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Twitter には書いたけど MacBook Air に Ubuntu を上書きインストールした。
Mac に Ubuntu を入れるにあたりこのへんを参考にした。技術的なことを色々書こうと思ったが、ほとんどハマりどころはなくただインストールするだけだったので特に書くネタは無い。無線 LAN もサスペンドもごく普通に動作するしフォントも綺麗だし何も不都合が無いという状態である。昨今の GNU/Linux の出来は実に素晴らしい。
自由なソフトウェアとは何か
Ubuntu は Debian をベースとしたディストリビューションであり、すごく大雑把に言うと中身はほぼ Debian であると言ってもいい。 Debian とは何かというのは Debian についてや Debian 社会契約を読むと良いだろう。昨今ではオープンソース・ソフトウェアというのは一般的な用語として普及しているが、そもそもこの概念の定義は歴史的に見て Debian を大いに参考したと言っても良く、いわばオープンソース・ソフトウェアの総本山なのである。フリーソフトウェアとは何を意味するのかもあわせて読むと良い。
プロプライエタリ製品の呪縛
たとえばアップルの製品は多くのファンを持つが、それは不自由なソフトウェアで構成されている。つまり今は亡きスティーブ・ジョブズの思想に染まった操作体系やコンピューティング体験を強制され、それに背こうとしたらライセンスの壁が立ちふさがるというものである。アップルのコアなファンはジョブズが用意した体験を至上のものであると思い込み、いわば自分の体験をアップルにアウトソースしている。この与えられたモノを妄信的に受け入れるさまがアップル信者という言葉を生み出したものであると言えよう。確かに宗教的な一面があると言っても過言では無い。
オープンソース・ソフトウェアにおいては利用者は誰でも開発者となることができ、すべてのコードを自分自身で自由に変更可能である。すなわち、至上のコンピューティング体験とは自分たちが新しく築き上げるものであり、不満や不都合があればすべて自分たちの技術で解決しようというものである。これはあたかも何もない大地に人類が文明を築き、自力で新世界を創造していくさまに見える。成果は人類全体で共有され、財産として後世に受け継がれていく。
ハッカーになろう
以前の記事でも触れた、我らが敬愛する師であるリチャード・ストールマンは Ubuntu から不自由なコンポーネントを除いてカスタマイズしたディストリビューションを利用していると聞く。不自由なソフトウェアではなく、自由なソフトウェアを利用することで、はじめてハッカーとしての第一歩を歩むことができるのである。少々古典的ではあるがきわめて重要な文書であるハッカーになろうを読むべきだ。
芸術とソフトウェア
ソフトウェアを作ることは単なる趣味であろうか。芸術であろうか。自分はしばしばソフトウェア開発とアートとの相関について思案する。 TopCoder などに見られる優れたコードを読むとそこには一種の芸術性があるように見える。美しいコード、優れたプログラマ、これらは畏怖と敬愛によって受け入れられる。
音楽や絵、写真、映画や小説などと比較してみよう。ここで決定的な違いに気付く。これらはそれ自体が表現をおこなう目的であるのに対し、ソフトウェアはそれ自体が目的ではない。社会システムを生み出して実現したり、コミュニティを支えたり、文明の創造に寄与することがソフトウェアの目的である。そう、ソフトウェアは道具なのである。ソフトウェア開発は道具作りであり、出来上がったものは道具である。美しい道具はそれも芸術品であるだろうが、我々が目指すものは実用品である。優れたコードは美しく、決して腐敗せず、人類全体で共有され決して失われることは無いだろう。たとえ十数年以上も前の旧時代のソフトウェアであろうとも仮想化技術により永久に動かすことができる。しかしそれは芸術品ではなく実用品である。そう、ソフトウェアの寿命は記憶媒体の寿命ではなく、それを必要とする人間の需要によって決定するのである。
結論を言うとプロセスは似ており、目的は異なるモノであると言えよう。
スクリーンショット
最後にスクリーンショットを載せる。