期間は 2 日間で、その後は屋外の飼育施設で群れとして過ごさせ、実験による音声刺激を与えずに 7 日間経過させた。

この実験では、刺激を与えた直後の反応だけを調べるのではなく、7 日間を経過した時点で行動や脳活動に差が残っているかを評価した。鳥はその間、屋外環境の音や視覚刺激に接し、ほかの個体とも交流していた。過去に捕食者の声を聞いたことによる影響が、通常の環境刺激にさらされた後にも観測されるかが検証されたのである。ただし、実験対象は野生由来の鳥であっても、実験期間中は管理された飼育環境に置かれていたため、完全な自由生活下での観測とは区別する必要がある。

行動の評価では、最初の実験で聞かせた捕食者の声を再び使うのではなく、同じ種の鳥が発する警戒声を聞かせた。これは、仲間が危険を知らせるときに使う音声であり、鳥にとって捕食リスクを示す別の種類の刺激になる。研究者は、その音声を聞いた際に、身体を動かさず警戒姿勢を維持する時間がどのように変化するかを測定した。

その結果、7 日前に捕食者の声を聞いた群では、対照群よりも警戒姿勢を維持する時間の増加が大きかった。論文では、警戒声を聞いた際の静止・警戒時間の増加量が、対照群の約 6 倍であったと報告している[7]。ここで比較されているのは警戒姿勢の持続時間の変化であり、恐怖の主観的な強度が 6 倍になったという意味ではない。それでも、過去に捕食者の声を聞いた経験が、その後に別の危険刺激を受けたときの行動を変えることが確認された。

研究者は、行動だけでなく脳の活動に関係する指標も測定した。対象となったのは、恐怖や脅威への反応に関係する扁桃体に相当する領域と、記憶や環境情報の処理に関係する海馬である。神経細胞の活動に関連して蓄積する ΔFosB というタンパク質を指標として調べたところ、捕食者の音声を聞いた群では、7 日後にも両領域で高い値が認められた。具体的には、対照群に比べて扁桃体に相当する領域で 48%、海馬で 42% 高い値が報告されている[7]。

ΔFosB は、神経活動に伴って変化する分子指標の一つであり、その蓄積は一定期間にわたる神経系の変化を反映し得る。したがって、7 日後の測定値に差が残っていたことは、捕食者の音声を聞いた経験が脳内の状態にも持続的な変化を生じさせたという解釈を支持する。ただし、ΔFosB の値から恐怖の強度や苦痛の量を直接読み取ることはできない。神経活動の変化は主観的経験を検討するための証拠になるが、その経験そのものを数量として測定したことにはならない。

この研究では、人間の心的外傷後ストレス障害に似た特徴も検討されている。人間の心的外傷後ストレス障害では、強い脅威を経験した後に、危険に対する過敏な反応や記憶に関係する変化が持続する場合がある。2019 年の実験でも、過去の危険刺激によって警戒反応が高まった状態と、関連する脳領域の活動変化が確認された。そのため研究者は、野生動物由来の鳥でも心的外傷後ストレス障害に似た反応を実験的に生じさせられることを示した。

この結果は、人間に用いる診断基準がそのまま鳥に適用できることを示したものではない。人間の診断では、記憶、情動、睡眠、日常生活への影響など、複数の側面を評価する。鳥では主観的な体験を言語で報告させることが難しいため、行動と神経活動を通じて関連する反応を調べることになる。また、2019 年の研究では、7 日後の行動と脳活動の変化を確認しているが、実験対象の鳥がその期間を通じて絶えず恐怖を感じていたことまで示したわけではない。

それでも、危険を感じた経験が、危険を示す刺激の消失後にも行動と脳の状態に影響することは重要である。捕食者の声を聞いた直後だけでなく、その後に新たな危険を察知した際の反応が変わるなら、一度の経験が将来の行動選択に影響し得る。こうした反応は、再び捕食者に遭遇した場合の回避行動を促す可能性がある。一方、警戒する時間が長くなることによって、食料の獲得や休息などの活動が制約される可能性もある。危険を記憶する能力は、生存上の利益と行動上の負担の両方に関係する。

さらに、こうした警戒反応が長期的な繁殖や個体群の維持にどの程度影響するかを調べるには、複数の繁殖期を通じた観測が必要になる。ある年に子が少なくなっても、翌年以降の繁殖でその減少が補われる場合がある。また、巣立った子が成体になる前に死亡すれば、巣立ち時点の個体数だけでは次世代の繁殖集団に加わる個体数を評価できない。恐怖の影響を個体群全体の変化として捉えるには、産卵から孵化、巣立ち、幼鳥の生存、翌年の繁殖参加までを追跡する必要がある。

Marek Allen らは 2022 年、自由生活下のウタスズメを対象として、捕食者の音声が個体群の成長に及ぼす影響を 3 繁殖期にわたり検証した[8]。この研究でも、捕食者の音声を再生する群と、捕食者ではない動物の音声を再生する群を設けた。研究者は、雌が産んだ卵の数に加え、孵化率、雛の生存率、巣立った幼鳥の生存、翌年の繁殖集団への加入までを調べた。

この研究の特徴は、繁殖に関係する複数の段階を連続して評価したことにある。例えば、親鳥が産む卵の数が 10% 減少した場合、その影響は産卵段階だけで終わるとは限らない。産まれた卵の孵化率も低下し、孵化した雛の生存率も低下すれば、それぞれの段階の減少が重なり、最終的に成体の繁殖集団に加わる子の数は大幅に減少する可能性がある。出生から繁殖参加までの各段階で生じる影響を積み重ねて評価することで、恐怖が個体群の維持にどの程度関係するかを検討できる。

実験の結果、捕食者の音声を聞いた雌では、対照群に比べて産卵数が約 10% 少なく、卵が孵化まで生存する割合も約 11% 低かった。さらに、孵化した雛が巣立ちまで生存する割合は約 21%、巣立った幼鳥が繁殖期末まで生存する割合は約 26% 低下した[8]。それぞれの減少率は単独では 10~26% 程度だが、各段階を順に通過する個体数に作用するため、最終的な生存個体数への影響は大きくなる。

実際に、捕食者の音声を聞いた親鳥が次の繁殖集団に送り出した子の数は、対照群より 53% 少なかった[8]。これは、親鳥が産む卵の数の減少だけで説明できる結果ではない。孵化、巣立ち、幼鳥期の生存という複数の段階で生じた不利な影響が、最終的な繁殖集団への加入数に反映されたのである。捕食リスクの認知が、一時点の行動変化から始まり、子の生存を経て次世代の個体数にまで影響するという因果的なつながりが示された。

研究者は、個体群の増減を表す成長率も推定している。捕食者の音声を聞かせた群では平均 0.91、対照群では平均 1.06 という推定値が得られた[8]。成長率が 1 であれば個体群の大きさが維持され、1 を上回れば増加し、1 を下回れば減少するという尺度である。これらは研究対象の集団について推定された値であり、すべての野生動物に共通する成長率を意味するものではない。また、実際の個体群の変化には捕食以外の環境条件も関係するため、特定の年の値が将来にわたって一定に続くと仮定することもできない。

2011 年、2019 年、2022 年の研究は、いずれも捕食者への恐怖を扱っているが、測定対象と実験条件は異なる。各研究が何を直接測定し、そこからどのような結論を導けるのかを区別する必要がある。

研究 実験条件 主な測定対象 確認された結果 解釈の範囲
Zanette ら(2011) 自由生活下のウタスズメで、直接の捕食を防ぎながら捕食者の音声を再生した。 産卵数、孵化率、雛の生存、親鳥の行動などを測定した。 捕食者の音声を聞かせた群では、年間に産出される子の数が 40% 減少した。 捕食リスクの認知が、直接の捕食とは独立して繁殖結果に影響することを示した。
Zanette ら(2019) 野生由来のアメリカコガラを飼育環境に置き、捕食者の音声を聞かせた後、7 日間経過させた。 警戒刺激への行動反応と、扁桃体に相当する領域および海馬の神経活動指標を測定した。 7 日後にも警戒反応の増大と、神経活動に関係する指標の変化が認められた。 捕食者への恐怖に関係する行動と神経系の変化が、刺激の消失後も持続し得ることを示した。
Allen ら(2022) 自由生活下のウタスズメを 3 繁殖期にわたって追跡し、捕食者の音声による影響を比較した。 産卵、孵化、巣立ち、幼鳥の生存、繁殖集団への加入、個体群成長率を測定した。 捕食者の音声を聞かせた親鳥から繁殖集団に加わる子の数が 53% 減少した。 捕食リスクの認知が複数の生存段階を通じて作用し、個体群の成長に影響することを示した。

この 3 件を組み合わせると、捕食者への恐怖が生物に与える影響を、異なる時間的な尺度で捉えられる。2011 年の研究では、繁殖期における親鳥の行動と子の産出数の関係が示された。2019 年の研究では、危険を示す刺激を受けた経験が、その後の行動と神経活動に残ることが示された。2022 年の研究では、繁殖に関係する複数の段階で影響が蓄積し、次世代の繁殖集団に加わる個体数まで減少することが示された。短期的な反応、持続的な変化、個体群への影響という異なる観測対象が、捕食リスクの認知という共通の要因を通じて結び付いている。

ただし、3 件の研究は、同じ個体について恐怖の経験から神経活動、繁殖、次世代の生存までを一貫して測定したものではない。対象の鳥、実験条件、測定期間が異なり、それぞれの研究には独立した適用範囲がある。そのため、2019 年に確認された神経活動の変化が、そのまま 2022 年に観測された繁殖集団への加入数の減少を引き起こしたと断定することはできない。研究間の知見を接続する際には、共通する仕組みを検討するとともに、直接測定された因果関係と、複数の研究から推測される関係を区別する必要がある。

さらに、捕食者への警戒は、すべての環境で同じ程度の影響を及ぼすわけではない。捕食者が実際に多い場所では、警戒によって死亡を回避する利益が大きくなる可能性がある。一方、捕食者が少ない場所で強い警戒を続ければ、危険回避の利益に対して採餌や繁殖上の負担が大きくなることも考えられる。また、餌が豊富な環境と不足した環境では、同じ時間だけ採餌を中断しても、その結果は異なる。恐怖の影響を評価するには、危険の程度だけでなく、食料、繁殖段階、個体の状態などの条件を考慮する必要がある。

こうした条件の違いは、自然選択と個体の幸福を区別するうえでも意味を持つ。捕食者への反応が生存率を高めるなら、その反応に関係する形質が進化的に維持される可能性がある。しかし、同じ反応が長期間の警戒や採餌機会の減少を伴う場合、その個体に生じる負担は別に評価しなければならない。捕食者を認知して逃走する能力が有効であることと、捕食者の存在を感じながら生活することが快適であることは、異なる評価軸に属する。

また、恐怖に伴う行動や生理反応が存在することから、その動物が経験した苦痛の総量を直接求めることは難しい。警戒姿勢を維持した時間が長いことは、危険に対する行動反応の増大を示すが、主観的な恐怖の強度や不快さをそのまま表すわけではない。神経活動の指標についても、特定の脳領域の活動が高まったという事実と、その状態を当の個体がどのように経験したかは区別する必要がある。実験によって捕食リスクの認知と行動・繁殖結果の因果関係を検証できても、幸福と苦痛の総量を評価するには別の測定上の課題が残る。

一方で、これらの研究は、野生動物が直面する負担を直接の死亡数だけで評価することの限界を具体的に示している。捕食者に襲われなかった個体でも、危険を感じることによって採餌や育雛の行動が変わり、子の生存に影響する場合がある。また、捕食者の音声が聞こえなくなってからも、過去の経験によって警戒反応が変化する場合がある。こうした影響は、実際の負傷や死亡という出来事の前後にも存在する。

野生動物にとって、捕食者の存在は、襲撃された瞬間にだけ関係する危険ではない。食料を探す場所、巣に戻るタイミング、雛への給餌、周囲への警戒など、日常的な行動の選択に影響する環境条件でもある。捕食者が近くにいるという認知が続けば、危険を回避するための活動が生活の中に組み込まれる。さらに、その反応が過去の経験によって変化し、繁殖結果や次世代の生存にまで関係する可能性がある。

自然界の生存を支える仕組みには、このような負担が含まれている。捕食者への恐怖は、危険を認知し、回避行動を引き起こすという点で生存に役立ち得る。しかし、その仕組みが働くことによって、個体の行動、繁殖、子の生存には不利な結果も生じ得る。自然選択の過程で危険への反応が維持されることと、その反応を経験する個体の幸福が保証されることは一致しない。自然界では、実際に捕食されるという結果だけでなく、捕食される可能性に対応し続けること自体が、生存と繁殖の条件を左右しているのである。


4. 幸福より苦痛が多いという結論は、まだ確定していない

4.1 昆虫にも肯定的な状態を示す証拠がある

自然界で生じる捕食、飢餓、疾病、早期死亡に注目すると、動物の生涯は苦痛を中心に構成されているように見える。しかし、動物は危険を避けるだけでなく、食料を獲得し、休息し、周囲の環境を探索し、ほかの個体と関わりながら生活している。危険を回避するときに不快な状態が行動を変えるのであれば、食料の獲得や快適な環境への接近では、肯定的な状態が行動を促している可能性もある。生涯の福祉を評価するには、負の経験が生じる場面とともに、正の経験が生じる条件を調べる必要がある。

例えば、空腹になった動物が食料を探すとき、栄養不足に伴う不快な状態は採餌行動を促す要因になり得る。一方、食料を発見して摂取すると、味覚による報酬や満腹に伴う状態の変化が生じる場合がある。寒い場所から暖かい場所へ移動する場合も、寒さによる負担の軽減と、快適な環境にいることによる肯定的な経験の両方が考えられる。生存に必要な行動は、苦痛の回避と報酬の獲得という複数の仕組みによって調節され得る。

ただし、ある刺激に接近する行動が観測されたことから、その動物が主観的な快楽を経験していると直ちに結論することは難しい。報酬を与えられた後の行動変化には、刺激と結果の学習、行動を起こす動機付け、注意の変化などが関係する。人間であれば、何かを心地よいと感じたかどうかを本人に尋ねられるが、動物では行動や神経活動などの指標から推定する必要がある。特に昆虫のように人間とは神経系の構造が大きく異なる動物では、報酬に反応する仕組みと主観的な感情状態の関係が重要な研究課題になる。

Clint Perry らは 2016 年、マルハナバチを対象として、予期しない糖の報酬が、その後の判断や行動にどのような影響を与えるかを調べた[9]。研究の背景には、人間を含む動物で、肯定的な感情状態が曖昧な情報の解釈に影響するという知見がある。例えば、ある刺激が良い結果につながるか悪い結果につながるか判断しにくい場合、肯定的な状態にある個体では、良い結果を予想する方向に反応が変化することがある。このような判断の偏りは、言語による報告が難しい動物の感情状態を調べるための指標として利用される。

実験では、まずマルハナバチに、報酬を得られる刺激と報酬を得られない刺激を区別するよう学習させた。ハチは、どの刺激が糖の報酬と結び付いているかを経験によって学習する。その後、学習した刺激のどちらとも明確には一致しない曖昧な刺激を提示し、どのように反応するかを測定した。曖昧な刺激への反応は、ハチが報酬の存在をどの程度期待しているかを調べる手掛かりになる。

このとき、一部のハチには試験前に予期しない糖の報酬を与えた。その結果、糖を与えられたハチは、対照群に比べて曖昧な刺激に対して肯定的な方向の反応を示した。研究者は、この反応を、糖の報酬によって肯定的な感情に似た状態が生じ、その状態が曖昧な情報の判断に影響した可能性を示す結果と解釈した。重要なのは、糖を摂取した直後に摂食行動が変化したという単純な現象ではなく、その後に提示された別の刺激の解釈まで変化したことである。

研究者はさらに、捕食者による襲撃を模した刺激への反応も調べた。マルハナバチに糖の報酬を与えた後、捕食者に襲われた状況を模擬すると、糖を与えられた個体では採餌行動を再開するまでの時間が短くなった。糖の報酬による影響が、曖昧な刺激の判断だけでなく、危険を経験した後の行動にも現れたのである。これは、報酬を受けた状態が複数の行動場面に影響することを示している。

さらに、研究者はドーパミンの働きを調べた。ドーパミンは動物の神経系に存在する神経伝達物質であり、報酬に関連する学習や動機付けなどの過程に関与する。ドーパミンの作用を妨げる薬剤を用いた実験では、糖の報酬によって生じていた行動変化が見られなくなった。研究者は、糖の報酬が単純に探索行動全般を増加させたという説明についても検討し、その可能性だけでは結果を説明できないことを示した。

これらの結果を組み合わせると、糖の報酬が神経系に作用し、その後の判断や危険への反応を変化させたという関係が見えてくる。第一に、糖の報酬を受けたことでハチの内部状態が変化した。第二に、その変化が曖昧な刺激への判断や、危険を模した刺激の後に採餌を再開する行動に影響した。さらに、ドーパミンの作用を妨げると効果が消失したことから、報酬に関連する神経機構が、こうした行動変化に関係していると考えられる。

ただし、ドーパミンが関与する行動変化を、主観的な幸福そのものと同一視することには注意が必要である。ドーパミンは報酬を求める動機付けや学習などにも関係しており、その活動が常に快楽の強度を直接表すわけではない。また、曖昧な刺激への肯定的な反応は、感情状態を推定するための行動指標であって、ハチが感じた幸福の量を測定した結果ではない。2016 年の研究が示したのは、昆虫にも、報酬によって生じ、複数の行動場面に影響する肯定的な感情に似た状態が存在するという証拠である。

肯定的な状態を調べる研究は、食料のような直接的な報酬に限られない。動物には、生存に直結する目的を伴わなくても、ある行動を繰り返す場合がある。哺乳類や鳥類では、物を動かしたり、追いかけたり、ほかの個体と遊んだりする行動が広く観察されている。こうした遊びには、身体能力の発達や社会的な学習など、長期的な機能が存在する可能性がある。一方、遊びが行われているその時点では、食料獲得や繁殖といった直接の利益が明らかでない場合もある。

Galpayage Dona らは 2022 年、マルハナバチが小さな木製の球を転がす行動を調べ、それが動物の遊び行動に用いられる基準を満たすかどうかを検証した[10]。実験では、巣から食料のある場所へ向かう経路に、動かせる木製の球と固定された球を配置した。ハチは球を避けて食料のある場所へ進むこともできたため、食料を得るために球へ触れる必要はなかった。それでも、一部のハチは経路を外れて球のある場所に入り、球を繰り返し転がした。

研究者は、この行動が単に障害物を排除するためのものなのか、食料を探すための探索行動なのか、あるいは別の目的によるものなのかを検討した。球には食料が含まれておらず、球を転がすことで直接報酬が得られる仕組みも設けられていなかった。また、ハチは食料を獲得した後にも球のある場所へ戻り、球を転がす行動を続けた。行動の形式には個体ごとの違いや繰り返しの中での変化があり、常に同じ動作が機械的に反復されているわけでもなかった。

最初の実験では、45 個体のマルハナバチについて合計 910 回の球転がし行動が記録された[10]。個体によって行動回数には大きな違いがあり、一度だけ球を転がす個体もいれば、実験期間を通じて繰り返し転がす個体もいた。研究者は、食料への移動や採餌と球転がし行動の関係を調べ、球を転がす活動が直接的な食料獲得とは異なる時間的な変化を示すことも確認した。

さらに、球転がし行動には年齢による違いが認められた。若いハチは年齢の高いハチより球を転がす回数が多く、特に成虫になってから数日程度の個体で活動が盛んだった。この傾向が、球を初めて見たことによる一時的な新奇性だけで説明できるかを調べるため、研究者は年齢の異なる個体を比較する追加実験を行った。その結果、若い個体では年齢の高い個体より球転がし行動が多く認められた。哺乳類や鳥類で見られるように、若い時期に遊び行動が多くなるという特徴と対応する結果である。

性別による違いも見られた。雄と雌では球を転がす回数や一回当たりの行動時間に違いがあり、雄は雌より一回の球転がし行動を長く続ける傾向を示した。雌では採餌活動が年齢とともに増える一方、球転がし行動はそれより早い時期に多く見られた。こうした時間的な違いも、球を転がす行動が単なる採餌の一部ではないという解釈を支持している。

遊び行動としての解釈を支える重要な実験が、場所への選好を調べたものである。研究者は、異なる色の部屋を用意し、一方の部屋で球を転がせるようにした。その後、球が存在しない状態で部屋を選ばせると、ハチは以前に球を転がした経験のある色の部屋を選ぶ傾向を示した。球転がし行動そのものが報酬として働き、特定の場所や色に対する選好を形成した可能性がある。

ここでいう報酬は、糖や花粉のような物質を受け取ることに限られない。ある行動を経験した後に、その行動と結び付いた環境を再び選ぶようになるなら、その経験が行動選択に正の影響を与えたと解釈できる。球を転がしても食料が得られないにもかかわらず、ハチが球を転がす活動を繰り返し、その活動を経験した場所を選ぶという結果は、遊びが内在的な報酬を持つ可能性を示している。

ただし、研究者が観測したのは、球転がし行動の反復、年齢や性別による違い、球転がしと結び付いた場所への選好である。ハチが人間と同じ意味で楽しさを感じたことを、言語的な報告によって確認したわけではない。また、飼育環境で観察された行動が、野生環境でも同じ頻度で行われているかは、この実験だけでは分からない。遊びに似た行動が確認されたことと、その行動が野生の個体の生涯にどれほどの肯定的経験をもたらすかは、異なる研究課題である。

それでも、2016 年と 2022 年の研究は、昆虫の行動を単純な刺激への反射や生存に直結した活動だけで説明することの限界を示している。2016 年には、糖の報酬がその後の判断や危険への反応を変化させることが示された。2022 年には、食料や繁殖への直接的な利益が明らかでない活動が自発的に繰り返され、その経験が場所への選好に結び付くことが示された。どちらも主観的な幸福を直接測定した研究ではないが、昆虫にも肯定的な状態を生み出す仕組みが存在する可能性を支持している。

これらの知見は、自然界の苦痛優勢を論じる際の前提に影響する。例えば、ある昆虫が短い生涯の後に捕食されて死亡したとしても、その生涯を死亡時の苦痛だけで評価することはできない。生存中には食料を獲得したときの報酬、快適な環境での状態、探索や遊びに関係する肯定的な経験が含まれていた可能性がある。一方、それらの経験が実際に存在したか、どの程度の強度と持続時間を持っていたかは、個体や環境条件によって異なる。短命な動物の生涯を評価する場合にも、死亡までに経験した状態全体を調べる必要がある。

4.2 苦痛優勢を示した理論モデルは訂正された

自然界には苦痛と幸福の両方が存在し得るとしても、どちらが総量として多いかという問いは残る。野生動物の行動や感覚能力を調べる実験は、この問いに必要な情報を提供する。しかし、ある種に肯定的な経験が存在することが分かっても、それだけで自然界全体の幸福が苦痛を上回るとは結論できない。逆に、早期死亡や捕食が多いことから、苦痛の総量が幸福を上回ると判断するためにも、動物の経験に関する追加の前提が必要になる。

この問題に理論的な答えを与えようとした先駆的な研究が、Yew-Kwang Ng による 1995 年の福祉生物学の論文である。Ng は、進化的な成功と失敗に関係する肯定的・否定的な経験を数理モデルに組み込み、自然界では幸福より苦痛のほうが多い可能性が高いと論じた。背景には、多くの動物が多数の子孫を残す一方、繁殖まで到達できない個体も多数存在するという個体群動態がある。

この発想では、繁殖に成功する個体と失敗する個体の経験を比較する。例えば、多数の子が生まれ、そのうち少数しか繁殖できない場合、繁殖に至らなかった個体の負の経験がどの程度大きいかによって、集団全体の福祉の収支が変わる。繁殖成功に結び付く報酬と、失敗や危険に伴う苦痛を進化的な仕組みと関連付けることで、個々の動物の経験から集団全体の幸福と苦痛を考えようとしたのである。

ただし、この考え方では、繁殖の成功や失敗をどのように経験の量へ結び付けるかが重要になる。繁殖に成功した個体が必ず大きな幸福を経験するわけではなく、繁殖に失敗した個体が必ず強い苦痛を経験するわけでもない。例えば、繁殖機会を得られなかった個体でも、それまでの生涯に食料や休息、社会的な接触などによる肯定的な経験が存在する可能性がある。一方、繁殖に成功した個体でも、飢餓や負傷、強い警戒などによって負の経験が生じ得る。繁殖上の結果と経験の価値を対応させるには、その関係を記述する追加の仮定が必要になる。

さらに、幸福や苦痛の経験が進化的にどの程度の費用を伴うかという問題もある。例えば、危険に対する強い恐怖が回避行動を促すとしても、恐怖が強ければ強いほど生存率が高まるとは限らない。過度の警戒によって採餌時間が減少すれば、栄養状態が悪化し、生存に不利になる場合もある。肯定的な報酬についても、ある行動を促す効果が報酬の強さに比例し続けるとは限らない。進化的な適応度と主観的な経験の関係には、複数の条件が関与する。

Zach Groff と Ng は 2019 年、1995 年の数理モデルを再検討し、元のモデルに誤りがあったことを報告した[11]。著者自身が参加した研究によって、従来の苦痛優勢という結論を支えていた数理的な根拠が修正されたのである。モデルを訂正すると、自然界で苦痛と幸福のどちらが優勢になるかは一意に決まらず、仮定する条件によって異なる結果が得られることが示された。

この訂正の意味を理解するには、モデルにおける変数と、その変数が表す生物学的な現象を分けて考える必要がある。例えば、繁殖に失敗する個体の割合が増えた場合、それが平均的な福祉を悪化させるかどうかは、失敗した個体が経験する苦痛の大きさや、成功した個体が経験する幸福の大きさに依存する。また、幸福や苦痛の強度を変化させたとき、それが生存や繁殖にどの程度寄与するかという関係も、結果を左右する。

1995 年のモデルでは、幸福や苦痛の強度が、それを生み出すために必要な費用の増加に対して次第に伸びにくくなるという条件などを置き、苦痛優勢を導いていた。しかし 2019 年の再計算では、もとの条件だけでは苦痛優勢を一般的には導けないことが分かった。著者らは、幸福と苦痛の強度を費用の関数として表し、それぞれの関数を二乗したものにも凹性があることを、対称性などの仮定の下で苦痛優勢を導くための十分条件として示した。この条件は必要条件ではないとも明記している[11]。この十分条件が現実の生物でどの程度成立するかは確かめられておらず、自然選択や繁殖失敗率の高さだけから苦痛優勢を必然的に導くことはできない。

Groff と Ng は修正後のモデルについて、単に結論が不明であると述べるだけでなく、考えられる条件のもとで幸福と苦痛の関係がどのように変化するかも検討した。その結果、繁殖に失敗する割合が高まることによって、平均的な福祉が悪化する場合だけでなく、改善する場合もモデル上は成立することが示された。この結果は直感に反するように見えるが、モデル内で幸福と苦痛の発生がどのような関数によって表現されているかに依存する。

例えば、繁殖に失敗する個体が増えたとしても、その個体が経験する負の状態が比較的弱く短い一方で、生存した個体が長期間にわたって強い肯定的な状態を経験するなら、集団全体の福祉が正になる可能性がある。反対に、繁殖に失敗する個体が死亡までに強い苦痛を経験し、成功した個体の肯定的な経験がそれほど大きくなければ、全体の福祉は負になる可能性がある。これらはモデルの条件による帰結を説明するための例であり、特定の種の実際の福祉を測定した結果ではない。

修正後の研究では、主観的な経験の強度が大きい生物について、苦痛が幸福を上回る方向に傾く可能性も示唆されている。これは、苦痛優勢説が全面的に否定されたという意味ではない。従来のモデルが示していた、自然界では苦痛が必然的に優勢になるという結論が維持できなくなり、種ごとの条件や経験の特性によって結果が変わることが明らかになったのである。

この違いは科学的な議論において重要である。ある理論から苦痛優勢が必然的に導かれるのであれば、個々の種の実測値が不足していても、一定の前提のもとで一般的な結論を主張できる。しかし、理論モデルの結果が条件によって変わる場合には、現実の生物でその条件がどのように成立しているかを調べる必要がある。例えば、ある種の動物について、感覚能力の発達時期、負の経験の頻度、肯定的な経験の強さや持続時間を把握しなければ、その種の福祉の収支を評価することは難しい。

1995 年のモデルの訂正は、自然界の苦痛を研究する意義を失わせるものではない。むしろ、個体群動態だけから幸福と苦痛の総量を導こうとする際に、どのような前提が必要になるかを明確にした。繁殖に失敗する個体が多数存在することは重要な生態学的事実である。しかし、その事実と主観的な苦痛の総量を結び付けるには、動物の経験に関する独立した証拠が求められる。

この点から、自然界の幸福と苦痛を比較する研究には二つの課題がある。一つは、個体がどのような状態を経験しているかを調べることである。もう一つは、それらの経験を、生涯や個体群全体の福祉としてどのように集計するかを定めることである。ある動物が強い痛みを短時間経験した場合と、穏やかな満足を長時間経験した場合について、どちらが生涯全体の評価に大きく影響するかは、経験の強度、持続時間、評価尺度によって変わる。理論的な比較と実証的な測定を接続するためには、これらの条件を具体的に扱う必要がある。

Heather Browning と Walter Veit は 2023 年、野生動物の生活が苦痛に支配されているという見方を再検討し、肯定的な経験も含めた福祉評価の必要性を論じた[12]。著者らは、捕食、飢餓、疾病などの存在を認めたうえで、それらの現象が動物の生涯全体の福祉をどの程度悪化させるかについて、十分な測定が行われていないことを指摘した。負の経験を生じさせる現象が多いという事実と、その経験が肯定的な経験の総量を上回るという結論を区別している。

例えば、捕食による死亡を考える場合、死亡時の苦痛の強度と持続時間は重要な評価要素になる。捕食者に追われ、負傷し、死亡する過程では、強い恐怖や痛みが生じる可能性がある。一方、捕食の状況によっては比較的短時間で死亡する場合があり、極度の危険に直面した際の鎮痛反応によって痛みの経験が変化する可能性も指摘されている。Browning と Veit は、死亡時の苦痛が常に同じ強度や持続時間を持つと仮定することに疑問を呈した。

ただし、危険に直面した動物で鎮痛に関係する反応が生じ得ることから、実際の捕食が苦痛を伴わないと結論できるわけではない。捕食の方法、負傷の程度、神経系の状態、死亡までの時間は種や状況によって異なる。短時間で死亡した個体と、長期間にわたって衰弱した末に死亡した個体では、負の経験が生じる時間的な条件が違う。死亡時の経験を生涯全体の福祉と比較するには、強度と持続時間の両方を評価する必要がある。

Browning と Veit は、生存中に生じる肯定的な経験の範囲にも注目した。食料を摂取したときの満足、快適な温度での休息、社会的な接触、求愛、子の世話、探索、遊びなどは、動物にとって肯定的な状態を伴う可能性がある。これらは、生存のために必要な活動と結び付く場合もあれば、球を転がすマルハナバチのように、直接の食料獲得とは別の活動として現れる場合もある。

例えば、寒さを避けて巣穴に入った動物を考える。寒冷環境にさらされている間には、体温を維持するための負担が生じる。一方、暖かい巣穴に入れば、身体への負担が軽減され、快適な状態が得られる可能性がある。空腹の動物が食事をした場合も、栄養不足に伴う負の状態が解消されるだけでなく、食物の摂取そのものに報酬が伴う場合がある。生存に必要な行動を繰り返す過程には、苦痛とその軽減、さらに肯定的な経験が組み合わさって存在し得る。

著者らはさらに、動物が特別な欲求を満たしていない時間にも、軽度の肯定的な状態が存在する可能性を論じている。もし通常の生活状態そのものがある程度快適であれば、強い苦痛が生じる時間だけを取り出して生涯を評価すると、肯定的な経験を過小評価することになる。一方、こうした基礎的な肯定的状態が実際にどの程度存在するかは、十分に測定されているわけではない。苦痛優勢説に対抗する仮説として意味を持つが、現段階で動物の通常状態が広く幸福であることを証明したものではない。

早期死亡についても、Browning と Veit は、生存期間が短い個体の経験を一律に負と判断することに疑問を呈している。例えば、繁殖に至る前に死亡した若い動物であっても、死亡までの期間に食料を得たり、快適な場所で休息したり、周囲を探索したりする経験が存在する可能性がある。反対に、その期間の大部分を飢餓や疾病の中で過ごしていたなら、福祉の評価は大きく異なる。死亡時点の年齢だけで生涯の幸福と苦痛の収支を決めることはできない。

これは、第 2 章で扱った大量の出生と早期死亡の関係にも影響する。ある種で出生した個体の大半が繁殖年齢まで生き残らなかったとしても、そこから直ちに、出生した個体の大半が負の福祉を持っていたとは結論できない。死亡までに感覚能力が成立していたか、どのような経験をしていたか、苦痛がどれほど続いたかによって評価が変わる。生涯が短いことと、その生涯が主観的に悪かったことは、別の命題である。

一方、Browning と Veit の反論にも実証的な限界がある。肯定的な経験が存在する可能性を列挙しても、それらの総量が苦痛を上回ることを直接示したことにはならない。食事や休息、遊びが肯定的な経験を伴うとしても、その強度と持続時間が分からなければ、飢餓や捕食、疾病による負の経験と比較できない。自然界が幸福優勢であるという結論にも、苦痛優勢説と同様に、個体の経験を測定する証拠が必要になる。

ここまでの研究を比較すると、自然界の福祉について異なる立場が、どのような観測結果や理論に依存しているかを整理できる。

研究 検討した対象 主要な結果・主張 幸福と苦痛の総量への適用範囲
Perry ら(2016) マルハナバチへの糖の報酬と、その後の判断・行動の変化を調べた。 糖の報酬によって曖昧な刺激への反応が肯定的な方向に変化し、その変化にドーパミンが関係することを示した。 昆虫に肯定的な感情に似た状態が存在する証拠になるが、生涯の幸福の総量は測定していない。
Galpayage Dona ら(2022) マルハナバチの球転がし行動と、その行動が持つ報酬としての働きを調べた。 直接の食料獲得を伴わない球転がし行動が繰り返され、その経験が場所への選好を形成することを示した。 遊びに似た活動が肯定的な経験を伴う可能性を支持するが、野生環境における頻度や生涯福祉への寄与は未確定である。
Groff と Ng(2019) 進化的な成功と失敗に伴う幸福・苦痛を扱う 1995 年の数理モデルを再検討した。 元のモデルの誤りを修正すると、苦痛と幸福のどちらが優勢になるかは条件によって変わることを示した。 苦痛優勢を理論から必然的に導けないことを示すが、現実の動物の福祉を実測した結果ではない。
Browning と Veit(2023) 野生動物の苦痛優勢説を支える前提と、肯定的な経験に関する知見を検討した。 死亡時の苦痛や早期死亡だけで生涯の福祉を判断することに疑問を呈し、肯定的な経験を含めた評価の必要性を論じた。 幸福優勢も十分にあり得ると主張するが、自然界全体の幸福と苦痛の収支を実証的に確定したものではない。

これらの研究を同じ尺度で比較する際には、実験による観測結果と、理論的な推論を区別する必要がある。2016 年と 2022 年の研究は、マルハナバチの行動を実際に測定したものである。2019 年の研究は、幸福と苦痛の関係を表す数理モデルの妥当性を検討したものである。2023 年の研究は、野生動物の福祉を評価する際の前提と証拠を批判的に整理したものである。それぞれが異なる方法で自然界の幸福と苦痛に接近しているため、一つの研究結果だけから全体の結論を導くことは難しい。

特に、昆虫のように多数の子孫を残す動物については、出生数の多さが福祉の総量にどのように影響するかが重要になる。例えば、短命な個体が多数生まれ、その一部が強い苦痛を経験する場合、個体数を基準に集計すると負の経験の総量が大きくなる可能性がある。一方、死亡した個体の多くが主観的経験の成立前に死亡していた場合や、生存中に肯定的な経験を持っていた場合には、同じ出生数から異なる評価が得られる。個体数と経験の量を結び付けるためには、感覚能力の成立時期と生涯の経験に関する情報が必要になる。

さらに、長寿な動物では、死亡時の強い苦痛と、それ以前に長期間経験した肯定的な状態をどのように比較するかが問題になる。例えば、数年間にわたって比較的安定した環境で生活した動物が、最後に捕食されて死亡した場合を考える。死亡時の苦痛が非常に強ければ、生涯全体の評価に大きく影響する可能性がある。しかし、その影響がそれ以前のすべての肯定的な経験を上回るかどうかは、苦痛の強度と持続時間、肯定的な経験の質と量によって変わる。長く生きたこと自体が幸福を意味するわけではないが、経験した時間の長さは福祉を評価する際の条件になる。

苦痛と幸福の比較には、個体間の違いも関係する。ある動物が経験する痛みと別の動物が経験する満足を、どの程度同じ尺度で扱えるかは容易に決まらない。人間同士でも痛みや快楽の主観的な強度には差があり、異なる種の動物では神経系や行動の特徴も異なる。マルハナバチの報酬に対する反応と、哺乳類の痛みに対する反応を数量として直接比較するには、共通する評価基準が必要になる。

また、福祉を集計する際には、個体ごとの生涯を評価するのか、一定期間に存在する動物全体の経験を評価するのかによって、対象が変わる。出生数が多く短命な種は、個体数で数えると大きな比重を占める可能性がある。一方、経験した時間を基準にすると、長寿な個体が占める比重が相対的に大きくなる。苦痛と幸福の強度まで考慮する場合には、さらに複雑な比較が必要になる。自然界全体の幸福と苦痛の収支を論じるには、観測結果だけでなく、それらをどのように集計するかという評価方法も明確にしなければならない。

自然選択によって成立した生存戦略が、個体にとって苦痛の少ない生涯を実現するとは限らない。この構造は、幸福と苦痛の総量が未確定であっても成立する。一方、自然界が全体として苦痛優勢なのか幸福優勢なのかは、動物の経験をどのように測定し、評価するかという実証的な問題として残されている。生命の進化が幸福を目的としていないことと、生命が実際にどれほど幸福を経験しているかは、別々に検証すべき命題なのである。


5. 苦痛を数えるには、何を経験しているかを知らなければならない

5.1 生存数と苦痛の総量は異なる

自然界で幸福と苦痛のどちらが多いかを判断するには、まず何を数えるのかを明確にする必要がある。個体群の規模、出生数、死亡数、生存率などは、生態学によって数量として把握できる。しかし、出生した個体がどのような生涯を送り、死亡するまでに何を経験したかは、それらの数量だけでは決まらない。例えば、同じ年齢で死亡した 2 個体でも、一方は長期間の飢餓によって衰弱し、もう一方は捕食によって短時間で死亡した可能性がある。死亡時の年齢が一致していても、死亡に至る過程と、その間に生じた経験は異なる。

この違いは、出生数が多く、初期の死亡率が高い種を評価するときに特に重要になる。例えば、ある魚類が多数の卵を産み、その大半が成体になる前に失われたとする。生態学的には、卵の数、孵化率、幼生の生存率、成体に到達した個体数などを調べることで、どの発達段階で死亡が集中したかを推定できる。しかし、発生初期の卵、孵化直後の幼生、神経系が発達した若い個体では、刺激を処理する能力や主観的な経験が成立する条件が異なる可能性がある。死亡した個体の数を、そのまま苦痛を経験した個体の数として扱うためには、死亡時点で苦痛を経験する能力が存在していたことを確かめる必要がある。

動物の感覚能力を考える際には、刺激に反応することと、その刺激を主観的に経験することを区別する必要がある。例えば、熱い物に触れた動物が身体を引く場合、神経系が危険な刺激を検出し、筋肉を動かす反応を引き起こしていることが分かる。しかし、その反応がどのような不快感を伴っていたかは、身体の動きだけから直接読み取ることが難しい。刺激を検出して行動を変える仕組みと、刺激が当の個体にどのように感じられるかという問題は、異なる測定対象になる。

Heather Browning と Jonathan Birch は 2022 年、動物の感覚能力に関する研究を整理し、主観的経験を持つ能力と、快・不快を伴う経験を持つ能力の違いを論じた[13]。前者は、何かを見たり聞いたりすることを含む主観的な経験一般に関係する。後者は、その経験が当の個体にとって好ましいものか、不快なものかという性質に関係する。動物の幸福と苦痛を評価する場合には、特に後者が重要になる。

例えば、ある動物が周囲の光や振動を検出できるとしても、その刺激を意識的に経験しているかは別の問題である。さらに、刺激を主観的に経験しているとしても、その経験が快適なのか、不快なのか、中立的なのかによって、福祉への意味は変わる。動物の感覚能力を研究する際には、刺激の検出、情報の処理、主観的経験の成立、経験に伴う快・不快という複数の段階を区別する必要がある。

Browning と Birch が検討した代表的な対象には、魚類や無脊椎動物が含まれる。例えば、魚類では、身体を傷つける可能性のある刺激を検出する受容器や、その刺激に対する行動変化が研究されてきた。Sneddon は 2003 年、ニジマスの唇に有害な化学刺激を与えると、唇を水槽の砂利や壁にこすり付けたり、胸びれを支点に身体を揺らしたりする行動が現れ、鰓蓋の運動回数も増加したと報告した。モルヒネの投与により、こうした行動や鰓蓋の運動回数は減少した[14]。この結果は、有害な刺激への反応が単純な反射だけでは説明しにくい可能性を示すが、主観的な痛みの強度を直接測定したものではない。

ただし、魚類と呼ばれる動物にも多様な分類群が存在する。ニジマスを対象に得られた知見が、そのまますべての魚類に当てはまるとは限らない。神経系の構造、感覚器官、生活環境、行動の特徴は種によって異なるためである。ある種について痛みの存在を支持する証拠が得られた場合でも、その証拠を別の種に一般化するには、神経系や行動に共通する仕組みがあるかを確認する必要がある。

昆虫では、この問題がさらに複雑になる。昆虫は脊椎動物とは大きく異なる神経系を持ち、発達の過程で身体構造が大きく変化する種もある。例えば、完全変態を行う昆虫では、幼虫、蛹、成虫の各段階で身体の構造や行動が異なる。食料の獲得方法や移動能力だけでなく、神経系の構成も発達に伴って変化する。そのため、成虫に痛みを経験する能力が存在することを示す証拠があっても、卵や発生初期の幼虫について同じ判断ができるとは限らない。

Matilda Gibbons らは 2022 年、昆虫の痛みに関する神経科学的・行動学的な証拠を広く調査した[15]。対象となったのは、ゴキブリ目、コウチュウ目、ハエ目、ハチ目、チョウ目、バッタ目の 6 目である。研究者は、成虫に加えて、利用可能な研究がある幼虫などの発達段階についても証拠を整理した。昆虫全体を一つの集団として評価するのではなく、分類群と発達段階による違いを明らかにしようとした点に特徴がある。

この研究では、痛みの存在を判断するために 8 つの基準を用いた。評価には、有害な刺激を検出する受容器の存在、神経系での情報の統合、有害な刺激に対する柔軟な行動変化、状況に応じた行動の選択、学習、鎮痛物質に関係する反応などが含まれる。単に有害な刺激から逃げるという行動だけで判断するのではなく、神経系の構造と複数の行動的な証拠を組み合わせて、痛みを経験する能力が存在する可能性を評価した。

例えば、ある昆虫が有害な刺激を受けたとき、常に同じ反射的な動きを示すだけであれば、その行動から主観的な痛みの存在を推定することには限界がある。しかし、有害な刺激を避けるために別の報酬を諦めたり、周囲の条件によって回避行動を変えたりする場合には、複数の情報を統合して行動を選択している可能性が高まる。さらに、その経験を記憶し、後の行動に反映させるなら、刺激に対する処理は単純な反射より複雑なものになる。複数の独立した証拠を調べることで、痛みの存在についての推論を強められる。

Gibbons らのレビューでは、成虫のハエ目とゴキブリ目について、8 つの基準のうち 6 つを満たす証拠があり、痛みの存在を支持する強い証拠と評価された。また、コウチュウ目を除くほかの対象目の成虫や、一部の幼虫についても、複数の基準を満たす相当程度の証拠が認められた。一方、幼虫を含む多くの発達段階では、そもそも研究が不足しており、基準を評価するための情報が十分に存在していなかった。

ここで、証拠が不足していることと、痛みを感じる能力が存在しないことを区別する必要がある。ある発達段階について有害な刺激への反応を調べた研究がなければ、その段階で痛みが存在するかどうかを判断する材料が不足していることになる。研究されていないという理由だけで、痛みを経験しないと結論することはできない。Gibbons らのレビューでも、痛みの存在を支持する証拠の量には大きな違いがある一方、検討対象の昆虫が特定の基準を満たさないことを明確に示す証拠は得られていないと整理されている。

この違いは、自然界全体の苦痛を推定する際に大きな影響を持つ。仮に、ある昆虫が 10 万個の卵を産み、そのうち大部分が孵化前または幼虫の段階で死亡したとする。発生初期には主観的な経験を持たず、ある程度発達してから感覚能力が成立するのであれば、死亡した個体の数と苦痛を経験した個体の数は一致しない可能性がある。反対に、非常に早い発達段階から痛みを経験する能力が存在するなら、従来は感覚能力の評価対象から外されていた多数の個体を考慮する必要が生じる。

さらに、感覚能力が存在することが確認できても、死亡するまでにどれほどの苦痛を経験したかは別に調べなければならない。例えば、有害な刺激を検出して回避する能力がある個体でも、死亡時に強い痛みを感じたのか、短時間の不快な経験にとどまったのか、あるいは苦痛を伴わない状態で死亡したのかによって、福祉への影響は異なる。痛みを経験する能力は、苦痛が発生するための条件の一つだが、その能力を持つ個体が常に苦痛を経験していることを意味しない。

既稿「麻酔で共通する神経活動だけでは感じ方を特定できない」では、神経活動の変化を観測することと、その活動に伴う主観的な経験の内容を特定することの違いを論じた[16]。例えば、麻酔によって神経活動の時間的な構造が変化したとしても、それだけで麻酔前後の主観的経験がどのように変化したかを完全に説明できるわけではない。異なる生物に共通する神経活動の特徴が見つかった場合も、その特徴が主観的な経験にどのように関係するかを検証する必要がある。

野生動物の痛みについても、同様の測定上の制約がある。ある動物が負傷した後に活動量を減らしたり、傷口に触れる行動を示したりすれば、身体に生じた異常が行動へ影響していることは分かる。しかし、活動量が半分になったからといって、苦痛の強度が 2 倍になったとは判断できない。神経活動やホルモンの値についても、特定の数値をそのまま主観的な苦痛の量に置き換えることは難しい。観測される指標と主観的な経験の間に、どのような対応関係があるかを確かめる必要がある。

また、同じ行動が異なる内部状態から生じる場合もある。例えば、動物が動かずにいる状態は、休息、恐怖による静止、病気による衰弱など、複数の原因によって起こり得る。活動量の低下だけを観測しても、それが快適な休息によるものなのか、強い負担によるものなのかを区別できない。心拍数やホルモンの値などを追加すれば判断材料は増えるが、それらも運動、体温調節、繁殖などによって変化する。動物の福祉を評価するためには、行動、生理、環境条件を組み合わせ、それぞれの指標が何を示しているかを検証する必要がある。

この過程では、因果関係を確かめる実験も重要になる。例えば、負傷した動物に適切な鎮痛処置を行い、その前後で行動がどのように変化するかを調べれば、観測された行動の一部が痛みに関係していたかを検討できる。ただし、薬剤には痛みの軽減以外の作用が存在する場合もあるため、薬剤による行動変化をそのまま痛みの存在の証明とすることは難しい。行動の変化、神経系の特徴、薬剤の作用などを複数の角度から調べることで、単一の指標に依存する推論を補強できる。

野生動物については、実験室で得られた知見を自然環境へ適用する際にも制約が生じる。実験室では刺激の種類や強度を調整し、行動や神経活動を詳しく測定できる。一方、野生環境では、捕食者、食料、気象条件、繁殖状態、ほかの個体との関係などが同時に変化する。ある動物が長時間警戒していたとしても、何に反応していたのか、どの程度の恐怖を経験していたのかを継続して調べることは容易ではない。実験による因果関係の検証と、野外での長期的な観測を結び付ける必要がある。

自然界の苦痛を数量として評価するには、少なくとも、感覚能力を持つ個体がどの程度存在するか、その個体がどのような負の状態を経験するか、各状態がどれほど強く、どれほど長く続くかという情報が必要になる。出生数や死亡率は、このうち個体数や生存期間に関する情報を提供する。しかし、苦痛を経験する能力や、経験の強度については、神経科学と動物行動学による別の証拠が必要になる。

生存数と苦痛の総量を区別することは、自然界の苦痛を過小評価しないためにも、過大評価しないためにも重要である。感覚能力を持たない発達段階の死亡を、強い苦痛を伴う死亡と同じように数えれば、負の経験を過大評価する可能性がある。一方、感覚能力を持つ動物が長期間の飢餓や疾病を経験しているにもかかわらず、死亡数だけを評価すれば、生存中の苦痛が集計から抜け落ちる。動物の福祉を評価する対象は、生存や死亡という結果だけでなく、その結果に至るまでに個体が経験した状態全体なのである。

5.2 同じ時間の幸福と苦痛を足し引きできるか

動物が主観的な経験を持つことを確認できたとしても、自然界全体の幸福と苦痛を比較するためには、さらに別の問題が残る。例えば、ある動物が長期間にわたって比較的快適な環境で生活し、最後に捕食されて死亡したとする。その生涯には、食料を得ることや休息による肯定的な経験と、捕食される際の恐怖や痛みによる否定的な経験が含まれ得る。どちらが生涯全体の福祉に大きく影響したかを判断するには、それぞれの経験の強度と持続時間を比較する必要がある。

単純な方法として、経験を快と不快の程度に応じて数値化し、その状態が続いた時間を考慮して集計することが考えられる。例えば、ある状態を快適さが正の値、不快さが負の値となる尺度で表し、各状態の値と持続時間を組み合わせる方法である。もし同じ尺度で強度を測定できるなら、長時間の弱い快楽と短時間の強い苦痛を数量として比較することが可能になる。しかし、この計算には、快楽と苦痛が同じ尺度上で比較できるという前提が含まれている。

例えば、仮想的に、穏やかな快適さを強度 1、激しい苦痛を強度 10 と評価できる尺度が存在するとする。ある個体が 10 時間の快適さと 1 時間の苦痛を経験した場合、強度と時間を単純に掛け合わせれば、正の経験と負の経験は絶対値として同じ量になる。しかし、この結果が成立するのは、強度 10 の苦痛が強度 1 の快適さのちょうど 10 倍に相当し、時間に比例して経験の価値が加算されるという仮定を置いた場合である。実際の動物の経験について、そのような共通尺度が確立しているわけではない。

さらに、同じ時間であっても、痛みや快楽の強さが一定とは限らない。負傷した直後には強い痛みが生じ、その後に軽減する場合がある。一方、慢性的な疾病では、中程度の苦痛が長期間にわたって持続する場合もある。快楽についても、食料を発見した瞬間の強い報酬と、満腹になって休息している間の穏やかな満足では、経験の性質が異なる可能性がある。生涯全体の福祉を比較するには、ある状態が続いた時間だけでなく、その時間の中で強度がどのように変化したかも考慮する必要がある。

痛みと快楽を一つの尺度の正負として扱うこと自体にも、理論的な問題がある。Adam Shriver は 2014 年、神経科学の知見を踏まえ、痛みと快楽が単一の尺度における対称的な両極として捉えられるのかを検討した[17]。この研究では、痛みと快楽は神経科学的に異なる種類の経験であり、個体の福祉に及ぼす影響も対称的とは限らないと論じられている。

例えば、強い痛みを経験した後に同じ程度の快楽を経験したとして、両者が主観的な福祉において完全に相殺されるとは限らない。痛みは身体への危険や損傷に関係し、行動を強く制約する場合がある。一方、快楽は報酬に関係する行動や経験として生じ、その後の行動選択に影響する場合がある。両者には神経系や行動への作用に違いが存在するため、同じ強度と持続時間を持つように見える場合でも、福祉への寄与が等しいとは限らない。

Shriver は、苦痛と快楽が福祉に与える影響の非対称性を、動物倫理の問題にも結び付けた。例えば、ある動物に苦痛を与える行為について、それ以上の苦痛を防ぐために必要な場合と、別の個体の幸福を増やすために行う場合では、倫理的な評価が異なる可能性がある。著者は、苦痛を減らすことと幸福を増やすことを同じ価値の増減として扱う考え方に疑問を呈し、苦痛の回避に特別な重要性を認める立場を論じている。

ただし、この議論は、自然界で苦痛の総量が幸福を上回ることを実測したものではない。痛みと快楽の神経科学的な違いから、福祉への寄与が非対称である可能性を論じることと、実際の野生動物が経験する幸福と苦痛の総量を比較することは、異なる問題である。また、苦痛をどの程度重く評価すべきかという判断には、神経科学による記述だけでなく、福祉や倫理的価値についての前提も関係する。

例えば、捕食によって短時間の強い苦痛を経験した動物と、長期間の穏やかな満足を経験した動物を比較する場合を考える。苦痛と快楽が対称的で、強度と時間によって単純に加算できると仮定すれば、一定の数値を割り当てて比較できる。しかし、強い苦痛を穏やかな快楽より重く評価する尺度を採用すれば、同じ経験について異なる結果が得られる可能性がある。さらに、極端な苦痛には特別な重みを置くという評価方法を採用するなら、短時間の経験が生涯全体の評価に大きく影響することも考えられる。

このように、幸福と苦痛の総量には、動物が実際に経験した状態という観測上の問題と、その経験をどのように比較するかという評価上の問題が含まれている。感覚能力の研究が進み、痛みや快楽に関係する神経活動を詳しく測定できるようになっても、それらを共通の福祉尺度へ変換する方法は別に検討しなければならない。経験がどのような神経機構によって成立するかを説明することと、その経験が生涯全体にどの程度の価値を持つかを判断することは、同じ作業ではない。

Heather Browning は 2022 年、動物福祉を測定する方法を比較し、より妥当な評価を行うために必要な条件を検討した[18]。この研究では、動物の状態全体を一つの指標で評価する方法と、複数の指標を組み合わせて評価する方法を区別している。前者は、ある時点での動物の全体的な状態を把握することを目指す。後者は、健康状態、行動、環境条件などの複数の要素を用いて、福祉の状態を評価する。

動物の状態全体を捉える方法の一例が、判断の偏りを利用した評価である。例えば、動物に良い結果と悪い結果を区別するよう学習させ、その後に曖昧な刺激を与えると、肯定的な状態と否定的な状態によって反応が変わる場合がある。第 4 章で扱ったマルハナバチの研究も、こうした判断の変化を利用したものである。複数の行動や身体状態を個別に評価する方法と比べ、動物の内部状態をより総合的に捉える手掛かりになる可能性がある。

しかし、判断の偏りを利用する方法にも限界がある。動物が曖昧な刺激に対して肯定的な反応を示したとしても、その結果だけで快楽の強度や持続時間を数値化できるわけではない。また、反応には学習能力、注意、動機付けなども影響するため、福祉の変化とほかの要因を区別する必要がある。特定の実験条件で有効だった指標が、別の種や自然環境でも同じ意味を持つかどうかについても検証が必要になる。

複数の指標を組み合わせる方法では、例えば、食料の摂取量、身体の状態、負傷や疾病の有無、活動量、休息時間、社会的な行動などを調べる。これらを同時に評価すれば、単一の指標では把握しにくい福祉の状態を捉えられる可能性がある。例えば、活動量が低下した動物について、十分な食料を摂取しており、健康状態にも異常が認められないなら、休息している可能性が考えられる。一方、食料摂取量の減少、体重の低下、負傷などが同時に認められれば、疾病や衰弱などによる負担を検討する必要が生じる。

ただし、複数の指標を集めても、それらをどのように組み合わせるかという問題が残る。例えば、食料を十分に得られていることと、捕食者への強い警戒が続いていることを同じ個体で観測した場合、前者をどの程度の正の要因として、後者をどの程度の負の要因として評価するかを決めなければならない。身体の状態が良好でも、強い恐怖を経験している可能性があり、反対に一時的な身体的負担があっても、肯定的な経験が存在する場合も考えられる。複数の指標を集めることと、それらを妥当な福祉評価へ統合することは、異なる段階になる。

Browning は、動物の状態全体を評価する方法と、複数の指標を組み合わせる方法には、それぞれ異なる長所と限界があると整理した。全体的な評価は、動物が経験している状態を一つの尺度で捉えることを目指せる一方、その状態を生じさせている具体的な原因を特定しにくい。複数の指標による評価は、食料、疾病、環境条件などの要因を詳しく調べられる一方、それぞれの指標が主観的な福祉にどの程度寄与するかを判断する必要がある。両者を組み合わせることで、動物の状態を総合的に把握しながら、その状態を生じさせる原因も検討できると論じている。

しかし、個体の福祉をある時点で評価できたとしても、その個体の生涯全体を評価するには、時間を通じた変化を考慮しなければならない。例えば、ある動物が観察時点では健康で快適そうな状態にあっても、それ以前に長期間の疾病を経験していた可能性がある。反対に、観察時点で負傷していても、それ以前には比較的安定した状態で生活していたかもしれない。ある時点の福祉を表す指標と、生涯にわたる経験の総量は、異なる時間的な対象を測定している。

生涯全体を調べるには、同じ個体を継続的に観察し、状態がどのように変化したかを記録する方法が考えられる。しかし、野生動物では、個体を長期間追跡すること自体が難しい場合がある。小型の動物は識別が難しく、広い範囲を移動する動物では継続的な観測が困難になる。また、観測できなくなった個体が死亡したのか、別の場所へ移動したのかを区別できない場合もある。生存率の推定にもこうした制約が存在するが、主観的な経験の変化を追跡する場合には、さらに詳しい行動や生理状態の情報が必要になる。

加えて、個体の生涯全体の福祉を評価できたとしても、それを自然界全体へ広げるためには集計の方法を決める必要がある。例えば、短命な動物が多数存在する場合と、長寿な動物が少数存在する場合では、出生個体数を基準にするか、経験した時間を基準にするかによって、どちらの集団を重く扱うかが変わる。さらに、異なる種の動物が同じ程度の苦痛や快楽を経験していると判断できるかという種間比較の問題も加わる。

自然界の福祉を定量的に扱うための評価対象は、次のように整理できる。

評価対象 観測・計算できる内容 必要になる追加情報 評価上の制約
出生数と死亡数 一定期間に何個体が生まれ、どの発達段階で死亡したかを調べられる。 死亡した個体が、その時点で苦痛を経験する能力を持っていたかを確かめる必要がある。 死亡数だけでは、死亡までに経験した苦痛の強度や持続時間を判断できない。
神経活動と生理反応 有害な刺激への反応、神経系の活動、ホルモンや身体状態の変化を測定できる。 それぞれの指標が主観的な快・不快とどのように対応するかを検証する必要がある。 同じ指標の変化が、異なる生理的・行動的な状態から生じる場合がある。
行動の変化 危険の回避、採餌、休息、探索、遊び、社会的な行動などを観測できる。 行動を引き起こした内部状態と、経験の肯定的・否定的な性質を調べる必要がある。 同じ行動が複数の原因から生じる可能性があり、行動だけで経験を一意に特定できない。
経験した時間 ある個体が特定の環境や行動状態で過ごした時間を集計できる。 その状態で経験した快・不快の強度と、時間による変化を評価する必要がある。 同じ時間の経験でも、強度や経験の質によって福祉への影響が異なり得る。
個体の生涯全体 同じ個体について、健康、行動、環境条件などの変化を継続的に調べられる。 生涯の各時点で生じた肯定的・否定的な経験を共通の尺度で評価する必要がある。 ある時点での福祉評価を、生涯全体の評価にそのまま置き換えることはできない。
種・個体群全体の福祉 個体数、生存期間、繁殖、死亡などの情報を集団として集計できる。 個体間の経験を比較する尺度と、集計時の重み付けを定める必要がある。 個体数、生存時間、経験の強度のどれを重視するかによって結果が変わり得る。
異なる種を含む自然界全体 感覚能力があると考えられる複数の分類群について、個体群や生態学的な情報を整理できる。 種ごとの感覚能力、経験の強度、持続時間、種間比較の方法が必要になる。 神経系や生活史が大きく異なる種の経験を、同じ尺度で比較する方法が確立していない。

この表は、自然界の幸福と苦痛の総量を求めるために、どのような段階を経る必要があるかを示している。出生数や死亡数は、生物がどの程度存在し、どの時点で失われるかを表す。神経活動や行動は、個体がどのような状態にあるかを推定するための材料になる。さらに、経験の強度と持続時間を考慮することで、生涯全体の福祉を評価するための情報が得られる。しかし、個体間や種間でそれらの経験をどのように比較するかという問題は、別に解決する必要がある。

例えば、同じ生存時間を持つ 2 個体でも、一方が長期間の穏やかな快適さを経験し、他方が短時間の強い快楽と長時間の苦痛を経験したなら、両者の福祉は異なる可能性がある。また、ある種では短命な個体が大量に生まれ、別の種では少数の個体が長期間生存するとしても、どちらの集団の経験が全体の福祉に大きく寄与するかは、出生数だけでは決まらない。どのような経験が生じ、その経験にどの程度の重みを与えるかが結果を左右する。

さらに、全体の福祉を考える場合には、平均と総量の違いも重要になる。例えば、ある集団の個体数が増加し、個体当たりの平均的な福祉が低下した場合でも、すべての個体の経験を合計した値が増加する可能性はある。反対に、個体数が減少して平均的な福祉が改善しても、集団全体の肯定的な経験の総量が減少する場合がある。平均的な生涯の質を評価することと、すべての個体が経験した幸福と苦痛を合計することは、異なる問いになる。

こうした集計上の違いは、進化と個体の幸福の関係を考える際にも影響する。自然選択は、個体や遺伝的な形質の相対的な繁殖成功に関係する。一方、福祉の評価では、繁殖に成功した個体だけでなく、繁殖に失敗した個体や、繁殖可能になる前に死亡した個体の経験も考慮する必要がある。ある繁殖戦略によって出生数が増えた場合、それが幸福を経験する個体の増加につながるのか、それとも苦痛を経験する個体の増加につながるのかは、感覚能力と生涯の経験に関する条件によって変わる。

さらに厳密に考えるなら、感覚能力についての不確実性そのものも評価へ影響する。例えば、ある分類群の成体について痛みを経験する能力を支持する証拠が強く、幼生については証拠が不足している場合、すべての発達段階を同じ条件で集計することには問題がある。一方、証拠が不足している発達段階を評価から完全に除外すれば、実際には苦痛を経験している個体を見落とす可能性がある。感覚能力が存在する可能性と、存在する場合の経験の強度を分けて考えることで、何が分かっており、どこに不確実性が残るかを明確にできる。

この問題は、自然界の生命を数量として捉える際の根本的な制約でもある。生物の個体数を推定する方法、生存率を測定する方法、神経活動を観測する方法は、それぞれ異なる対象を測定している。これらの情報を組み合わせれば、自然界の苦痛についての理解を深められる。しかし、それぞれの測定値が同じ意味を持つわけではなく、単純に足し合わせることもできない。個体数の多さ、死亡率の高さ、行動反応の強さを、そのまま苦痛の総量とみなすことには限界がある。

それでも、測定が難しいという理由によって、自然界の苦痛を研究対象から除外する必要はない。Browning が検討したように、全体的な状態を捉える方法と複数の指標を組み合わせる方法には、それぞれ利用できる情報がある。神経科学によって感覚能力に関する証拠を増やし、行動学によって環境条件と反応の関係を調べ、長期的な観測によって個体が経験する状態の変化を把握することで、福祉の評価に必要な情報を蓄積できる。

自然界の幸福と苦痛のどちらが多いかを判断するには、少なくとも三つの異なる問題を解く必要がある。第一に、どの動物が肯定的・否定的な経験を持つ能力を備えているかを明らかにすること。第二に、その動物が生涯の中でどのような経験を、どの程度の強さで、どれほど長く経験するかを調べること。第三に、異なる個体や種の経験をどのような尺度と方法で比較するかを定めることである。これらの条件が満たされる程度によって、福祉の総量について導ける結論の確実性が変わる。

ここには、自然界の苦痛を理解するうえで重要な帰結がある。生命が進化する過程では、生存と繁殖に関係する危険や負担が継続的に生じ得る。しかし、その事実だけで自然界全体の幸福と苦痛の収支は決まらない。苦痛が生じる仕組みを説明することと、その苦痛がどれほど存在するかを測定することは、異なる研究課題である。自然界が幸福な場所なのか、苦痛の多い場所なのかを科学的に判断するためには、生存している個体の数だけでなく、そこで生きる個体が実際に何を経験しているのかを明らかにする必要があるのである。


6. 文明に守られた生活は、生命一般の条件ではない

現代の都市で生活する人間は、生存に必要な条件の多くを、日々の個人的な行動とは独立した仕組みによって確保している。蛇口をひねれば飲料水が得られ、店舗には食料が供給され、住居は寒さや雨風を防ぎ、体調を崩せば医療機関を利用できる。これらの条件は、人間の身体が生物として特別に強くなったために成立しているわけではない。水の浄化、食料の生産と流通、建築技術、医療、公衆衛生などが組み合わさることで、自然環境に直接さらされる危険の一部が軽減されている。

例えば、飲料水を確保することを考える。人間の身体には水分が必要であり、水を摂取できなければ脱水が進み、生命の維持に支障が生じる。しかし、自然環境に存在する水が、そのまま安全に飲めるとは限らない。河川や池の水には病原体や有害な物質が含まれている場合があり、水を見つけることと、安全に摂取できることは別の条件になる。現代の水道は、水源の確保、浄水、消毒、水質検査、配水設備の維持といった工程によって、この問題に対応している。

水道が整備された地域では、利用者は水源を探し、毎回その安全性を調べる必要がない。浄水施設で水中の病原体などを除去し、配水設備によって家庭まで届けることで、水を得るための行動と感染の危険が変化する。さらに、下水道や排水処理の整備は、排泄物などによる水環境の汚染を抑え、感染症の発生機会を減らす。個人が水を飲む際の危険を軽減しているのは、本人の判断能力だけではなく、日常生活の背後に存在する技術と制度なのである。

感染症についても同様の関係がある。病原体に感染したとき、身体は免疫反応によって対抗するが、その反応だけで常に感染を抑えられるとは限らない。重症化すれば、呼吸や循環などの機能が損なわれ、生命に危険が及ぶ場合がある。ワクチンは特定の病原体に対する免疫応答を準備し、感染や重症化の危険を減らすために利用される。抗菌薬などの治療薬は対象となる病原体に応じて用いられ、医療機関では検査、酸素投与、輸液などによって、感染に伴う身体への負担を軽減することもできる。

こうした医療技術の効果は、技術が存在することだけで成立するわけではない。ワクチンを安全に製造し、適切な温度で保存し、必要な地域へ運び、接種を実施するためには、製造設備、物流、医療従事者、予防接種制度などが必要になる。治療薬についても、病気を発見するための診断体制や、必要な人が薬剤を利用できる供給体制が関係する。生物学的には同じ感染症にかかった人間でも、こうした仕組みにアクセスできるかどうかによって、重症化や死亡の危険が変わり得る。

食料についても、自然環境で食物を獲得する場合と、現代の都市で購入する場合では、生存に必要な活動の構造が異なる。野生動物は、食料を発見し、ほかの個体との競争や捕食の危険に対応しながら摂取する必要がある。人間も長い歴史の中で、食料の採集、狩猟、栽培、保存などの方法を発達させてきた。現代の都市では、農業、畜産、漁業、食品加工、保存技術、輸送、流通などが連携し、生活する場所の近くで直接生産されていない食料も利用できる。

例えば、都市に暮らす人間が冬季に食料を購入できるのは、その地域で冬にも十分な作物が育っているためとは限らない。異なる季節や地域で生産された食料が、保存や輸送の技術によって供給されている場合がある。地域の収穫量が減少しても、ほかの産地から供給できれば、一地域の不作が直ちに食料不足へ結び付く危険を軽減できる。ただし、輸送網の寸断、価格の上昇、所得不足などが生じれば、食料が市場に存在していても必要な人が入手できなくなる。供給の仕組みが発達することと、すべての個人が十分な食料を確保できることは、異なる条件である。

住居も、生存環境を変える重要な仕組みである。人間は体温を一定の範囲に維持する必要があり、極端な暑さや寒さにさらされれば身体への負担が増す。屋内で生活できれば、降雨や強風を避け、暖房や冷房によって周囲の温度を調節できる。さらに、衣服、寝具、断熱材などを組み合わせることで、身体が直接対応しなければならない環境の変動を小さくできる。これは、身体の体温調節機能を不要にしたという意味ではなく、その機能だけに依存する必要性を減らしたということである。

こうした仕組みは、危険の発生そのものを抑える場合と、危険が発生した後の被害を軽減する場合に分けられる。浄水や衛生管理は、病原体に接触する機会を減らす方向に働く。ワクチンは感染症に対する身体の防御能力に関係する。医療は病気や負傷が発生した後にも、症状を緩和し、回復を支援できる。住居や衣服は、外部環境の変化が身体へ直接及ぼす影響を軽減する。複数の仕組みが異なる段階で作用することによって、生存のために個人が負担する危険の種類や大きさが変わる。

文明による保護を理解するには、こうした機能を区別する必要がある。

生存条件 自然環境で生じる危険 文明による対応 個体への影響 残る制約
飲料水 水源の不足や病原体などによる汚染が、水分の摂取や健康を脅かす。 浄水、消毒、水質検査、配水設備によって、安全な水を継続的に供給する。 水を探す負担と、水を介した感染症の危険を軽減できる。 設備の維持、供給の安定性、利用料金、地域間の格差などに左右される。
食料 季節変動、不作、食料をめぐる競争などによって、必要な栄養を得られない場合がある。 生産、加工、保存、輸送、流通によって、地域や季節による供給の変動を緩和する。 食料の不足を軽減し、毎日自ら食料を採集する必要性を減らせる。 所得、価格、物流、供給網の維持、食料分配の条件などに依存する。
感染症 病原体への接触や感染によって、疾病、身体機能の低下、死亡が生じる。 衛生管理、予防接種、検査、治療薬、医療機関などによって予防と治療を行う。 感染や重症化の危険を減らし、発症後の回復を支援できる。 病原体の種類、医療技術の有効性、医療へのアクセスなどに制約がある。
気温・気象 極端な暑さや寒さ、降雨、強風などが、体温維持や身体の安全に影響する。 住居、衣服、断熱、暖房、冷房などによって外部環境への曝露を軽減する。 体温調節の負担を減らし、休息や睡眠に適した環境を確保しやすくなる。 住環境の質、エネルギー供給、災害への耐性などによって保護の程度が異なる。
負傷・疾病 事故、疾病、身体機能の低下などによって、活動や生存が制約される。 救急医療、外科治療、薬物療法、リハビリテーション、福祉などによって対応する。 死亡や後遺症の危険を減らし、回復や生活の継続を支援できる。 治療可能性、費用、専門医療の供給、介護や支援体制などに左右される。
生活の継続 負傷、病気、加齢などによって自力で食料や安全を確保できなくなる場合がある。 家族、地域社会、医療、介護、社会保障などが生活を支える。 本人が生存に必要な活動を十分に行えない場合でも、生活を維持できる可能性が高まる。 支援者、制度、財源、地域資源などの条件によって利用可能性が変わる。

この表で注目すべきなのは、人間の身体に備わった生理機能の多くが、文明の発達によって不要になったわけではないという点である。人間は依然として、水、栄養、酸素、適切な体温、休息を必要とし、感染症や負傷によって身体機能を損なう。文明は、こうした生物学的な条件を変えることなく、それらを満たすために必要な環境や手段を整えてきた。生物としての人間が持つ脆弱性に対し、個体の身体の外側にある仕組みが保護を提供しているのである。

この構造は、人間の生存を個体の能力だけで考えることの限界も示している。例えば、病気によって一時的に動けなくなった人がいたとしても、周囲の人が食事を用意し、医療機関が治療を提供すれば、本人が自力で採餌や移動を行えない状態でも生活を継続できる。高齢者や障害のある人についても、住環境の調整、補助具、介護、医療などによって、身体機能の制約と生活の継続を両立できる場合がある。生存に必要な能力の一部を社会的な支援によって補うことが、人間の生活条件を大きく変えている。

ただし、集団による支援そのものは近代文明に固有の現象ではない。人間は長い歴史の中で、食料を分配し、子を育て、病気や負傷によって活動が制限された人を支えてきた。親族や共同体による協力は、現代の医療制度や社会保障が成立する以前から、人間の生存に関係していたと考えられる。現代文明の特徴は、こうした人間の協力能力に加えて、専門的な知識、技術、設備、制度を大規模に組み合わせ、生存に必要な条件を継続的に提供できる範囲を広げたことにある。

人類の歴史を考える際には、現在の生活条件がどの程度特殊なのかを、実際の死亡率や寿命の研究から検討する必要がある。現代の先進国では、乳児期や小児期の死亡が比較的少なく、成人後も長く生きることが一般的になっている。しかし、この状況が人類の進化史を通じて同じように成立していたと考える根拠はない。一方、人間の祖先や狩猟採集社会の人々が、一様に短命だったと考えることも正確ではない。出生直後の死亡率と、成人後にどの程度生きられるかを区別する必要がある。

Michael Gurven と Hillard Kaplan は 2007 年、世界各地の狩猟採集社会と、採集・園芸農耕を組み合わせた社会などの人口学的な資料を比較し、年齢別の死亡率、生存率、老化に伴う死亡率の変化を分析した[19]。対象には、アチェ、ハッザ、ヒウィ、クンなど、生活環境や外部社会との接触状況が異なる複数の集団が含まれている。著者らは、こうした集団について年齢別の死亡率を推定し、出生から死亡までの生存の経過を比較した。

この研究では、5 集団の伝統的な狩猟採集社会、4 集団の採集・園芸農耕社会、5 集団の外部社会の影響を受けた狩猟採集社会について死亡率を分析した。死亡率は年齢によって大きく変化するため、単に死亡時の平均年齢を比較するのではなく、年齢ごとの死亡率を用いて生存曲線を推定した。生存曲線は、出生した集団のうち、特定の年齢まで生存している個体がどの程度存在するかを表す。これによって、乳幼児期の死亡と成人後の死亡を分けて検討できる。

分析の結果、伝統的な狩猟採集社会では、出生した子の平均 57% が 15 歳まで生存すると推定された。採集・園芸農耕社会では 64%、外部社会の影響を受けた狩猟採集社会では 67% であった[19]。つまり、伝統的な狩猟採集社会の平均では、出生した子の約 43% が 15 歳になる前に死亡していたことになる。これは、特定の年にすべての集団で同じ死亡率が観測されたという意味ではなく、研究対象となった複数の集団についてモデルから推定された平均的な生存率である。

この数字が示すのは、出生した子が成人するまで生き残るという条件が、現代の都市生活で考えるほど安定していたわけではないということである。幼少期には、感染症、栄養不足、事故など、複数の危険が関係する。身体が小さく、免疫機能や身体的な能力が発達途中にある時期には、疾病や環境条件の影響が大きくなる場合もある。生存率が低い社会では、出生した子の相当数が、成人として生活する段階に到達する前に死亡する。

一方、Gurven と Kaplan の研究は、15 歳まで生存した人々について異なる結果も示している。伝統的な狩猟採集社会では、15 歳に到達した個体の平均 64% が 45 歳まで生存すると推定された。採集・園芸農耕社会では 61%、外部社会の影響を受けた狩猟採集社会では 79% であった[19]。幼少期の死亡率が高い一方、成人後にも数十年間生存する人々が相当数存在していたのである。

さらに、45 歳まで生存した人々については、その後の平均余命が伝統的な狩猟採集社会で約 20.7 年、採集・園芸農耕社会で約 19.8 年、外部社会の影響を受けた狩猟採集社会で約 24.6 年と推定された[19]。45 歳に到達した人々が、その後も平均して約 20 年前後生きるという結果は、人間の成人後の長寿が近代医療だけによって初めて成立した性質ではないことを示している。現代の衛生や医療は長寿を実現しやすくする条件を改善してきたが、人間が高齢まで生存できる能力そのものは、より長い進化史の中で成立してきたと考えられる。

ここで、出生時平均余命と、特定の年齢に到達した後の平均余命を区別すると、数字の意味が理解しやすくなる。出生時平均余命は、出生した集団の死亡率を反映するため、乳幼児期に多くの死亡が発生すれば低くなる。しかし、出生後の危険な時期を生き延びた人が、さらに長く生きることは十分にあり得る。例えば、出生時平均余命が 30 年程度であっても、社会の多くの成人が 30 歳前後に死亡しているとは限らない。出生直後から幼少期までの死亡が平均を引き下げる一方、成人後には数十年間生存する個体も含まれるためである。

Gurven と Kaplan の研究では、伝統的な狩猟採集社会の集団ごとの出生時平均余命は 21~37 年の範囲にあった。一方、45 歳まで生存した人々の平均余命は集団ごとに 14~24 年の範囲にあり、成人後の長寿が複数の集団で確認された。こうした結果は、人類の過去を一律に短命な生活として描くことにも、現代の医療がなくても現在と同程度の安全が確保されていたと考えることにも、慎重である必要性を示している。

さらに、同じ狩猟採集社会という分類に含まれる集団でも、死亡率には大きな違いがあった。研究対象の中には、乳幼児期の生存率が比較的高い集団もあれば、成人後を含めて死亡率が高い集団も存在した。こうした違いは、食料の利用可能性、疾病環境、生活条件、外部社会との接触状況など、複数の要因が関係する可能性を示している。狩猟採集という生活様式だけで、人間の死亡率や寿命が一意に決まるわけではない。

なお、この研究で扱われたのは、調査可能な人口学的資料が存在する近現代の小規模社会である。数万年前の人類の死亡率を直接測定したものではない。研究者は、複数の集団の死亡率を比較することで、人間の生活史にどのような特徴があるかを推定している。調査された社会は、それぞれ固有の歴史や環境を持ち、現代の国家や市場との関係も異なるため、すべてを先史時代の人類の完全な再現として扱うことはできない。

それでも、この研究から重要な二つの特徴を読み取ることができる。第一に、人間の生存には、出生から成人に至るまでの高い死亡リスクが伴う場合があったことである。第二に、そうした環境であっても、成人後の長寿は人間の生活史の一部として存在していたことである。現代文明による死亡率の改善を理解するには、この両方を考慮する必要がある。人間は本来、成人後すぐに死ぬような生物ではない一方、出生した子が成人まで生き残ることが常に高い確率で保証されていたわけでもない。

この違いは、自然選択と幸福の関係を考える際にも意味を持つ。人間の進化の過程で、長期間にわたる子の養育や、複数世代の協力を支える能力が発達してきたと考えられる。子が長い時間をかけて成長し、成人後も学習や社会的な活動を続けるという生活史は、人間の生存と繁殖に関係する。しかし、こうした性質が進化的に成立したことと、すべての人間が安全に成長し、幸福な生涯を送ることは別の結果である。長寿の能力が存在しても、疾病や環境条件によって、その能力を十分に発揮する前に死亡する場合がある。

文明の発達は、こうした生物学的な能力を実際の生存へ結び付ける条件を変えてきた。例えば、感染症による幼少期の死亡を減らすことができれば、より多くの子が成人まで生存する可能性が高まる。成人後も、病気や負傷に対して治療を受けられれば、生存期間を延ばせる場合がある。また、衛生や住環境の改善によって、日常生活で危険にさらされる機会を減らすこともできる。生存率の改善は、個体の身体的な性質だけでなく、生活環境や社会的な仕組みの変化によっても実現される。

しかし、死亡率が低下し、寿命が延びることと、幸福が同じ割合で増加することは同義ではない。長く生きられるようになれば、家族や友人との交流、学習、仕事、趣味など、肯定的な経験を得る機会が増える可能性がある。一方、長い生涯の中で慢性的な疾病、痛み、孤独、不安などを経験する場合もある。生命を維持できる期間が延びたという数量的な変化から、その期間がどのような主観的経験で構成されていたかを直接判断することはできない。

例えば、同じ 80 歳まで生きた二人がいたとしても、一方は比較的健康な状態で長く暮らし、もう一方は慢性的な痛みや重い疾病に長期間対応していた可能性がある。死亡時の年齢は同じでも、その間に必要だった医療や介護、活動の制限、本人が経験した快適さや苦痛は異なる。平均寿命は集団の生存状態を評価する重要な指標だが、個々の人生の幸福や苦痛を直接表すものではない。

既稿「健康はいつから自己責任になったのか」では、健康が生活の選択肢を広げる重要な価値であることと、健康であることを個人の義務として扱うことの違いを論じた[20]。病気を予防し、苦痛を減らし、必要な治療を受けられる環境を整えることには意味がある。しかし、病気になった人や障害のある人を、健康を維持できなかったという理由で価値の低い存在として扱うことは、別の判断である。健康という状態の望ましさと、その状態にある人間の価値を同一視すると、医療や公衆衛生が本来支援しようとしている人々を、逆に否定的に評価することになりかねない。

この区別は、文明の発達を考える際にも必要になる。文明によって寿命を延ばし、疾病や負傷の危険を減らせるようになったことは、生存条件の改善として評価できる。一方、治療によって回復できない疾病や障害を持つ人々も、社会の中で生活を続けている。医療や福祉の役割には、生命を維持することだけでなく、痛みを緩和し、身体機能を補い、本人が望む生活を支えることも含まれる。長生きできることと、長く生きる期間にどのような経験が得られるかは、両方とも検討する必要がある。

また、文明の恩恵を受けられる程度は、現代社会の内部でも一様ではない。安全な水、十分な食料、適切な住居、医療へのアクセスは、国や地域、所得、社会制度などによって異なる。例えば、医療技術が存在していても、費用が高く、医療機関までの移動が難しい場合には、必要な治療を受けることができない可能性がある。食料が社会全体として十分に供給されていても、個人の所得が不足すれば、栄養を満たす食事を確保することは難しくなる。技術によって危険を軽減する能力が社会に存在することと、個々の人間がその保護を実際に受けられることは異なる。

このため、先進国の都市生活を人間全体の標準として扱うことには限界がある。水道、医療、食料供給、住居などの仕組みが高い水準で整備された地域では、日常生活の中で直接対応する必要のある危険が減少する。しかし、同じ時代にも、それらの仕組みに十分アクセスできない人々が存在する。さらに、人類の歴史を長い時間軸で見れば、現代のような大規模な医療制度や社会保障が存在していなかった期間のほうが圧倒的に長い。特定の地域と時代で成立した生活条件を、生命一般の性質として捉えることはできない。

もっとも、近代的な文明を持たない社会や、現代の都市とは異なる生活様式を持つ社会について、その人々が一様に苦痛の多い生涯を送っていると判断することも適切ではない。狩猟採集社会にも食料の分配、共同での子育て、社会的な交流、文化的な活動などが存在する。生存のための危険が大きい環境であっても、社会的な関係や生活の充実による肯定的な経験が存在する可能性は十分にある。死亡率の違いは測定できても、異なる時代や社会に暮らす人々の主観的な幸福を同じ尺度で直接比較することには、別の難しさがある。

例えば、現代の都市生活では安全な住居や医療を利用できる一方、長時間労働や社会的な孤立など、別の種類の負担が生じる場合がある。反対に、物質的な設備が限られた社会でも、家族や共同体との密接な関係が生活を支えていることがある。こうした条件の違いは、疾病や死亡の危険と、主観的な幸福の程度を単純に対応させられない理由の一つになる。生存条件の改善が重要であることと、ある生活様式の幸福が別の生活様式より必ず大きいことは、異なる命題である。

ただし、死亡率や疾病負担の違いを主観的な幸福だけで相対化することにも注意が必要である。感染症によって子が死亡する危険が高い環境と、予防や治療によってその危険を小さくできる環境では、生存に関する条件に実質的な差がある。安全な飲料水を利用できること、病気になった際に治療を受けられること、栄養不足を回避できることは、苦痛や死亡の危険を軽減するための具体的な手段になる。こうした条件を改善する意義は、人々の幸福を一つの指標で比較できるかどうかとは独立して成立する。

文明による保護を野生動物の生活と比較する場合にも、同じ区別が必要になる。例えば、人間は食料が不足した地域へほかの地域から食料を輸送し、疾病が発生した場合には診断や治療を行い、気温が極端に変化すれば建物や空調によって環境を調整できる。一方、野生動物の多くは、そのような外部の保護を継続的に受けることなく、食料の変動、病原体、捕食者、気象条件などに対応している。この違いは、外部環境への曝露と、危険が発生したときに利用できる手段の違いとして理解できる。

ただし、野生動物にも、巣を作る、集団で移動する、餌を蓄える、子を保護する、互いに警戒を伝えるなど、環境への対処能力が存在する。例えば、社会性を持つ動物では、複数の個体が協力して捕食者を警戒することで、個体が単独で危険を監視する負担を減らせる場合がある。また、親が子に食料を与える種では、子が十分に発達するまでの間、生存に必要な資源の一部を親が提供する。自然界にも、個体の負担を軽減する仕組みは存在している。

人間の文明と、こうした野生動物の行動との違いは、環境への対応をどの程度広い範囲で持続的に実現できるかという点にある。野生動物の多くは、個体や集団が持つ行動能力を通じて危険に対処する。一方、人間は、身体の外側に技術や制度を構築し、知識を世代を超えて蓄積することで、個体自身の能力だけでは対応が難しい危険にも対処してきた。例えば、感染症の治療は、個人の免疫機能に加え、病原体に関する科学的知識、薬剤の開発、医療体制などを利用することで可能になる場合がある。

さらに、現代の都市生活で危険が見えにくくなっていることは、その危険が物理的に消滅したことを意味しない。飲料水の安全は浄水設備の稼働に依存し、食料の供給は生産者や輸送網の活動に依存する。医療も、医療従事者、薬剤、設備、電力などの継続的な供給によって成立している。利用者が日常生活で直接意識する必要がなくなった危険の多くは、社会の別の場所で管理されているのである。

例えば、大規模な停電によって浄水設備や医療機関の一部が機能しなくなれば、普段は安定して提供されているサービスにも制約が生じる。輸送網が長期間停止すれば、都市で生産されていない食料や医薬品の供給が難しくなる場合がある。現代の生活条件が安定しているのは、社会の仕組みが危険を処理し続けているためであり、生命を維持するための生物学的な条件が消滅したためではない。文明は自然環境への依存を軽減する一方、技術や制度の継続的な維持という新しい条件にも依存している。

こうした構造を踏まえると、現代の都市生活を基準にして生命全体を評価することの難しさが見えてくる。都市で暮らす人間は、食料を得るために毎日獲物を捕らえる必要がなく、飲料水を確保するために毎回水源へ向かう必要もない。感染症や負傷が生じたときには、外部の専門的な支援を利用できる場合がある。そのため、生命の維持に必要な活動と、その活動に伴う危険との関係が、日常生活では見えにくくなっている。

しかし、生物としての生命一般を考えれば、水分や栄養の不足、身体の損傷、感染、温度変化などへの対応は、生存と直接結び付いている。多くの野生動物は、そうした条件の中で生活し、子を残している。危険に対応できる形質や行動が進化的に維持されていても、その個体が危険を経験する際の恐怖や痛みまで取り除かれるとは限らない。自然選択は、環境の中で生存と繁殖に寄与する性質を広げるが、その過程で個体がどれほど幸福を経験するかは、別の評価対象として残る。

ここには、ショーペンハウアーが問題にした生存と苦痛の関係を、人類の歴史から捉え直す手掛かりがある。人間は、生きるために必要な食料や水、身体の安全を確保する負担の一部を、技術と制度によって軽減してきた。疾病や負傷に対して治療を行い、身体機能が低下した人の生活を社会的に支えることもできる。これは、生命の維持に伴う危険が避けられない形で常に同じ程度に存在するわけではなく、環境条件によって変化し得ることを示している。

一方、危険を減らす手段が存在することは、自然そのものが個体の幸福を保証する仕組みとして成立していることを意味しない。感染症を予防する仕組みは、感染が生物に危険をもたらすからこそ必要になる。食料を安定供給する仕組みは、栄養不足が生命の維持を脅かすからこそ意味を持つ。住居や医療、福祉も、身体や環境に由来する制約を軽減するために存在する。文明による保護は、生物が直面する危険に対して、人間が外部から対応する仕組みを構築してきた結果なのである。

この意味で、現代の都市で比較的安全に生活できることは、生命の誕生に伴って自然に与えられる条件ではない。人間が長い歴史の中で蓄積してきた知識、技術、協力、制度が機能することによって成立している。こうした保護が存在する環境と、保護が限られた環境を比較することで、生命の生存条件がどの程度外部の仕組みに左右されるかを理解できる。

ただし、その差から幸福の総量を直接求めることはできない。生存率が高く、疾病の危険が小さい環境は、生命を維持するうえで有利な条件を提供する。一方、そこで生活する個体がどのような肯定的・否定的経験を持つかは、身体の状態、社会的な関係、生活環境などによって変わる。野生動物についても、捕食や疾病の危険が存在することと、生涯全体の苦痛が幸福を上回ることは、別々に検証する必要がある。

文明が明らかにしているのは、生存と幸福の関係を考える際に、自然環境の条件を固定されたものとして扱う必要がないということである。人間は、危険を減らすための技術や制度を構築し、死亡率や疾病負担を変化させてきた。そこでは、生命が持つ脆弱性に対し、自然選択とは異なる仕組みによって対応している。個体がどれほど多くの子孫を残すかという基準とは別に、苦痛を減らし、生活を支えることを目的として行動できるのである。

現代の平穏な生活は、生命が本来置かれている状態をそのまま映し出したものではない。多くの危険が管理され、必要な資源が供給され、身体的な脆弱性を社会的に補うことによって成立している。その保護がどれほど重要であるかは、保護のない環境で生じ得る負傷、疾病、飢餓、早期死亡などを考えることで理解できる。生命の幸福を目的としていない自然の仕組みの中で、人間は、その仕組みから生じる苦痛の一部を減らす条件を歴史的に作り出してきたのである。


7. 野生動物福祉科学は、個体の経験を研究対象にする

自然界の幸福と苦痛を科学的に評価するためには、生態系や個体群について得られる情報と、個々の動物の経験について得られる情報を結び付ける必要がある。従来の生態学では、個体数、繁殖率、死亡率、生息域、種間関係などが重要な研究対象になってきた。これらは、生物がどのような環境で生存し、個体群がどのように変化するかを理解するための指標である。しかし、個体群が安定して維持されているという事実から、その集団を構成する動物がどのような生活を経験しているかを直接判断することは難しい。

例えば、ある地域に生息する鳥の個体数が、10 年間にわたってほぼ一定だったとする。生態学的には、出生と死亡、移入と移出が長期的に釣り合っている可能性が考えられる。しかし、個体数が安定している間にも、多数の雛が孵化し、成長途中で死亡し、成体も捕食や疾病によって失われているかもしれない。逆に、死亡率が比較的低く、多くの個体が長期間生存することによって集団が維持されている可能性もある。個体数という集計値が同じでも、その集団を構成する個体の生涯は大きく異なり得る。

さらに、死亡率や寿命が分かっても、個体の福祉を完全に評価できるわけではない。例えば、同じ 5 年間を生きた動物でも、一方は食料が豊富な環境で比較的安定して生活し、もう一方は慢性的な栄養不足や疾病にさらされていた可能性がある。両者の生存期間は同じだが、生存中に経験した身体的な負担や、快適さ、痛み、恐怖などの状態は異なる。生態学的な成功を示す生存率や繁殖率と、個体が経験する生活の質を示す福祉の指標は、別々に調べる必要がある。

この違いは、自然保護の成果を評価する際にも現れる。ある種の生息地が保全され、個体数が増加すれば、その種の存続にとって望ましい成果と評価できる。一方、個体数が増えた環境で食料をめぐる競争が強まり、一部の個体に栄養不足が生じる可能性もある。また、ある環境では捕食者の存在が生態系の構造を維持する役割を持つ一方、捕食される個体には負傷や死亡の危険が生じる。種や生態系の状態を評価することと、その内部で暮らす個体の経験を評価することは、異なる尺度に基づく作業になる。

こうした問題を明示的な研究対象とするのが、野生動物福祉科学である。Vittoria Elliott らは 2026 年、野生動物福祉科学を、生態学、動物行動学、動物福祉学、獣医学、哲学などを結び付ける学際的な研究領域として整理した[21]。この研究領域では、野生動物が生存し繁殖できるかという問いに加えて、個体が生活の中でどのような肯定的・否定的な経験を持つかを調べる。種の保全や生態系の維持に関する研究で蓄積されてきた知識を利用しながら、評価の対象に個体の福祉を明示的に含める点に特徴がある。

Elliott らの論文は、野生動物の幸福と苦痛について新しい実測値を提示した実験報告ではなく、研究領域の基本的な考え方、研究上の優先課題、実施方法を整理した論考である。著者らは、野生動物の感覚能力に関する知見が増えていることや、人間の活動によって野生動物の生活環境が変化していることを背景として、野外における福祉研究の必要性を論じている。研究対象には、人間の活動による影響だけでなく、野生動物が自然環境の中で経験する状態も含まれる。

従来の動物福祉研究では、家畜、実験動物、動物園の飼育動物、伴侶動物など、人間が管理する環境で暮らす動物が主な対象となってきた。こうした環境では、飼育場所の広さ、温度、食料、社会的な接触、休息場所などを研究者が調整できる場合がある。例えば、同じ種の動物について、休息場所を増やした群と増やさなかった群を比較すれば、休息場所の条件が行動や生理状態に与える影響を調べられる。環境条件を一定の範囲で制御できることは、福祉に関係する要因の因果関係を検証するうえで重要な利点になる。

これに対し、野生動物の生活環境では、食料、気温、降水量、捕食者、寄生生物、繁殖相手などの条件が同時に変化する。例えば、ある動物の活動量が増加したとしても、その理由には食料不足による採餌時間の増加、繁殖相手の探索、捕食者からの逃走、好奇心による探索などが考えられる。活動量の増加という同じ観測結果が、苦痛を伴う状態からも、肯定的な状態からも生じ得る。環境を完全に制御できない野外では、観測された行動と主観的な経験を結び付けるために、周囲の条件や個体の状態を同時に調べる必要がある。

さらに、野生動物の福祉は、特定の出来事が生じた瞬間だけで決まるわけではない。捕食者に追跡された際の恐怖は短時間で終わる場合がある一方、疾病や栄養不足は長期間にわたって続く可能性がある。また、危険を経験した後に警戒行動が持続すれば、直接の危険が去った後にも行動や生活の条件が変わり得る。反対に、快適な休息場所を確保できることや、安定して食料を得られることは、日常的な肯定的経験に関係する可能性がある。生涯の福祉を評価するには、個々の出来事だけでなく、日常生活の中で状態がどのように変化するかを把握しなければならない。

野生動物福祉科学では、このような状態の変化を、動物の行動、身体の状態、生理反応、環境条件などから推定することを目指している。例えば、食料が不足する季節に活動量が増加し、体重が減少し、採餌時間が長くなった場合、栄養状態の悪化に関係する負担が生じている可能性を検討できる。一方、食料が豊富な季節に活動量が増加した場合には、探索や繁殖に関係する活動が増えた可能性もある。観測値を福祉の指標として利用するには、同じ変化がどのような条件で生じ、その条件が動物の経験とどのように結び付くかを確かめる必要がある。

この研究を進めるうえで重要な手段の一つが、生理学的な指標の利用である。Michaël Beaulieu は 2023 年にオンライン公開され、2024 年の巻号に掲載されたレビューで、野生動物の福祉を生理学的な観点から評価する可能性と限界を整理した[22]。生理学的な指標には、ホルモン、代謝、免疫、心拍、体温など、身体の内部状態に関係する測定値が含まれる。行動の観察だけでは把握しにくい身体の反応を調べられるため、福祉を評価するための重要な情報源になる。

例えば、動物が捕食者に遭遇した際には、神経系や内分泌系を通じて身体の状態が変化する場合がある。心拍が増加し、エネルギーの利用が変化し、筋肉を動かすための準備が進むことがある。これらは危険から逃走するために役立つ反応であり、身体が環境の変化に対応していることを示す。一方、同じような反応は運動や繁殖に関係する活動によっても生じ得る。心拍数が高いという事実だけでは、その動物が恐怖を感じているのか、活発に移動しているのか、別の理由で身体活動が高まっているのかを判断できない。

ホルモンの測定でも、同様の問題が生じる。脊椎動物では、グルココルチコイドと呼ばれるホルモン群が、エネルギー代謝やストレスへの生理的な対応に関係している。哺乳類で測定されるコルチゾールや、鳥類などで重要なコルチコステロンは、その代表例である。これらのホルモンは、捕食者への曝露や身体的な負担に伴って変化することがあるため、野生動物が置かれた状態を調べる指標として利用されてきた。

しかし、グルココルチコイドの濃度が高いことを、そのまま強い苦痛の存在と判断することには限界がある。例えば、運動量が増えた場合にはエネルギー需要が変化し、それに伴ってホルモンの値が変わる可能性がある。食料不足や寒冷環境への対応、繁殖に関係する生理的な変化、免疫反応などもホルモンの状態に影響する。これらは身体の機能調節に関係する現象だが、そのすべてが同じ種類や強度の主観的な苦痛を伴うとは限らない。

Beaulieu のレビューでは、生理学的な指標と動物の感情状態との関係が、複数の経路を通じて成立し得ることが指摘されている。例えば、捕食者への恐怖が生理反応を引き起こす場合には、感情状態の変化が測定値へ影響している可能性がある。しかし、気温の低下が体温調節を促し、同時に動物に不快な状態を生じさせる場合には、環境条件が生理反応と感情状態の両方に影響していることになる。両者の値が同時に変化していても、一方が他方を直接引き起こしているとは限らない。

この違いを具体的に考えるため、捕食者への曝露と寒冷環境への曝露を比較する。捕食者に遭遇した動物では、逃走に備えるための生理反応と、恐怖に関係する状態が生じる可能性がある。一方、寒冷環境に置かれた動物では、体温を維持するために代謝が変化し、身体への負担が増える場合がある。どちらでも一部のホルモンが増加したとして、その増加量が同じであれば苦痛も同じ程度だったと判断する根拠にはならない。ホルモンの値には、感情状態以外の生理的な機能が反映されている可能性があるためである。

また、生理反応には時間的な違いがある。捕食者を認知した直後に心拍数が増加する反応と、長期間の栄養不足に伴って身体状態が変化する過程では、観測する時間の尺度が異なる。ある時点で採取した血液から得られる値は、その時点に近い生理状態を反映する場合がある。一方、糞に含まれるホルモン代謝物を測定する場合には、ホルモンが分泌されてから代謝・排泄されるまでに時間差がある。そのため、糞を採取した時刻と、測定値に関係する生理的な変化が起きた時刻が一致するとは限らない。

時間差の問題は、野外観測で特に重要になる。例えば、ある動物の糞からストレス反応に関係するホルモン代謝物が高い値で検出されたとしても、その動物が糞を排泄した瞬間に強い恐怖を感じていたとは限らない。数時間前、あるいは種ごとの代謝・排泄の条件に応じた過去の出来事が測定値に反映されている可能性がある。さらに、測定値には個体の年齢、性別、繁殖状態、健康状態なども関係する。生理的な指標を特定の出来事と対応させるには、測定時点と反応が成立する時間の関係を把握する必要がある。

一方、血液を採取すれば時間的な対応が明確になる場合でも、採血のために動物を捕獲すること自体が測定値へ影響する可能性がある。野生動物を追跡して捕獲し、身体を保定すれば、その過程で警戒や逃走などの反応が生じ得る。捕獲後に測定したホルモンの値には、調べたい自然環境での状態だけでなく、捕獲や保定に伴う反応が含まれている可能性がある。研究者が状態を測定するために行った操作が、測定対象である状態そのものを変化させるという問題が生じる。

この制約に対しては、糞や抜け落ちた毛など、動物への接触を減らして得られる試料を利用する方法が考えられる。ただし、こうした試料では、採取時点の特定、個体の識別、試料の鮮度、環境による変化などの問題が生じる。例えば、ある場所で採取した糞が、どの個体によって、いつ排泄されたものか分からなければ、行動や環境条件との対応付けは難しくなる。測定による負担を減らすことと、測定値の解釈に必要な情報を確保することには、両立の難しい条件が含まれる。

Beaulieu は、生理学的な指標を福祉の評価に利用する際には、指標と感情状態の関係を検証する必要があると論じている。例えば、捕食者への曝露によって特定の生理指標が増加したとしても、その一例だけで指標の妥当性を判断することは難しい。食料不足、騒音、社会的な隔離など、異なる条件で同じような負の経験が生じると考えられる場合にも、その指標が一貫して変化するかを調べる必要がある。さらに、快適な環境や肯定的な社会的接触など、反対の経験が期待される条件では、指標がどのように変化するかを比較することも重要になる。

このような検証では、環境条件を変えると生理指標が変化するという相関だけでなく、その変化が感情状態に関係していると解釈できるかを調べる。例えば、捕食者への曝露と騒音への曝露で同じ生理指標が増加し、快適な休息場所を利用できる条件では反対の変化が認められた場合、その指標が福祉に関係する可能性を支持する証拠が増える。ただし、それぞれの条件が代謝や身体活動へ直接作用している可能性もあるため、行動や別の生理指標を組み合わせて検討する必要がある。

さらに、同じ実験を複数の個体や異なる環境で繰り返すことによって、結果の再現性を調べられる。例えば、ある地域の動物では捕食者への曝露に伴って特定のホルモンが増加しても、別の地域では同じ変化が見られない場合、その違いを説明する条件を検討しなければならない。食料の量、捕食者の種類、繁殖段階、個体の身体状態などが関係している可能性がある。単一の地域や短期間の観測から得られた関係を、種全体に適用できるかどうかは、独立した集団での検証によって確かめる必要がある。

このような複数の測定を長期間にわたって実施する手段として、バイオロギングが注目されている。バイオロギングとは、動物に取り付けた小型の計測装置などを利用して、移動、行動、身体状態、周囲の環境条件などを記録する方法である。例えば、位置情報を記録すれば、動物がどの場所を利用し、どの範囲を移動しているかを調べられる。加速度を記録すれば、身体の動きから移動や休息などの行動を推定できる場合がある。体温や心拍などを測定できる装置を利用すれば、行動と生理状態の変化を同じ時間軸で記録できる可能性がある。

Beaulieu と Michaela Masilkova は 2024 年、バイオロギングによって得られる情報を、野生動物福祉の評価へ活用する可能性と、その限界を検討した[23]。著者らは、従来のバイオロギング研究で収集されてきた位置、活動、身体状態、環境条件などの情報が、福祉を評価するための指標として利用できる可能性を示した。一方、測定値が実際の感情状態をどの程度反映するか、研究対象の個体が集団全体を代表しているか、計測装置そのものが動物に負担を与えていないかという問題も整理している。

例えば、ある野生動物の活動量を加速度計で記録したとする。通常は一定の時間に休息し、別の時間に食料を探している個体が、特定の日だけ急激に活動量を増やした場合、その変化は環境条件に対する反応である可能性がある。しかし、活動量が増えた理由は、捕食者からの逃走、食料を探すための移動、繁殖活動、探索など複数考えられる。活動量だけで福祉を評価する場合には、異なる原因を同じ状態として扱ってしまう危険がある。

位置情報と加速度を同時に記録できれば、解釈に必要な情報を増やせる。例えば、活動量が急増した時間帯に、動物が通常の行動圏から急速に移動していたことが分かれば、長距離移動や逃走などの可能性を検討できる。さらに、移動先の植生や食料の分布、捕食者の存在、周囲の音などを調べれば、その行動がどのような条件で生じたかをより詳しく推定できる。しかし、同じ移動速度や経路であっても、動物がどのような主観的経験をしていたかは、行動の観測だけでは確定しない。

この問題を具体的に示す例として、Beaulieu と Masilkova のレビューでは、年越しの花火が打ち上げられた際に野生のイノシシで観測された活動変化が取り上げられている。加速度計を装着した 14 個体について、花火のなかった 12 月初旬の夜と、大みそかから元日にかけての夜の活動を比較したところ、活動量が増加する個体、ほとんど変化しない個体、減少する個体が認められた[23]。研究者が音声を再生した実験ではなく、実際の花火に伴う活動変化の観察であり、個体間で反応が異なっていたことを示している。

この結果には、複数の説明が考えられる。花火の音を聞いた動物が逃走すれば、活動量は増加する可能性がある。一方、危険を避けるために身を潜めたり、動かずに警戒したりすれば、活動量は減少する可能性がある。また、音の発生場所から離れた場所にいる個体は、近くにいる個体ほど強い刺激を受けていないかもしれない。動物の年齢、身体状態、過去の経験、周囲に隠れる場所があるかどうかによっても、反応が異なる可能性がある。

活動量が増えた個体ほど強い恐怖を感じたという解釈は、こうした条件を考慮すると一意には成立しない。動かずに警戒していた個体が強い恐怖を経験していた可能性もあるし、活動量が増えた個体が危険を回避するために単に移動していた可能性もある。さらに、身体に負傷がある個体では、恐怖を感じていても十分に移動できない場合がある。行動の変化が小さいという観測結果だけで、負担が小さいと判断することも難しい。

このような場合、加速度計による活動量だけでなく、位置情報、環境音、周囲の照度、ほかの個体との距離などを同時に測定することが有効になる可能性がある。花火の発生場所と動物の位置が分かれば、どの程度の距離で刺激を受けたかを推定できる。周囲の音を記録できれば、個体が実際にさらされた刺激の特徴を把握できる。近くにほかの個体がいたかどうかを調べれば、集団内の関係が行動へ影響した可能性も検討できる。異なる測定値を組み合わせることで、活動量の変化を引き起こした条件について、より具体的な仮説を立てられる。

ただし、計測項目を増やすほど、装置の大きさ、重量、電力消費、費用などの制約も大きくなる場合がある。特に小型の動物では、装置が身体に占める割合が大きくなりやすく、通常の移動や採餌に影響する可能性がある。飛翔する鳥では装置の重量や形状が飛行に影響する場合があり、水中を移動する動物では水の抵抗が変化する可能性がある。計測装置を取り付けた後も、動物が本来の行動を維持できるかどうかを確かめる必要がある。

さらに、装置を取り付けるために捕獲や保定が必要になる場合には、その操作自体が負担を生じさせる可能性がある。捕獲の際に動物が逃走したり、強い警戒を示したりすれば、研究のための操作によって福祉が変化する。また、装置の装着によって身体に不快さや損傷が生じた場合、観測された行動は自然環境の影響だけでなく、研究者が加えた条件の影響も含むことになる。福祉を測定する方法が、測定対象の福祉を悪化させる可能性を持つのである。

Beaulieu と Masilkova は、この問題を軽減するために、装置の重量や形状の調整、捕獲や装着時の負担の軽減、装置が動物へ与える影響の検証などが必要であると論じている。例えば、装置を取り付けた個体と取り付けていない個体について、活動や繁殖に違いがあるかを比較すれば、装着による影響を検討できる場合がある。ただし、観測装置を持たない個体については、同じ精度の行動記録を得られないこともあるため、装置の影響を評価する方法自体にも制約がある。

バイオロギングには、研究対象の個体が偏りやすいという問題もある。例えば、大型の哺乳類や鳥類では、一定の重量を持つ装置を取り付けられる場合がある。一方、昆虫や非常に小さな魚類では、装置の小型化や電源の確保が大きな制約になる。さらに、捕獲しやすい個体や、装置を取り付けられる身体状態の個体だけを選んだ場合、その集団には最も弱った個体や警戒心の強い個体が十分に含まれない可能性がある。

この偏りは、自然界の幸福と苦痛の総量を推定する際に重大な影響を持つ。第 2 章で扱ったように、多数の子孫を残し、その多くが早期に死亡する種では、出生した個体の大半が小型の幼生や若齢個体である場合がある。しかし、計測装置による研究が大型の成体に集中すれば、早期に死亡する個体が経験した状態を十分に把握できない。研究対象として観測できる個体の福祉と、出生した個体全体の福祉を同じものとして扱うことには限界がある。

また、長期間の追跡が可能な個体だけを対象にすると、生存した個体に情報が偏る可能性もある。例えば、装置を取り付けた後に早期死亡した個体から十分なデータを回収できず、長く生存した個体だけについて詳細な記録が残る場合を考える。このとき、観測された個体の平均的な状態が良好であっても、途中で死亡した個体の負担が評価から抜け落ちる可能性がある。幸福と苦痛の総量を推定するためには、観測が中断された理由や、研究対象から外れた個体の特徴も考慮する必要がある。

こうした測定上の制約を整理すると、野生動物の福祉を評価するために必要な情報と、それぞれの測定方法の役割が明確になる。

研究対象 利用できる測定方法 得られる情報 福祉評価に必要な検証
個体の生存と繁殖 個体数調査、標識再観察、繁殖状況の追跡などを利用する。 生存率、死亡率、繁殖成功、個体群の変化を把握できる。 生存や繁殖の結果と、個体が経験した肯定的・否定的状態を区別する必要がある。
採餌・移動・休息 直接観察、位置情報、加速度計などを利用する。 動物がどこで、どのような活動に時間を費やしているかを調べられる。 同じ行動が飢餓、恐怖、探索、休息などの異なる状態から生じる可能性を検討する必要がある。
危険への反応 行動観察、活動量、心拍、ホルモンなどを組み合わせる。 捕食者や環境刺激に対して生じる行動的・生理的な変化を調べられる。 危険への適応反応と、主観的な苦痛の強度や持続時間の対応を検証する必要がある。
身体の状態 体重、体温、ホルモン、免疫や代謝に関係する指標などを利用する。 栄養状態、疾病、生理的な負担などについて情報を得られる。 身体の状態と感情状態の関係を、行動や環境条件と組み合わせて評価する必要がある。
肯定的な経験 遊び、探索、社会的な接触、報酬に関連する行動などを調べる。 肯定的な感情状態に関係する可能性のある活動と、その発生条件を把握できる。 活動が実際に肯定的な経験を伴っているか、経験の強度と持続時間を検証する必要がある。
生涯にわたる状態の変化 継続的な観察、バイオロギング、複数時点での生理測定などを利用する。 個体が経験する環境や身体状態の時間的な変動を記録できる。 観測できない期間や途中で死亡した個体を考慮し、生涯全体への一般化の妥当性を調べる必要がある。
種・個体群全体の福祉 個体ごとの福祉指標と、個体数、年齢構成、生存率などを組み合わせる。 異なる状態にある個体が集団内にどの程度存在するかを推定するための情報が得られる。 観測対象の偏り、発達段階ごとの感覚能力、個体間の経験の比較方法を検証する必要がある。

この表で示した測定方法は、それぞれ異なる種類の情報を提供する。個体数調査は集団の規模を把握するために有効であり、位置情報や加速度は行動の変化を記録するために有効である。ホルモンや心拍などの生理指標は、身体の内部状態について情報を与える。しかし、これらの測定値がそのまま幸福や苦痛の量になるわけではない。自然界の福祉を評価するには、複数の測定結果がどのような感情状態に対応しているかを確かめる必要がある。

例えば、ある野生動物について、食料が不足する季節には活動量が増加し、体重が減少し、特定の生理指標が変化することが確認されたとする。これらの結果を組み合わせれば、食料不足が身体や行動に負担を与えているという解釈を検討できる。一方、食料が豊富な季節には活動量が安定し、体重が回復し、休息時間が増えるという結果が得られれば、環境条件の改善と個体の状態の関係を調べられる。複数の環境条件で一貫した関係が確認されれば、単一の測定値に依存する場合より、福祉に関する推論を強められる可能性がある。

ただし、環境条件が改善したという観測結果から、主観的な幸福が増加したことを必ずしも直接導けるわけではない。例えば、食料が十分に存在する環境では、飢餓による負担が軽減される可能性がある。しかし、その環境で捕食者が増加していれば、警戒に伴う負担が大きくなる場合もある。また、繁殖期には身体活動や社会的な行動が変化するため、同じ食料条件であっても、動物の経験する状態が異なる可能性がある。福祉を評価するには、単一の環境条件だけでなく、個体が同時に直面する複数の条件を考慮する必要がある。

さらに、野生動物の福祉を研究する場合には、研究者が何を改善したいと考えるかによって評価対象が変わる。例えば、ある地域で動物の死亡率を低下させたい場合には、死亡原因と生存率が重要な指標になる。一方、死亡率が低くても、慢性的な疾病や負傷によって多くの個体が苦痛を経験している場合には、生存率だけでは十分な評価ができない。個体の生存を支えることと、生存中の負担を軽減することは、関連していても同一の目的ではない。

この違いは、自然保護と野生動物福祉の関係を考える際にも現れる。生態系の保全では、特定の種の絶滅を防ぐことや、生息地の状態を維持することが重視される。野生動物福祉では、そうした環境の中で暮らす個体がどのような経験をしているかが評価対象になる。例えば、生息地が拡大して個体数が増加したとしても、その地域で暮らす個体の疾病や栄養状態を調べなければ、生涯の福祉がどの程度改善したかは分からない。生態学的な成果と福祉上の成果を両方測定することで、保全活動が個体に与える影響をより詳しく理解できる。

一方、個体の福祉を重視することが、直ちに特定の環境への介入を正当化するわけではない。例えば、ある動物の捕食を防ぐことで、その個体の死亡リスクを減らせる可能性があるとしても、捕食者の食料獲得や、ほかの被食者の個体数、資源の利用状況などにも影響が及ぶ場合がある。ある場所で一時的に苦痛を減らしたとしても、別の場所や時間に新たな負担が生じる可能性がある。そのため、個体の福祉に注目する研究では、自然環境の中で複数の個体や種が相互に影響するという生態学的な条件も考慮する必要がある。

また、野生動物福祉科学が対象とする範囲は、人間が直接関わった動物に限られない。人間の開発による生息地の変化、道路による動物の死亡、騒音や光による行動変化などは、原因を特定しやすい研究対象になる。一方、自然環境で発生する飢餓、捕食、寄生、疾病なども、動物の経験に影響する。原因が人間の活動にあるか自然の過程にあるかによって、苦痛を経験する個体にとっての状態が自動的に変わるわけではない。福祉という尺度からは、苦痛がどのような条件で生じ、どの程度続くかを調べることが重要になる。

この研究領域が扱うもう一つの課題は、肯定的な経験をどのように測定するかという問題である。従来、動物の福祉は、疾病、負傷、栄養不足、異常行動など、悪い状態を示す指標を中心に評価されることが多かった。しかし、負の指標が観測されないことから、動物が積極的に幸福を経験していると結論することはできない。例えば、負傷や疾病の兆候が認められない動物でも、強い警戒や退屈に関係する状態を経験している可能性がある。反対に、一時的な身体的負担が存在していても、食料の獲得や社会的な交流によって肯定的な経験を得ている場合がある。

肯定的な経験を評価するには、動物が自発的に行う活動や、報酬に関係する行動を調べる方法が考えられる。例えば、遊び、探索、社会的な接触、快適な場所への選好などは、肯定的な状態に関係する可能性がある。ただし、ある行動が観測されたことだけで、経験の肯定的な性質や強度を直接判断することは難しい。第 4 章で扱ったマルハナバチの研究のように、行動が報酬として働くか、別の刺激への判断を変えるかといった実験によって、主観的な経験との関係を検討する必要がある。

さらに、福祉に関係する指標は、種によって異なる可能性がある。例えば、群れで生活する動物では、ほかの個体との接触や集団内の関係が福祉に影響する場合がある。一方、単独で生活する種では、ほかの個体との接触が必ずしも肯定的な経験をもたらすとは限らない。昼行性の動物と夜行性の動物では、休息や活動の時間帯も異なる。ある種に適した環境条件や行動の指標を、別の種へそのまま適用できるとは限らない。野生動物全体を研究するには、それぞれの種の生活史や生態に応じた評価方法が必要になる。

発達段階による違いも重要である。例えば、同じ種でも、幼生と成体では食料、移動能力、捕食される危険、感覚能力などが異なる場合がある。出生した個体の大部分が幼少期に死亡する種について、成体の福祉だけを詳しく測定しても、出生個体全体の福祉を評価するための情報は不足する。特に、卵や幼生が苦痛を経験する能力をどの段階で持つのかという問題は、早期死亡の多い種の福祉を考えるうえで大きな意味を持つ。神経科学による感覚能力の研究と、野外における発達段階ごとの生存や行動の研究を結び付ける必要がある。

このように、野生動物福祉科学が発展することで、自然界の苦痛についての一般的な印象を、検証可能な問いへ分解できる。例えば、捕食者の多い環境で暮らす鳥については、警戒行動がどの程度増加し、採餌や繁殖にどのような影響が生じるかを調べられる。食料が季節的に不足する哺乳類については、身体状態や活動量がどのように変化するかを調べられる。小型の無脊椎動物については、感覚能力の発達と死亡の時期を比較することで、早期死亡が主観的な苦痛にどの程度関係するかを検討できる可能性がある。

ただし、個別の研究で得られた結果を、自然界全体の幸福と苦痛の総量へ結び付けるには、さらに複数の段階が必要になる。まず、対象となる種について、肯定的・否定的な経験がどのような指標と対応するかを検証する。次に、その指標を用いて個体の状態を継続的に調べ、生涯の中で経験がどのように変化するかを推定する。さらに、出生数、死亡率、年齢構成などの情報を利用して、異なる状態の個体が集団内にどの程度存在するかを推定する。そのうえで、異なる個体や種の経験をどのように比較するかという評価方法が必要になる。

例えば、ある種について、成体が生涯の多くの時間を比較的良好な状態で過ごしていることが確認されたとしても、その種の出生個体全体が良好な生涯を送っているとは限らない。幼少期に死亡する個体が多数存在する場合、その個体の経験が集団全体の評価に影響する可能性がある。反対に、早期死亡の多い種であっても、死亡した個体の多くが主観的経験を持つ前に死亡していたなら、死亡数から推定される苦痛の総量は異なる。個体群の情報と感覚能力の情報を結び付けることで、早期死亡の数をどのように福祉の評価へ反映すべきかを検討できる。

また、長寿な動物についても、生存期間の長さだけで福祉を評価することはできない。例えば、長期間にわたって慢性的な疾病を抱えた個体と、比較的安定した状態で生活した個体では、同じ年齢まで生存していても経験は異なる。福祉の評価には、状態の強度と持続時間が関係する。しかし、強度を測定する指標が種によって異なり、個体間の経験を共通の尺度で比較する方法も確立していないため、自然界全体の総量を計算するには依然として大きな制約がある。

野生動物福祉科学の意義は、こうした制約を明示したうえで、測定可能な部分を増やしていくことにある。生態学は、個体数、死亡率、繁殖、環境条件などの情報を提供する。動物行動学は、危険や報酬に対する行動の変化を調べる。生理学は、身体の内部状態と環境への反応を測定する。神経科学は、動物が主観的な経験を持つ能力についての証拠を提供する。さらに、福祉研究では、それらの測定値がどのような肯定的・否定的経験に対応するかを検証する。異なる分野の情報を結び付けることで、個体の生涯をより具体的に評価できる可能性が広がる。

2026 年の Elliott らの論文が示す方向性は、野生動物の福祉を、生態系の研究から独立した特殊な問題として扱うのではなく、生態学や保全研究と結び付けて検討することである。野生動物がどのような環境で暮らし、どのような危険にさらされ、どのように行動するかという知識は、福祉を研究するための基礎になる。一方、個体の感情状態や生活の質を評価に加えることで、従来の生態学的な指標だけでは把握しにくかった側面を明らかにできる可能性がある。

この関係は、研究の成果を解釈する際にも重要になる。例えば、ある生息地の保全によって個体数が増加した場合、生態学的には個体群の維持に有利な条件が成立したと評価できる。しかし、増加した個体がどのような生活を経験しているかを調べなければ、福祉上の成果まで確定することは難しい。逆に、個体の疾病や栄養状態が改善したという結果が得られた場合でも、その改善が個体群の長期的な存続にどのような影響を及ぼすかは別に検討する必要がある。集団の状態と個体の福祉を両方測定することによって、異なる評価軸の関係を具体的に把握できる。

ここには、自然選択と幸福の関係を考えるうえで重要な帰結がある。自然選択によって成立するのは、特定の環境で生存や繁殖に寄与する形質であり、個体の主観的な福祉が直接最大化されることは保証されない。一方、野生動物福祉科学は、そうした進化的な仕組みの中で暮らす個体が、実際にどのような経験を持つかを調べる。進化的な成功を説明することと、個体の生涯の良し悪しを評価することを、異なる研究課題として扱うのである。

例えば、捕食者への強い警戒が生存に役立つ場合、その能力を持つ個体は繁殖に有利になる可能性がある。しかし、その個体が長期間の恐怖や行動上の制約を経験しているなら、警戒能力の進化的な有用性と福祉上の負担が同時に成立する。食料を求めて広い範囲を移動する能力についても、生存に有利であることと、移動中に飢餓や疲労を経験することは両立し得る。進化によって維持された性質が、個体にとってどのような経験を伴うかを調べることが、自然界の福祉を理解するために必要になる。

また、同じ生態系に存在する複数の種について、福祉の状態が一致するとは限らない。例えば、ある地域で捕食者が増加すれば、捕食者にとって食料獲得の機会が増える可能性がある。一方、被食者には捕食される危険や警戒行動の増加が生じ得る。その結果、捕食者の福祉と被食者の福祉が異なる方向に変化する場合がある。生態系全体として個体数が安定していても、そこで暮らすすべての個体が同じ程度の幸福や苦痛を経験しているとは限らない。

自然界の福祉を集計するためには、このような個体間・種間の違いを扱う必要がある。しかし、異なる動物が経験する恐怖、痛み、快適さ、満足を共通の尺度で比較することは、現在も大きな研究課題として残っている。生理指標や行動指標によって、それぞれの個体の状態を推定する精度が高まっても、異なる種の主観的経験をどのように比較するかという問題は独立して存在する。野生動物福祉科学が発展することによって、個々の経験に関する証拠は増やせるが、自然界全体の幸福と苦痛の収支を求めるには、測定方法と評価尺度の両方を整える必要がある。

それでも、自然界の苦痛を研究する方法は、抽象的な推測から具体的な検証へと進みつつある。捕食者への曝露、食料不足、疾病、環境の変化などが、動物の行動や生理状態にどのような影響を与えるかを調べることができる。バイオロギングによって、従来は観測が難しかった野外での活動や環境条件の変化を、継続的に記録できる場合もある。さらに、感覚能力や報酬に関する研究を組み合わせれば、観測された行動や身体の変化が主観的な経験にどのように関係するかを検討するための証拠を増やせる。

野生動物福祉科学は、自然界全体が幸福な場所なのか、苦痛の多い場所なのかという問いに、現時点で確定した答えを与えているわけではない。感覚能力を持つ動物の範囲、肯定的・否定的経験の強度と持続時間、野外で観測できる指標の妥当性、異なる個体や種の経験を比較する方法など、解決すべき課題が残っている。一方、苦痛の発生原因や、それが個体の生活へ及ぼす影響については、具体的な研究を進めることができる。


8. ショーペンハウアーに戻る

ショーペンハウアーは、世界に存在する快楽と苦痛を比較するために、一方がもう一方を食べている二匹の動物を考えるよう促した[2]。この対比が示しているのは、捕食によって生命が失われるという事実だけではない。捕食者が生存に必要な食料を得ることと、被食者が負傷し、生命を失うことが、同じ出来事の中で成立しているという関係である。ある生命の生存を支える活動が、別の生命に深刻な損失を与える。ショーペンハウアーは、この関係に自然界の快楽と苦痛の不均衡を見いだした。

例えば、空腹の捕食者が獲物を発見し、追跡して捕獲する過程を考える。捕食者にとって、獲物の捕獲はエネルギーを獲得するための活動である。獲物を食べることができれば、当面の空腹が解消され、身体の維持や繁殖に必要な資源を得られる。一方、被食者は捕食者の接近を認知すれば逃走を試み、捕獲されれば負傷し、最終的に死亡する場合がある。捕食者が得る利益と被食者が失うものには、生存という共通の仕組みを通じた直接的な関係が存在する。

この関係を、両者の主観的な経験から評価すると、さらに難しい問題が生じる。捕食者が食事によって得る満足は、どれほど強く、どれほど長く続くのか。被食者が逃走や負傷の過程で経験する恐怖や痛みは、どの程度の強度を持つのか。捕食者の満足と被食者の苦痛を同じ尺度で比較できるとしても、両者が等しいとは限らない。被食者の苦痛が捕食者の満足を大きく上回る可能性もあれば、それぞれの経験の強度と持続時間によって異なる結果が得られる可能性もある。捕食という出来事だけから、快楽と苦痛の総量を直接決めることはできない。

しかし、ショーペンハウアーの対比が持つ意味は、経験の総量を正確に計算できるかどうかだけに依存していない。捕食者が獲物を食べることで生存するという関係そのものが、被食者に損失を与える構造を含んでいるからである。捕食者にとって捕食は生存に必要な行為であり、被食者にとっては回避すべき危険になる。両者はそれぞれの生存に適した行動を取っているが、その行動の結果が双方にとって望ましいものになる仕組みは存在しない。自然界では、異なる個体の利益が衝突することと、それぞれの生存戦略が成立することが両立している。

進化生物学は、この関係がなぜ維持されるのかを説明する。捕食者にとって、獲物を発見し、捕獲する能力は、生存と繁殖に寄与する場合がある。被食者にとっては、捕食者を早く発見し、逃走や隠避によって危険を回避する能力が、生存率に影響する。これらの能力に関係する形質が世代を超えて維持されるのは、特定の環境で繁殖成功に寄与するためである。自然選択は、捕食者と被食者のどちらの幸福が大きいかを評価して、両者の利益が均衡するように形質を選ぶ過程ではない。

さらに、捕食者と被食者の双方が環境に適応しても、捕食による危険そのものが消滅するとは限らない。被食者の逃走能力が高まれば、捕食者には獲物を捕獲するための別の能力が求められる場合がある。捕食者の捕獲能力が高まれば、被食者にはより早い危険の検出や、効果的な回避行動が必要になることもある。こうした相互作用は、双方の形質を変化させながら継続し得る。進化によって危険へ対応する能力が発達することと、危険にさらされる生活から解放されることは、異なる結果なのである。

この構造は、捕食関係だけに限られない。寄生生物が宿主から栄養を得る場合、寄生生物の生存を支える活動が、宿主の身体に負担を与えることがある。病原体が宿主の体内で増殖する場合も、病原体の増殖に関係する仕組みが、宿主に疾病や身体機能の低下を引き起こす場合がある。食料をめぐる競争では、ある個体が資源を確保することによって、別の個体が十分な栄養を得られなくなる可能性がある。これらの現象は異なる生態学的な仕組みに基づくが、ある生物の生存や繁殖が、別の生物の負担と結び付くという点で共通している。

さらに、動物の生涯には、ほかの生命との競争や捕食とは独立した危険も存在する。気温の変化、干ばつ、洪水、負傷、老化などは、個体の身体状態や生存率に影響する。これらの危険に対応する能力も、生存や繁殖に寄与する条件では自然選択によって維持され得る。しかし、環境への適応能力を持つことは、環境変化によって生じる身体的な負担や苦痛が消失することを意味しない。生命が環境に適応しているという事実と、その環境で生活することが快適であるという評価は、別の問題である。

出生と死亡の関係からも、同じ特徴を確認できる。多数の卵や子を産む種では、大部分が繁殖年齢まで生き残らなくても、十分な数の子孫が次世代に残れば繁殖戦略は成立し得る。自然選択によって維持される形質は、特定の環境における相対的な繁殖成功に関係する。出生したすべての個体が長寿を実現し、苦痛の少ない生涯を送ることは、種が存続するための必要条件ではない。そのため、種の存続や個体群の安定を確認しても、出生した個体全体の福祉について結論を得られるわけではない。

もっとも、早期死亡した個体の数を、そのまま苦痛を経験した個体の数へ置き換えることには限界がある。卵や幼生の段階で死亡した個体が、その時点で主観的な経験を持っていたかどうかは、種や発達段階によって異なる可能性がある。感覚能力を持つ個体についても、死亡までに経験した苦痛の強度や持続時間は一様ではない。大量の出生と早期死亡は、生物の繁殖と生存の仕組みを示す重要な事実であるが、幸福と苦痛の総量を求めるためには、それぞれの個体が何を経験したかという情報が必要になる。

捕食者への恐怖に関する野外実験は、この問題を生存中の経験へ広げる。Zanette らの 2011 年の研究では、直接の捕食を防いだ条件でも、捕食者の音声を聞かせたウタスズメの繁殖結果が悪化した[6]。さらに、Allen らの 2022 年の研究では、捕食者の音声による影響が産卵から幼鳥の生存まで複数の段階に及び、次世代の繁殖集団へ加わる子の数が減少した[8]。捕食者が実際に獲物を殺した数だけでは、捕食関係が被食者の生活へ及ぼす影響を十分に把握できないことが示されている。

捕食者を警戒する行動は、被食者が生き残るために役立ち得る。捕食者の存在を認知して身を隠せば、実際に捕獲される危険を下げられる可能性がある。しかし、警戒によって採餌や育雛に使える時間が減少すれば、栄養状態や繁殖成功に不利な結果が生じる場合がある。生存上の利益を持つ行動が、別の生存条件を悪化させるという関係が成立する。さらに、警戒が長期間にわたって続けば、直接の襲撃を受けていない個体の生活にも影響し得る。

こうした結果は、自然選択によって維持される能力が、個体にとって負担の少ない生活を保証するとは限らないことを具体的に示している。危険を認知し、回避する能力が生存率を高めるなら、その能力を持つ個体は繁殖上有利になる可能性がある。一方、危険への反応に伴う恐怖や行動上の制約は、その個体が経験する別の結果である。繁殖成功に寄与する仕組みが働いていても、そこに苦痛を伴う状態が存在する可能性は残る。

ただし、自然界の経験が苦痛だけで構成されていると考えることにも根拠が不足している。動物は食料や快適な環境を求めて行動し、報酬を経験し、種によっては遊びや社会的な活動を行う。マルハナバチを対象とした研究では、糖の報酬がその後の判断を肯定的な方向へ変化させることや、食料の獲得とは直接関係しない球転がし行動が報酬として働くことが示されている[9][10]。これらは昆虫に肯定的な感情に似た状態が存在する可能性を支持する証拠であり、生命の経験を負の側面だけから評価することの限界を示している。

自然界の幸福と苦痛の総量については、理論的にも結論が確定していない。Ng が 1995 年に提示した福祉生物学のモデルでは、進化と個体群動態から苦痛優勢を導くことが試みられた。しかし、Groff と Ng は 2019 年にモデルの誤りを訂正し、幸福と苦痛のどちらが優勢になるかは条件によって変わることを示した[11]。Browning と Veit も、野生動物の肯定的な経験についての証拠を考慮する必要性を指摘している[12]。自然選択が幸福を保証しないという事実から、自然界の苦痛が幸福を必ず上回るという結論までは導けないのである。

この違いは、ショーペンハウアーの問題提起を現代科学から検討する際に重要になる。捕食者と被食者の対比は、ある生命の生存が別の生命の損失と結び付く構造を示している。しかし、その構造が存在することと、自然界全体の主観的な経験を合計した結果が負になることは、別の命題である。後者を検証するためには、どの動物が感覚能力を持ち、どのような経験を、どの程度の強さで、どれほど長く経験するかを調べる必要がある。さらに、異なる個体や種の経験をどのように比較するかという評価方法も求められる。

特に、短時間の強い苦痛と長期間の穏やかな幸福をどのように比較するかは、単純な死亡率や生存時間の計算では解決できない。例えば、ある動物が長い生涯の大部分を比較的安定した状態で過ごし、最後に捕食されて死亡した場合、その生涯をどのように評価すべきかは、死亡時の苦痛の強度と持続時間、それ以前に経験した肯定的な状態の質と量によって変わる。反対に、短命な動物が長期間の飢餓や疾病を経験して死亡した場合には、負の経験が生涯の大部分を占める可能性もある。個体の寿命や死亡原因だけでは、生涯の幸福と苦痛の収支を確定できない。

さらに、動物が経験する痛みや快楽を、種を超えて同じ尺度で比較できるかという問題も残る。昆虫、魚類、鳥類、哺乳類では神経系の構造や生活史が異なり、感覚能力に関する証拠の量にも違いがある。ある種について主観的な経験を支持する証拠が得られても、別の種や発達段階について同じ結論が成立するとは限らない。野生動物福祉科学は、こうした制約を明確にしながら、行動、生理状態、環境条件などを測定する方法を発展させている。

したがって、自然界で幸福より苦痛のほうが多いかという問いには、現時点で確定した答えがない。感覚能力を持つ個体の範囲、経験の強度と持続時間、個体間や種間の比較方法などに、なお大きな不確実性が残っている。さらに、対象を地球上の動物から宇宙全体の生命へ広げる場合には、地球外生命についての観測資料が存在しないという制約も加わる。宇宙全体で幸福と苦痛のどちらが優勢なのかを、現在の科学的知見から数量として判断することはできない。

しかし、幸福と苦痛の総量が未確定であることは、苦痛が発生する仕組みまで不明であることを意味しない。自然選択が生存と繁殖への寄与を通じて働くこと、捕食や資源競争が生態系の中で継続的に生じること、捕食者への恐怖が被食者の行動や繁殖に影響することは、それぞれ独立した研究対象として検証できる。個体群が維持され、生命の進化が継続しているという事実と、その内部で個体が苦痛を経験することは両立する。苦痛は自然の秩序が破綻した場合だけに発生する現象ではなく、その秩序が正常に機能する過程からも生じ得る。

現代の人間の生活を考えると、この構造は見えにくくなる。安全な飲料水、安定した食料供給、住居、医療、社会保障などが整備された環境では、生存に必要な条件の多くを、個人が毎日直接確保する必要がない。感染症や負傷が生じても、治療を受けられる場合がある。体調が悪く、自力で食料を調達できない状態でも、社会的な支援によって生活を継続できる可能性がある。こうした生活条件は、人間の身体が生物として持つ脆弱性を解消した結果ではなく、身体の外側に保護の仕組みを構築した結果である。

人類の歴史を通じて見ても、この保護は一様に存在していたわけではない。狩猟採集社会の人口学的な研究では、幼少期の死亡率が比較的高い一方、成人後には長く生存する人々も存在していたことが示されている[19]。現代の高い生存率を、人類が常に享受してきた条件と考えることはできない。人間は生物として一定の長寿を実現できる能力を持ちながら、その能力を実際の生存につなげる条件を、技術や社会制度によって改善してきた。

もちろん、現代の文明を持たない社会の人々や野生動物が、一様に不幸であるという結論も成立しない。人間の幸福には社会的な関係や生活の充実など、身体的な安全以外の要素も関係する。野生動物にも、食料の獲得、休息、探索、遊びなどを通じた肯定的な経験が存在する可能性がある。文明が危険を減らしてきたという事実と、文明の存在が幸福の総量を必ず最大化するという主張は、区別して考える必要がある。

それでも、文明による保護が持つ意味は明確である。感染症を予防し、飢餓を減らし、負傷を治療し、生活に必要な資源を供給する仕組みは、生存に伴う危険の一部を軽減できる。こうした改善は、生命が自然に進化する過程で自動的に実現されたものではない。人間が危険や苦痛を認識し、その原因を調べ、技術や制度を通じて対応してきた結果である。個体の幸福を直接最大化する仕組みを持たない自然の中で、人間は苦痛を減らすことを目的とする仕組みを部分的に作り出してきた。

この事実は、自然界における苦痛を倫理的にどう捉えるかという問題にも関係する。ある現象が自然選択や生態系の仕組みから生じているということは、その現象が個体にとって望ましいことを意味しない。例えば、感染症が病原体と宿主の相互作用から生じる自然現象であっても、人間はその感染を予防し、患者の苦痛を緩和するために医療を発達させてきた。自然に発生する現象であることと、その現象による苦痛を減らすことの価値は、異なる評価軸に属する。

ただし、ある個体の苦痛を減らすために自然環境へ介入すれば、別の個体や種に影響が及ぶ可能性がある。例えば、捕食を減らすことは被食者の死亡リスクを軽減する一方、捕食者の食料獲得や、被食者の個体数の増加に伴う資源競争にも影響し得る。ある場所で短期的に負担を減らすことが、別の場所や時間にどのような結果を生むかは、生態学的な条件によって変わる。自然界の苦痛を認識することと、その苦痛を減らすための具体的な方法が有効であることは、独立して検証する必要がある。

こうした問題を考えるうえでも、自然界が幸福を目的としているかのような説明を避けることには意味がある。自然選択は、環境の中で相対的な繁殖成功に寄与する形質が広がる過程を説明する。捕食関係や資源競争は、生物同士が相互に影響する生態学的な現象である。それらの仕組みが生物の存続を支えているという事実から、個々の生物にとって最善の結果が実現されているとは導けない。自然界には生命を維持する仕組みが存在するが、その仕組みが個体の幸福を目的として働くという前提は、進化や生態系の説明に必要とされない。

ショーペンハウアーは、こうした生命の営みを、生きようとする意志によって絶えず欲求が生じる過程として捉えた[1]。彼にとって、生命は何かを求め、その欠乏を満たそうとし、充足を得ても再び新たな欲求に向かう。捕食者が獲物を食べることも、被食者が捕食者から逃げることも、それぞれの生命が自らの生存を維持しようとする活動として理解できる。そして、その活動が相互に衝突する場面に、彼は世界の苦痛の根深さを見いだした。

現代の進化生物学は、ショーペンハウアーが想定した形而上学的な意志の存在を証明したわけではない。生物の行動は、神経系、代謝、感覚、学習、環境条件、自然選択などによって説明される。哲学的な意志と生物学的な仕組みは、説明の方法も検証の対象も異なる。しかし、生命の維持を支える活動と、個体の幸福が一致するとは限らないという問題は、両者に共通している。現代科学は、その不一致がどのような条件で生じるのかを、個体群動態や動物の行動、生理状態などから具体的に検討できるようにしてきた。

この世界が地獄であるかどうかは、科学的な観測だけで一意に定義できる問いではない。自然界の幸福と苦痛の総量についても、現在の知見では結論が出ていない。しかし、生命が生存し、繁殖し、進化する過程で、捕食、飢餓、疾病、恐怖、早期死亡が生じ得ることは明らかである。そして、それらの苦痛が、自然の仕組みの失敗として発生するとは限らない。生命の存続を支える仕組みが正常に働いているからこそ、ある個体の生存が別の個体の損失と結び付き、危険を回避する能力が恐怖を伴い、多数の子孫を残す戦略が大量の早期死亡と両立する場合がある。

ショーペンハウアーが二匹の動物の捕食関係に見いだしたのは、生命の生存を支える活動と、そこに生じる幸福や苦痛が必ずしも一致しないという問題だった。現代科学は、その対比から自然界全体の苦痛優勢を証明したわけではない。しかし、自然選択が個体の幸福を直接最大化する仕組みではなく、生命の存続と個体の苦痛が両立し得ることは説明できる。自然は幸福を保証する必要もなく、苦痛を回避する目的も持たずに機能する。その仕組みの中で、個体が経験する苦痛は、自然が正常に機能している過程からも生じ得る。ショーペンハウアーが提起した問いの厳しさは、生命の進化と生態系の仕組みが明らかになった現在にも残っているのである。


参考文献

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