命に優先順位をつけてよいのか

命に優先順位をつけるという言い方には、強い抵抗感がある。人間の命に高い命と低い命があるかのように聞こえるからである。すべての命は等しく尊い。これは、多くの人が受け入れやすい倫理的直感であり、医療を支える基本的な前提でもある。病気になった人がいれば治療する。けがをした人がいれば救急搬送する。重症であれば集中治療を行う。医療は、誰の命が価値あるかを選別するためではなく、傷つき、病み、助けを必要とする人を支えるためにある。

しかし、医療の現場では、すべての治療機会を同時に、同じ量だけ、すべての人へ配ることはできない。ICU の病床、人工呼吸器、移植臓器、ワクチン、救急搬送、医療者の時間、高額な薬剤、公費は、いずれも有限である。医療資源が不足するとき、社会は誰を先に治療するのか、誰に資源を使うのか、どこまで公費で支えるのかを決めなければならない。この判断を避けたいと思っても、資源が足りない場面では、何らかの配分は必ず起きる。

ここで問われているのは、人間の価値に順位をつけることではない。問われているのは、限られた医療資源をどの条件で使うかである。American Medical Association は、限られた医療資源を配分する際には、医学的必要性、緊急性、利益の見込み、変化の大きさ、必要期間などを考慮しうると整理している[1]。WHO も、病院、人工呼吸器、ワクチン、医薬品へのアクセスが不足する場面では、優先順位づけの倫理的根拠を明確にする必要があると述べている[2]

優先順位という言葉の不快さだけを理由に配分基準を拒むと、別の問題が起きる。基準がない場合、先着順、地域差、経済力、情報格差、病院への近さ、現場の偶然が、見えない優先順位として働く。これは中立ではない。むしろ、誰が有利になり、誰が不利になるのかを説明しにくい配分である。したがって、問題は「命に優先順位をつけてよいか」だけではない。より正確には、医療資源が有限である社会で、どのような条件なら、命の平等を損なわずに治療機会の優先順位を制度として説明できるのかが問題になる。


1. 命は等しいはずなのに、医療は等しく配れない

命は等しく尊い。この考え方は、医療を語るときの最も基本的な前提である。病気になった人がいれば治療する。けがをした人がいれば救急車を呼ぶ。重症であれば入院し、必要があれば手術を受け、危険な状態であれば集中治療室に入る。このような日常的な理解では、医療は「必要な人に、必要な治療を提供する仕組み」として受け止められている。そこでは、誰の命の価値が高いかを比べる必要はない。目の前に患者がいれば、その患者を助けることが医療の役割だと考えられる。

しかし、この理解には一つの前提が隠れている。それは、必要な医療資源が、必要なときに十分存在しているという前提である。医療資源とは、薬や医療機器だけを指すのではない。医師、看護師、病床、救急車、手術室、検査機器、集中治療室、人工呼吸器、提供臓器、ワクチン、薬剤費、公費、保険財政、医療者の時間も医療資源である。これらはどれも無限ではない。したがって、医療は理念としてはすべての患者を助けようとするが、制度としては限られた資源の中で動いている。

この限界は、平時には見えにくい。体調が悪ければ外来を予約し、必要があれば検査を受け、入院が必要なら病床を探し、専門的な治療が必要なら別の病院へ紹介される。待ち時間があり、予約の順番があり、紹介状があり、標準治療の手順がある。これらは単なる事務手続きではない。医療資源が一度に全員へ配れないことを、制度の中で調整する仕組みである。平時の医療では、この調整が日常業務の中に組み込まれているため、資源不足ははっきりした対立として見えにくい。

ところが、不足が大きくなると、この調整だけでは吸収できなくなる。大規模災害では、負傷者が短時間に集中し、救急搬送、手術室、輸血、集中治療の需要が一気に増える。感染症の流行では、病床、人工呼吸器、酸素、医療者が不足する。臓器移植では、移植を待つ患者が多くいても、提供臓器そのものが限られている。希少疾患治療や高額な遺伝子治療では、患者にとっては唯一の希望になり得る治療であっても、公費や保険財政の側には限界がある。ここで初めて、「必要な人に必要な医療を提供する」という言い方だけでは足りないことが明らかになる。

たとえば、集中治療室の空きが 1 床しかなく、同時に 2 人の重症患者がいるとする。どちらの命も尊い。どちらの患者も治療を必要としている。どちらの家族にとっても、その人はかけがえのない存在である。しかし、集中治療室が 1 床しかなければ、同時に 2 人を入室させることはできない。このとき問題になっているのは、どちらの人間の価値が高いかではない。限られた集中治療資源を、どの基準で、どちらに使うのかである。

臓器移植でも同じ構造がある。提供された臓器が 1 つしかなく、複数の患者が移植を待っている場合、単に「必要な人に渡す」と言うだけでは判断できない。全員が必要としているからである。そこで、医学的適合性、緊急度、待機期間、移植後にどれだけ効果が見込めるか、移植後の管理が可能かといった条件を考える必要が生じる。ここでも、患者の命の価値に差をつけているのではない。提供臓器という不足した資源を、どのような条件で割り当てれば説明可能なのかが問われている。

ワクチンの場合は、少し違う形で同じ問題が現れる。ワクチンは、すでに重症化した患者を治療する資源ではなく、将来の感染、重症化、死亡、医療崩壊を減らすための予防資源である。初期供給が限られているとき、全員へ同時に接種することはできない。そのため、医療従事者を先に守るのか、高齢者や基礎疾患のある人を先に守るのか、介護施設を優先するのか、感染拡大地域を優先するのかを決める必要がある。ここでは、個々人の危険だけでなく、社会全体の被害をどう減らすかが問題になる。

場面 不足する資源 見えやすい問い 背後にある問い
ICU 集中治療室、人工呼吸器、専門人員。 同時に複数の重症患者がいるとき、誰を入室させるかが問われる。 救命可能性、重症度、治療効果、資源使用量をどのように組み合わせるかが問われる。
臓器移植 提供臓器、移植手術枠、移植後管理。 待機患者のうち、誰に提供臓器を割り当てるかが問われる。 必要性、公平性、医学的適合性、移植後の効果をどのように評価するかが問われる。
ワクチン 初期供給量、接種体制、保管・配送能力。 誰を先に接種対象にするかが問われる。 個人の重症化予防、医療崩壊の回避、感染拡大の抑制、社会機能維持をどう両立させるかが問われる。
高額治療 公費、保険財政、専門施設、長期フォローアップ。 高額な治療をどこまで公的制度で支えるかが問われる。 個別患者の救済と、医療制度全体の持続可能性をどのように調整するかが問われる。

この表で重要なのは、どの場面でも表面上の問いと背後の問いが異なることである。表面上は、誰を入室させるか、誰に臓器を割り当てるか、誰にワクチンを先に打つか、どの治療を公費で支えるかが問われている。しかし背後では、医療制度がどの価値を優先し、どの価値をどこまで制限し、どのような理由なら社会的に説明できるのかが問われている。医療資源配分の問題は、単に現場で順番を決める話ではない。医療制度が、命の平等という前提を保ちながら、有限な資源をどう扱うかという問題である。

ここで注意すべきなのは、医療資源配分の倫理は、命を軽く見るための議論ではないという点である。むしろ逆である。すべての命が等しく尊いからこそ、資源が不足したときに、誰かを恣意的に優先してはならない。声の大きい人、病院に近い人、情報を早く得た人、経済力のある人、偶然早く到着した人だけが有利になるなら、それは命の平等を守っているとは言えない。したがって、優先順位を考えることは、命の価値を比べることではなく、不足が生んでしまう不公平をできるだけ見える形にし、説明可能な基準で抑えることである。

この意味で、医療資源配分の倫理は、例外的な冷たい議論ではない。医療が有限な制度として運営される限り、必ず発生する問題である。平時には予約、紹介、診療報酬、標準治療、待機リストという形で見えにくく処理され、危機時には ICU、人工呼吸器、ワクチン、臓器、高額治療という形で露出する。したがって生命倫理は、本人の同意、医師の責任、治療の安全性だけで完結しない。複数の患者の間で、限られた医療資源をどう配るかという制度倫理を含む。


2. 優先順位をつけることは、人間の価値に順位をつけることではない

「命に優先順位をつける」という表現には、強い抵抗感がある。人間の命に、高い命と低い命があるかのように聞こえるからである。誰かを先に治療し、誰かを後に回すと聞くと、それは人間の価値を比べることではないかという疑問が生じる。この疑問は正当である。医療資源配分の議論は、少しでも扱い方を誤ると、年齢、障害、病気、社会的立場、働き方、家族構成によって、人間の価値を序列化する議論に滑りかねない。

しかし、医療資源配分で本来問われているのは、人間そのものの価値ではない。問われているのは、限られた医療資源を、どの条件で、誰に、どの順序で使うのかである。人格の価値は等しい。患者が高齢であっても、障害があっても、慢性疾患を抱えていても、社会的に目立つ仕事をしていなくても、その人の尊厳が小さくなるわけではない。その前提を崩さないまま、医療制度は、同時に全員へ配れない資源をどのように扱うかを決めなければならない。

この区別は、抽象的には分かりにくい。臓器移植を例にすると見えやすい。提供された臓器があるとき、移植を待つすべての患者に同じ臓器を渡すことはできない。そのため、血液型、体格、免疫学的な適合性、医学的緊急度、待機期間、移植後の見込みなどが考慮される。ここで医学的に適合しない患者が移植対象にならないとしても、その人の命の価値が低いという意味ではない。適合しない臓器を移植しても十分な効果が見込めず、場合によっては患者に害を与え、提供臓器も生かせないからである。

人工呼吸器や ICU でも同じである。人工呼吸器が不足しているとき、治療に反応する見込みや回復可能性を見ることがある。これも、回復可能性が低い人の人格を軽んじるという意味ではない。限られた人工呼吸器を使うことで、どの患者にどれだけの医学的効果が見込めるのかを判断しているのである。もちろん、この判断には危険がある。予後の評価が不正確であれば、不当に治療機会を奪うことになる。障害や慢性疾患を単純に悪い予後として扱えば、差別に近づく。だからこそ、基準は慎重に作られ、説明され、検証されなければならない。

ワクチン供給初期に医療従事者を優先する場合も、人間の価値に順位をつけているわけではない。医療従事者の命が、一般市民の命より本質的に高いという意味ではない。医療従事者が感染して働けなくなれば、救急、入院、手術、集中治療、感染症対応が弱くなり、その結果として多くの患者が治療を受けにくくなる。したがって、この場合の優先は、その人の人格価値への評価ではなく、医療制度を維持し、さらに多くの人を救うための役割への考慮である。

区別 意味 誤解すると起きる問題
人格の価値 すべての人は、年齢、病気、障害、職業、社会的立場にかかわらず、同じ尊厳を持つ存在として扱われる。 ここに差をつけると、医療資源配分は差別や優生思想に近づく。
医学的必要性 患者がどれほど治療を必要としているか、治療しなければどれほど深刻な結果になるかを評価する。 必要性だけを見れば、助かる見込みが極めて低い場合にも資源を集中させ、全体の救命可能性を下げることがある。
医学的効果 その資源を使うことで、死亡回避、重症化防止、回復、生活機能の維持などがどれほど見込めるかを評価する。 効果だけを見れば、高齢者、障害者、慢性疾患患者が不利に扱われる危険がある。
制度上の優先順位 限られた資源を、必要性、効果、緊急性、公平性、社会的影響を考慮して使う順序を決める。 基準が不透明だと、現場の偶然、声の大きさ、地域差、経済力が事実上の優先順位になる。

この表が示しているのは、優先順位づけには複数の層があるということである。人格の価値は、比較してはならない。誰の命が高いか、誰の命が低いかを決めることはできない。一方で、医学的必要性、医学的効果、緊急性、公平性、社会的影響は、資源配分の場面で評価せざるを得ない。ここをすべて同じものとして扱うと、医療資源配分の議論は混乱する。

混同が起きると、二つの誤りが生じる。一つは、資源配分上の判断を、人間の価値判断に変えてしまう誤りである。たとえば、回復可能性を見ることを理由に、高齢者や障害者を一律に後回しにするなら、それは医学的判断ではなく属性による不利益扱いになる。もう一つは、人間の価値に差をつけてはならないという正しい前提から、資源配分上の基準まで一切作ってはならないと考える誤りである。この場合、明示的な差別は避けられるかもしれないが、実際には先着順、病院への近さ、情報格差、現場ごとの判断のばらつきが配分を決めてしまう。

したがって、必要なのは、人格の平等を守ることと、資源配分上の基準を作ることを対立させない考え方である。人格の平等とは、すべての人を同じ尊厳を持つ存在として扱う原則である。資源配分上の優先順位とは、限られた医療資源を、医学的必要性、効果、緊急性、公平性、社会的影響を考慮して使うための制度上の判断である。前者を否定して後者を行うなら差別になる。前者を守るために後者を一切拒むなら、不透明な配分を放置することになる。

配分倫理の出発点は、この二つを混同しないことである。命の価値を測るのではない。人間の尊厳に順位をつけるのでもない。有限な医療資源の使用条件を、できるだけ透明で、説明可能で、検証可能な形にするのである。そうしなければ、命の平等という理念は、実際の医療制度の中で守られない。医療資源配分の倫理は、命に序列をつけるためではなく、限られた資源がある社会で、命の平等をできるだけ損なわないために必要になる。


3. 優先順位を拒むことも、中立ではない

明示的な優先順位づけを避ければ、公平になるとは限らない。これは、医療資源配分を考えるうえで重要な出発点である。人を選ぶことに抵抗があるため、できるだけ選ばない方がよい、基準を作らない方がよい、現場の自然な流れに任せた方がよいと考えたくなる。しかし、資源が足りない場面では、何も決めないことは、誰にも影響を与えない中立的態度ではない。基準を置かなくても、病床、薬剤、救急搬送、診療枠、臓器、ワクチン、高額治療の機会は、何らかの形で誰かに届き、誰かには届かない。

このとき問題になるのは、医療資源が配られるかどうかではない。資源が有限である以上、配分は必ず起きる。問題は、その配分がどのような基準で起きているのか、外から見えるのか、説明できるのか、あとから検証できるのかである。明示的な基準がなければ、配分は消えるのではなく、別の要因に移る。先に来た人、病院に近い人、情報を早く得た人、交渉力のある人、経済力のある人、専門医につながりやすい人、たまたま受け入れ可能な病院に到達できた人が有利になる。

典型例は先着順である。先着順は、一見すると公平に見える。早く来た人から順番に扱うだけなので、特定の属性によって選別しているようには見えない。抽象的に見れば、全員に同じルールが適用されているように思える。しかし、医療の場面では、早く来られること自体が平等に分配されていない。病院の近くに住んでいる人、交通手段を持っている人、症状の危険性を早く理解できる人、相談できる家族や知人がいる人、仕事や介護から離れやすい人は、早く動きやすい。逆に、地方在住者、低所得者、情報にアクセスしにくい人、障害や慢性疾患で移動が難しい人、日本語で医療情報を追いにくい人、家庭内でケア責任を負っている人は、先着順の時点で不利になりうる。

つまり、先着順は「人を選んでいない」ように見えて、実際には社会的条件の差を医療結果へ持ち込む。これは、先着順が常に悪いという意味ではない。軽症外来や通常の予約管理では、先着順や予約順が実務上必要になることもある。しかし、命に直結する資源が不足している場面で先着順をそのまま使うと、医療上の必要性や救命可能性ではなく、移動能力、情報格差、地域差、勤務条件が結果を左右する。ここに、見かけの公平と実質的な公平のずれがある。

現場判断にも同じ問題がある。医師や看護師が患者の状態を見て、その場で柔軟に判断することは、医療の重要な力である。すべての患者を同じ手順に押し込めればよいわけではなく、症状、合併症、生活状況、治療への反応は一人ずつ違う。したがって、現場の裁量は必要である。しかし、資源が明確に不足している場面で、基準のない裁量だけに依存すると、施設による差、医師の経験差、説明の差、判断の記録の差が大きくなる。患者側から見れば、なぜその判断になったのかが分かりにくくなる。医療者側から見れば、誰を優先するかという重い判断を個人で背負うことになる。

高額治療でも、優先順位を拒むことは中立にならない。公的制度が、ある高額治療を支えないと決めた場合、治療機会は消えるとは限らない。民間保険、自費診療、寄付、クラウドファンディング、海外渡航、専門医への個人的な接続へ移る場合がある。すると、治療を受けられるかどうかは、医学的必要性だけでなく、経済力、情報収集力、発信力、支援者の多さ、専門施設への接続、海外へ行ける生活条件に左右される。公的な配分基準を避けたとしても、実際には市場や人脈や情報環境が配分基準として働く。

地域差も同じ構造を持つ。地域ごとに医療資源の量、専門医の数、救急搬送の距離、集中治療室の余力、検査体制、在宅医療の支援体制は異なる。地域事情に応じた運用は必要である。しかし、地域任せにするだけでは、住んでいる場所によって治療機会が大きく変わる。都市部では選択できる病院が複数ある一方で、地方では専門医療に到達するまでに時間がかかる場合がある。これは個人の努力では埋めにくい差であり、医療資源配分の問題として扱わなければ見えなくなる。

見かけの運用 公平に見える理由 隠れた偏り 配分倫理上の問題
先着順 早く来た人から扱うため、明示的な選別に見えない。 移動能力、情報格差、地域差、勤務条件、家族支援の有無が結果に入り込む。 医療上の必要性や救命可能性ではなく、到達しやすさが治療機会を左右する。
現場判断 医師が患者の状態を見て、個別事情に応じて柔軟に判断できる。 施設差、経験差、説明可能性の差、記録の差が生じ、医療者個人の心理的負担も大きくなる。 同じ状態の患者でも、場所や担当者によって扱いが変わる可能性がある。
自己負担 希望する人が自分で費用を払うだけに見える。 経済力、情報収集力、発信力、専門医への接続が治療機会を左右する。 医学的必要性よりも支払い能力が優先され、公的医療の平等性が弱まる。
地域任せ 地域事情に応じた運用ができる。 専門医、病床、救急搬送、検査体制、在宅支援の地域差がそのまま結果に出る。 居住地によって、同じ病気でも受けられる治療機会が変わる。
情報依存 必要な人が自分で調べて選んでいるように見える。 医療情報を理解する力、言語、教育、時間、相談相手の有無が結果に入り込む。 制度上は開かれている治療でも、実際には到達できる人が限られる。

この表で見えるのは、優先順位を避けたつもりでも、別の優先順位が働くということである。先着順は、早く到達できる人を優先する。現場判断は、その施設で判断を受けた人を、その施設の基準で扱う。自己負担は、費用を払える人を優先する。地域任せは、医療資源が多い地域に住む人を有利にする。情報依存は、制度を知り、理解し、動ける人を有利にする。これらは、命の価値に順位をつけているとは言わないかもしれない。しかし、結果として治療機会に差を生む。

ここで重要なのは、明示的な配分基準が常に正しく、暗黙の運用が常に間違っているという単純な話ではない。医療には柔軟性が必要であり、すべてを機械的なルールで処理することはできない。むしろ問題は、どこまでを現場の裁量に委ね、どこからを制度として明示するかである。命に直結する資源が不足している場面では、判断の理由が見えないこと自体が不公平を生む。なぜその人が先で、その人が後なのかを説明できなければ、患者も家族も、医療者も、社会も、その判断を検証できない。

したがって、配分倫理で重要なのは、優先順位をつけることを避けることではない。暗黙の優先順位を可視化し、誰が見ても検証できる基準に近づけることである。優先順位を拒むことは、倫理的に慎重な態度に見える。しかし、資源不足の場面では、それがかえって不透明な優先順位を強める場合がある。医療資源配分の倫理は、人を選びたいから必要になるのではない。すでに起きている選別を見える形にし、偶然、地域差、経済力、情報格差だけで命に関わる機会が決まらないようにするために必要になる。


4. 配分原則は一つでは足りない

医療資源配分が難しいのは、正しい原則が一つもないからではない。むしろ逆である。正しいと言える原則が複数あり、それらが同じ結論を出さないから難しい。限られた資源でできるだけ多くの命を救うことは重要である。今まさに危険な状態にある人を放置しないことも重要である。治療によって効果が見込める人に資源を使うことも重要である。弱い立場の人を不利にしないことも重要である。同じ条件の人を抽選で扱うことも、一部の場面では公平性を守る手段になる。問題は、これらを同時に完全には満たせないことである。

たとえば、ICU の空きが 1 床しかないとする。1 人は非常に重症で、すぐに集中治療を受けなければ死亡する可能性が高い。しかし、治療しても助かる見込みは低い。もう 1 人も重症だが、前者ほど切迫してはいない。ただし、集中治療を行えば回復する見込みは高い。この場合、最重症者を優先するなら前者を選ぶことになる。救命可能性を重視するなら後者を選ぶことになる。どちらも乱暴な考えではない。前者を選ぶ考え方は、最も危険な状態の人を見捨てないという倫理に基づいている。後者を選ぶ考え方は、限られた医療資源で実際に救える命を増やすという倫理に基づいている。

このように、医療資源配分では、善と悪が単純に対立しているわけではない。善と善が衝突する。重症者を優先したいという判断も、救命数を増やしたいという判断も、平等に扱いたいという判断も、差別を避けたいという判断も、それぞれに理由がある。だからこそ、どれか一つの原則だけを絶対化すると、別の重要な価値が失われる。医療資源配分の倫理は、単に「公平にする」ことではなく、何を公平と見なすのかを具体的な場面ごとに考える作業になる。

Persad、Wertheimer、Emanuel は、希少な医療介入の配分原則として、最も悪い状態の人を優先すること、総便益を最大化すること、平等に扱うこと、道具的価値を促進することなど、複数の価値があることを整理している[3]。ここでいう道具的価値とは、その人の人格価値が高いという意味ではなく、その人を治療することで他者の救命や医療制度の維持に寄与する場合があるという意味である。COVID-19 期の資源配分を扱った Emanuel らの論文も、最大便益、平等な取り扱い、道具的価値、最も不利な人への配慮を組み合わせて考える必要を論じている[4]

ここで重要なのは、これらの原則が互いに補完し合うだけでなく、しばしば互いに制限し合うことである。救命数最大化だけを前面に出せば、助かる可能性が低い人は後回しにされやすい。最重症者優先だけを前面に出せば、治療効果が見込める人に資源が届かず、結果として救える命が減る場合がある。抽選だけを前面に出せば、医学的必要性や治療効果の差を無視してしまう。社会機能維持だけを前面に出せば、社会的に有用な人を優先するという危険な発想へ近づく。

原則 守ろうとする価値 具体例 弱点
救命数最大化 限られた資源で、できるだけ多くの命を救う。 人工呼吸器や ICU を、治療によって救命できる可能性が高い患者に優先して使う。 予後の悪い人、高齢者、重い障害や慢性疾患を持つ人が不利になりやすい。
最重症者優先 最も危険な状態にある人を放置しない。 生命の危機が最も切迫している患者を、他の患者より先に治療する。 助かる可能性が低い人に資源が集中し、全体の救命数が減る場合がある。
予後重視 治療によって効果が見込める人へ資源を使う。 移植後に臓器が機能しやすい患者や、集中治療で回復可能性が高い患者を重視する。 予後評価が不確実で、既存の健康格差や障害への偏見を反映する場合がある。
平等な取り扱い 同じ条件にある人を、不当に区別しない。 医学的条件がほぼ同じ患者の間で、抽選を使って順序を決める。 医学的必要性や効果の差がある場面では、単純な平等がかえって不合理になる。
弱者への配慮 社会的に不利な立場の人が、配分基準によってさらに不利にならないようにする。 障害、慢性疾患、地域差、情報格差、貧困が治療機会を狭めないように補正する。 どの不利をどこまで補正するかを決める基準が難しく、他の原則との調整が必要になる。
社会機能維持 医療従事者など、他者の救命や制度維持に関わる役割を守る。 感染症流行時に、医療従事者や救急対応者を優先してワクチン接種の対象にする。 社会的価値による人間の序列化へ滑る危険がある。

この表は、配分原則が単なる選択肢の一覧ではないことを示している。それぞれの原則は、別々の価値を守っている。救命数最大化は、限られた資源を無駄にせず、救える命を増やそうとする。最重症者優先は、最も危険な状態にある人を放置しない。予後重視は、治療が実際に効果を持つかを考える。平等な取り扱いは、同じ条件の人を恣意的に分けない。弱者への配慮は、すでに不利な立場の人をさらに不利にしない。社会機能維持は、医療制度や救命活動そのものを支える人を守る。

しかし、これらは簡単には足し算できない。救命数最大化と最重症者優先は、しばしば衝突する。助かる可能性の高い患者を優先すれば、最も重い患者が後回しになる場合がある。最も重い患者を優先すれば、結果として救える命の数が少なくなる場合がある。平等な取り扱いと予後重視も衝突する。同じように順番を回すことは公平に見えるが、治療効果が大きく違う場合には、限られた資源を有効に使えない。社会機能維持と人格の平等も緊張関係を持つ。医療従事者を守る理由はあるが、それを広げすぎると、社会的に役立つ人ほど優先されるという危険な基準になってしまう。

この衝突を避けるために、一つの原則を絶対化したくなることがある。救命数を最大化すればよい、最重症者を優先すればよい、抽選にすればよい、医師の判断に任せればよい、という形である。しかし、どの単一原則も、医療資源配分の全体を支えるには弱い。救命数だけを見れば、公平性が失われる。平等だけを見れば、助けられる人を助けられない。最重症者だけを見れば、医療資源全体の効果が下がる。現場判断だけに任せれば、判断の理由が見えにくくなり、医療者個人に負担が集中する。

したがって、配分倫理は単一の正解を選ぶ作業ではない。複数の倫理原則を、場面ごとにどのような順序で使い、どこで組み合わせ、どこで制限するかを決める制度設計である。ICU のように時間が短く、救命可能性が直接問われる場面では、重症度と治療効果の組み合わせが重要になる。臓器移植では、医学的適合性、待機期間、緊急度、移植後の見込みが組み合わされる。ワクチンでは、個人の重症化リスクだけでなく、感染拡大の抑制、医療崩壊の回避、社会機能維持が関係する。高額治療では、個別患者の救済と制度全体の持続可能性が衝突する。

この章で確認すべき結論は、医療資源配分に万能の原則はないということである。だからといって、場当たり的に決めてよいわけではない。むしろ、複数の原則が衝突するからこそ、どの場面で、どの原則を、どの程度重視するのかを明示しなければならない。命の平等を守るには、抽象的に「公平」を唱えるだけでは足りない。公平、効果、必要性、緊急性、弱者への配慮、社会機能維持を、具体的な制度の中でどう組み合わせるかを説明する必要がある。


5. 危機時には、医療の基準そのものが変わる

災害や感染症流行では、医療資源が不足するだけではない。判断に使える時間も不足する。平時であれば、患者ごとに検査を重ね、診断を確認し、治療選択肢を比較し、本人や家族と話し合いながら方針を調整できる。医師も看護師も、一人の患者に対して一定の時間と注意を向けることができる。ところが、大規模災害やパンデミックでは、患者が短時間に集中する。救急搬送、外来、病床、酸素、人工呼吸器、集中治療室、医療者の手が同時に足りなくなる。このとき、医療は平時と同じ基準だけでは動かない。

平時の医療では、基本的には目の前の患者にとって最もよい治療を探す。もちろん平時にも資源の限界はあるが、通常は予約、紹介、病床調整、標準治療、保険制度によって不足が調整されている。そのため、医療者は個別患者への最善を中心に考えることができる。これを個別最適と呼ぶなら、危機時にはそれだけでは足りなくなる。なぜなら、一人の患者に多くの資源を集中させることが、別の複数の患者から治療機会を奪う場合があるからである。

たとえば、集中治療室がほぼ満床で、人工呼吸器も残り少ない状況を考える。平時なら、重症患者には集中治療を提供するという判断が自然である。しかし、同時に多数の重症患者が発生し、全員を ICU に入れられない場合、単に「重症だから入室させる」とは言えなくなる。どれほど緊急か、治療によって回復する見込みがどれほどあるか、どの程度の資源をどれだけの期間使うか、その資源を使うことで他の患者の治療機会がどう変わるかを考えなければならない。ここで、医療の基準は個別患者への最善から、限られた資源で被害を最小化する基準へ移る。

この変化は、医療が冷たくなるという意味ではない。むしろ、危機時に平時の感覚だけで動くと、現場の偶然、声の大きさ、到着順、施設ごとの余力によって結果が左右されやすくなる。目の前の患者を助けたいという医療者の倫理は重要である。しかし、同じ時間に別の場所で助けを待つ患者がいる場合、目の前にいる人だけを基準にすると、全体としては不公平な結果になることがある。危機時の医療では、患者一人ひとりの尊厳を守りながら、同時に集団全体の被害を小さくするという二重の課題が発生する。

National Academies の危機時標準の枠組みは、災害時の医療対応を個々の病院の努力だけではなく、地域、州、国のシステムとして準備する必要があると整理している[5]。これは、危機時の配分判断が、現場の医師や病院だけで完結する問題ではないことを示している。病床の共有、搬送調整、医療物資の再配分、人員配置、情報共有、基準の統一がなければ、ある病院では治療を受けられ、別の病院では受けられないという差が広がる。危機時の医療資源配分は、個々の治療判断であると同時に、システム全体の運用問題でもある。

観点 平時の医療 危機時の医療
判断の中心 目の前の患者にとって最もよい治療を探す。 複数の患者の間で、限られた資源をどう配れば被害を小さくできるかを考える。
時間 検査、説明、同意、治療方針の調整に一定の時間を使える。 患者が短時間に集中するため、限られた情報で迅速に判断しなければならない。
資源 不足は予約、紹介、病床調整、標準治療によって見えにくく調整される。 病床、人員、酸素、人工呼吸器、医療物資の不足が同時に露出する。
倫理的課題 個別患者への最善、本人の同意、治療の安全性、医師の責任が中心になる。 個別患者への責任と、集団全体の被害最小化を同時に考える必要がある。
制度上の要請 医療者の裁量と通常の診療体制で対応できる範囲が大きい。 事前の基準、地域単位の調整、記録、公開性、事後検証が必要になる。

ここで必要になるのが、トリアージである。トリアージとは、限られた医療資源を、緊急度、重症度、治療効果の見込み、資源の不足度に応じて優先づけることである。この言葉は、しばしば「助ける人と助けない人を分ける冷たい手続き」と受け取られる。しかし、トリアージの本来の役割は、混乱した状況で、誰がどの治療をどの順序で受けるべきかを説明可能にすることにある。基準がなければ、判断は現場の偶然、到着順、医療者の個人的な負担に流れやすい。トリアージは、そうした不透明さを減らすための仕組みである。

ただし、トリアージは強い制度である。人の治療機会を左右するからである。したがって、単に「現場で必要だから」という理由だけでは正当化できない。どの基準で優先するのか、誰が判断するのか、どの情報を使うのか、判断を記録するのか、あとから見直せるのか、患者や家族にどう説明するのかが必要になる。緊急時だからこそ、基準が曖昧でよいわけではない。緊急時に曖昧な基準で動けば、平時以上に不公平が見えにくくなる。

また、トリアージは一度決めたら終わりというものではない。患者の状態は変化する。資源の不足度も変化する。災害や感染症流行の状況も変化する。最初は治療効果が見込めた患者が悪化する場合もあれば、最初は重症に見えた患者が回復する場合もある。医療物資が追加で届く場合もあれば、医療者が感染や疲弊で減る場合もある。そのため、危機時の配分判断は、固定された一回の選別ではなく、状況の変化に応じて見直される継続的な判断である。

危機時に最も避けるべきなのは、医療者個人に判断を背負わせることである。ICU に入れるか、人工呼吸器を使うか、救急搬送を受け入れるかという判断は、患者の生死に直結する。基準がないまま現場に委ねれば、医療者は自分の目の前で、誰を助け、誰を後回しにするかを個人的に決めることになる。これは患者にとっても不透明であり、医療者にとっても過酷である。制度としての基準があれば、医療者の苦悩が消えるわけではない。しかし、少なくとも判断の理由を共有し、個人の孤立した決断ではなく、社会が引き受けるべき配分判断として扱うことができる。

したがって、危機時の医療では、医療の基準そのものが変わる。平時の医療は、個別患者への最善を中心に組み立てられる。危機時の医療は、その前提を完全に捨てるのではなく、個別患者への責任を保ちながら、集団全体の被害最小化、資源の有効利用、判断の透明性を加えなければならない。危機時標準やトリアージは、命を軽く扱うための言葉ではない。限られた医療資源の中で、現場の偶然や不透明な判断に流されず、できるだけ多くの命と公平性を守るための制度である。


6. ICU と人工呼吸器の配分では、救命可能性と差別の回避が衝突する

ICU と人工呼吸器の配分は、危機時医療の中でも最も鋭い問題である。ICU は集中治療室であり、生命の危険が高い患者に対して、医師、看護師、人工呼吸器、モニター、薬剤、検査、処置を集中的に投入する場所である。人工呼吸器は、自力で十分に呼吸できない患者を支える生命維持装置である。どちらも、単なる設備ではない。専門人員、時間、酸素、薬剤、感染管理、継続的な観察を必要とする。そのため、ICU の空き病床や人工呼吸器の台数だけを見ても、実際に治療できる人数は決まらない。

この問題が重いのは、患者がすでに重症であり、判断を急がれ、資源が少なく、結果が生死に直結するからである。外来予約や検査順序のように、数日待てばよいという話ではない。人工呼吸器が必要な患者に人工呼吸器が届かなければ、その患者は短時間で死亡する可能性がある。ICU で継続管理が必要な患者を一般病床だけで支えようとしても、必要な監視や処置が足りない場合がある。ここでは、配分判断の遅れそのものが命に関わる。

平時であれば、重症患者には ICU を確保し、必要なら人工呼吸器を使うという判断が自然である。しかし、パンデミックや大規模災害で重症患者が同時に増え、ICU も人工呼吸器も専門人員も不足すると、すべての患者に同じ治療を提供できなくなる。そこで問われるのは、誰を助けたいかではない。全員を助けたいという前提に立ってもなお、同時に全員へ同じ資源を使えないとき、どの基準で優先するのかである。

White らは、公衆衛生上の緊急時に生命維持治療を誰が受けるべきかについて、救える命の数、救える生命年、人生の段階、抽選など複数の原則を組み合わせる必要を論じている[6]。White と Lo も、COVID-19 期の人工呼吸器と ICU 病床の配分では、退院まで生存する可能性だけでなく、複数の倫理的考慮を組み込む必要があると述べている[7]。この議論が示しているのは、ICU 配分が単なる医学的計算ではなく、医学的判断と倫理的判断が重なる領域だということである。

救命可能性を考慮することには、明確な理由がある。人工呼吸器が 1 台しかなく、同時に 2 人の患者が必要としている場合、治療によって助かる可能性が高い患者に使えば、限られた資源で実際に救える命を増やせる。これは冷たい考え方ではない。人工呼吸器という資源は、一人の患者に使っている間、別の患者には使えない。したがって、その資源を使うことでどれだけ救命につながるのかを考えなければ、結果として救えるはずだった命を失う場合がある。

しかし、救命可能性だけを強く見ると、別の危険が生じる。救命可能性や予後は、純粋に現在の病気だけで決まるわけではない。障害、慢性疾患、高齢、過去の医療アクセス、生活環境、栄養状態、所得、居住地、介護支援の有無が、患者の健康状態に影響している場合がある。もしそれらを単純に「予後が悪い」とだけ評価すれば、もともと社会的に不利な立場に置かれてきた人が、危機時にもさらに不利になる。医学的に見える判断が、社会的不平等を引き継ぐのである。

ここで区別しなければならないのは、現在の治療に直接関係する医学的見込みと、その人の属性そのものを不利に扱う判断である。たとえば、現在の重症感染症に対して人工呼吸器が有効かどうかを評価することは必要である。しかし、障害があること、高齢であること、慢性疾患を持っていることを、それだけで治療対象から外す理由にしてはならない。重要なのは、その治療が、その時点のその患者に医学的に有効かどうかである。属性そのものを短絡的に不利益扱いするなら、それは配分倫理ではなく差別に近づく。

判断要素 必要な理由 危険 必要な補正
重症度 生命の危険がどれほど切迫しているかを把握するために必要である。 重症度だけを見れば、治療しても助かる見込みが極めて低い患者に資源が集中する場合がある。 重症度を見つつ、治療による回復可能性も合わせて評価する必要がある。
救命可能性 限られた ICU や人工呼吸器で、実際に救える命を増やすために必要である。 予後の悪さを理由に、高齢者、障害者、慢性疾患患者が一律に不利になる危険がある。 属性ではなく、現在の治療に対する個別の医学的効果を評価する必要がある。
資源使用量 一人の患者に長期間資源を使うと、他の患者に資源が届かなくなるため考慮が必要である。 長期治療が必要な患者を機械的に不利に扱うと、重い病気や障害を持つ人への差別になりうる。 資源使用量だけでなく、治療効果、代替手段、見直し可能性を合わせて考える必要がある。
年齢 人生の段階や生命年をめぐる議論で考慮されることがある。 年齢だけで一律に線を引けば、高齢者の命を軽く扱う判断になる。 年齢そのものではなく、個別の医学的状態と治療効果を中心に判断する必要がある。
障害や慢性疾患 現在の治療効果に直接関係する場合には、医学的情報として考慮が必要になることがある。 障害や診断名をそれ自体として不利に扱えば、危機時医療が差別を制度化する。 診断名ではなく、現在必要な治療に対する具体的な有効性を個別に評価する必要がある。

この表で重要なのは、同じ情報でも、使い方によって意味が変わることである。重症度、救命可能性、資源使用量、年齢、障害、慢性疾患は、すべて医療判断に関係しうる。しかし、それらを粗く扱えば、治療が必要な人を属性で排除する道具になる。逆に、それらを一切見ないと、限られた ICU や人工呼吸器をどの患者に使うべきかを判断できなくなる。必要なのは、情報を使わないことではなく、情報の意味を限定し、誤用を防ぐことである。

HHS Office for Civil Rights は、危機時標準を使う場合でも、障害そのものや診断名を理由に治療配分を不利にしてはならず、治療が個別患者に有効かどうかを現在の医学的知識と客観的証拠に基づいて判断すべきだとしている[8]。これは、障害や慢性疾患を完全に医療判断から切り離せという意味ではない。現在必要な治療の有効性に直接関係する情報は評価しなければならない。しかし、障害がある、慢性疾患がある、高齢であるという属性を、それだけで治療の優先度を下げる理由にしてはならない、という意味である。

さらに難しいのは、医学的指標そのものが中立とは限らないことである。危機時配分では、SOFA スコアのような重症度指標が使われることがある。SOFA スコアは、呼吸、循環、肝臓、腎臓、凝固、神経など複数の臓器機能を点数化し、重症度を評価するための指標である。重症患者を評価する道具としては有用である。しかし、その点数をそのまま配分基準に使うと、特定の集団に不利な結果をもたらす可能性がある。

実際に、SOFA スコアのような重症度指標が危機時配分に使われる場合、その指標自体が人種間で死亡率を過大評価し、構造的不利益を生む可能性が報告されている[9]。この点は重要である。指標が数字で表されているからといって、その判断が自動的に公平になるわけではない。数字は、測定している現象、過去の医療アクセス、基礎疾患の分布、社会的条件、データの偏りを含んでいる場合がある。したがって、数値化された医学的判断も、どの集団にどのような影響を与えるかを検証しなければならない。

この問題は、「医学的に決めればよい」という言い方の限界を示している。もちろん、ICU や人工呼吸器の配分に医学的判断は不可欠である。重症度を見ず、治療効果を見ず、資源使用量を見ずに配分することはできない。しかし、医学的判断は社会から独立した純粋な計算ではない。どの指標を使うか、どの閾値で区切るか、どの情報を除外するか、どの例外を認めるかによって、結果は変わる。そこには倫理的判断が含まれている。

したがって、ICU と人工呼吸器の配分では、救命可能性と差別の回避を同時に考える必要がある。救命可能性を見なければ、限られた資源で救える命を増やせない。差別の回避を見なければ、救命可能性という言葉の中に、障害、慢性疾患、高齢、地域差、人種差、貧困といった構造的不利益が入り込む。どちらか一方だけでは足りない。危機時医療の制度は、医学的効果を評価しながら、その評価が誰を不利にするのかを継続的に検証する必要がある。

この章の結論は明確である。ICU 配分の倫理は、単に「助かる人を優先する」という一文では済まない。助かる可能性を評価することは必要である。しかし、その評価が属性による排除や構造的不平等の再生産にならないように、基準、記録、説明、検証、見直しを伴わなければならない。危機時に命を守るためには、医学的合理性だけでなく、公平性を守る制度的な慎重さが必要になる。


7. 臓器移植は、必要性と効果が一致しないことを示す

臓器移植は、医療資源配分の典型例である。多くの医療資源は、時間をかければ増やせる場合がある。病床は増設できることがあり、薬剤は追加生産できることがあり、医療機器も調達できることがある。もちろん、それらにも限界はある。しかし、臓器移植で使われる提供臓器は、同じ意味では増やせない。心臓、肝臓、腎臓、肺などの臓器は、誰かの提供がなければ存在しない。しかも、提供された臓器には保存時間、医学的適合性、移植可能な状態という制約がある。したがって、臓器移植では、資源の不足がきわめて明確な形で現れる。

臓器を待つ患者は、それぞれ深刻な事情を持っている。移植を受けなければ生命を維持できない患者もいる。長期間透析を続けている患者もいる。通常の治療では十分に改善できず、移植が生活を大きく変える可能性を持つ患者もいる。どの患者にとっても、臓器は単なる医療材料ではなく、生存や生活の質に直結する資源である。しかし、提供臓器が 1 つであり、待機患者が複数いる場合、全員に同時に渡すことはできない。ここで、臓器移植は「必要な人に提供する」という言い方だけでは処理できない問題になる。

重要なのは、移植を必要としている人が複数いる場合、その全員が本当に必要としているという点である。誰か一人だけが本物の患者で、他の人はそうではない、という話ではない。全員に医学的な必要がある。それでも、臓器が足りないため、割り当てを決めなければならない。ここで問われるのは、誰の命が重いかではない。提供臓器という希少な資源を、どの患者に使えば、必要性、公平性、医学的適合性、移植後の効果を最も説明可能な形で扱えるかである。

OPTN は、臓器配分において、効用、正義、人格の尊重という倫理原則が関わると整理している[10]。効用とは、提供された臓器をできるだけ有効に使うという考え方である。正義とは、特定の人が不当に有利または不利にならないようにする考え方である。人格の尊重とは、患者を単なる点数や効率の対象として扱わず、尊厳ある存在として扱う考え方である。Bunnik も、臓器配分倫理を、平等に扱うこと、最も不利な人を優先すること、総便益を最大化すること、社会的価値を促進することという原則群に分けて論じている[11]

臓器移植が難しいのは、最も必要としている人と、最も効果が見込める人が一致しない場合があるからである。たとえば、ある患者は非常に重症で、すぐに移植しなければ死亡する可能性が高い。しかし、全身状態が悪く、移植手術に耐えられる可能性や、移植後に長く生存できる可能性が低いかもしれない。別の患者は、今すぐ死亡するほどではないが、移植を受ければ長期的に良好な結果が期待できるかもしれない。この場合、緊急度を重視すれば前者を優先したくなる。移植臓器の効果を重視すれば後者を優先したくなる。どちらも倫理的な理由を持っている。

ここで「最も重い人に渡せばよい」とだけ考えると、移植後の効果を十分に考えられない。提供臓器は一度使えば、他の患者には使えない。移植しても短期間で機能しなくなる可能性が高い場合、同じ臓器によって別の患者を長く救えたかもしれないという問題が生じる。一方で、「最も効果が高い人に渡せばよい」とだけ考えると、今まさに生命の危機にある人が後回しになる。そうなると、医療は最も深刻な状態の人を見捨てて、効率のよい患者だけを選んでいるように見える。

この緊張は、臓器移植に限らない医療資源配分の一般構造をよく示している。必要性だけでは足りない。効果だけでも足りない。待機期間だけでも足りない。医学的適合性だけでも足りない。どの基準も、それぞれ重要である。しかし、一つだけを絶対化すると、別の価値を傷つける。臓器移植では、この衝突が非常に見えやすい。なぜなら、提供臓器が不足していること、患者が複数いること、結果が生死に関わること、そして判断が制度として記録されることが明確だからである。

基準 意味 必要な理由 単独で使う危険
医学的適合性 血液型、体格、免疫学的条件など、提供臓器が患者に合うかを評価する。 適合しない臓器を移植しても、十分な効果が得られず、患者に害を与える可能性がある。 適合性だけを見れば、緊急度や待機期間を十分に反映できない。
緊急度 移植を受けなければ、どれほど早く生命の危機に至るかを評価する。 最も危険な状態にある患者を放置しないために必要である。 緊急度だけを見れば、移植後の効果が低い患者に臓器が集中する場合がある。
移植後の効果 移植によってどれほど生存や生活機能の改善が見込めるかを評価する。 提供臓器を有効に使い、救える命や生活の改善を増やすために必要である。 効果だけを見れば、最も切迫した患者や既に不利な健康状態にある患者が後回しになりやすい。
待機期間 患者がどれほど長く移植を待っているかを考慮する。 待ち続けている人を一方的に後回しにしないために必要である。 待機期間だけを見れば、医学的緊急度や適合性を十分に反映できない。
公平性 地域、経済力、情報格差、社会的立場によって不当に差が出ないようにする。 臓器移植が、一部の人だけに有利な制度にならないようにするために必要である。 公平性を抽象的に唱えるだけでは、具体的な割り当て基準を決められない。

この表から分かるように、臓器移植の配分は、複数の基準を重ね合わせる作業である。医学的適合性は、そもそも移植が成り立つかを判断する。緊急度は、今すぐ助けなければならない人を見落とさないために必要である。移植後の効果は、提供臓器を無駄にせず、できるだけ大きな治療効果を得るために必要である。待機期間は、長く待っている人を制度から取り残さないために必要である。公平性は、経済力、地域差、情報格差が移植機会を左右しすぎないようにするために必要である。どれか一つを選べば済むのではなく、どの基準をどの場面でどれだけ重視するかを制度として決めなければならない。

さらに、臓器移植では、患者本人だけでなく、提供者と社会全体の信頼も関わる。提供臓器は、本人や家族の意思、医療機関の判断、移植制度への信頼によって成り立っている。もし臓器配分が不透明で、特定の人だけが有利に見えるなら、社会は臓器提供制度を信頼しにくくなる。逆に、どのような基準で割り当てられるのかが説明され、記録され、検証されるなら、提供する側も待つ側も、制度を信頼しやすくなる。臓器移植では、個別患者の治療だけでなく、提供制度そのものの正当性が問われている。

この点で、臓器移植は、医療資源配分が感情だけではなく制度を必要とする理由を示している。重症の患者を見れば、その人を助けたいと感じる。長く待っている患者を見れば、その人を優先したいと感じる。移植によって大きく回復できる患者を見れば、その人に臓器を使いたいと感じる。どの感情にも理由がある。しかし、提供臓器は一つしかない。感情だけでは、複数の正当な要求を同時に処理できない。だからこそ、配分基準が必要になる。

臓器移植から得られる一般化は明確である。医療資源配分では、必要性、効果、公平性がしばしば一致しない。最も必要な人が、最も効果が見込める人とは限らない。最も長く待っている人が、最も緊急の人とは限らない。医学的に最も適合する人が、社会的に最も不利な人とは限らない。したがって、配分倫理は、単純な優しさや効率だけでは成り立たない。複数の価値を制度として組み合わせ、その理由を社会に説明できる形にする必要がある。


8. ワクチン配分では、誰を先に守るかが社会全体の結果を変える

ワクチン配分は、ICU や臓器移植とは少し性質が違う。ICU や臓器移植では、すでに重症になっている患者、またはすでに臓器不全に直面している患者をどう救うかが中心になる。これに対して、ワクチンでは、まだ起きていない感染、重症化、死亡、医療崩壊をどう減らすかが中心になる。つまり、ワクチンは治療資源ではなく予防資源である。ここでは、誰を先に治療するかではなく、誰を先に守ることで将来の被害を小さくできるかが問われる。

この違いは重要である。治療資源の配分では、目の前にいる患者の重症度や救命可能性が大きな意味を持つ。人工呼吸器を必要としている患者、移植を待っている患者、緊急手術が必要な患者がいる場合、判断の対象は比較的はっきりしている。ところが、ワクチン配分では、接種対象者の中に、まだ感染していない人、感染しても軽症で済む可能性が高い人、感染すれば重症化しやすい人、他者に感染を広げやすい環境にいる人、医療や介護を支える役割を持つ人が混在している。したがって、単に今の病状だけを見ても、優先順位は決められない。

ワクチン配分で考えなければならないのは、個人の利益だけではない。ある人にワクチンを接種すると、その人自身の感染や重症化を減らせる可能性がある。同時に、その人が他者へ感染を広げる可能性も下げられる場合がある。さらに、その人が医療従事者や介護従事者であれば、本人を守ることが、医療提供体制や介護体制を維持することにもつながる。つまり、ワクチンの効果は個人の身体の中だけで完結しない。接種対象の選び方によって、医療制度、介護施設、職場、地域社会全体の結果が変わる。

WHO SAGE は、COVID-19 ワクチンの初期供給が限られる状況で、共通価値、科学的証拠、影響を受ける人びとの代表性に基づく配分枠組みを示した[12]。ここで重要なのは、ワクチン配分が単なる医学的判断ではなく、社会的価値と科学的証拠を組み合わせる判断だという点である。誰が重症化しやすいか、どの集団で感染が広がりやすいか、どの職種が医療や社会機能を支えているか、どの地域や集団が不利な状況に置かれているかを考えなければならない。

CDC の ACIP も、初期供給の配分において、利益を最大化し害を最小化すること、正義を促進すること、健康格差を緩和すること、透明性を促進することを倫理原則として掲げた[13]。さらに、ACIP は医療従事者と長期介護施設入所者を初期配分の対象とする勧告を行っている[14]。これは、医療従事者の人格価値が高いから優先するという意味ではない。医療従事者が感染して働けなくなれば、感染症以外の患者も含めて、医療を受けられる人が減るからである。また、長期介護施設では、重症化リスクの高い人が集団生活をしているため、感染が広がると死亡や医療負荷が大きくなりやすい。

高齢者や基礎疾患のある人を優先する判断にも、明確な理由がある。感染した場合に重症化しやすく、死亡リスクも高くなりやすいからである。限られたワクチンで死亡や重症化を減らそうとするなら、高リスク者を先に守ることは合理的である。しかし、年齢だけで機械的に線を引くと、別の高リスク要因が見落とされる場合がある。若くても重い基礎疾患を持つ人、障害や生活環境のために感染時のリスクが高い人、医療へ到達しにくい人もいる。したがって、高齢者優先は分かりやすい基準である一方、それだけで十分ではない。

医療従事者を優先する判断は、社会機能維持の典型例である。医療従事者を守ることで、本人の健康を守るだけでなく、救急、外来、入院、手術、集中治療、感染症対応を維持しやすくなる。これは、前章までに述べた「社会的価値」の危険な用法とは区別しなければならない。医療従事者を優先する理由は、その人の命が他の人より高いからではない。その人が担っている役割が、他者の救命可能性を支えているからである。この区別を失うと、社会的に有用と見なされる人ほど優先されるという危険な考え方へ滑ってしまう。

介護施設の優先も、個人の重症化リスクと集団環境の両方に関わる。長期介護施設や高齢者施設では、重症化リスクの高い人が密接な環境で生活し、介護職員が複数の利用者を支える。いったん感染が入り込むと、利用者本人の重症化や死亡だけでなく、職員の欠勤、施設運営の停止、地域医療への負荷が連鎖しやすい。そのため、施設単位で優先することには理由がある。ただし、施設内の人だけを優先すると、在宅で孤立している高リスク者や、制度につながりにくい人が取り残される可能性がある。

感染拡大地域や接触の多い職種を優先する考え方もある。感染が広がっている地域にワクチンを重点配分すれば、その地域の流行を抑えられる可能性がある。多くの人と接触する職種を優先すれば、感染の連鎖を減らせる可能性がある。社会機能を支える職種を優先すれば、医療、介護、物流、教育、公共サービスの停止を避けやすくなる。しかし、この基準は線引きが難しい。どの職種が本当に不可欠なのか、誰が接触リスクを負っているのか、政治的・経済的に声の大きい職種が有利にならないかを慎重に見なければならない。

優先対象 主な目的 効果の方向 注意点
高齢者 重症化と死亡を減らす。 感染した場合に深刻な結果になりやすい人を先に守ることで、死亡と医療負荷を減らしやすくなる。 年齢だけで機械的に判断すると、若年でも高リスクの人や、医療へ到達しにくい人が見落とされる場合がある。
基礎疾患のある人 感染時の重症化リスクを下げる。 重症化しやすい人を先に守ることで、入院や集中治療の需要を減らしやすくなる。 どの疾患をどこまで対象にするか、診断されていない人や医療につながっていない人をどう扱うかが問題になる。
医療従事者 医療提供体制を維持する。 医療従事者の感染や欠勤を減らすことで、他の患者への治療提供を維持しやすくなる。 人格価値ではなく、他者の救命可能性を支える役割として説明する必要がある。
介護施設 高リスク集団での集団感染と死亡を減らす。 施設内の利用者と職員をまとめて守ることで、死亡、施設機能停止、地域医療への負荷を減らしやすくなる。 施設外で孤立している高リスク者や、制度につながりにくい人を取り残さない設計が必要になる。
接触の多い職種 感染拡大と社会機能停止を抑える。 人との接触が多い人を先に守ることで、感染の連鎖や社会機能の停止を抑えられる可能性がある。 職種の線引きが政治的・経済的利害を帯びやすく、声の大きい集団が有利になる危険がある。
感染拡大地域 流行が強い地域の被害を抑える。 感染が広がっている地域へ重点配分することで、短期的な感染拡大と医療崩壊を抑えやすくなる。 地域間の公平性、データの遅れ、政治的な配分圧力をどう扱うかが問題になる。

この表が示しているのは、ワクチン配分には複数の目的が重なっているということである。高齢者や基礎疾患のある人を優先する目的は、重症化と死亡を減らすことである。医療従事者を優先する目的は、医療提供体制を維持することである。介護施設を優先する目的は、高リスク者が集まる場所での被害を抑えることである。接触の多い職種や感染拡大地域を優先する目的は、感染の広がりや社会機能の停止を抑えることである。どれも正当な目的を持つが、同じ配分順序を導くとは限らない。

ここでも単一の原則では足りない。死亡を最小化したいなら、高リスク者を優先することが重要になる。医療崩壊を避けたいなら、医療従事者や医療機関に関係する人びとを守ることが重要になる。感染拡大を抑えたいなら、接触の多い人や流行地域への重点配分が意味を持つ。社会の基本機能を維持したいなら、介護、救急、物流、教育などの職種も候補になる。しかし、すべてを同時に最優先にはできない。だからこそ、どの段階で、どの目的を、どの程度重視するのかを説明する必要がある。

さらに、ワクチン配分では透明性が特に重要になる。ワクチンは多くの人に関わるため、優先順位が不透明だと、制度への不信が広がりやすい。なぜその人びとが先なのか、なぜ別の人びとは後なのか、いつ順番が回ってくるのかが分からなければ、不公平感が強くなる。ワクチン政策では、医学的な効果だけでなく、社会がその配分を納得し、協力できるかも結果を左右する。信頼が失われれば、接種を受ける人が減り、制度全体の効果も下がる。

ワクチン配分から分かる一般化は、予防資源の配分では、現在の患者だけでなく、将来の被害と社会全体の構造を考える必要があるということである。ICU や臓器移植では、すでに危険な状態にある人をどう扱うかが中心になる。ワクチンでは、誰を先に守ることで、死亡、重症化、感染拡大、医療崩壊、社会機能停止をどれだけ減らせるかが中心になる。したがって、ワクチン配分は、個人の権利と集団全体の利益が交差する典型的な場面である。

この章の結論は、ワクチン配分が単なる順番決めではないということである。誰を先に守るかによって、個人の健康だけでなく、医療制度、介護体制、地域社会、感染拡大の速度、死亡者数が変わる。だからこそ、ワクチン配分では、個人のリスク、他者への感染、医療制度への負荷、社会機能の維持、健康格差の緩和、透明性を組み合わせて考えなければならない。予防資源の配分は、まだ起きていない被害をどう減らすかを問う制度倫理である。


9. 高額治療と希少疾患治療では、希望と制度の限界が衝突する

高額治療と希少疾患治療は、医療資源配分の別の顔を示す。災害医療や ICU では、病床、人工呼吸器、酸素、医療者の手が、その場で足りなくなる。臓器移植では、提供臓器そのものが足りない。これに対して、高額治療では、不足しているものが少し見えにくい。薬剤や治療法が存在していても、それを公的医療制度の中でどこまで支えるかが問題になる。ここで問われる資源は、公費、保険財政、専門施設、医療者、長期フォローアップ体制である。

個別患者から見ると、希少疾患薬、遺伝子治療、個別化医療、超高額抗がん剤は、単なる選択肢の一つではない場合がある。標準治療では効果が乏しく、他に使える治療が少なく、病気が進行すれば生命や生活機能が大きく損なわれる。そのような状況では、新しい高額治療は、本人や家族にとって唯一の希望に見える。医療倫理の素朴な感覚からすれば、目の前に治療法があり、それで助かる可能性があるなら、できるだけ使うべきだと考えたくなる。

しかし、制度全体から見ると、問題はそこで終わらない。公的医療制度の財源は無限ではない。一人または少数の患者に非常に大きな資源を使う場合、その資源は別の医療、予防、介護、救急、地域医療、慢性疾患管理には使えなくなる。これは、その患者を救いたくないという話ではない。ある治療を公的に支えるという判断は、別の治療やサービスに使える資源を減らすという判断でもある。高額治療の倫理は、目の前の患者の希望と、制度全体の持続可能性が衝突するところに生じる。

この衝突は、災害時のトリアージよりも見えにくい。ICU の空きが 1 床しかない場合、資源不足はすぐに分かる。人工呼吸器が 1 台しかない場合も、同時に使えないことは明白である。ところが、高額治療では、ある患者に治療を提供したからといって、隣の患者から直ちに治療機会を奪っているようには見えにくい。財源の制約は、診療報酬、薬価、保険収載、自己負担、給付範囲、専門施設の整備、将来の医療費という形で分散して現れる。そのため、配分判断であることが見えにくい。

日本でも費用対効果評価制度は診療報酬改定の中で扱われており、医薬品、医療機器、再生医療等製品の評価と価格調整に関わる制度として位置づけられている[15]。これは、治療法の医学的有効性だけでなく、その治療にどれだけの費用がかかり、どれだけの健康上の利益が見込めるかを制度として評価する考え方である。医療制度が有限な公共資源である以上、治療効果だけでなく、価格や財政への影響をまったく見ないまま給付範囲を決めることはできない。

NICE の医療技術評価でも、経済評価の基準として費用と健康上の利益を比較する枠組みが用いられる[16]。ここで使われる代表的な考え方に QALY がある。QALY は、生活の質で調整した生存年を表す指標である。単に何年生きるかだけではなく、どの程度の健康状態で生きるかを合わせて評価しようとする。たとえば、同じ 1 年の延命でも、重い苦痛や機能制限が残る 1 年と、比較的よい健康状態で過ごせる 1 年では、健康上の利益が同じとは限らない、という考え方である。

QALY のような指標は、冷たい道具に見える。命や生活の質を数字で測ってよいのかという抵抗が生じるのは自然である。しかし、指標を使わなければ価値判断が消えるわけではない。費用対効果を見ない場合でも、財源はどこかで尽きる。ある高額治療を広く支えれば、別の医療サービス、予防、介護、救急、地域医療に回せる資源が少なくなる。したがって、問題は、費用対効果を使うか使わないかだけではない。どのような限界を認め、どのような補正を入れ、どのように説明するかである。

ただし、費用対効果だけで高額治療を処理すると、希少疾患や重症疾患の患者が不利になりやすい。患者数が少ない疾患では、研究開発費を少数の患者で回収するため、薬価が高くなりやすい。治験に参加できる患者も少なく、長期的な効果や安全性のデータが限定されやすい。そのため、費用は高く、不確実性も大きく見える。通常の費用対効果の枠組みだけで評価すれば、希少疾患治療は不利になりやすい。

にもかかわらず、その治療が患者にとって唯一の選択肢である場合、「費用対効果が悪いから支えない」と言い切ることには強い倫理的抵抗がある。そこには、医療が単に平均的な効率を最大化する制度ではないという直感がある。希少疾患の患者は、患者数が少ないからといって、医療制度の外側へ押し出されてよいわけではない。重症疾患の患者は、治療が高額だからといって、初めから救済対象から外されてよいわけではない。ここで、効率性と救済の倫理が衝突する。

観点 高額治療を支える理由 制度上の懸念 必要な調整
個別患者の希望 他に有効な治療が少ない患者にとって、高額治療が唯一の救命または改善の可能性になる場合がある。 個別の切実さだけを基準にすると、制度全体の資源配分が見えにくくなる。 患者の切実さを認めつつ、治療効果、対象範囲、財政影響を説明可能にする必要がある。
希少疾患 患者数が少ない疾患でも、医療制度の支援対象から外されるべきではない。 薬価が高くなりやすく、治験データも限られるため、通常の評価では不利になりやすい。 希少性、不確実性、代替治療の有無を考慮する補正原理が必要になる。
費用対効果 限られた公的資源で、どれだけの健康上の利益が得られるかを比較できる。 数値化しにくい価値や、少数患者の救済が軽く扱われる危険がある。 指標の限界を明示し、重症度、希少性、代替可能性を別途考慮する必要がある。
保険財政 制度を維持するためには、給付範囲と価格を管理する必要がある。 財政制約を強く見すぎると、救える可能性のある患者を制度が見捨てることになる。 短期的な支出だけでなく、長期的な効果、患者数、社会的合意を含めて判断する必要がある。
公平性 経済力にかかわらず、必要な医療へ到達できる制度を守る必要がある。 公的制度が支えなければ、治療機会が自費、民間保険、寄付、海外渡航に流れやすい。 公的支援の範囲を透明にし、自己負担や情報格差だけで治療機会が決まらないようにする必要がある。

この表が示しているのは、高額治療の問題が「高いから悪い」でも「希望があるから必ず支えるべき」でもないということである。高額であっても、十分な効果があり、代替治療がなく、対象患者が明確であれば、公的制度で支える理由はある。一方で、効果が不確実で、対象が広がり、価格が非常に高い治療を無条件に支えれば、制度全体の持続可能性が損なわれる。必要なのは、治療を受けたいという希望を軽く扱わず、同時に公共資源の限界を隠さないことである。

この抵抗は、しばしば救済原則として現れる。救済原則とは、目の前にいる具体的な救命可能な人を見捨てにくいという道徳的反応である。統計上は限られた効果しか示せない治療でも、特定の患者にとっては最後の希望である場合がある。費用対効果の数字だけを見れば採用しにくい治療でも、目の前の患者を救える可能性があるなら支えたいと考える。この反応は、非合理として片づけられない。医療は、平均値だけでなく、具体的な患者の苦痛や希望を扱う営みでもあるからである。

Charlton は、NICE が高度専門技術の評価で救済原則をどう扱っているかを検討し、優先順位づけの理由を透明にすることの重要性を論じている[17]。ここで重要なのは、救済原則を認めるか否かを感情だけで決めないことである。目の前の患者を救いたいという反応は重要である。しかし、それをどこまで公的制度の基準に組み込むのかを説明しなければ、別の患者や別の医療領域との公平性が見えなくなる。

高額治療の倫理は、費用対効果を使うか捨てるかではない。費用対効果を使わなければ、資源配分の問題が消えるわけではない。むしろ、誰の治療が支えられ、誰の治療が支えられないのかが見えにくくなる。一方で、費用対効果だけを機械的に使えば、希少疾患、重症疾患、治療選択肢の少ない患者が不利になる。したがって必要なのは、費用対効果を基本的な判断材料として使いながら、その限界を明示し、希少性、重症度、代替治療の有無、患者数、不確実性、社会的合意を補正原理として組み込むことである。

この章の結論は、高額治療と希少疾患治療が、医療資源配分の時間軸を広げるということである。災害医療や ICU では、いま目の前で資源が足りない。高額治療では、制度全体の財源、将来の給付範囲、他の医療領域への影響が問題になる。個別患者の希望は軽く扱えない。しかし、制度の限界も無視できない。高額治療の配分倫理は、希望を切り捨てるためではなく、希望をどのような公共的理由で支えるのかを明確にするために必要になる。


10. 費用対効果は冷酷な道具なのか

費用対効果という言葉は、医療に持ち込まれると冷たく聞こえる。命を金で測るのか、助かる可能性のある人を費用で切り捨てるのか、医療を経済計算に従属させるのか、という反発が生じる。この抵抗は自然である。病気になった人、治療を待つ人、家族を救いたい人にとって、医療は会計上の数字ではない。そこにあるのは、痛み、恐怖、希望、生活、家族関係、将来である。したがって、費用対効果という言葉だけが前面に出ると、医療が人間を見ずに財政だけを見ているように感じられる。

しかし、費用を見ないことは、費用の問題を消すことではない。医療予算、公費、保険財政、医療者の時間、病床、専門施設は有限である。ある治療に大きな資源を使えば、その資源は別の治療、予防、介護、救急、地域医療、慢性疾患管理には使えない。この関係は、個別の診察室では見えにくい。目の前の患者に治療を提供する場面では、その治療が他の医療機会にどのような影響を与えるかは直接見えない。しかし、制度全体では、すべての支出は何らかの配分判断である。

ここで重要になるのが、機会費用である。機会費用とは、ある選択をしたことで、選べなくなる別の選択の価値である。たとえば、限られた財源で少数の患者に非常に高額な治療を提供することは、その患者にとって大きな意味を持つ。一方で、同じ財源で多数の標準治療、予防接種、救急体制、慢性疾患管理、在宅医療を支えられる場合もある。前者を選べば、後者に使える資源は減る。後者を選べば、前者の患者が得られたかもしれない治療機会は失われる。どちらにも救われる人がいて、どちらにも取り残される人がいる。

このため、費用対効果の評価は、人間の命を価格に還元するための道具ではなく、見えにくい機会費用を可視化する道具として理解する必要がある。費用対効果は、「この命はいくらか」と問うものではない。より正確には、「限られた公共資源をこの治療に使うことで、どれだけの健康上の利益が得られ、その代わりに何が使えなくなるのか」を問うものである。ここを取り違えると、費用対効果は冷酷な切り捨ての論理に見える。しかし、機会費用をまったく見なければ、別の場所で失われる医療機会が見えなくなる。

費用対効果が必要になる典型的な場面は、高額ながん治療、希少疾患治療、遺伝子治療、再生医療、個別化医療である。これらの治療は、患者にとって大きな希望になりうる。一方で、効果が限定的または不確実であり、費用が非常に高い場合もある。数か月の延命が見込まれる治療に非常に高額な費用がかかる場合、その費用を公的制度でどこまで支えるのか。患者数が少なく、データが限られる希少疾患治療を、通常の評価基準でどこまで扱えるのか。こうした問いは、単に医学的有効性だけでは答えられない。

ASCO の価値枠組みは、がん治療について、臨床的利益、副作用、症状改善、費用を並べて考える枠組みを示している[18]。ここで重要なのは、費用だけを見ているのではないという点である。治療によってどれだけ生存が延びるのか、症状がどれだけ改善するのか、副作用がどれほど重いのか、患者の生活にどのような影響があるのか、そして費用がどれほどかかるのかを合わせて考える。これは、患者の命を値札に変えるためではなく、治療の利益と負担を見える形にするための枠組みである。

観点 費用対効果が見ようとするもの 見落としやすいもの 必要な補正
費用 薬剤費、医療機器費、入院費、検査費、専門施設、人員など、治療に必要な資源を把握する。 患者や家族の介護負担、移動負担、休職、生活上の損失が十分に反映されない場合がある。 制度側の費用だけでなく、患者側の負担も必要に応じて考慮する必要がある。
臨床的利益 延命、再発抑制、症状改善、入院回避など、治療によって得られる医学的利益を評価する。 患者にとっての意味、生活上の価値、家族と過ごす時間の重みは単純に数値化しにくい。 医学的利益の数値だけでなく、患者にとって何が重要かを説明に含める必要がある。
副作用 治療によって生じる害、苦痛、生活機能の低下を評価する。 副作用の感じ方や許容度は患者ごとに異なり、平均値だけでは判断できない。 患者の価値観、治療目的、生活状況に応じた説明が必要になる。
機会費用 ある治療に資源を使うことで、他の治療、予防、介護、救急、地域医療に使えなくなる資源を可視化する。 目の前の患者の切実さに比べ、見えない他者の失われる機会は軽く扱われやすい。 個別患者の救済と、制度全体で失われる医療機会を同じ議論の中で扱う必要がある。
公平性 限られた資源を、特定の治療や患者群だけに過度に集中させないようにする。 希少疾患や重症疾患の患者が、効率性の低さを理由に不利になりやすい。 希少性、重症度、代替治療の有無、社会的連帯を補正原理として明示する必要がある。

この表が示しているのは、費用対効果が扱えるものと扱いにくいものがあるということである。費用、延命効果、副作用、症状改善、医療資源の使用量は、ある程度比較できる。しかし、患者にとって最後の治療であること、希少疾患であるために研究が進みにくいこと、家族と過ごす時間の意味、社会が少数者をどこまで支えるべきかという問題は、単純な数値に収まりにくい。費用対効果は重要な道具だが、医療資源配分の全体をその道具だけで処理することはできない。

費用対効果を使わない場合にも、別の危険がある。費用の話を避ければ、患者に優しいように見える。しかし、実際には財源の制約は消えない。費用を見ないまま高額治療を広げれば、保険料、税負担、自己負担、他の医療サービスの縮小、医療者の配置、地域医療の維持に影響が出る。すると、誰がその負担を引き受けるのかが見えにくくなる。費用対効果を語らないことは、医療資源配分をしないことではなく、配分の根拠を見えにくくすることになりうる。

一方で、費用対効果を機械的に使う場合にも危険がある。費用に対して得られる健康上の利益が小さい治療を、すべて排除すればよいわけではない。希少疾患では患者数が少なく、治療開発の費用が高く、データも限られやすい。重症疾患では、治療によって得られる利益が統計上は小さく見えても、患者本人にとっては大きな意味を持つ場合がある。終末期に近い患者にとって、数か月の時間が、人生の整理、家族との時間、苦痛の軽減という点で重い意味を持つこともある。これらをすべて費用対効果の数字だけで処理すると、医療が人間の具体的な事情を見失う。

したがって、費用対効果は冷酷な道具であるとも、万能の道具であるとも言えない。冷酷に見えるのは、費用だけを見て人間の苦痛や希望を見ない場合である。万能に見えるのは、数値化された指標があれば公平な判断ができると考える場合である。どちらも不十分である。費用対効果は、配分判断を透明化する一つの道具であり、機会費用を見える形にするために必要である。しかし、その指標だけで、人間の苦痛、希少疾患の不利、社会的連帯、患者の希望、家族の時間をすべて扱うことはできない。

必要なのは、費用対効果を使いながら、その限界を補正する原則を明示することである。高額治療を公的に支えるなら、なぜその治療を支えるのかを説明しなければならない。効果が大きいからなのか、代替治療がないからなのか、対象患者が非常に少ないからなのか、重症度が高いからなのか、社会として希少疾患を支える必要があるからなのかを明確にする必要がある。逆に、支えないと判断する場合にも、単に高いからではなく、効果、不確実性、代替可能性、制度全体への影響を説明しなければならない。

この章の結論は、費用対効果が命を金で測るための言葉ではなく、限られた医療資源の使い方を可視化するための言葉だということである。ただし、可視化できるものは一部に限られる。だからこそ、費用対効果を拒絶して見えない配分に戻るのでもなく、費用対効果だけで人間を処理するのでもなく、その道具が何を示し、何を示せないのかを明確にしたうえで、補正原理を制度として組み込む必要がある。


11. 社会的価値で人を選んではならないが、役割を考慮する場面はある

前章までに医療従事者の優先をワクチン配分の例として見たが、ここではそれをより一般的に、社会的価値と制度上の役割を区別する問題として整理する。

医療資源配分で最も危険な論点の一つは、社会的価値で人を選ぶことである。社会に役立つ人を優先し、そうでない人を後回しにするという発想は、人間の価値を外部の評価で測る危険を持つ。誰が役に立つのか、誰が重要なのか、誰の仕事が社会に必要なのかという判断は、医学的判断ではない。そこには職業、収入、学歴、家族構成、社会的地位、政治的影響力、世間からの評価が入り込みやすい。もしそうした要素によって命の優先順位を決めるなら、医療資源配分は人格の平等を壊す。

この危険は、歴史的にも直感的にも理解しやすい。社会にとって有用な人を優先するという言い方は、最初は合理的に聞こえるかもしれない。しかし、その基準を広げると、働ける人、税を多く納める人、責任ある職にいる人、家族を養っている人、社会的影響力がある人が優先されやすくなる。逆に、高齢者、障害者、慢性疾患患者、失業中の人、社会的に目立たない人、家族を持たない人は、社会的価値が低いと見なされる危険がある。これは医療が行ってよい判断ではない。

したがって、医療資源配分では、人格そのものの価値を社会的有用性で測ってはならない。医療は、患者を経済的生産性や社会的地位の単位として扱う制度ではない。患者は、役に立つから治療されるのではない。尊厳ある存在だから治療の対象になる。ここを崩すと、医療資源配分は、限られた資源を公平に扱うための制度ではなく、人間を社会的評価によって選別する制度になってしまう。

しかし、役割をまったく考慮しないことも単純ではない。感染症流行時に医療従事者を優先する理由を考えると、この違いが見える。医療従事者を優先するのは、医療従事者の命が一般市民の命より本質的に価値あるからではない。医療従事者が感染し、倒れ、働けなくなれば、救急、入院、手術、集中治療、感染症対応、慢性疾患管理が維持しにくくなる。その結果として、さらに多くの患者が治療を受けにくくなる。ここで考慮されているのは、その人の人格価値ではなく、その人が担っている医療制度上の役割である。

災害対応者、救急隊員、介護従事者にも、同じ構造がありうる。災害対応者が倒れれば、救助や搬送が遅れる。救急隊員が不足すれば、重症患者が病院に到達できなくなる。介護従事者が感染や疲弊で働けなくなれば、高齢者や障害者の生活が維持できず、医療機関への負荷も増える。この場合、その職業の人が人間として上位にいるから優先するのではない。その人びとを守ることが、他者の救命可能性や生活維持を支えるから、限定的に優先を考えるのである。

区別 意味 具体例 危険
社会的価値による序列化 その人が社会にどれほど役立つか、どれほど重要に見えるかによって、命の優先順位を決める。 高収入の人、影響力のある人、社会的地位の高い人を優先する。 人格の平等を壊し、弱い立場の人を不利にする。
制度上の役割の考慮 その人を守ることが、医療提供体制や他者の救命可能性を直接支える場合に限って考慮する。 感染症流行時に医療従事者、救急隊員、介護従事者を優先する。 対象を広げすぎると、社会的価値による序列化に近づく。
経済的重要性 社会や経済への影響が大きいという理由で優先を主張する。 企業経営者、政治的影響力のある人、重要産業の関係者を広く優先する。 声の大きい集団や権力に近い集団が有利になりやすい。
医療制度維持 医療や介護の提供体制を維持するため、代替困難で直接的な役割を持つ人を守る。 ICU 担当者、救急搬送担当者、感染症病棟職員、介護施設職員を優先する。 どこまでを直接的な役割と見るかの線引きが難しい。

この表で重要なのは、「社会に役立つから優先する」と「他者の救命可能性を支えるから限定的に優先する」は同じではないということである。前者は、その人の社会的評価を命の優先順位に持ち込む。後者は、医療制度や救命活動が崩れないようにするため、役割の連鎖を考慮する。どちらも外から見ると「特定の職種を優先している」ように見えるが、根拠は大きく異なる。

この区別を曖昧にすると、配分倫理は危険になる。社会機能維持という名目で、経済的に重要な人、影響力のある人、政治的に強い人、組織として発言力のある人が優先されるなら、配分は不公正になる。医療従事者を優先する理由があるからといって、あらゆる重要職種を同じように優先できるわけではない。社会は多くの仕事によって支えられているが、そのことだけで医療資源の優先権が生じるわけではない。

逆に、役割の考慮を一切認めないことにも問題がある。医療従事者や救急隊員が感染や疲弊で大きく減れば、医療資源はさらに不足する。介護従事者が不足すれば、施設や在宅で支えられていた人びとが医療機関へ流入し、医療全体の負荷が増える。つまり、役割をまったく見ないことは、形式的には平等に見えても、結果として多くの患者を不利にする場合がある。ここでも、見かけの平等と実質的な公平は一致しない。

したがって、役割の考慮は限定的でなければならない。第一に、本人の社会的地位ではなく、その人を守ることが医療資源の維持や他者の救命に直接つながるかどうかに限る必要がある。第二に、その役割が代替困難であり、危機時に失われると医療や介護の提供に具体的な支障が出ることを説明できなければならない。第三に、優先対象を広げすぎないための線引きが必要である。第四に、その優先が一時的で、資源不足の状況に応じた例外的な扱いであることを明確にする必要がある。

また、役割を考慮する場合でも、患者としての医学的必要性や治療効果を無視してよいわけではない。医療従事者であればどのような状態でも常に最優先になる、ということではない。感染予防のワクチン配分では医療従事者を優先する理由があっても、ICU や人工呼吸器の配分では、現在の重症度や治療効果を考慮しなければならない。役割の考慮は、他の原則をすべて押しのける万能の基準ではない。

この章の結論は、社会的価値による人間の序列化を拒みつつ、医療制度を維持するための道具的考慮を慎重に扱う必要があるということである。人間の命の価値は、職業、収入、地位、影響力によって変わらない。しかし、ある人を守ることが、他者の救命可能性や医療提供体制の維持に直接つながる場面はある。その場合に限り、役割を限定的に考慮する余地がある。重要なのは、人格価値ではなく制度上の役割を見ているのだと明確にし、その線引きを公開し、検証できる形にすることである。


12. 公平な基準が、弱い立場の人を不利にすることがある

配分基準は、公平に見えても、弱い立場の人を不利にすることがある。これは、医療資源配分を制度として考えるときに最も見落とされやすい点である。差別は、露骨な悪意としてだけ現れるわけではない。特定の人びとを排除しようという意図がなくても、一見中立的な医学的指標や制度上の条件が、結果として高齢者、障害者、慢性疾患患者、低所得者、地方在住者、単身者、支援の薄い人を不利にすることがある。配分基準が公平に見えることと、その基準が公平な結果を生むことは同じではない。

この問題が難しいのは、問題になる基準の多くが、医療上まったく無意味ではないことである。予後、ADL、通院可能性、家族支援、自己管理能力、治療継続性は、どれも治療方針を考えるうえで関係しうる。医療者がそれらを見ようとすること自体には理由がある。治療が本当に効果を持つか、治療を続けられるか、退院後に生活を維持できるか、合併症を防げるかを考えなければ、医療は現実から離れてしまう。しかし、その基準が生活条件や社会的不平等を反映している場合、それをそのまま配分基準にすると、すでに不利な人がさらに不利になる。

たとえば、予後を評価することには医学的な意味がある。限られた ICU、人工呼吸器、臓器、薬剤を使うとき、その治療によってどれだけ回復が見込めるかを考えなければならない。治療しても医学的効果がほとんど見込めない場合、同じ資源を別の患者に使うべきだという判断が生じることもある。しかし、予後は現在の病気だけで決まるわけではない。慢性疾患、障害、貧困、住環境、栄養状態、医療アクセスの遅れ、過去に十分な治療を受けられなかったことが、予後に影響している場合がある。

ここで問題になるのは、予後という医学的指標の中に、過去から続く社会的不利が入り込むことである。医療機関へ早く行けた人は、早い段階で診断され、治療を受け、病状を安定させやすい。逆に、貧困、交通手段の不足、仕事を休めないこと、介護責任、言語の壁、医療情報へのアクセス不足によって受診が遅れた人は、病状が悪化してから医療に到達する場合がある。その結果として予後が悪く見えるなら、それは単に本人の医学的状態だけを反映しているのではなく、医療へ到達するまでの不平等を反映している。

ADL も同じである。ADL とは、食事、移動、排泄、着替え、入浴など、日常生活をどの程度自分で行えるかを示す考え方である。医療や介護の現場では、患者の生活機能を理解するために重要な指標である。しかし、ADL を配分基準として粗く使うと、障害のある人や介護を必要とする人の生活の価値を低く見積もる危険がある。自分で歩けないこと、介助が必要なこと、日常生活に支援が必要なことは、その人の命の価値が低いことを意味しない。にもかかわらず、ADL が低いから治療効果が低い、生活の質が低い、資源を使う価値が低いという推論に滑ると、障害や要介護状態そのものが不利益に変わってしまう。

通院可能性も、治療の実行可能性を考えるうえでは重要である。移植後の管理、がん治療、希少疾患治療、慢性疾患管理では、定期的な通院、検査、服薬、生活管理が必要になる。通院できなければ、治療効果が下がったり、副作用の発見が遅れたりする。しかし、通院できるかどうかは、本人の意欲だけで決まらない。交通手段、居住地、勤務条件、休暇の取りやすさ、介護責任、経済力、家族や地域の支援が関係する。通院可能性をそのまま基準にすれば、都市部に住み、交通手段があり、仕事を調整でき、家族の支援がある人が有利になりやすい。

家族支援も同様である。退院後の在宅療養、服薬管理、食事管理、通院同行、緊急時対応には、家族や周囲の支援が大きな役割を果たす。医療者が家族支援の有無を見ることには理由がある。しかし、家族がいる人を有利にし、単身者、家族関係が弱い人、家族に頼れない人、家族も病気や障害を抱えている人を不利に扱うなら、それは本人の医学的必要性とは別の条件で治療機会を狭めることになる。家族支援がないことは、その人が治療を受ける価値が低いことを意味しない。

基準 合理的に見える理由 不平等を生む経路 必要な補正
予後 治療効果を見込める人に資源を使える。 慢性疾患、障害、貧困、栄養状態、医療アクセスの遅れが不利に作用する場合がある。 現在の治療に直接関係する医学的見込みと、過去の不平等によって生じた不利を区別する必要がある。
ADL 治療後の生活機能や支援の必要性を見込める。 障害のある人や介護を必要とする人の生活価値を低く見積もる危険がある。 生活機能の評価を、命の価値や生活の価値の評価に置き換えないようにする必要がある。
通院可能性 治療継続、検査、副作用管理、移植後管理の実行可能性を評価できる。 交通、仕事、介護、居住地、経済力、言語、医療情報へのアクセスが治療機会を左右する。 通院できない理由を本人の責任とせず、交通支援、地域連携、訪問医療などで補えるかを検討する必要がある。
家族支援 在宅療養、服薬管理、通院同行、緊急時対応の安定性を見込める。 単身者、家族関係が弱い人、家族も支援を必要とする人が不利になる。 家族の有無ではなく、公的支援や地域資源で不足を補えるかを評価する必要がある。
自己管理能力 服薬、食事、運動、感染予防、症状観察などを継続できるかを見込める。 教育、認知機能、精神状態、生活の安定、仕事や家庭の負担が結果に入り込む。 自己管理を求めるだけでなく、説明方法、支援体制、服薬支援、生活支援を整える必要がある。
治療継続性 長期治療を途中で中断せず、安全に続けられるかを評価できる。 不安定な雇用、低所得、住居不安、介護責任、医療費負担が不利に作用する。 治療を続けにくい社会的理由を、治療対象から外す理由に直結させない設計が必要である。

この表が示しているのは、配分基準が二つの顔を持つということである。一方では、予後、ADL、通院可能性、家族支援、自己管理能力、治療継続性は、医療を現実に行うために必要な情報である。治療後の管理をまったく考えずに高額治療や移植を行えば、患者に害が及ぶ場合もある。もう一方では、これらの基準は、本人の医学的必要性だけでなく、生活環境、経済状況、支援資源、地域差を反映する。そのため、同じ基準を全員に当てはめるだけでは、実質的な公平は守れない。

ここで避けるべき誤りは二つある。一つは、医学的・制度的基準はすべて中立だと考える誤りである。数値化されている、診療録に書かれている、医療者が使っているというだけで、その基準が公平だとは限らない。どの指標を使うか、どの閾値で区切るか、どの例外を認めるかによって、結果は変わる。もう一つは、不平等を生む危険があるから、そうした基準をすべて使ってはならないと考える誤りである。医療には、治療効果や継続可能性を評価する必要がある。問題は、基準を使うか使わないかではなく、基準がどのような社会的条件を含んでいるかを見抜き、必要に応じて補正することである。

補正とは、単に弱い立場の人を形式的に優先することだけを意味しない。まず、その基準が本当に現在の治療効果に直接関係するのかを確認する必要がある。次に、不利な条件が本人の医学的状態によるものなのか、医療アクセス、経済状況、支援不足、地域差によるものなのかを見分ける必要がある。さらに、支援を追加すれば治療継続が可能になるのか、公的支援や地域資源で不足を補えるのかを検討する必要がある。基準によって排除する前に、排除を避けるための支援策を考えることが求められる。

この問題は、前章までに見た ICU、臓器移植、ワクチン、高額治療のすべてに関わる。ICU では、予後や重症度の評価が障害や慢性疾患を不利に扱う危険がある。臓器移植では、移植後管理や通院可能性が、家族支援や居住地の差を反映することがある。ワクチン配分では、制度上は対象に含まれていても、予約方法、移動手段、情報アクセスによって接種機会に差が出る。高額治療では、専門施設への接続、経済力、情報収集力が治療機会を左右する。つまり、公平な基準の問題は、一つの章だけに閉じた論点ではなく、医療資源配分全体を貫く構造である。

公平な配分基準を作るには、基準の表面だけでなく、その基準がどの集団にどのような結果をもたらすかを見る必要がある。配分倫理は、単に「同じ基準を全員に当てはめること」ではない。同じ基準が、既に不利な条件を持つ人をさらに不利にしないかを検証することである。形式的平等は重要である。しかし、形式的に同じルールが、実質的には異なる負担を生む場合がある。医療資源配分では、このずれを見落としてはならない。

この章の結論は、差別の回避は、明示的な差別語を使わないことだけでは達成できないということである。医学的に見える指標、制度上合理的に見える条件、治療継続に必要に見える要件の中にも、社会的不平等は入り込む。したがって、配分基準は作った時点で終わりではない。その基準が誰を不利にしているのかを検証し、必要なら補正し、支援策を組み込み、見直し続ける必要がある。公平な医療資源配分とは、全員に同じ言葉を適用することではなく、同じ尊厳を持つ人びとが、既存の不利によってさらに排除されないように制度を設計することである。


13. 医療者にだけ判断を背負わせてはいけない

医療資源配分は、現場医療者の人格、善意、経験だけに委ねるべきではない。医師や看護師は、患者の状態を最も近くで見ている。呼吸状態、血圧、意識、検査値、苦痛、家族の不安、治療への反応を、その場で見ているのは現場である。だから、医療者の判断は不可欠である。しかし、誰を ICU に入れるか、誰に人工呼吸器を使うか、誰の治療を優先するかという判断は、単なる医学的判断ではない。そこには、限られた資源を複数の患者の間でどう配るかという制度的判断が含まれる。

この判断を、医療者個人の良心だけに背負わせることは危険である。医療者は本来、目の前の患者を助けるために働いている。その医療者に対して、基準がないまま「この患者を優先し、この患者を後に回せ」と判断させれば、治療者としての責任と配分者としての責任が衝突する。患者の側から見れば、なぜ自分や家族が後回しにされたのかが分かりにくい。医療者の側から見れば、誰かを助け、誰かを助けられなかったという重い経験を、個人の判断として抱え込むことになる。

基準がないまま現場に任せると、三つの問題が起こる。第一に、判断のばらつきが大きくなる。同じような状態の患者でも、病院、診療科、担当医、勤務時間、病床状況によって扱いが変わる可能性がある。第二に、説明可能性が下がる。判断の理由が記録されず、患者や家族にも、あとから検証する人にも分かりにくくなる。第三に、医療者の心理的負担が増える。本来は社会全体で引き受けるべき配分判断が、現場の個人に押しつけられるからである。

ここで必要なのは、現場の裁量をなくすことではない。患者の状態は一人ずつ違うため、完全に機械的な基準だけで医療はできない。必要なのは、裁量が働く範囲と、制度として決めておくべき範囲を分けることである。医学的状態の評価、治療への反応、本人の状況を読むことには現場の専門性が必要である。一方で、資源不足時にどの価値を優先するか、同程度の患者をどう扱うか、誰が判断に関与するか、判断をどう記録するかは、あらかじめ制度として定める必要がある。

AMA は、パンデミック時の倫理指針として、配分方針が事前に策定され、透明で、一貫して適用される必要を示している[19]。この考え方の重要な点は、危機が起きてからその場で判断を作るのでは遅いということである。感染症流行や災害が起き、病床や人工呼吸器が足りなくなってから、誰を優先するかを考え始めれば、判断は混乱しやすい。さらに、その場の恐怖、疲労、世論、家族からの圧力、施設ごとの余力が判断に入り込みやすくなる。

Nuffield Council on Bioethics も、COVID-19 期に、資源配分判断を個々の医療者に孤立して負わせるのではなく、全国的な指針が必要だと述べた[20]。これは、配分判断が個別病院の内部問題ではなく、社会全体の倫理問題であることを示している。ある病院では救命可能性を重視し、別の病院では先着順に近い運用をし、さらに別の病院では医療者個人の判断に委ねるなら、患者の扱いは偶然に左右される。どの地域に住んでいるか、どの病院に運ばれたか、どの医療者に当たったかで、命に関わる機会が変わってしまう。

制度要素 必要な理由 欠けた場合に起きる問題
事前基準 危機が起きる前に、どの価値をどの順序で考慮するかを共有できる。 場当たり的な判断になり、施設差、担当者差、圧力の影響が大きくなる。
透明性 患者、家族、医療者、社会が、配分方針の理由を理解しやすくなる。 判断が隠れているように見え、不信、不公平感、疑念が強くなる。
第三者性 治療チームだけでなく、配分判断を支える別の仕組みを置くことで、役割の衝突を減らせる。 目の前の患者を治療する責任と、他の患者との配分判断が同じ医療者に集中する。
記録 なぜその判断になったのかを、あとから確認し、検証できる。 判断理由が残らず、説明責任も改善も困難になる。
異議申し立て 判断に誤りや見落としがある場合に、修正の機会を持てる。 患者や家族が判断を受け入れるしかなくなり、制度への信頼が弱まる。
事後検証 配分基準が実際にどの集団へどのような結果をもたらしたかを確認できる。 基準の問題点が見えず、同じ不公平が繰り返される。

制度としてまず必要なのは、事前に定められた基準である。危機が起きてから場当たり的に決めると、判断は混乱しやすい。どの患者を優先するのか、重症度と救命可能性をどう組み合わせるのか、同程度の患者が複数いる場合にどう扱うのか、障害や慢性疾患をどう扱ってはならないのかを、あらかじめ整理しておく必要がある。事前基準は、現場を縛るためだけにあるのではない。現場が孤立しないためにある。

次に必要なのは、第三者性である。治療チームだけが配分判断を行うと、目の前の患者を助けたいという責任と、他の患者との間で資源を配る責任が同じ場所に集中する。これは医療者にとっても、患者にとっても苦しい。可能であれば、トリアージチーム、倫理委員会、院内の配分支援チームのように、治療に直接関わるチームとは別の仕組みが判断を支える方がよい。そうすることで、治療チームは患者へのケアに集中しやすくなり、配分判断の理由も共有しやすくなる。

記録と説明責任も不可欠である。資源不足時の判断は、その場で終わるものではない。なぜその患者を優先したのか、なぜ別の患者は後になったのか、どの情報を使ったのか、どの基準に基づいたのかを記録しなければ、あとから検証できない。記録がなければ、判断が正しかったかどうかだけでなく、基準そのものに問題があったかどうかも分からない。患者や家族にすべてを詳細に説明できない緊急状況はありうるが、それでも判断の根拠を残すことは、制度の最低条件である。

さらに、異議申し立てと事後検証が必要である。配分判断は誤りうる。患者の状態が変化することもあれば、初期情報が不十分だったことが後で分かる場合もある。障害や慢性疾患が不当に予後不良として扱われることもありうる。だからこそ、判断に疑義がある場合に確認できる手続きが必要である。また、危機が過ぎた後には、どの集団が不利になったのか、基準は一貫して運用されたのか、現場の負担はどうだったのかを検証し、次の基準に反映しなければならない。

この制度設計は、患者を軽んじるためのものではない。むしろ、患者への説明可能性を高めるために必要である。基準がないまま判断されるよりも、どのような理由で判断されたのかが示される方が、患者や家族は少なくとも判断の構造を理解できる。もちろん、納得できるとは限らない。資源不足時の判断は、どれほど丁寧に行っても痛みを伴う。しかし、説明できない判断は、痛みだけでなく不信も生む。

医療者を守ることも、患者を軽んじることではない。医療者が孤立した状態で配分判断を背負えば、疲弊、罪悪感、対立、燃え尽きが起こりやすくなる。医療者が支えられなければ、医療制度そのものも弱くなる。透明な制度を作ることは、患者に対する説明可能性を高め、医療者の恣意的判断を減らし、社会の信頼を支える。配分倫理は、個人の良心だけに依存してはならない。組織と制度の責任として設計される必要がある。

この章の結論は、医療資源配分の責任を、現場医療者だけに負わせてはならないということである。医療者の専門性は不可欠である。しかし、誰を優先するかという判断は、社会が医療制度として引き受けるべき問題である。事前基準、透明性、第三者性、記録、異議申し立て、事後検証がなければ、配分判断は不透明になり、患者の信頼も医療者の負担も守れない。医療資源配分は、現場の善意ではなく、制度としての説明責任によって支えられなければならない。


14. AI は配分判断を中立にしない

医療 AI が進むと、医療資源配分の判断も客観的になるように見える。重症化予測モデルを使えば、どの患者が悪化しやすいかを早く見つけられるかもしれない。予後予測を使えば、ICU や人工呼吸器によって助かる可能性を推定できるかもしれない。救急搬送の優先順位づけに AI を使えば、どの患者をどの病院へ送るべきかを迅速に判断できるかもしれない。待機リスト管理に AI を使えば、臓器移植や高額治療の候補者を効率よく整理できるかもしれない。このように見ると、AI は人間の感情、疲労、偏見、施設差を減らす道具に見える。

しかし、AI は価値判断を消す装置ではない。AI は、過去のデータ、目的関数、評価指標、閾値、モデルの設計に基づいて判断を補助する。どのデータを学習に使うのか、何を正解として扱うのか、どの結果を望ましいと見なすのか、どこから高リスクと判定するのかを、人間があらかじめ決めている。したがって、AI が出した結果は、価値判断の外側にある純粋な客観ではない。価値判断が、データや数式や点数の中に移されたものである。

医療資源配分に AI を使う場合、最初に問われるのは、何を最適化するのかである。救命数を最大化するのか。救える生命年を最大化するのか。最重症者を優先するのか。治療効果が見込める人を優先するのか。医療従事者のように他者の救命を支える役割を考慮するのか。地域差や所得差を補正するのか。障害や慢性疾患による不利益を避けるのか。目的が違えば、同じ患者データを使っても、配分の結論は変わる。AI が中立に答えを出すのではなく、何を目的に設定したかが答えを方向づける。

たとえば、ICU 入室の優先度を AI で予測するとする。退院まで生存する可能性だけを目的にすれば、短期的に回復しやすい患者が有利になる可能性がある。救命数を最大化する目的には合っているかもしれない。しかし、そのモデルが高齢者、障害者、慢性疾患患者を不利に扱うなら、公平性の問題が生じる。最重症者を優先する目的を入れれば、今まさに危険な状態の人を見落としにくくなるかもしれないが、治療効果が乏しい患者に資源が集中する可能性もある。AI の問題は、計算が正確かどうかだけではない。どの価値を計算の中心に置いたのかである。

さらに、過去の医療データには、過去の不平等が含まれている場合がある。医療機関へ早く到達できた人は、早期診断や継続治療を受けやすい。所得が高い人、都市部に住む人、医療情報を理解しやすい人、専門医へ接続しやすい人は、医療記録上も管理状態がよく見えるかもしれない。逆に、貧困、地域差、言語の壁、障害、慢性疾患、過去の医療アクセス不足によって治療が遅れた人は、データ上では予後が悪い人として現れる場合がある。このデータをそのまま学習すれば、AI は過去の不平等を未来の配分判断に持ち込む。

ここで起きているのは、AI が悪意を持って差別するという単純な話ではない。むしろ、AI は与えられたデータと目的に忠実に動く。問題は、そのデータと目的の中に、すでに不公平が含まれていることである。過去に十分な医療を受けられなかった人が悪い結果を持つ患者として記録され、その記録をもとに AI が「治療効果が低い」と予測するなら、社会的不利が医学的予測の形で再生産される。数字になった瞬間に公平になるわけではない。

要素 AI が行うこと 入り込む価値判断 配分倫理上の危険
学習データ 過去の診療記録、検査値、入院歴、治療結果をもとに予測を作る。 過去に誰が医療へ到達できたか、どの集団が十分に治療されたかが反映される。 過去の医療アクセス差や社会的不平等を、将来の優先順位へ持ち込む可能性がある。
目的関数 何を良い結果と見なしてモデルを最適化するかを決める。 救命数、生命年、重症者救済、公平性、医療制度維持のどれを重視するかが入る。 目的の設定次第で、同じ患者でも優先順位が変わる。
評価指標 モデルがどれだけよいかを、精度、感度、特異度、公平性指標などで評価する。 全体の精度を重視するのか、特定集団への誤判定を減らすのかが問われる。 全体精度が高くても、少数者や不利な集団に対して誤りが集中する場合がある。
閾値 どの点数以上を高リスク、どの点数以下を低優先とするかを決める。 どの程度の見逃しや過剰判定を許容するかが入る。 閾値の設定によって、治療機会から外れる人の範囲が変わる。
運用責任 AI の結果を、医師、病院、行政、委員会が実際の配分判断に使う。 AI の提案をどこまで従うべきものとするか、人間がどこで介入するかが問われる。 AI が出したから仕方ないという形で、責任の所在が曖昧になる。

この表が示しているのは、AI の判断が多層的な設計の上に成り立つということである。学習データは、過去の医療の履歴を持ち込む。目的関数は、何をよい配分と見なすかを決める。評価指標は、どの失敗を重く見るかを決める。閾値は、誰を対象に入れ、誰を外すかを決める。運用責任は、その判断を誰が引き受けるかを決める。どの層にも、技術だけではなく倫理が含まれている。

医療資源配分に関する公平な Cox モデルの研究は、予測モデルを待機リストや資源配分に使う場合、人口統計的属性に基づく有害なステレオタイプから独立した公平性を考える必要があると示している[21]。Cox モデルとは、時間の経過とともに死亡や再発などの事象が起こるリスクを分析する統計モデルであり、医療では予後予測に使われることがある。こうしたモデルを配分に使うなら、単に予測精度が高いだけでは足りない。どの集団に対して、どのような誤りを生んでいるのかを見なければならない。

また、ワクチン、人工呼吸器、抗ウイルス薬の配分を市場設計の観点から扱う研究は、従来の優先順位方式が公平性を取りこぼしうることを示し、予約枠のような制度設計で倫理的価値を残す方法を検討している[22]。ここで重要なのは、配分問題が単に「誰の点数が高いか」ではなく、制度の形そのものによって結果が変わるという点である。優先順位表を作るだけでは、情報格差、予約競争、地域差、アクセスの偏りを十分に補正できない場合がある。AI や数理モデルを使う場合でも、制度設計と切り離して考えることはできない。

AI が配分判断を補助すること自体を否定する必要はない。人間の判断には、疲労、経験差、記憶の限界、施設差、感情的圧力がある。AI は、大量のデータを処理し、リスクを早く検出し、判断のばらつきを減らす可能性を持つ。救急搬送先の選定、重症化予測、病床管理、待機リストの整理では、AI が実務を支える余地はある。しかし、AI が使えることと、AI に配分判断を委ねてよいことは同じではない。

医療資源配分で AI を使う場合、少なくとも四つの問いを明示しなければならない。第一に、何を目的にしているのかである。第二に、どのデータを使い、そのデータにどのような偏りがあるのかである。第三に、どの集団にどのような結果をもたらしているのかである。第四に、AI の出力に対して、誰が責任を持つのかである。これらを明示しないまま AI を使うと、判断は客観化されるのではなく、ブラックボックス化される。

特に危険なのは、「AI がそう判定した」という言い方が、説明責任を弱めることである。患者や家族にとって重要なのは、AI が何点を出したかだけではない。なぜその点数になったのか、その点数がどの基準に基づいているのか、異議申し立てや見直しの余地があるのか、人間の医療者や委員会がどこで責任を持つのかである。AI が使われるほど、むしろ説明責任の設計は重要になる。そうしなければ、配分判断は中立になるのではなく、誰も責任を取らない判断になる。

既稿「医療 AI と人間の判断」でも、医療 AI は責任の所在を曖昧にしやすく、人間の判断を単純に置き換えるものではないと整理した[23]。本稿の文脈では、その問題が資源配分にさらに鋭く現れる。診断支援 AI の誤りも重大であるが、資源配分 AI の判断は、誰が治療機会を得て、誰が後回しになるかに直接関わる。したがって、AI を使うほど、目的、データ、基準、責任の所在を明確にしなければならない。

この章の結論は、医療 AI が配分判断を中立にするわけではないということである。AI は、価値判断を消すのではなく、価値判断をデータ、目的関数、評価指標、閾値、運用ルールの中に埋め込む。だからこそ、AI を使う場合には、どの価値を最適化しているのか、どの不平等を引き継いでいるのか、どの集団に不利益を出しているのか、誰が最終責任を負うのかを確認しなければならない。医療資源配分における AI は、倫理の代替物ではなく、倫理的検証をさらに必要とする道具である。


15. 先端医療は、治療の希望であると同時に配分の問題でもある

ここでは先端医療そのものの安全性や是非ではなく、それらが公的医療制度に入るときに生じるアクセスの偏りを扱う。

先端医療は、病気を治す可能性を広げる。ゲノム編集、個別化医療、遺伝子治療、再生医療、細胞治療、老化制御技術は、これまで治療が難しかった病気に対して、新しい選択肢を生み出す。これは医学的には大きな希望である。従来の薬では届かなかった原因に働きかける。患者の遺伝的特徴や病気の分子レベルの違いに合わせて治療を選ぶ。傷んだ組織や失われた機能を再建する。老化に伴う機能低下を遅らせる。こうした技術は、医療ができることの範囲を広げる。

しかし、医療ができることが増えるほど、別の問いが強くなる。それは、誰がその利益を受けられるのかという問いである。技術が存在することと、その技術へ公平にアクセスできることは同じではない。ある治療法が研究室や専門病院で可能になっても、すぐに多くの患者が利用できるとは限らない。先端医療は、高額になりやすく、専門施設に集中しやすく、熟練した医療者を必要とし、長期フォローアップを伴いやすい。したがって、技術が進むほど、治療の可能性だけでなく、配分の問題も大きくなる。

ここでいう配分の問題は、単に医療費が高いという話ではない。先端医療では、複数の資源が同時に不足しうる。治療薬や細胞製剤そのものが高額である。遺伝子検査、画像検査、専門的な診断、適応判定にも費用と人員が必要になる。治療を実施できる施設は限られる。治療後も、副作用、効果の持続、再発、晩期合併症を長く追う必要がある。つまり、先端医療は、薬剤費だけでなく、検査、施設、人員、データ管理、長期観察を含む医療資源の束として存在する。

個別患者から見ると、先端医療は切実な希望になりうる。標準治療が効かなかった患者にとって、遺伝子治療や個別化医療は、残された数少ない選択肢かもしれない。希少疾患の患者にとって、原因遺伝子に働きかける治療は、病気の進行を変える可能性を持つかもしれない。再生医療は、失われた機能の回復を期待させるかもしれない。老化制御技術は、単に寿命を延ばすだけでなく、要介護期間や慢性疾患の負担を減らす可能性を持つかもしれない。だから、これらを単に「高いから問題だ」と片づけることはできない。

一方で、制度全体から見ると、先端医療は新しい配分問題を生む。ある治療が非常に高額で、実施できる施設も限られ、対象患者の選定にも高度な検査が必要である場合、その治療は自然に限られた人へ集中しやすい。専門施設へ到達できる人、診断までたどり着ける人、情報を集められる人、交通費や休職に耐えられる人、家族や職場の支援がある人が有利になる。逆に、地方在住者、低所得者、医療情報へアクセスしにくい人、介護責任を抱える人、診断まで時間がかかった人は、技術が存在していてもそこへ到達しにくい。

既稿「ゲノム編集はどこまで許されるのか」では、ゲノム編集が治療から設計へ滑る危険を扱った[24]。病気を治すための編集と、望ましい能力や特徴を作るための編集は、同じ技術の延長線上に置かれることがある。安全性、有効性、本人の同意、将来世代への影響が十分に検討されないまま、治療の名で設計に近い利用が広がる危険がある。この論点は、今回の配分問題とも接続する。もしゲノム編集が高額で、一部の人だけが利用できるなら、治療と設計の境界だけでなく、誰が生命条件を変えられるのかという公平性も問われる。

既稿「治療と強化の境界はどこにあるのか」では、同じ技術でも、目的、対象、必要性、リスク、本人の同意、社会的圧力、利用できる人の偏りによって、治療にも強化にも見えることを整理した[25]。この視点は、先端医療の配分問題で重要である。たとえば、ある技術が病気の人に使われる場合は治療に見える。しかし、健康な人の能力や外見や老化速度を変えるために使われるなら、強化に近づく。さらに、その技術を使える人が富裕層に偏るなら、医療は病気を治す制度であるだけでなく、社会的優位をさらに強める制度にもなりうる。

ここで問題になるのは、技術そのものの善悪だけではない。ある技術が有効であっても、それを誰が使えるのか、どこまで公費で支えるのか、標準医療に入れるのか、自由診療として市場に任せるのかによって、社会的意味は変わる。公的医療制度に入れば、経済力にかかわらず利用しやすくなるが、財政負担は大きくなる。自由診療に任せれば、公的財政への負担は抑えられるかもしれないが、利用できる人は経済力のある人に偏る。研究段階にとどまれば、安全性管理はしやすいかもしれないが、患者にとっては治療機会が遅れる。どの選択にも利益と不利益がある。

技術領域 治療としての希望 配分上の問題 問われる基準
ゲノム編集 病気の原因に近い遺伝的要因へ直接働きかけられる可能性がある。 高額化、専門施設への集中、生殖系列利用や強化利用への拡張が問題になる。 治療目的か、設計や強化に近い利用か、安全性と世代影響をどう評価するかが問われる。
個別化医療 患者の遺伝的特徴、病気の分子型、治療反応に応じて治療を選べる。 検査へ到達できる人とできない人の差、専門医への接続、データ利用の偏りが問題になる。 診断機会、検査費用、情報アクセス、対象患者の選定をどう公平にするかが問われる。
遺伝子治療 希少疾患や難治性疾患で、病気の進行を大きく変える可能性がある。 非常に高額になりやすく、長期効果や安全性の不確実性が残りやすい。 希少性、重症度、代替治療の有無、不確実性をどこまで公的制度で引き受けるかが問われる。
再生医療 失われた組織や機能を修復し、従来治療では難しかった回復を期待できる。 専門施設、細胞加工、品質管理、長期フォローアップが必要になり、提供体制が限られやすい。 安全性、実施施設の条件、対象患者の選定、治療後の管理をどう制度化するかが問われる。
老化制御 慢性疾患、要介護、機能低下を遅らせ、健康寿命を延ばす可能性がある。 治療と強化の境界が曖昧になり、利用できる人の偏りが健康格差を拡大する可能性がある。 病的老化の治療なのか、健康な人の能力維持や延長なのか、どこまで公的に支えるかが問われる。

この表が示しているのは、先端医療が単に新しい治療法の集合ではないということである。それぞれの技術は、医学的な希望を持つ一方で、配分上の問題を抱えている。ゲノム編集では、治療と設計の境界が問われる。個別化医療では、検査や専門医へ到達できるかが問われる。遺伝子治療では、希少疾患をどこまで高額な公的支援の対象にするかが問われる。再生医療では、実施施設と長期管理をどう整えるかが問われる。老化制御では、病気の治療なのか、能力維持や強化なのかが問われる。

先端医療が自由診療や市場に大きく委ねられる場合、アクセスの差は拡大しやすい。富裕層だけが早く検査を受け、新しい治療を試し、専門施設へ移動し、長期フォローアップを受けられるなら、生命や健康の格差は大きくなる。医療は、本来なら病気や障害によって生じた不利を和らげる制度である。しかし、先端医療へのアクセスが経済力に依存しすぎると、医療が不利を和らげるのではなく、もともとの社会的有利をさらに強める方向に働く。

逆に、先端医療をすべて公費で支えようとすれば、制度全体の持続可能性が揺らぐ。対象患者が少ない治療でも、一人あたりの費用が非常に高ければ、保険財政への影響は大きくなる。対象が広がる技術であれば、さらに影響は大きい。老化制御のように、将来的に多くの人が利用を望む可能性のある技術では、どこまでを病気の治療として支え、どこからを本人負担や市場に委ねるのかを決めなければならない。希望が大きい技術ほど、配分の基準を曖昧にしたまま広げることは危うい。

この問題は、先端医療の普及段階ごとに形を変える。研究段階では、安全性と有効性が主な論点になる。承認直後には、対象患者をどう選ぶか、どの施設で実施するか、価格をどう設定するかが問題になる。保険収載や標準治療化の段階では、どこまで公費で支えるか、既存治療とどう比較するかが問われる。さらに普及した後には、地域差、情報格差、専門施設への集中、長期フォローアップの負担が問題になる。技術は、開発された瞬間ではなく、社会に入っていく過程で配分問題を生む。

したがって、先端医療を評価するときには、「効果があるか」だけでは足りない。誰を対象にするのか。どの施設で提供するのか。どの検査を前提にするのか。どれだけの費用を公的制度で支えるのか。自由診療として利用される場合、格差をどう扱うのか。治療後のフォローアップを誰が担うのか。長期的な副作用や効果の不確実性を、患者、医療機関、企業、公的制度のどこが引き受けるのか。これらを合わせて考えなければ、先端医療は技術的には成功しても、制度的には不公平を生む。

この章の結論は、先端医療が科学の問題であると同時に、配分の問題でもあるということである。病気を治せる可能性が広がることは、医療にとって大きな前進である。しかし、治療可能性が広がるほど、医療倫理は「何ができるか」だけでなく、「誰がその利益を受けられるか」を問わなければならない。先端医療は希望である。しかし、その希望が一部の人にだけ届くなら、医療は新しい格差を作る。技術の進歩を公正な医療にするためには、有効性、安全性、費用、アクセス、公的支援、長期責任を一体として設計する必要がある。


16. 終末期医療とは、似ているが中心が違う

医療資源配分の問題は、終末期医療と接続する。ICU、人工呼吸器、延命治療、緩和ケア、治療中止の判断は、しばしば同じ医療現場に現れる。重い病気の患者が集中治療を受けるかどうか。人工呼吸器を使い続けるかどうか。本人が望まない延命治療を避けるかどうか。苦痛を和らげる医療へ移るかどうか。これらは、終末期医療の問題であると同時に、医療資源の使い方とも関係するように見える。そのため、二つの問題は混ざりやすい。

しかし、終末期医療と医療資源配分は、中心にある問いが違う。終末期医療で問われるのは、本人がどのような医療を望むのか、どのような延命を望まないのか、苦痛をどう緩和するのか、死に向かう過程をどのように支えるのかである。ここでは、本人の意思、尊厳、苦痛、家族との共有、医療者の説明が中心になる。一方、医療資源配分で問われるのは、複数の患者の間で、限られた ICU、人工呼吸器、病床、薬剤、医療者の時間をどう使うかである。ここでは、必要性、緊急性、治療効果、公平性、制度の透明性が中心になる。

この違いは、具体例で見ると分かりやすい。ある患者が、病気の末期にあり、本人が人工呼吸器による延命を望まないと表明している場合、その判断の中心は本人の意思である。本人が望まない治療を避け、苦痛の緩和を重視することは、本人の尊厳を守るための医療である。これは、人工呼吸器を節約するために治療を控えるという話ではない。本人にとって望ましくない医療を行わないという話である。

これに対して、人工呼吸器が不足し、複数の患者が同時に必要としている場合、問題の中心は別のところにある。どの患者も人工呼吸器による治療を望み、医学的にも必要としているかもしれない。それでも人工呼吸器が足りなければ、誰に使うかを決めなければならない。このとき問われるのは、本人が死を選ぶかどうかではない。限られた生命維持資源を、複数の患者の間でどのように配分するかである。

既稿「人は自分の死をどこまで決めてよいのか」では、望まない延命治療の拒否、緩和ケア、尊厳死、安楽死、assisted dying を区別し、死の自己決定を段階的に整理した[26]。そこで扱った中心は、本人が自分の終末期医療にどこまで関与できるのか、本人の意思をどこまで尊重すべきか、苦痛をどう扱うべきかであった。今回の主題は、その議論と接続しながらも、焦点が異なる。本人の意思を中心に置く倫理から、制度が治療機会をどう配るかという倫理へ移る。

領域 中心になる問い 主な判断軸 混同すると起きる問題
終末期医療 本人はどのような治療を望み、どのような延命を望まないのか。 本人の意思、苦痛、尊厳、緩和ケア、家族との共有、医療者の説明。 本人が望まない治療を避ける判断が、資源節約のための切り捨てであるかのように誤解される。
医療資源配分 限られた治療機会を、複数の患者の間でどう配るのか。 必要性、緊急性、効果、公平性、制度の透明性、説明責任。 資源不足による配分判断が、本人の死の自己決定であるかのように誤解される。
接点 延命治療や ICU の利用が、本人の意思と資源制約の両方に関わる場合がある。 本人の意思確認、医学的適応、治療効果、資源制約、代替ケアの確保。 自己決定と制度的公平性が混ざり、患者の意思も配分基準も不透明になる。

この表が示しているのは、終末期医療と医療資源配分が重なる場面を持ちながら、同じ問題ではないということである。終末期医療では、本人にとって望ましい医療とは何かが問われる。本人が苦痛の少ないケアを望むのか、延命治療をどこまで望むのか、家族とどのように意思を共有するのかが重要になる。医療資源配分では、複数の患者が同時に治療を必要としているとき、限られた資源をどの基準で使うのかが問われる。

この違いを明確にしないと、二つの誤解が生じる。第一に、本人が望まない延命治療を避けることが、資源節約のために命を切り捨てることのように見えてしまう。これは誤りである。本人が望まない医療を避けることは、本人の意思と尊厳を尊重する判断であり、資源配分のための判断ではない。もちろん結果として医療資源の使用が減る場合はある。しかし、そのことが判断の目的になってはならない。

第二に、資源不足によって治療機会を配分することが、本人の死の自己決定のように見えてしまう。これも誤りである。人工呼吸器が不足している場面で、ある患者が人工呼吸器を受けられない場合、それは本人が死を選んだという意味ではない。本人が望んでいても、資源が足りないために配分判断が必要になったということである。この判断は、本人の自己決定ではなく、制度の責任として説明されなければならない。

この区別は、患者を守るためにも重要である。終末期医療を資源配分の問題として扱いすぎると、本人の意思が見えにくくなる。患者が本当に延命治療を望んでいないのか、それとも資源不足の圧力の中で遠慮しているのかを区別しにくくなる。逆に、資源配分をすべて本人の意思の問題として扱うと、制度が行っている優先順位づけが見えなくなる。医療資源が足りないことによる判断を、患者や家族の選択に見せかけてはならない。

生命倫理には、少なくとも二つの軸がある。一つは、本人が自分の生と死に関わる医療をどう決めるかという軸である。ここでは、同意、拒否、意思決定能力、家族との共有、苦痛の緩和、尊厳が問題になる。もう一つは、社会が限られた医療資源をどう配るかという軸である。ここでは、必要性、効果、緊急性、公平性、透明性、説明責任が問題になる。二つは接続するが、同じではない。

本稿が扱っているのは、後者である。医療資源配分は、本人の死の自己決定を中心にした議論ではない。複数の患者が医療を必要とし、しかし資源が限られているとき、制度がどのように治療機会を配るのかを問う議論である。終末期医療との接点はある。しかし、本稿の焦点は、本人が死をどこまで決められるかではなく、社会が生命に関わる医療資源をどのように配分するのかにある。


17. 問うべきなのは、優先順位をつけるかではなく、どう正当化するかである

命に優先順位をつけることは、できれば避けたい。この抵抗感は、医療資源配分を考えるうえで軽く扱ってはならない。人間の命に高い命と低い命があるかのように聞こえるからである。誰かを先に治療し、誰かを後に回すという言い方は、それだけで不穏である。医療は本来、病気やけがをした人を助けるためにある。そこに順位や配分という言葉が入ると、医療が人間を選別する制度になってしまうのではないかという不安が生じる。

しかし、ここまで見てきたように、医療資源は無限ではない。臓器は不足する。ICU は満床になる。人工呼吸器は同時にすべての患者へ使えない。ワクチンは初期供給が限られる。高額治療は保険財政に影響する。専門施設、医療者の時間、救急搬送、検査体制、長期フォローアップも有限である。したがって、医療制度は、理念としてはすべての患者を救おうとしながら、現実には限られた資源の中で治療機会を配らなければならない。

このとき、優先順位を明示しなければ問題が消えるわけではない。基準を作らなくても、配分は起きる。先着順、地域差、経済力、情報格差、施設差、専門医への接続、家族支援の有無、現場の偶然が代わりに働く。早く病院に到達できる人、情報を早く得られる人、費用を負担できる人、都市部に住む人、支援者がいる人が有利になる。これは中立ではない。見えない優先順位である。

したがって、医療資源配分の倫理は、命の価値に順位をつけるために必要になるのではない。むしろ、命の平等を損なわないために必要になる。資源不足がある以上、誰かが先になり、誰かが後になる場面は避けられない。そのとき、判断が偶然、声の大きさ、経済力、地域差、医療者個人の負担だけで決まらないようにする。配分倫理の役割は、避けられない優先順位を、できるだけ透明で、説明可能で、検証可能な制度へ変えることである。

ここで重要なのは、「優先順位をつけること」と「人間の価値に順位をつけること」を最後まで混同しないことである。人格の価値は比較できない。高齢者、障害者、慢性疾患患者、貧困状態にある人、社会的に目立たない人の命が軽くなるわけではない。一方で、医学的必要性、治療効果、緊急性、資源の不足度、公平性、社会機能維持は、資源配分の場面で評価せざるを得ない。正当化される配分は、人格の平等を前提にしたうえで、資源の使い方を説明するものでなければならない。

条件 意味 欠けた場合に起きる問題
人格の平等 すべての患者を、同じ尊厳を持つ存在として扱う。 年齢、障害、職業、社会的地位、経済力によって命の価値を序列化する危険がある。
医学的必要性 治療しなければどれほど深刻な結果になるかを評価する。 切迫した患者や重症患者が、制度の中で見落とされる可能性がある。
治療効果 その資源を使うことで、救命、回復、重症化防止がどれほど見込めるかを評価する。 限られた資源が、ほとんど効果の見込めない使われ方をしてしまう可能性がある。
差別の回避 基準が高齢者、障害者、慢性疾患患者、低所得者、地方在住者を不当に不利にしないかを検証する。 医学的に見える基準が、既存の社会的不平等を再生産する可能性がある。
透明性 どの基準で判断するのかを、患者、医療者、社会が理解できる形にする。 判断が隠れているように見え、不信、不公平感、疑念が強くなる。
記録と説明責任 なぜその判断になったのかを後から確認し、検証できるようにする。 誤りや偏りがあっても検証できず、同じ問題が繰り返される。
制度的責任 現場医療者だけに判断を背負わせず、組織と社会が配分基準を引き受ける。 医療者個人に過大な心理的負担がかかり、患者側から見ても判断理由が不透明になる。
見直し 実際の結果を検証し、基準が不公平を生んでいれば修正する。 一度作った基準が固定され、状況変化や不利益の発生に対応できなくなる。

この表に示した条件は、配分判断を完全に苦痛のないものにするわけではない。どれほど基準を整えても、資源が足りない場面では、治療を受けられない人が出る。患者や家族にとって、その判断は耐えがたいものになりうる。医療者にとっても、基準があるから苦悩が消えるわけではない。しかし、基準がなければ、その苦痛に加えて、不透明さ、不信、恣意性、責任の押しつけが加わる。制度化は、つらい判断をなくすためではなく、つらい判断を恣意的にしないために必要である。

また、正当化とは、一度だけ理由を示せば終わるものではない。配分基準は、実際に運用されて初めて問題点が見える。救命可能性を重視した基準が、障害者や慢性疾患患者を不利にしていないか。先端医療の公的支援が、都市部や情報を持つ人に偏っていないか。ワクチン配分が、制度につながりにくい高リスク者を取り残していないか。AI を使った予測が、過去の医療アクセス差を再生産していないか。こうした結果を確認し、必要に応じて修正することまで含めて、配分判断の正当化である。

この意味で、配分倫理は単なる非常時の例外ルールではない。平時には、予約、紹介、待機リスト、保険収載、薬価、診療報酬、専門施設への集約という形で配分が行われている。危機時には、ICU、人工呼吸器、ワクチン、救急搬送、医療物資という形で配分が露出する。高額治療や先端医療では、公費負担、保険財政、自由診療、アクセス格差という形で配分が問われる。医療が有限な制度である限り、配分は常に存在している。

したがって、問うべきなのは「命に優先順位をつけてよいのか」だけではない。この問いは重要だが、そのままでは問題を十分に捉えられない。より正確には、「医療資源が有限である社会で、命の平等を守りながら、どのような基準と手続きで治療機会を配分できるのか」を問う必要がある。優先順位を一切認めないと言うだけでは、暗黙の優先順位を放置することになる。優先順位を認めるだけでは、人間の価値を序列化する危険がある。必要なのは、その間に制度的な正当化を置くことである。

本稿で扱ってきた臓器移植、ICU、人工呼吸器、ワクチン、高額治療、希少疾患治療、先端医療、AI による配分支援は、それぞれ異なる場面に見える。しかし、背後には共通する構造がある。資源は有限であり、必要としている人は複数いる。単一の原則では処理できず、必要性、効果、公平性、緊急性、弱者への配慮、社会機能維持が衝突する。基準を作らなければ、偶然や格差が配分を決める。基準を作っても、それが不平等を再生産しないかを検証しなければならない。

結論は、命に順位をつける倫理ではない。命の平等を空語にしないために、有限な医療資源の配分を制度として引き受ける倫理である。医療資源配分は、命を軽く扱うための議論ではない。すべての命が等しく尊いという前提を、資源が足りない現実の中でどう守るかを問う議論である。だからこそ、優先順位をつけるかどうかではなく、どのような条件なら、その優先順位を社会に対して正当化できるのかを問い続けなければならない。


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