同じ自分は連続性だけでは決まらない

人は昨日と今日で変わっている。身体状態は変化し、記憶は増減し、知識は更新され、価値観や判断基準も時間とともに組み替わる。それでも通常は、昨日の自分と今日の自分を同じ人物として扱う。変化が起きているにもかかわらず同一人物として追跡できるなら、「同じ」であることは、状態が変化しないことだけでは説明できない。

既稿「自己を『構造』として定義し直す」では、自己を固定的な実体として置く代わりに、状態と因果連鎖を持つ構造として表した[1]。そこで導入した「連続同一性」は、状態が変化しても因果連鎖が切れなければ、前後を一つの自己の持続として追跡できるという考え方だった。このモデルによって、自己を構成する物質や心理状態が変化しても、過去から現在までの生成履歴を失わずに自己の持続を記述できる。

ただし、ここには二つの異なる問いが含まれている。一つは、ある状態が過去の状態からどのように生じたかという「連続性」の問いである。もう一つは、二つの時点に現れる人物が数的に同じ一人であるかという「同一性」の問いである。個人同一性論では、時間を通じた持続、心理的連続性、因果的連続性、数的同一性は区別して扱われる[2]。一本道の人生ではこれらが同じ方向を向くため区別が表面化しにくいが、一つの履歴から複数の後続が生じる状況では、連続性と同一性が別の関係であることが明確になる。

本稿で扱うのは、この区別である。固定的な自己実体を仮定しなくても、身体、記憶、心理、因果関係の変化を含む持続は記述できる。一方、その持続を支える関係をそのまま数的同一性と呼ぶには、前後が一対一で対応するという追加条件が必要になる。「同じ自分」という一語の中に、状態の類似、因果的な由来、心理的な継承、数的同一性をまとめると、どの条件によって自己を追跡しているのかが見えなくなる。


1. 前稿の連続同一性を問い直す

既稿では、自己を状態 \(S\) と因果連鎖 \(C\) の組として表した[1]。

\[
\mathrm{Self}=(S,C)
\]

\(S\) は、ある時点での身体状態、記憶、知識、心理状態、価値判断などを含む現在状態を表す。\(C\) は、その状態が過去の状態からどのように生成されてきたかという因果的な履歴を表す。この二つを分けた理由は、現在状態の一致と、同じ履歴を持つことが別の条件だからである。

たとえば、20 年前の人物を \(x_{t_0}\)、現在の人物を \(x_{t_1}\) と置く。20 年の間には身体が変化し、新しい記憶が蓄積され、忘却も起こり、知識や判断基準も変わる。そのため、各時点の状態をベクトルとして比較すれば、通常は一致しない。

\[
x_{t_0}\neq x_{t_1}
\]

ここでの \(\neq\) は、20 年前と現在が別人であることを表していない。比較しているのは人物そのものではなく、二時点における状態である。身長、体重、神経状態、記憶内容、知識、感情傾向、社会的役割などを成分として持つなら、20 年を隔てた状態ベクトルが一致しないことは自然である。

この区別を入れずに「同じ人物なら同じでなければならない」と考えると、成長や学習そのものが同一性を壊すことになる。昨日知らなかった知識を今日獲得しただけでも状態は変わる。怪我から回復しても身体状態は変わる。考え方を修正しても心理状態は変わる。状態一致を人物同一性の条件にすると、変化を経験する対象について時間的な持続をほとんど記述できなくなる。

そこで既稿では、状態そのものよりも前後を接続する因果連鎖 \(C\) を重視した。現在の記憶が過去の経験によって形成され、現在の身体が過去の身体状態から連続的に変化し、現在の判断傾向が過去の学習や経験を引き継いでいるなら、状態が変わっていても一つの履歴として追跡できる。

時間発展を単純化すれば、

\[
x_{t_0}
\xrightarrow{F_{t_0}}
x_{t_1}
\xrightarrow{F_{t_1}}
x_{t_2}
\xrightarrow{}
\cdots
\xrightarrow{}
x_{t_n}
\]

と表せる。\(F_t\) は、ある時点の状態から次の状態を生じさせる変換である。身体なら代謝、成長、損傷、回復が含まれる。心理状態なら経験、記憶、学習、忘却が含まれる。社会的状態なら就職、退職、婚姻、役割変更なども含まれる。それぞれの変換によって状態 \(x_t\) は変わるが、前の状態から後の状態への生成関係は履歴として残る。

このモデルでは、持続を説明するために、すべての時点で共通する不変の状態 \(x^\*\) を置く必要がない。

\[
x_{t_0}=x^\*
,\quad
x_{t_1}=x^\*
,\quad
\ldots
,\quad
x_{t_n}=x^\*
\]

という状態一致を要求する代わりに、

\[
x_{t+1}=F_t(x_t)
\]

という生成関係を保存する。何も変化しなかったことではなく、どの変化を経て現在に至ったかを追跡することで持続を表現する。この点が、既稿で「連続同一性」と呼んだモデルの中心だった。

この考え方は、日常的な人物追跡とも整合する。20 年前の写真と現在の人物は外見が異なっていても、出生記録、身体の時間的連続、生活履歴、記憶、社会的記録などを通じて一人の人物として追跡される。逆に、現在の人物と完全に同じ外見や記憶を持つ複製が突然現れたとしても、似ているという理由だけで過去の履歴まで共有したことにはならない。状態の類似性と履歴の連続性は異なる。

Locke の人格同一性論は、この問題を身体や物質の同一性だけから切り離し、意識が過去の行為や思考へ及ぶことを人格同一性の議論へ組み込んだ[3]。Locke の立場をそのまま本稿のモデルへ置き換える必要はないが、人格の持続条件を「同じ物質が保存されているか」だけでは決められないという論点は共通している。何を保存条件とするかによって、「同じ人物」という判断の意味が変わる。

時間を通じた同一性一般についても、同じ緊張がある。対象が本当に変化するなら、時点ごとの性質は異なる。一方、前後に同じ対象が存在すると考えなければ、「その対象が変化した」という文自体が成立しにくい。時間的同一性の議論では、この「変化すること」と「持続すること」を両立させる条件が問題になる[4]。

関係 何を保存条件とするか 説明できること 境界条件
状態一致 二時点の状態が同じ値を持つことを要求する。 変化がほとんどない対象の一致を判定できる。 成長、学習、老化など通常の時間変化によって条件を満たさなくなる。
構造類似性 身体、記憶、心理などの重要な構造が十分に似ていることを要求する。 状態の一部が変化しても類似した構造を追跡できる。 同じ構造を持つ複製が複数存在すると、一意な人物を決められない。
心理的連続性 記憶、意図、信念、性格などが時間を通じて接続されることを要求する。 自己理解や人格がどの程度引き継がれているかを記述できる。 記憶喪失や複製、分岐では、数的同一性との対応が一意にならない。
因果的連続性 後の状態が前の状態から因果的に生成された履歴を要求する。 状態変化を含んだ一連の更新過程を追跡できる。 一つの状態から複数の後続が生成される場合、複数の系列へ成立し得る。
数的同一性 二時点に現れる対象が数の上で一つの同じ対象であることを要求する。 権利、責任、所有、人物追跡のように一意な主体を必要とする判断へ使える。 一人の過去から複数の後続へ同時に成立する一対多の関係にはできない。

この表で区別すべきなのは、各関係が互いに排他的だということではない。通常の人生では、構造類似性、心理的連続性、因果的連続性、数的同一性が同じ人物について重なって成立する。そのため日常的には「同じ自分」という一つの表現で十分に扱える。

一方、それぞれの条件が別々に崩れる事例を考えると、同じ変数として扱えないことが分かる。記憶の一部を失っても身体と生活履歴は続く。外見や記憶を精密に複製しても、元の人物との因果的履歴まで同じにはならない。一つの過去から複数の後続が生じれば、因果的連続性は複数の系列へ伸び得るが、数的同一性には一意性が要求される。

このため、既稿の「連続同一性」という語は、少なくとも二つの働きを含んでいた。一つは、状態が変化しても履歴を追跡できるという因果的連続性である。もう一つは、その履歴を一人の同じ人物として扱うという数的同一性である。一本道の通常状態では両者が一致するため、区別しなくてもモデルは機能する。しかし理論上の保存条件を明確にするには、前者を因果的連続性として独立させる必要がある。

既稿の構造モデルから残る核心は、自己の持続を状態の不変性へ還元しなくてよいという点にある。そのうえで、因果的に続いていること、心理的に続いていること、構造が似ていること、数的に同じ一人であることを別々の関係として記述する。これによって、自己が変化しながら持続するという日常的な事実を保ったまま、「同じ」と呼ぶときに何を保存条件としているのかを明示できる。


2. 同一性と連続性は別の関係である

「同じ」という語は、性質の一致、構造の類似、履歴の継続、数的同一性という異なる関係を一つにまとめやすい。二つの製品が同じ型である場合、二つの画像が同じ内容を持つ場合、昨日と今日の人物が同じ人である場合では、保存されているものが異なる。個人同一性を考えるには、この違いを分けて記述する必要がある。

二時点の人物状態 \(x_t\) と \(x_{t+1}\) について、構造的な近さを \(\sigma\)、因果的な接続を \(C\)、心理的な接続を \(P\)、数的同一性を \(N\) と置く。

\[
\sigma(x_t,x_{t+1}),\qquad
C(x_t,x_{t+1}),\qquad
P(x_t,x_{t+1}),\qquad
N(x_t,x_{t+1})
\]

ここで四つの記号を置く目的は、すべてを同じ尺度で測ることではない。\(\sigma\) は身体構造、記憶配置、判断傾向などがどの程度似ているかを表す。\(C\) は後の状態が前の状態から実際に生成されたという履歴を表す。\(P\) は記憶、意図、信念、性格などの心理的特徴が時間を通じてどの程度つながっているかを表す。\(N\) は類似度ではなく、「二つの時点に現れる人物が数の上で一人の同じ人物である」という関係を表す。

通常の人生では、この四つは同じ方向を向きやすい。昨日の人物から今日の人物が因果的に生じ、記憶や性格の多くが継承され、身体構造も急激には変わらない。そのため、

\[
\sigma\approx 1,\qquad
C=1,\qquad
P\approx 1,\qquad
N=1
\]

という状態を想定できる。ここで \(\sigma\approx1\) と \(P\approx1\) は、高い類似性や連続性を模式的に表している。日常では各条件が重なるため、「昨日と今日で同じ自分」という一つの表現だけで支障が生じにくい。

しかし各条件は別々に変化する。大きな記憶喪失が起これば心理的連続性 \(P\) は低下し得るが、その人物の身体と生活履歴が連続しているなら因果的連続性 \(C\) は維持される。反対に、ある人物の記憶や判断傾向を精密に複製した存在を作れば構造類似性 \(\sigma\) と心理的類似性は高くできるが、複製前から続く一つの身体履歴まで共有したことにはならない。

関係 何を比較するか 複製や変化に対する性質 単独では決められないこと
構造類似性 \(\sigma\) 身体、記憶、判断傾向などの構造がどの程度似ているかを比較する。 複製によって複数の対象へ高い値を与えられる。 どちらが元の人物そのものかは決められない。
因果的連続性 \(C\) 後の状態が前の状態から実際に生成されたかを追跡する。 状態が大きく変化しても履歴が続けば成立し得る。 一つの過去から複数の後続が生じた場合に一意な後続を選べない。
心理的連続性 \(P\) 記憶、意図、信念、性格などがどの程度引き継がれたかを扱う。 記憶喪失では弱まり、複製では複数の後続へ成立し得る。 数の上で一人の同じ人物であることは保証しない。
数的同一性 \(N\) 二つの時点に現れる対象が一つの同じ対象であるかを判定する。 性質の変化とは両立するが、一人を同時に二人へ同一化することはできない。 どの経験や性質が保存されているかまでは示さない。

このうち数的同一性には、他の三つにはない論理的制約がある。ある人物 \(a\) が \(b\) と同一であり、同時に \(c\) とも同一なら、同一性の推移律によって \(b\) と \(c\) も同一でなければならない。

\[
N(a,b)=1
\land
N(a,c)=1
\Rightarrow
N(b,c)=1
\]

この式は、数的同一性を一対多の継承関係として扱えないことを示している。\(a\) が一人の人物であり、その後に互いに別個の人物 \(b\) と \(c\) が存在するなら、\(b\neq c\) である以上、両者を同時に \(a\) と数的に同一とは置けない。

心理的連続性や因果的連続性には、この制約がない。一つの状態から二つの後続状態を生成し、それぞれが過去の記憶、意図、性格を十分に引き継ぐ状況を考えられる。

\[
C(a,b)=1,\qquad C(a,c)=1
\]

\[
P(a,b)\approx1,\qquad P(a,c)\approx1
\]

この場合、\(b\) と \(c\) はどちらも \(a\) から強い連続性を持つ。それでも、そこから

\[
N(a,b)=1,\qquad N(a,c)=1
\]

を同時に導くことはできない。連続性は分岐できるが、数的同一性は同じ仕方では分岐できない。この非対称性によって、一本道の時間発展では重なって見えていた二つの関係が分離される。

Parfit は個人同一性と心理的な結合・連続性を分け、分裂事例を使って、数的同一性と「生存にとって重要な関係」が一致しない可能性を論じた[5]。一人の人物から二人の心理的後続者が生じ、両者が元の人物との強い心理的連続性を持つなら、心理的連続性は両者へ保存できる。それに対して数的同一性は、両者へ同時に割り当てることができない。

この分裂事例から直接導けるのは、心理的連続性と数的同一性が異なる論理構造を持つという点である。「心理的に十分つながっていれば同じ人物である」という一つの判定規則だけでは、分岐時に二人を同時に同一人物と判定することになる。

一方、Parfit の議論から「数的同一性は一般に重要ではない」とまで進めるには、追加の論証が必要になる。Ehring は、分裂事例から同一性一般の重要性について結論を拡張する推論を検討し、その一般化には十分な根拠がないと論じている[6]。分裂という境界事例で数的同一性と心理的連続性が分かれることと、通常の人生において数的同一性が持つ意味まで失われることは別の主張である。

この限定は、本稿のモデルにも必要である。分裂事例を使う目的は、個人同一性そのものを消去することではない。因果的連続性 \(C\)、心理的連続性 \(P\)、構造類似性 \(\sigma\) が複数の後続へ保存可能である一方、数的同一性 \(N\) には一意性が要求されることを確認するためである。

この区別を置けば、既稿の「連続同一性」もより精密に読める。状態が変化しても生成履歴が追跡できるという部分は、因果的連続性 \(C\) としてそのまま維持できる。記憶、意図、価値観などの継承は心理的連続性 \(P\) として別に扱える。そして、それらの条件が数的同一性 \(N\) と一致するかどうかは、さらに独立して判定する。

「同じ自分」という一語を分解すると、自己が変化しながら持続することと、一人の人物が数の上で一人のまま持続することの違いが見える。通常状態では複数の関係が重なるため一つの語で扱えるが、その一致は論理的な必然ではない。どの関係を保存しているかを明示することで、連続性から数的同一性を無条件に導くことを避けられる。


3. 分岐すると履歴だけでは同一性を決められない

因果的連続性と数的同一性の違いは、履歴が一本だけ続く場合には見えにくい。ある人物の状態が、過去から現在まで一つの系列として更新される状況を考える。

\[
x_0
\rightarrow
x_1
\rightarrow
x_2
\rightarrow
\cdots
\rightarrow
x_t
\]

各状態 \(x_{t+1}\) が直前の状態 \(x_t\) から生成され、身体、記憶、意図、判断傾向などが段階的に変化しているなら、この系列を一人の人物の履歴として追跡できる。前後の状態が一致していなくても、生成関係が一方向に連続しているため、因果的連続性と数的同一性の判定は通常同じ方向を向く。

たとえば、昨日から今日までに新しい記憶が増え、身体状態や考え方が変化していても、今日の人物が昨日の人物から連続して生じた一人の人物であることに日常的な疑問は生じにくい。この状況では、

\[
C(x_t,x_{t+1})=1
\]

という因果的連続性と、

\[
N(x_t,x_{t+1})=1
\]

という数的同一性が同時に成立する。そのため、一本道だけを観察している限り、\(C\) と \(N\) を別の関係として置く必要性が表面化しにくい。

この重なりを崩すのが分岐である。一つの状態 \(x_t\) から、二つの後続状態が生じる状況を考える。

\[
x_t
\rightarrow
\begin{cases}
x_{t+1}^{(1)}\\
x_{t+1}^{(2)}
\end{cases}
\]

二つの後続がともに \(x_t\) から因果的に生成され、過去の記憶、性格、意図、判断傾向を同程度に引き継いでいるなら、因果的連続性は両方へ成立し得る。

\[
C(x_t,x_{t+1}^{(1)})=1
\]

\[
C(x_t,x_{t+1}^{(2)})=1
\]

心理的連続性についても同じ構造を作れる。Parfit の分裂事例では、元の人物から二人の未来の人物が生じ、それぞれが元の人物との心理的な結合と連続性を持つ状況が検討される[5]。Stanford Encyclopedia of Philosophy の個人同一性項目も、心理的連続性が二人の未来の人物へ同時に成立し得ることを、心理的連続性をそのまま数的同一性の条件とする立場に対する重要な問題として整理している[2]。

元の人物を \(a\)、二人の後続を \(b\) と \(c\) とする。因果的連続性と心理的連続性については、

\[
C(a,b)=1,\qquad C(a,c)=1
\]

\[
P(a,b)\approx1,\qquad P(a,c)\approx1
\]

という関係を同時に置ける。\(b\) と \(c\) の双方が \(a\) から生じ、双方が \(a\) の記憶や意図を強く引き継ぐことには論理的な矛盾がない。

ところが数的同一性について同じ形を置くと、別の結果になる。

\[
N(a,b)=1,\qquad N(a,c)=1
\]

数的同一性には推移律があるため、この二式から、

\[
N(b,c)=1
\]

が必要になる。ところが \(b\) と \(c\) は、分岐後には別々の身体、別々の位置、別々の経験系列を持つ二人である。\(b\neq c\) である以上、両者を同じ一人として扱うことはできない。因果的・心理的連続性には一対多の分岐が成立する一方、数的同一性には同じ分岐をそのまま適用できない。

この差は、前稿で「連続同一性」と呼んだ関係の射程を明確にする。過去から現在まで因果連鎖が続き、心理的特徴も継承されているという条件は、人物の持続を追跡するには有効である。しかし、その条件だけを数的同一性の十分条件とすると、分岐した二人を同時に元の人物と同一だと判定することになる。

一本道では、

\[
C(a,b)=1
\quad\text{かつ}\quad
N(a,b)=1
\]

が同時に成立するため、両者を区別しなくても結果は変わらない。分岐では、

\[
C(a,b)=1,\qquad C(a,c)=1
\]

が成立する一方で、

\[
N(a,b)=1,\qquad N(a,c)=1
\]

を同時には置けない。分岐は、一本道では同じ判定結果を返していた二つの関係を分離する反例として機能する。

状況 因果的連続性 心理的連続性 数的同一性 区別が必要になる理由
通常の時間経過 過去から一つの後続へ成立する。 記憶、意図、性格などが段階的に継承される。 通常は一人の人物の持続として扱われる。 三つの関係が同じ方向を向くため、差が表面化しにくい。
記憶の一部喪失 身体と生活履歴の接続は維持される。 一部の心理的接続が低下する。 記憶の欠落だけで直ちに別人とは扱われない。 心理的連続性の程度と人物同一性が一致しないことが見える。
複製 複製手続きから複数の後続が生じ得る。 複製直後には複数の後続が元の人物と高い類似性を持ち得る。 複数の後続を同時に一人の元人物と数的に同一とは扱えない。 保存された情報量と一意な人物同一性が別の判定になる。
分裂 一つの過去から複数の後続へ成立し得る。 複数の後続へ同時に成立し得る。 一対多の関係としては成立しない。 連続性が分岐可能である一方、数的同一性には一意性が要求される。

この区別は、思考実験の内部だけに閉じない。記憶や状態を保存した複製、デジタル上の人格モデル、脳状態の再現、人工的な身体置換を考える場合、「元の状態をどの程度保存したか」と「元の人物そのものがどこへ持続したか」は異なる判定になる。保存精度を高めれば構造類似性や心理的連続性は高められるが、それだけで数的同一性の一意な行き先が決まるわけではない。

Parfit の分裂事例が示す範囲も、ここまでに限定できる。連続性が複数の後続へ成立し得る以上、心理的連続性や因果的連続性を数的同一性そのものとして定義することには問題が残る。一方、そこから数的同一性一般が不要だという結論までは直接導かれない。前節で参照した Ehring の批判も、この一般化には追加の論証が必要であることを示している[6]。

したがって、履歴追跡は人物の持続を説明する主要な条件として残るが、その役割は数的同一性の代替ではなく、因果的・心理的連続性の記述にある。前稿の「連続同一性」をこの位置へ置き直すと、状態が変化しても一つの履歴を追跡できるという利点を維持しながら、分岐時に一意性を失うという限界も同じモデルの中で表現できる。


4. 構造類似性と因果連続性と主観を分ける

既稿の自己論では、自己を一つの実体へ還元せず、複数の関係へ分けてきた。「心とは何かを構造から再定義する」では、自己を時間的に再生産される構造として捉え、構成物質の厳密な一致よりも、内部状態と更新規則がどのように維持されるかを重視した[7]。「主体は何を単位として成立するのか」では、主体を単一の物体としてではなく、内部状態、更新規則、身体との結合、外界との入出力が作る関係配置として扱った[8]。

この系列へ分岐問題を加えると、「自己がどの程度同じか」を一つの値で表すことが難しくなる。構造が似ていること、同じ履歴から生じたこと、記憶や意図を引き継いでいること、第一人称的な自己定位が続いていることは、それぞれ別の条件を持つ。

二つの状態 \(a\) と \(b\) の関係を、次の四つの軸で表す。

\[
\mathbf R(a,b)
=
\left(
\sigma(a,b),
C(a,b),
P(a,b),
I(a,b)
\right)
\]

\(\sigma\) は構造類似性、\(C\) は因果的連続性、\(P\) は心理的連続性、\(I\) は第一人称的な自己定位の連続性を表す。ここで \(\mathbf R\) は四つの値を一つの得点へ統合する関数ではない。どの種類の連続性が成立しているかを分けて記録するためのベクトルである。

構造類似性 \(\sigma\) は、身体構造、内部状態、記憶配置、判断傾向などの近さを扱う。たとえばある人物の神経状態や記憶を精密に複製できたとすれば、元の人物 \(a\) と複製 \(b\) の間で、

\[
\sigma(a,b)\approx1
\]

と置けるかもしれない。しかし、構造がほぼ一致することから、同じ履歴を共有していることまでは導けない。複製された瞬間から \(a\) と \(b\) は別々の位置に存在し、異なる入力を受け、異なる状態更新を始める。

因果的連続性 \(C\) は、構造の近さではなく由来を扱う。後の状態が前の状態から実際に生成された場合、外見や心理状態が大きく変化していても因果的な接続を追跡できる。

\[
C(a,b)=1
\]

は、「\(b\) が \(a\) に似ている」ではなく、「\(b\) が \(a\) から続く履歴上にある」という意味を持つ。ただし前節で確認したように、因果的連続性は一つの過去から複数の後続へ分岐し得る。したがって \(C\) が成立することだけでは、どの後続が一意な同一人物であるかを決められない。

心理的連続性 \(P\) は、記憶、意図、信念、性格、価値判断などがどの程度つながっているかを扱う。身体の因果的履歴が維持されていても、重い記憶障害によって \(P\) が低下することはあり得る。逆に、精密な複製や分岐では、複数の後続が元の人物と高い心理的連続性を持つ状況を考えられる。

\[
P(a,b)\approx1,\qquad
P(a,c)\approx1
\]

心理的特徴の継承量は複数の後続へ保存できるため、\(P\) も数的同一性とは異なる論理構造を持つ。

残る \(I\) は、第一人称的な自己定位を扱う。既稿「なぜ主観はこの身体に固定されているのか」では、身体から入る感覚、行為による結果、記憶の継続、内部状態の更新が一つの構造へ集中することで、主観的な重みが特定の身体へ安定して結び付くというモデルを置いた[9]。

この観点では、「どの身体が自分に似ているか」と「どの身体から世界を経験しているか」は別の問いになる。二つの身体が構造的に同じでも、第三者から観察した構造類似性だけでは、一方の第一人称経験がもう一方へ共有されることまでは示せない。

模式的には、人物 \(a\) から複製 \(b\) を作り、

\[
\sigma(a,b)\approx1
\]

が成立しても、

\[
I(a,b)=1
\]

が自動的に成立するとは置けない。構造の一致は第三者から比較できる関係であり、第一人称的な自己定位は「どの系列から経験が続いているか」という別の条件を含む。

軸 何を保存する関係か 成立しなくなる典型条件 成立しても保証しないもの
構造類似性 \(\sigma\) 身体、記憶、内部状態、判断傾向などの構造的な近さを扱う。 成長、損傷、学習、状態変化によって類似度が低下する。 同じ由来、同じ履歴、同じ第一人称を保証しない。
因果的連続性 \(C\) 後の状態が前の状態から生成された履歴を扱う。 履歴が切断され、独立した生成系列へ移ると成立しない。 分岐後に一意な後続を決めることはできない。
心理的連続性 \(P\) 記憶、意図、信念、性格、価値判断などの継承を扱う。 記憶喪失、大きな人格変化、心理状態の断絶によって低下する。 身体履歴や数的同一性の一意性を保証しない。
主観的連続性 \(I\) 第一人称的な自己定位がどの経験系列へ結び付いているかを扱う。 どの条件で断絶または分岐すると判定すべきかは、第三者観測だけでは確定しにくい。 第三者から利用できる数的同一性の判定基準を単独では与えない。

四つの軸は、同じ対象について同時に高い値を持つこともある。通常の生活では、身体履歴が続き、記憶や性格も段階的に変化し、構造も大きく崩れず、第一人称的な自己定位も同じ身体系列へ結び付いている。この重なりが、「昨日と今日で同じ自分」という日常的判断を安定させる。

境界事例では、その重なりが崩れる。記憶喪失では \(C\) が維持されても \(P\) が低下する。複製では \(\sigma\) を高くできても、元の履歴と同じ \(C\) を共有するとは限らない。分岐では \(C\) と \(P\) が複数の後続へ成立し得る。第一人称的な自己定位 \(I\) は、構造や心理状態を第三者から比較しただけでは決まらない。

この分離は、どの場面で何を「同じ」と判定するかにも影響する。医療で本人確認や治療履歴を追跡する場合には、身体と因果履歴の連続性が大きな役割を持つ。記憶障害や人格変化を評価する場合には、心理的連続性を別に測る必要がある。データや神経状態の複製では構造類似性を高精度に比較できても、その結果だけから人格の数的同一性や第一人称の継続を決めることはできない。

既稿で導入した構造モデルは、この分解によって役割が狭まるのではなく、適用範囲が明確になる。構造モデルが扱うのは、状態が変化してもどの関係が維持されているかという問題である。一方、「数の上で同じ一人か」「第一人称としてどの系列が自分なのか」という問いには、それぞれ追加の条件が必要になる。

このため、「自己が同じか」という問いを一つの二値判定として置くより、どの関係について同じと言っているのかを分ける方が正確である。構造が似ていること、履歴が続いていること、心理状態が引き継がれていること、第一人称的な自己定位が続いていることは、通常状態では重なっていても、境界事例では別々に変化する。自己の持続を扱うには、その差を消さずに残す必要がある。


5. 過程は実体なしでも持続できる

固定的な実体を置かずに持続を説明する発想は、個人同一性に限られない。過程哲学では、世界を完成した個物の集合として捉えるより、生成、活動、変化、相互作用を存在の基本的な構成要素として捉える。Stanford Encyclopedia of Philosophy の Process Philosophy も、存在の動的性格を世界理解の中心へ置くことを、この伝統の基本的な特徴として整理している[10]。

この立場を同一性問題へ接続すると、持続する対象を「変化の背後に保存される不変な物体」として考える必要性が下がる。対象を構成する要素が入れ替わっても、それらの要素が作る関係や更新過程が継続していれば、一つの動的構造として追跡できるからである。

渦を例にすると分かりやすい。川にできる渦では、同じ水分子が内部に留まり続けているわけではない。ある時点で渦を構成していた水は流れ去り、別の水が入ってくる。それでも流速、圧力、周囲の流れとの関係によって一定の回転構造が維持される間、観察者は一つの渦が持続していると判断できる。

ここで保存されているのは、構成要素そのものではなく、構成要素を入れ替えながら再生成される関係である。状態を \(x_t\)、時点 \(t\) から次の状態を生じさせる更新規則を \(F_t\) とすれば、

\[
x_{t+1}=F_t(x_t)
\]

と表せる。\(x_t\) と \(x_{t+1}\) は同じ状態である必要がない。流体の位置や速度分布は変化し続ける。それでも \(F_t\) を通じて前後の状態が接続され、一定の構造が再生産されるなら、過程としての持続を記述できる。

このモデルでは、持続条件を

\[
x_t=x_{t+1}
\]

という状態一致へ置く代わりに、

\[
x_t
\xrightarrow{F_t}
x_{t+1}
\]

という生成関係へ置く。状態一致を要求すると、変化した時点で対象の持続を説明できなくなる。一方、生成関係を追跡すれば、構成要素や局所状態が変化していても、どの過程から現在の状態が生じたかを保存できる。

持続の捉え方 保存対象 変化への対応 分岐した場合
状態一致 各時点の状態そのものを保存する。 状態が変わるほど持続条件を満たしにくくなる。 一致する複数の状態があれば、一意な履歴を決められない。
構成要素の保存 同じ物質や部品が残っていることを保存条件とする。 代謝、交換、修復の多い対象では条件が崩れやすい。 構成要素の分割や再配置だけでは一意な後続を決めにくい。
構造の保存 要素間の関係や組織が維持されることを重視する。 構成要素が入れ替わっても持続を説明できる。 同じ構造を持つ複数の後続が成立し得る。
過程の連続 前の状態から後の状態が生成される履歴を追跡する。 状態変化そのものを持続過程へ組み込める。 一つの過程が複数へ分岐すれば、因果的連続性も複数へ伸び得る。

この比較から、過程としての持続が何を説明できるかが明確になる。状態や物質が入れ替わっても、一つ前の状態が次の状態を生み、その更新が継続するなら、対象を時間方向へ追跡できる。変化は持続を破壊する要因ではなく、持続を構成する遷移そのものになる。

既稿「無常的世界をどう運用するか」では、世界を静止した実体の集合としてではなく、条件づけられた生成と消滅の連鎖として捉える構造を、仏教の諸行無常・縁起と構造振動モデルの接点として整理した[11]。そこで重視したのも、同じ状態を永久に保存することではなく、現在の状態がどの条件から生じ、どの条件によって次の状態へ移るかという関係だった。

今回の同一性問題は、そのモデルへ別の判定軸を加える。生成と消滅の連鎖を追跡できることは、過程の連続性を与える。しかし、その連鎖の前後を数的に一つの同じ対象として扱えるかは、さらに別の条件になる。

渦を一本の過程として追跡している間は、この差は表面化しにくい。

\[
x_0
\rightarrow
x_1
\rightarrow
x_2
\rightarrow
x_3
\]

流れの状態が順に変化していても、前後の生成関係が一本につながっていれば、一つの渦が移動しながら持続しているという記述が自然に成立する。このとき因果的連続性と対象の追跡結果が一致する。

ところが、一つの渦が二つへ分裂した場合、過程としての説明と数的同一性の判定が分かれる。

\[
x_t
\rightarrow
\begin{cases}
x_{t+1}^{(1)}\\
x_{t+1}^{(2)}
\end{cases}
\]

流体力学的には、二つの後続について、どちらも元の渦から生じた因果的な経路を追跡できる。つまり、

\[
C(x_t,x_{t+1}^{(1)})=1
\]

\[
C(x_t,x_{t+1}^{(2)})=1
\]

という形で、因果的連続性を両方へ割り当てられる。しかし、「元の渦そのものはどちらか」という問いを同じ関係だけで決めることはできない。過程の連続性が二つへ分岐したからである。

この構造は、人物の分岐で生じた問題と同型である。人間について心理的・因果的連続性が複数の後続へ成立し得るのと同じように、動的な物理過程も複数の後続へ因果的につながり得る。分岐が起きた時点で、因果的連続性を追跡することと、数的に一つの対象を追跡することの違いが現れる。

過程モデルが直接与えるのは、どの状態がどの状態から生じ、どの変換を通過し、どの関係が時間を通じて維持されたかという情報である。

\[
x_{t+1}=F_t(x_t)
\]

という式から得られるのは生成履歴であり、

\[
N(x_t,x_{t+1})=1
\]

という数的同一性が自動的に含まれているわけではない。一本道では両者が同じ対象について成立するため区別が見えにくいが、分岐すれば一方は複数へ伸び、もう一方には一意性の問題が残る。

この区別を維持すると、過程哲学を「すべてが変化するから同一性は存在しない」という結論へ単純化せずに済む。過程という考え方が説明するのは、変化する対象を不変状態へ還元せず、時間方向へ追跡する方法である。状態や構成要素が変化しても、生成関係や組織が続く限り、持続する過程として記述できる。

そのうえで数的同一性は、過程のどの範囲を一つの対象として数えるかという別の問題として残る。持続を説明するために不変な実体は必須ではない。一方、過程が続いているという事実だけでは、一意な数的同一性まで決まらない。過程は「何がどう続いたか」を説明し、数的同一性は「その続いたものを一つの同じ対象として数えられるか」を判定する。この二つを分けることで、変化と持続を同時に扱える。


6. 無我でも因果的な連続性は記述できる

固定的な自己実体を置かずに、人間の経験や行為が時間を通じてどう続くかを記述する発想は、仏教の無我論にも見られる。SN 22.59 では、色、受、想、行、識に当たる五つの集まりについて、それぞれを恒常的な自己として固定できないことが説かれる[12]。身体、感覚、知覚、形成作用、意識のいずれか一つを、変化を超えて持続する自己の核として置く構造ではない。

このとき区別すべきなのは、恒常的な自己実体を認めることと、時間的・因果的な接続を認めることである。前者を置かなくても、ある身体状態や心理状態が後の状態を条件づける関係は記述できる。インド仏教の心の哲学でも、人間は永続的で独立した自己を中心に説明されるより、身体的・心理的な構成要素が相互に条件づけ合う過程として分析されてきた[13]。

この構造を単純化し、時点 \(t\) における身体状態、感覚、知覚、意図、行為などを出来事 \(e_t\) として表す。

\[
e_0
\rightarrow
e_1
\rightarrow
e_2
\rightarrow
\cdots
\]

矢印は、前の出来事が後の出来事を条件づける因果的な接続を表す。たとえば、ある経験が記憶を形成し、その記憶が後の判断へ影響し、その判断が行為を生み、行為の結果がさらに新しい経験を作る。各出来事の内容は変化していても、前後の条件関係を追跡できる。

ここで、系列全体を貫く不変な自己実体を \(s^\*\) として追加するモデルを考えるなら、

\[
s^\*
\rightarrow
\{e_0,e_1,e_2,\ldots\}
\]

という形になる。すべての出来事が一つの変化しない主体に属することで、系列のまとまりを説明するモデルである。無我論では、この \(s^\*\) を因果系列の説明に必須の要素として置かない。それでも、

\[
e_t\rightarrow e_{t+1}
\]

という条件関係そのものは記述できる。系列のまとまりを説明する役割が、不変実体から出来事間の因果関係へ移る。

モデル 持続を支えるもの 時間変化の扱い 同一性問題への含意
実体中心モデル 変化する状態の背後に持続する主体を置く。 状態が変化しても主体そのものは持続すると考える。 系列のまとまりを一つの持続主体によって説明できる。
因果系列モデル 出来事どうしの条件関係と生成履歴を追跡する。 変化そのものを系列の内部へ組み込む。 不変主体を置かなくても時間的なまとまりを記述できる。
数的同一性 前後が数の上で一つの同じ対象であることを要求する。 性質の変化とは両立する。 因果系列が成立することだけでは一意な判定まで決まらない。

この違いは、前節の過程モデルと対応する。過程モデルでは、状態 \(x_t\) が更新規則 \(F_t\) を通じて次の状態 \(x_{t+1}\) を生むことを追跡した。ここでも、出来事 \(e_t\) が後の出来事 \(e_{t+1}\) を条件づける関係を追跡する。どちらも、持続を状態一致や不変物の保存だけに置かず、変化を含んだ生成系列として扱う。

Nāgārjuna の議論を整理した Stanford Encyclopedia of Philosophy でも、実体的な自己を独立した基体として置くことへの批判が扱われる[14]。感覚、概念化、判断、行為などが相互に条件づけられて生じるなら、人間について時間的・因果的なまとまりを記述するために、変化から独立した自己実体を追加する必要性は下がる。

ただし、この因果的なまとまりを、そのまま数的同一性と同じ関係に置くと、前節までに分けた概念が再び混ざる。出来事系列が因果的に接続されていることから直接分かるのは、前後の状態に生成関係があるということである。

\[
C(e_t,e_{t+1})=1
\]

この式が表すのは出来事どうしの因果的な接続であり、この出来事系列を担う人物について数的同一性が自動的に決まるわけではない。そもそも各 \(e_t\) を個別の出来事として置くなら、前後は異なる出来事であり、それらが因果的に接続されて一つの系列を構成している。ここで保存されているのは出来事そのものの同一性ではなく、出来事どうしの関係である。

人物についても同じ区別が必要になる。ある人物の現在状態が過去の状態から因果的に形成されていることは、時間的な連続性を説明する。一方、その系列全体をどの単位で一人の人物として数えるかは追加の判定になる。通常の人生では一本の系列が一人の人物へ対応するため、この二つは同じ方向を向く。分岐や複製を考えると、因果系列は複数の後続へ伸び得るため、数的同一性との違いが現れる。

この限定を置けば、既稿「無常的世界をどう運用するか」と個人同一性論を、同一の哲学体系として扱わずに接続できる[11]。既稿では、変化する世界を条件づけられた生成と消滅の連鎖として捉えた。本稿では、その構造を人物の持続へ適用し、変化する系列を追跡できることと、系列の前後を数的に同じ一人として数えることを分けている。

両者に共通するのは、持続の説明を静止した核の保存だけに依存させない点である。状態は変化し、出来事は入れ替わり、それでも条件関係と生成履歴は追跡できる。無我論は、不変な自己実体を置かなくても、人間について時間的・因果的なまとまりを記述できる一つの例になる。ただし、そのまとまりをどこまで数的同一性として扱うかは、因果的連続性とは別の問題として残る。


7. 自己を関係として置くと固定核は不要になる

既稿「キルケゴールの実存を操作概念へ変換する」では、実存を自己参照的な更新過程として読み替えた[15]。そのモデルでは、自己は完成済みの状態を保存する対象ではなく、自分の現在状態を認識し、評価し、選択によって次の状態を作る構造として扱われる。自己の持続を説明する対象が、固定された内容から更新関係へ移っている。

Kierkegaard の自己論では、自己は単独で完結した一項ではなく、自分自身へ関係する関係として捉えられる。Stanford Encyclopedia of Philosophy の Authenticity 項目でも、Kierkegaard における自己形成は、自分自身との関係を引き受け、それを具体的な生の中で形成していく問題として整理されている[16]。ここで時間を通じて維持されるのは、同じ性質の集合というより、自分自身を対象として次の自分を形成する関係である。

この構造を、時点 \(t\) における自己状態 \(s_t\) と、その状態へ自己自身が関係する仕方 \(R_t\) の組として表す。

\[
\Sigma_t=(s_t,R_t)
\]

\(s_t\) には、記憶、信念、価値判断、社会的役割、身体状態など、その時点での自己の状態が含まれる。\(R_t\) は、その状態をどのように理解し、評価し、選択へ結び付けるかという自己関係を表す。自己状態だけを保存対象にすると、考え方や生き方を大きく変えた人物ほど同一性を失いやすくなる。自己関係を含めれば、変化そのものを自己形成の系列として追跡できる。

たとえば、時点 \(t\) の人物が、自分の価値観 \(v_t\) と行為 \(a_t\) の不一致を認識したとする。その認識が自己評価を変え、新しい選択を生み、次の状態 \(s_{t+1}\) を形成するなら、更新は次のように表せる。

\[
(s_t,R_t)
\rightarrow
(s_{t+1},R_{t+1})
\]

この遷移では、\(s_t\) と \(s_{t+1}\) が一致する必要はない。むしろ、自分自身への関係 \(R_t\) が現在状態を評価した結果として、価値観や行為が変化する場合がある。過去の自己理解を修正し、以前とは異なる生き方を選ぶことも、この系列の内部で起きる。

具体的には、かつて「仕事上の成功」を最優先していた人物が、経験を通じて家族との時間や健康を重視するようになった場合を考えられる。価値関数を単純化して \(U_t\) とすれば、

\[
U_t\neq U_{t+1}
\]

となる。それでも、以前の価値観、その結果として生じた経験、その経験への評価、現在の価値観という因果的な系列を追跡できる。価値観が変わったこと自体が履歴の断絶を意味するのではなく、その変化がどのように生じたかが自己形成の履歴になる。

保存対象 時間変化の扱い 自己形成をどう説明するか 境界条件
状態 \(s_t\) 記憶、価値観、役割などの一致を重視する。 現在と過去の内容がどの程度似ているかを比較できる。 大きな成長や価値観の転換によって一致度が低下する。
自己関係 \(R_t\) 現在状態を理解し、評価し、更新する関係を追跡する。 自己理解の変更そのものを自己形成へ含められる。 自己関係の類似だけでは数的同一性を一意に決められない。
更新系列 \(\Sigma_t\) 状態と自己関係がともに変化する履歴を追跡する。 過去の選択が現在の自己形成へどう接続したかを記述できる。 系列が分岐した場合には複数の後続へ連続性が成立し得る。
数的同一性 \(N\) 変化の内容とは別に、一人の同じ人物であるかを判定する。 自己形成の内容より、人物を一意に追跡する役割を持つ。 自己関係や更新履歴だけから自動的には導かれない。

このモデルによって、「同じ自分であり続けること」と「同じ内容を保ち続けること」を分けられる。自己状態 \(s_t\) が変化し、自己関係 \(R_t\) まで更新されても、その変化が過去の経験や選択から生じた系列として記述できるなら、自己形成の連続性を追跡できる。

ここで前節までの因果的連続性との接続も見える。自己関係 \(R_t\) が状態 \(s_t\) を評価し、その結果として \(s_{t+1}\) が生じるなら、自己形成そのものが因果系列を持つ。

\[
\Sigma_t
\xrightarrow{F_t}
\Sigma_{t+1}
\]

\(F_t\) は、経験、自己評価、判断、選択などを含む更新過程である。この表現では、自己を時間の外側にある固定核として置かなくても、以前の状態が現在の状態へどう作用したかを追跡できる。自己は更新を受ける対象であると同時に、その更新へ関与する関係を内部に持つ。

既稿で実存を「更新機械」として操作的に読み替えた理由もここにある[15]。不確実な状況で選択し、その結果を受けて自己理解を更新し、さらに次の選択へ進む。この循環を持つなら、固定した価値観や完成した自己像を保存条件にしなくても、自己形成の時間的な系列を記述できる。

一方、この自己関係モデルが直接説明するのは、自己形成がどのように時間的に統一されるかである。分岐した二つの後続が、元の人物の記憶、価値観、自己関係をともに引き継ぐ状況では、

\[
C(\Sigma_t,\Sigma_{t+1}^{(1)})=1
\]

\[
C(\Sigma_t,\Sigma_{t+1}^{(2)})=1
\]

という連続性を双方へ置ける。この場合、自己関係の継続だけでは、どちらが元の人物と数的に同一かを一意に決められない。Kierkegaard の自己論を数的同一性の判定規則として読むより、変化する自己が時間的なまとまりを形成する仕組みを説明するものとして位置付ける方が、本稿の区別と整合する。

自己を関係として捉えることで得られるのは、変化しても残る固定核ではなく、変化を生み出す構造である。価値観、自己理解、行為が更新されても、それらが相互に原因となって次の状態を形成するなら、自己形成の履歴は追跡できる。その履歴による連続性と数的同一性を分けることで、自己が変化することと、一人の人物として持続することを別々の条件として記述できる。


8. 語彙が変わっても履歴そのものは消えない

ここまで扱ってきた変化は、主として対象側の変化だった。身体状態が変わる、記憶が更新される、価値観が変わる、自己関係が組み替わるという変化である。しかし人物を時間的に追跡するときには、もう一つ変化するものがある。その人物を理解し、説明するために使う語彙である。

Rorty は『偶然性・アイロニー・連帯』で、言語や自己記述を歴史的に形成された語彙として扱う。人間が自分自身について使う記述も、時代、共同体、経験、読んだ本、他者との関係によって変化し得る[17]。自己についても、あらかじめ存在する内的本質を正確に言い当てることより、どの語彙によって自分の生を再記述するかという自己創造の側面が重視される[18]。

この考え方を本稿のモデルへ入れると、時間とともに変化する対象を一つ増やす必要がある。人物の状態を \(x_t\)、時点 \(t\) で利用している語彙を \(V_t\)、その語彙によって作られる記述を \(D_{V_t}(x_t)\) と置く。

\[
d_t=D_{V_t}(x_t)
\]

\(x_t\) は人物の状態、\(V_t\) はその状態を分類し意味づけるための語彙、\(d_t\) は実際に作られた記述である。同じ状態であっても、どの区別を重要とみなすかによって記述は変わる。また、同じ語彙を使っていても、対象側の状態が変われば記述は変わる。

したがって、時間変化は一つの変数だけでは表せない。

\[
(x_t,V_t)
\rightarrow
(x_{t+1},V_{t+1})
\]

対象 \(x\) も語彙 \(V\) も変化し得るため、前後の記述が一致する保証はない。

\[
D_{V_t}(x_t)
\neq
D_{V_{t+1}}(x_{t+1})
\]

この不一致には少なくとも三つの原因がある。人物そのものが変化した場合、記述に使う語彙だけが変化した場合、人物と語彙の双方が変化した場合である。記述の差だけを見ても、その差がどこから生じたのかは判定できない。

変化 対象 \(x\) 語彙 \(V\) 記述 \(d\) が変わる理由
対象だけが変化 身体、記憶、行為、価値判断などが変わる。 同じ分類や概念を使い続ける。 同じ基準で見ても対象そのものが変わったため記述が変わる。
語彙だけが変化 参照している過去の出来事は同じである。 原因、責任、性格、環境などを切り分ける概念が変わる。 同じ出来事へ別の区別や因果配置を適用するため記述が変わる。
対象と語彙がともに変化 人物自身も経験によって変化する。 その経験を理解する概念も更新される。 対象変化と再記述が重なるため、前後の自己記述が大きく変わる。

たとえば、若い時期に自分のある行動を「意志が弱い」と記述していた人物が、後に同じ過去を「環境条件と習慣形成の相互作用」と記述するようになったとする。対象となる過去の出来事自体は変わっていない。変わったのは、出来事をどの単位へ分け、原因をどこへ置き、何を修正可能な要因として扱うかという語彙である。

前の記述を、

\[
d_t=D_{V_t}(x)
\]

後の再記述を、

\[
d_{t+1}=D_{V_{t+1}}(x)
\]

とすれば、対象 \(x\) が同じでも、

\[
V_t\neq V_{t+1}
\]

であるため、

\[
d_t\neq d_{t+1}
\]

となり得る。ここでは記述の変化が対象の変化を意味しない。過去の行為が別の行為へ置き換わったのではなく、その行為を理解するための分類と因果説明が変わっている。

逆の状況もある。語彙を変えずに人物だけが変化する場合である。同じ人物について毎年同じ評価項目を使い続けても、経験や学習によって行動が変われば記述結果は変わる。

\[
V_t=V_{t+1},\qquad
x_t\neq x_{t+1}
\]

この場合も、

\[
D_{V_t}(x_t)
\neq
D_{V_t}(x_{t+1})
\]

となる。記述が変わったという観測だけでは、対象が変わったのか、語彙が変わったのかを区別できない。人物の時間的同一性を論じるには、対象履歴と記述履歴を別々に保存する必要がある。

対象履歴を \(H_x\) とすると、

\[
H_x:
x_0
\rightarrow
x_1
\rightarrow
\cdots
\rightarrow
x_t
\]

となる。一方、語彙と記述の履歴を \(H_d\) とすれば、

\[
H_d:
(V_0,d_0)
\rightarrow
(V_1,d_1)
\rightarrow
\cdots
\rightarrow
(V_t,d_t)
\]

と表せる。この二つを分けることで、「人物が変わった」と「人物についての理解が変わった」を区別できる。

実際の自己形成では、両者が相互作用する。自分についての新しい語彙を得ることで、過去の経験の意味づけが変わり、その再記述が現在の選択を変え、次の状態 \(x_{t+1}\) を生むことがある。

\[
V_t
\rightarrow
d_t
\rightarrow
a_t
\rightarrow
x_{t+1}
\]

\(d_t\) は現在の自己記述、\(a_t\) はその記述を踏まえた選択や行為である。語彙の変更は単なる言い換えにとどまらず、何を原因とみなし、何を変更可能と判断し、どの行為を選ぶかへ影響する場合がある。その行為によって対象側の状態も変化するため、対象履歴と記述履歴は相互に作用しながら進む。

たとえば、自分の失敗を「能力がない」という固定的な性質で記述する場合と、「特定条件で使った方法が適合しなかった」と記述する場合では、同じ出来事から選ばれる次の行動が変わり得る。前者では能力そのものを変更不能な原因として扱いやすく、後者では方法や条件を変更対象として扱える。語彙の違いが介入可能性の配置を変え、その後の履歴へ影響する。

この意味で、Rorty の再記述は本稿の同一性問題へ独特の変数を加える。身体、心理、因果系列だけを追跡しても、人物が自分自身をどのように理解しているかまでは固定されない。同じ因果履歴を持つ一人の人物が、自分の過去について複数の語彙を順番に採用し得る。

ここで、自己記述の一致を人物同一性の条件にすると問題が生じる。過去の自分について使う語彙を大きく変えた人物は、自己記述上は以前と異なる。しかし、その人物の身体履歴や因果的連続性まで失われたわけではない。

模式的には、

\[
C(x_t,x_{t+1})=1
\]

が成立していても、

\[
D_{V_t}(x_t)
\neq
D_{V_{t+1}}(x_{t+1})
\]

は成立し得る。因果的には一つの人物が続いている一方で、その人物についての記述内容は大きく変わる。記述の非一致と人物の断絶は別の関係である。

Rorty の再記述を数的同一性の判定基準として使う必要もない。再記述が説明するのは、同じ履歴へ異なる語彙を適用し得ること、そして語彙の変更がその後の自己形成へ作用し得ることである。二人の人物のどちらが数的に同一かを決める論理は、因果的連続性や数的同一性の側に残る。

この区別によって、「同じ人物なら同じ自己理解を維持するはずだ」という前提を外せる。人物は、過去の出来事、価値観、失敗、成功、自分の性格について記述を変更しながら、それでも同じ因果系列上の人物として持続し得る。自己記述の変更は、同一性の喪失ではなく、同じ履歴に対する意味づけの更新として扱える。

固定的な自己実体を保存条件から外したあと、さらに語彙の一致まで保存条件から外すと、何を追跡すべきかが明確になる。状態 \(x\)、構造類似性 \(\sigma\)、因果的連続性 \(C\)、心理的連続性 \(P\)、第一人称的な自己定位 \(I\)、語彙 \(V\)、記述 \(d\) はそれぞれ別の変数である。通常は同じ人物について一緒に変化するため一つの「自己」として見えるが、境界事例では別々に変化し得る。

人物の履歴を理解するには、現在の記述だけを保存するのではなく、どの出来事がどの出来事から生じ、その出来事が各時点でどの語彙によって記述されていたかを分けて残す必要がある。語彙が変わっても履歴は消えない。むしろ語彙の変化そのものが、その人物がどのように過去を理解し直し、現在の選択を変えてきたかという履歴の一部になる。


9. 同じものという判断は保存対象によって変わる

ここまでの議論をまとめると、「同じ」という判断を一つの関数へ統合すると、異なる保存条件が混ざることが分かる。数的同一性、因果的連続性、心理的連続性、構造類似性、第一人称的な自己定位、自己記述は互いに関係するが、それぞれ別の条件を判定している。

\[
\boxed{
\text{Numerical Identity}
\neq
\text{Causal Continuity}
\neq
\text{Psychological Continuity}
\neq
\text{Structural Similarity}
\neq
\text{First-person Index}
\neq
\text{Description}
}
\]

ここでの \(\neq\) は、各関係が独立しているという意味ではない。通常の人生では、身体の因果的履歴が続き、記憶や意図も段階的に継承され、構造も大きく崩れず、第一人称的な自己定位も同じ身体系列へ結び付き、自己記述もある程度の連続性を持つ。複数の関係が同じ方向へ重なるため、日常では一つの「同じ自分」という表現で十分に機能する。

境界事例では、この重なりが崩れる。記憶喪失では因果的連続性が維持されても心理的連続性が低下する。複製では構造類似性を高くできても、一意な数的同一性は決まらない。分岐では一つの過去から複数の因果的・心理的後続が生じ得る。価値観や自己記述が大きく変わっても、身体と生活履歴は続き得る。

このとき必要になるのは、一つの「同じかどうか」を求めることより、何を保存対象としているかを明示することである。

判断目的 主に確認する関係 保存するもの 単独では決められないこと
制度上の人物追跡 身体履歴、因果的連続性、制度上の記録を中心に確認する。 権利、義務、契約、責任を割り当てる主体の継続を保存する。 記憶や価値観がどの程度維持されたかまでは決められない。
記憶や人格の継続評価 心理的連続性を中心に確認する。 記憶、意図、信念、性格、価値判断の接続を保存する。 数の上で一人の同じ人物であることまでは保証しない。
複製された状態の比較 構造類似性を中心に確認する。 情報配置、内部状態、機能構造の一致度を保存する。 元の対象との因果的履歴や数的同一性は決められない。
自己形成の理解 自己関係、因果履歴、記述履歴を中心に確認する。 価値観や自己理解がどの過程で更新されたかを保存する。 現在と過去で同じ記述を維持する必要はない。
第一人称の位置づけ 主観的な自己定位を独立して扱う。 どの経験系列が第一人称として結び付いているかを扱う。 構造類似性だけから「なぜこの視点か」は決まらない。

この整理へ既稿を置き直すと、それぞれが異なる保存対象を扱っていたことが見える。「無常的世界をどう運用するか」では、静止した実体よりも条件づけられた生成過程を中心に置いた[11]。「キルケゴールの実存を操作概念へ変換する」では、自己を自己参照的な更新過程として捉えた[15]。「自己を『構造』として定義し直す」では、物質や状態の一致から、構造と因果連鎖へ保存対象を移した[1]。

さらに、「心とは何かを構造から再定義する」と「主体は何を単位として成立するのか」では、主体を時間的に再生産される構造として扱った[7][8]。ローティの再記述を加えると、自己を説明する語彙まで時間とともに更新され得る[17][18]。既稿系列は、保存対象を物質、状態、構造、因果履歴、自己関係、語彙へ順に分解してきたと整理できる。

この系列に共通するのは、持続の条件を「変化しない一点」だけに置かないことである。身体、状態、価値観、自己理解が変化しても、その変化を生成した関係や履歴を追跡できれば、時間を通じた持続を記述できる。

一方、分岐事例は、この方向へ明確な限界を加える。履歴が続くこと、構造が似ていること、心理状態が引き継がれることは、いずれも複数の後続へ成立し得る。数的同一性には同じ性質がない。

前稿の「連続同一性」を、この区別に従って書き直すと、中心にあったのは因果的連続性である。

\[
C(x_t,x_{t+1})=1
\]

この修正によって、既稿の構造モデルを捨てる必要はない。状態の不変性に依存せず、生成履歴によって人物を時間方向へ追跡するという役割はそのまま残る。変更する必要があるのは、その関係を数的同一性そのものとして扱う部分である。「連続同一性」を「因果的連続性」として位置付ければ、モデルの適用範囲が明確になる。

本稿から得られる第一の帰結は、持続と不変性を分けることである。

\[
\boxed{
\text{Persistence}
\neq
\text{Immutability}
}
\]

人物が持続するために、身体状態、構成物質、記憶内容、価値観、自己記述のすべてを保存する必要はない。実際には、それらは時間とともに変化する。因果的・心理的・構造的な関係を追跡することで、変化を含んだ系列として持続を記述できる。

第二の帰結は、連続性と数的同一性を分けることである。

\[
\boxed{
\text{Continuity}
\neq
\text{Numerical Identity}
}
\]

連続性は、過去から現在まで何が引き継がれたかを表す。数的同一性は、前後を数の上で一つの同じ対象として数えられるかを表す。一本道では両者が一致する場面が多いが、分岐では連続性が複数の後続へ成立し、数的同一性には一意性が要求される。

この二つの区別を合わせると、自己の持続を一つの固定核へ集約する必要がなくなる。状態が変化しても持続は成立し得る。同時に、因果的・心理的・構造的な連続性のいずれか一つを、そのまま人物の数的同一性へ置き換えることもできない。

「同じ自分」という日常語が安定して機能するのは、身体、因果履歴、心理状態、構造、第一人称的な自己定位、自己記述が通常は一つの人物について重なっているからである。哲学的な境界事例では、その重なりが崩れるため、どの関係について「同じ」と判断したのかを分ける必要がある。

変化の中で同じものを追跡するとは、何も変わらない核を一つ見つけることではない。どの状態がどの状態から生じ、何が構造として保存され、何が心理的に継承され、どの履歴を一人の人物として数え、どの語彙によってその履歴を記述したのかを分けて追跡することである。自己の持続は一つの不変量ではなく、複数の保存関係が通常は重なり、境界事例では分離する構造として捉えられる。


参考文献

  1. id774, 自己を「構造」として定義し直す(2026-03-25). https://blog.id774.net/entry/2026/03/25/4103/
  2. Eric T. Olson, “Personal Identity,” Stanford Encyclopedia of Philosophy(Winter 2024 Edition). https://plato.stanford.edu/archives/win2024/entries/identity-personal/
  3. John Locke, An Essay Concerning Human Understanding, Book II, Chapter XXVII, “Of Identity and Diversity.” https://www.gutenberg.org/cache/epub/10615/pg10615.html
  4. Andre Gallois and Irem Kurtsal, “Identity Over Time,” Stanford Encyclopedia of Philosophy(Spring 2026 Edition). https://plato.stanford.edu/archives/spr2026/entries/identity-time/
  5. Derek Parfit, “Why Our Identity Is not What Matters,” Reasons and Persons(1986), pp. 245–280. Oxford University Press. https://academic.oup.com/book/12484/chapter-abstract/163166818
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  7. id774, 心とは何かを構造から再定義する(2026-04-10). https://blog.id774.net/entry/2026/04/10/4391/
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  10. Johanna Seibt, “Process Philosophy,” Stanford Encyclopedia of Philosophy(2022). https://plato.stanford.edu/entries/process-philosophy/
  11. id774, 無常的世界をどう運用するか(2026-03-02). https://blog.id774.net/entry/2026/03/02/3884/
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  15. id774, キルケゴールの実存を操作概念へ変換する(2026-03-04). https://blog.id774.net/entry/2026/03/04/3908/
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  18. Richard Rorty, “The Contingency of Selfhood,” Contingency, Irony, and Solidarity(1989). Cambridge University Press. https://www.cambridge.org/core/books/abs/contingency-irony-and-solidarity/contingency-of-selfhood/ED80CA5EB0F315F1A25CE1407A8A113C