この手の話を書くと毎回燃えるのであまり触れたくないのだけど、なぜ自由ソフトウェアを使うのかって大きな目的としてデータ資産の保護があると思う。少なくとも自分が重要だと思っているデータについては自由ソフトウェアで扱える必要がある。

世の中には RMS とか江添亮とかいう人がいて自由ソフトウェア主義というのが潔癖なイメージで語られがちなのだけど、自分の場合は普通に不自由なソフトウェアも利用している

ただデータ資産の保護という観点では自由なソフトウェアを使ったほうが良いと思う。たとえば不自由な商用ソフトウェアでしか再生できない形式でデータを保存していたとしよう。それが何らかの理由で発売中止になり、ソフトウェアが入手できなくなってデータを再生できなくなったら一大事だ。その点、自由ソフトウェアならデータ資産は保護される。なにか問題があったとしてもソフトウェアの中身をもとに自己責任でデータを利用することができるだろう。

ところで自由ソフトウェアの定義としては次のように書かれている。

いかなる目的に対しても、プログラムを望むままに実行する自由 (第零の自由)。
プログラムがどのように動作しているか研究し、必要に応じて改造する自由 (第一の自由)。ソースコードへのアクセスは、この前提条件となります。
身近な人を助けられるよう、コピーを再配布する自由 (第二の自由)。
改変した版を他に配布する自由 (第三の自由)。これにより、変更がコミュニティ全体にとって利益となる機会を提供できます。ソースコードへのアクセスは、この前提条件となります。

これ、自分が「所有する」ソフトウェアの条件としてはむしろ当たり前じゃないの、という感じである。そう考えると自分のデータ資産を失いかねない不自由なソフトウェアを邪悪とみなすのも理解できると思う。

たとえば購入した電子書籍が読めなくなるのもおかしな話だし、企業が自由ソフトウェアの開発者を雇用するのも理にかなった話だ。

そういえばふだん Ruby をよく使っているのだが、オープンソース・ソフトウェアのソースコードを実際に自分でカスタマイズする例として試しに Ruby 2.2.0 で追加予定の機能 Object#itself を現行の 2.1.2 にバックポートしたバージョンを作ってみた。こういうことが好きなようにできるのも自由ソフトウェアの良い点だと思う。

結論としては、重要なデータに関しては自由ソフトウェアで扱うことが可能な形式で保存することが望ましいし、重要なシステムに関しては自由ソフトウェアで構築したほうが良い。

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