人間と環世界

本稿は、「それぞれが異なる世界を生きている」という環世界(Umwelt)の見方から出発し、「生きるとは何か」「主体とは何か」「社会とは何か」「倫理・行為・責任とは何か」までを、単一の枠組み(更新構造)で接続して整理する。論理展開は、これまでの対話で積み上げた順序を保持する。抽象的な断片ではなく、読み手が追えるように、定義を明示し、なぜそう言えるのかを段階的に押し込む。必要に応じて、記述した構造を表にし、可視化して確認する。

関連する過去の記事として、環世界の整理自由意志の再定義クオリアの整理社会と暴力の外部化刑法の再設計生きることの定義を参照しつつ、これらを「接続可能な一つの骨格」にまとめ直す。[1][2][3][4][5][6]


1. それぞれ異なる世界を生きる:環世界(Umwelt)

「世界」は一つで、それを皆が同じように見ている。多くの場面で、この前提が暗黙に置かれる。しかし、環世界(Umwelt)の概念は、その前提を根底から崩す。環世界とは、ある生物が生きるために、感覚と行為を通して切り出した「意味のある世界」であり、客観的世界の単なる写像ではない。生物は、外界のすべてに反応して生きているのではなく、自身の生存課題に結びつく差分だけを検出し、その差分を手がかりに行為し続ける。その結果として、その生物にとっての世界が成立する。[7]

このとき重要なのは、環世界が「主観的な世界観」ではなく、「検出と行為の結合様式」だという点である。つまり、世界の違いは、意見の違い以前に、何が前景化し、何が背景化し、どの差分が次の行為を引き起こすかという、構造の違いとして現れる。ここまでを押さえると、環世界の射程は、生物種の違いに限られない。人間同士でも、注意の配分、意味づけ、行為誘発の閾値が異なる限り、「同じ場所にいるのに別の世界を生きる」という状態が成立する。[7]

1.1 人間同士の環世界差が生まれる層

人間同士の環世界差は、主に三つの層で立ち上がる。第一に、知覚の重みづけである。同じ刺激が存在しても、ある人の注意を強く奪う刺激と、別の人には背景に沈む刺激がある。第二に、意味生成の層である。言語、経験、職業的スキーマが、同じ対象に異なる意味を付与し、次の行為を分岐させる。第三に、行為可能性(アフォーダンス)の層である。対象が「何ができるもの」として立ち上がるかが異なり、結果として世界が異なる構造で現れる。

1.2 「翻訳可能だが一致不能」という人間社会の前提

人間同士は言語を共有するため、部分的な翻訳は可能である。しかし、注意配分や意味生成の自動過程は、完全には共有されない。ゆえに「世界を一致させる」ことは原理的に困難であり、社会は「一致」を基盤に設計できない。この前提は、後で社会制度の議論(言語・制度の仮接続)に直結する。

1.3 ここまでの小まとめ

環世界は、「世界観の違い」ではなく、「検出→意味化→行為」の連結の違いである。人間同士にも環世界差はあり、翻訳はできても一致はできない。次に、この「世界の立ち上がり」を支える主体そのものを、更新構造として定義する。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
1.1 差が生まれる層 知覚の重みづけ、意味生成、行為可能性の差が、同じ場でも別世界を成立させる。
1.2 翻訳と一致の非対称 言語で翻訳はできるが、注意と意味の自動過程は一致しないため、世界共有を前提にできない。
1.3 暫定結論 環世界は「検出→意味化→行為」の結合差であり、これが社会の設計前提になる。

2. 生きるとは何か:更新構造としての生命

次に、「生きる」を定義する。ここでは「生命=物質の集合」ではなく、「生命=更新構造」という立場を採る。生きるとは、外界と自己の差分を取り込み、自己を維持するために状態を更新し続けることである。体温や代謝の調整のような生理的更新だけでなく、学習と予測、行為選択のような認知的更新も含めて、更新が連続して成立している状態が「生きている」である。[6][8][9]

この定義の核心は、「死」を「停止」ではなく「更新不能性」として捉え直す点にある。睡眠や麻酔のような停止は、更新が再開される限り「死」ではない。死とは、更新が再開できない段階に達した状態である。したがって、生命の本質は、更新の継続性と再開可能性にある。[6]

2.1 自己維持と自己生成:オートポイエーシスの視点

更新構造としての生命は、自己を保ちつつ自己を作り直すという二重性を持つ。オートポイエーシス(autopoiesis)は、生命を「自己生成するシステム」として捉え、外部から目的や機能を付与するのではなく、自己参照的な生成過程として定義する。ここでの自己生成は、外界から孤立するという意味ではなく、外界との相互作用の中で、自身の境界条件を維持し続けるという意味である。[10]

2.2 恒常性と適応:サイバネティクスの視点

更新構造をより一般化すると、恒常性(homeostasis)と適応の問題になる。サイバネティクスは、生命を「目標状態(あるいは許容範囲)を維持するためにフィードバックで自己調整する系」として捉える。ここで重要なのは、更新は単に変化することではなく、「差分を検出し、差分を縮める方向に自分を変える」ことだという点である。この一般形は、後で主体・責任・制度の議論にそのまま移植できる。[11]

2.3 ここまでの小まとめ

生きるとは、差分を取り込み、自己を維持するために状態を更新し続けることである。死は更新不能性である。生命は自己生成と恒常性維持を同時に行う更新構造であり、この一般形が「主体とは何か」を定義する土台になる。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
2.1 自己生成 生命は外部目的ではなく、自己参照的生成として成立する(autopoiesis)。
2.2 恒常性 差分検出とフィードバックによる自己調整が、更新の一般形になる。
2.3 暫定結論 生=更新の継続、死=更新不能性。主体定義の基盤がここにある。

3. 主体とは何か:自己と世界の差分を更新し続けるプロセス

ここで「主体」を定義する。主体は、身体や脳という器の同義語ではない。主体は、意識内容の集合でもない。主体は、自由意志という実体でもない。更新構造の立場から押し込めば、主体は「もの」ではなく「プロセス」である。最小定義は次になる。

主体とは、自己と世界の差分を検出し、その差分をもとに状態を更新し続けるプロセスである。

この定義は、「生きる=更新の継続」と一致する。生きているとは、主体であり続けていることであり、主体であるとは、更新が止まっていないことである。主体と生命を別物として分ける二分は、ここでは成立しない。[6][11]

3.1 主体が世界を「見る」のではなく「生成する」という意味

主体は、外界の全情報を取り込めない。ゆえに主体は、差分検出と意味生成を通して、世界の一部を前景化し、行為に結びつける。この生成された「意味のある世界」が環世界である。したがって「それぞれ異なる世界を生きる」とは、「それぞれ異なる更新プロセスで世界を生成している」ということに等しい。[7]

3.2 更新と自己参照:主体が「自分」を成立させる仕組み

主体は、更新を行うだけでなく、自分の更新を参照し、その参照結果を次の更新に反映する。これが自己参照である。自己参照が連続すると、主体は「自己」という仮説モデルを維持できる。逆に、自己参照が断絶すれば、主体性は損なわれる(せん妄、重度解離、深い意識障害などで直観される現象は、この断絶に近い)。この議論は、後で同一性・死・責任へ接続する。

3.3 ここまでの小まとめ

主体は実体ではなく、差分検出と更新の連鎖である。環世界は主体の更新履歴の断面として成立する。主体の自己参照が連続性を支え、断絶が主体性の損傷を生む。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
3.1 世界生成 主体は外界を写すのではなく、差分検出と意味生成で環世界を生成する。
3.2 自己参照 更新を参照して次の更新に反映する連鎖が「自己」を成立させ、断絶が主体性を損なう。
3.3 暫定結論 主体=更新プロセス、環世界=更新履歴の断面。この定義が以後の全章の基礎。

4. クオリア:第一人称の不可還元性と、社会の前提

主体が更新プロセスであるとしても、なお残る問いがある。なぜ「感じ」があるのか、なぜ第一人称が消えないのか、という問題である。クオリア問題は、「主観的体験の質」が、第三人称の説明へ完全に還元されないという直観を扱う。ここで重要なのは、クオリアが「説明の不足」ではなく、説明体系の層の違いとして現れる点である。[3][12][13][4]

この不可還元性は、「世界共有の限界」を明示する。どれほど情報を与えても、他者が「その感じ」を同じように持つ保証はない。ゆえに社会は、内面の一致を前提にできない。社会が扱えるのは、内面の一致ではなく、行為と結果と、その周辺の説明である。この点が、次の「言語と制度による仮接続」の議論を必要にする。[4]

4.1 クオリアは主体の「中身」ではなく、更新の内部指標として現れる

クオリアを「主体の中にある何か」と捉えると、説明困難が増幅する。更新構造の立場では、クオリアは「更新が自己参照的に成立していることの内部指標」として現れる。すなわち、主体が自己と世界の差分を統合し、更新を継続しているとき、その統合の内側からは「感じ」として現れる、という位置づけになる。この位置づけは、クオリアを消すのではなく、どの層に属する現象かを明確にする。

4.2 ここまでの小まとめ

クオリア問題は第一人称と第三人称の層差を示し、世界共有の限界を確定させる。社会は内面一致を前提にできず、行為と制度による接続へ進むしかない。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
4.1 内部指標 クオリアは「中身」ではなく、更新が自己参照的に成立していることの内部側の現れとして捉える。
4.2 社会への含意 第一人称は共有不能であり、社会は内面一致ではなく行為と制度で接続する必要がある。

5. 自由意志と行為:自由ではなく「分岐管理」

自由意志を「因果からの超越」として扱うと、議論は行き詰まる。更新構造の立場では、自由意志は実体ではなく、主体の更新が自己参照的に組織化され、予測と抑制と再計画が可能になった高次機能として整理される。要するに、自由意志とは「更新の再帰的制御」である。[2][14]

それでも行為が問われるのは、行為が「更新経路を分岐させる操作」だからである。主体は、行為によって自分の更新経路を変え、同時に他者の更新経路にも影響を与える。ここでの評価軸は、善悪の直観ではなく、「更新可能性を増やすか、不可逆に減らすか」に置き換えられる。これが次の倫理の再定義へ接続する。

5.1 互換主義(compatibilism)の位置づけ

自由意志と決定論の関係をめぐる古典的な議論では、互換主義(compatibilism)は「自由意志は決定論と両立する」とする立場として整理されてきた。本稿の立場は、自由意志を「更新の再帰的制御」として再定義することで、両立問題を「説明層の問題」に移し替える。すなわち、物理因果の層では決定的であっても、主体の更新制御の層では、選択・抑制・学習という機能的自由が成立する、という整理になる。[15]

5.2 ここまでの小まとめ

自由意志は実体ではなく更新の高次機能である。行為は更新経路を分岐させる操作であり、評価は更新可能性の増減として定式化できる。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
5.1 互換主義 決定論の層と更新制御の層を分け、自由意志を機能として位置づける。
5.2 行為の評価軸 善悪直観ではなく、更新可能性を増やすか減らすかで行為を捉える。

6. 社会とは何か:重なり合わない環世界を、言語と制度で仮に接続する

ここで社会を定義する。環世界が一致せず、クオリアが共有できず、自由意志が実体でないなら、社会は「理解の一致」によって成立しない。社会は、重なり合わない環世界同士が破壊的に衝突しないよう、言語と制度によって行為を仮に接続する装置である。言語は意味の一致を保証しないが、行為の予測可能性を一定程度つくる。制度は理解を要求せず、許容と制裁、手続と結果の座標を与える。[5][16]

6.1 言語の機能:一致ではなく、予測可能性

言語は内面の同一化を達成しない。言語が担うのは、行為の予測可能性である。「禁止」「許可」「危険」「同意」などの語彙は、内面一致を問わずに行為の範囲を制約する。言語は翻訳装置である以前に、衝突の緩衝材である。

6.2 制度の機能:理解の放棄と、結果の整列

制度は、誰がどう世界を見ているかを問わない。制度が問うのは、「この条件でどの行為を許容し、どの逸脱をどう処理するか」である。つまり制度は、環世界差を消さず、理解を要求せず、結果だけを整列させる装置である。この性質が、刑法の再定義(応報ではなく介入設計)に直結する。[5]

6.3 ここまでの小まとめ

社会は世界共有ではなく仮接続である。言語は予測可能性を作り、制度は理解を放棄して結果を整列させる。次に、この仮接続が「暴力(攻撃性)」とどう結びつくかを外部化仮説として再構成する。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
6.1 言語 意味一致ではなく、行為の予測可能性を作る緩衝材として機能する。
6.2 制度 理解を要求せず、許容・制裁・手続で行為の扱いを揃える装置である。
6.3 暫定結論 社会=重なり合わない環世界の仮接続。次章で外部化と暴力へ接続する。

7. 外部化仮説:暴力は消えず、言語・制度・技術へ移る

社会を「仮接続」として定義すると、次の問いが立ち上がる。なぜ社会は、制度をこれほど厚く積み上げるのか。ここで提示するのが外部化仮説である。外部化とは、主体内で処理しきれない環世界間衝突を、第三の装置(言語・制度・技術)に委譲する操作である。文明化は、衝動的な暴力(反応的攻撃性)を抑える代償として、計画的な攻撃性(能動的攻撃性)を制度へ外部化し、不可視化していく過程としても記述できる。[4][17][18][19]

7.1 反応的攻撃性と能動的攻撃性

攻撃性を二つに分ける整理は、外部化仮説と整合する。反応的攻撃性は挑発や恐怖への即時反応として現れ、能動的攻撃性は計画的に目的を達成するために現れる。文明化は、前者を抑圧しつつ、後者を制度と技術の中へ組み込む形で温存しやすい。これは「暴力が減った」のではなく、「暴力の形式が変わった」という理解を許す。[20]

7.2 構造的暴力:加害者が見えない暴力

制度化された外部化の一つの到達点は、構造的暴力である。構造的暴力は、個人の直接的加害行為が見えないまま、制度や社会構造が人の生存機会を削ることで生じる。ここでは「誰が殴ったか」ではなく、「どの仕組みが更新可能性を奪ったか」が問題になる。[21]

7.3 可視化と監視:規律化の装置

外部化が進むと、衝突処理は可視化と監視を伴う。規律化は、身体の直接制裁よりも、行為の連鎖を管理する。監視は単に見ることではなく、行為の可能性空間を変形し、主体の更新経路を誘導する。この点は、近代刑罰の変形を論じた議論と接続する。[22]

7.4 スコア化とブラックボックス:技術による外部化の加速

技術が外部化を加速すると、判断はスコア化され、手続は自動化され、説明はブラックボックス化しやすい。ここでの危険は、外部化が「可逆な調整」ではなく「不可逆な選別」へ変質する点にある。スコアは便利だが、主体の環世界を理解しないまま、更新経路を閉じる力を持ちうる。アルゴリズム的統治や監視資本主義の議論は、この危険を別の語彙で捉え直す。[23][24][25][26][27]

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
7.1 攻撃性の二類型 反応的攻撃性は抑えられやすいが、能動的攻撃性は制度内に組み込まれやすい。
7.2 構造的暴力 加害者が見えないまま制度が更新可能性を奪う。責任は仕組みの介入点として再配置される。
7.3 規律化 監視と可視化は行為空間を変形し、主体の更新経路を誘導する装置になる。
7.4 技術化 スコア化・自動化・ブラックボックス化が外部化を不可逆化し、回復経路を狭める。

8. 倫理・行為・責任:更新可能性を守るための設計

環世界が一致せず、社会が仮接続であり、外部化が進むなら、倫理は「正しさの共有」では成立しない。倫理は、他者の更新構造を不可逆に破壊しないための制約として再定義できる。行為は更新経路を分岐させる操作であり、責任は非難ではなく、更新を回復・維持するための介入点の帰属である。ここでの鍵は、内面評価ではなく、更新可能性の増減と、介入可能性の配置である。[14][15]

8.1 倫理:更新破壊の回避

倫理を「善悪の一致」として扱うと、環世界差の前提と衝突する。更新構造の立場では、倫理は「相手の更新を不可逆に止めない」という制約に落ちる。ここには、身体的暴力だけでなく、社会的排除、沈黙の強制、回復経路の遮断が含まれる。

8.2 責任:人格評価ではなく、介入点の特定

責任を「悪い人を罰する属性」とみなすと、外部化と不可視化の時代に破綻する。責任は、更新経路に介入可能な点を特定する制度操作として捉えるべきである。刑法を応報ではなく介入設計として再構成する視点は、この枠組みの具体例である。[5]

8.3 ここまでの小まとめ

倫理は更新破壊の回避として、責任は介入点の特定として再定義される。ここまでで、環世界・生命・主体・クオリア・自由意志・社会・外部化が一つの枠で整列した。最後に、同一主体性・死・ AI への接続を整理する。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
8.1 倫理 善悪の一致ではなく、他者の更新可能性を不可逆に閉じない制約として定義する。
8.2 責任 非難の属性ではなく、更新を回復・維持するための介入点を特定する制度操作である。
8.3 暫定結論 倫理・責任は更新の設計問題へ移る。次章で同一性・死・ AI を扱う。

9. 同一主体性・死・ AI:更新の連続性と分岐

主体が更新プロセスであるなら、「同一の主体」とは何かは、実体の同一ではなく、更新の連続性として定式化される。同一主体性が成立する最小条件は、因果的連続性、自己参照の継続、更新の再開可能性である。記憶の変化は、材料が変わるだけで、更新が連続している限り主体性を破壊しない。一方で、更新が分岐すれば、同一性は分裂する。[16][28]

9.1 死:停止ではなく更新不能性

死は停止ではなく更新不能性である。更新が再開できないと確定したとき、主体は回復不能に失われる。この定義は、生命を更新構造として定義したときに一貫して導かれる。[6]

9.2 AI:主体になり得る条件

AI が主体になり得るかは、感情の有無ではなく、更新構造を持つかで決まる。自己と世界の差分を検出し、その差分で自己を更新し続け、自己参照が継続し、停止が自己にとって意味を持つなら、原理的には主体に近づく。逆に、更新が外部に完全に委ねられ、自己停止が意味を持たないなら、主体とは言いにくい。ここでも、社会が「どこまでを主体として扱うか」を制度的に決める側面が残る。

9.3 ここまでの小まとめ

同一主体性は更新の連続性として定義される。死は更新不能性である。 AI の主体性は更新構造の成立条件として整理でき、社会制度がその扱いを決める余地がある。

小項目 観点 要点(本文の言い換え)
9.1 停止ではなく更新不能性。再開できない更新の確定が死を定義する。
9.2 AI 感情ではなく更新構造の有無で主体性を判断する。制度が扱いを定める余地が残る。
9.3 暫定結論 同一性・死・ AI も更新構造で統一的に整理できる。

10. 全体の接続一覧:同一フレーム(L1〜L5)で読む

最後に、ここまでの議論を、同一の座標(L1〜L5)で一覧化する。ここでの表は、新しい主張ではなく、本文の記述を再配置して確認するためのものに過ぎない。

領域 L1 主体内 L2 主体間 L3 接続装置 L4 制度 L5 帰結
環世界 差分検出と意味生成 翻訳可能だが一致不能 言語で部分翻訳 一致を前提にしない 世界共有幻想が破綻源
更新の継続 相互作用で更新が交差 説明は層を持つ 更新を支える外部条件 死=更新不能性
主体 差分検出→更新 更新履歴が異なる 自己物語で統合 同一性を便宜的に確定 同一性は社会的決定も含む
クオリア 第一人称の内部指標 共有不能性の根拠 第三人称記述の限界 内面一致を要求できない 理解の一致は成立しない
自由意志 更新の再帰的制御 行為が更新経路を分岐 語彙で行為を整理 責任の枠組みへ 評価は更新可能性で記述
社会 処理限界が衝突を生む 環世界差が不可避 言語が予測可能性を作る 制度が結果を整列 仮接続として運用される
外部化と暴力 攻撃性の不可消性 衝突処理の委譲 合理化語彙で脱私有化 構造的暴力・監視・スコア化 不可視化と回復経路の縮小
倫理と責任 更新破壊の回避 他者更新への配慮 非難ではなく介入点 介入設計としての法 回復と再接続の設計問題

11. 結論:主体・世界・社会を一つの文法で書く

本稿が提示した接続は、結局一つの定式に収束する。主体とは、自己と世界の差分を検出し、その差分をもとに状態を更新し続けるプロセスである。生きるとは、その更新が連続して成立している状態である。環世界とは、主体がその更新の中で生成した意味のある世界であり、主体ごとに重なり合わない。クオリアは第一人称の不可還元性として、世界共有の限界を明示する。自由意志は更新の再帰的制御として位置づけられ、行為は更新経路を分岐させる。社会は理解の一致ではなく、言語と制度による仮接続として、衝突を外部化し、運用する。倫理は更新破壊を回避する制約であり、責任は非難ではなく介入点の特定である。死は更新不能性であり、 AI の主体性は更新構造の成立条件として整理できる。

この枠組みの利点は、精神論や価値観の押しつけではなく、世界が一致しないという事実を前提に、なお共存するための設計問題として、社会・制度・技術・倫理を同じ文法で語れる点にある。ここまでを土台にすると、次に問うべきは「外部化を止められるか」ではなく、「どこまで外部化してよいか」「壊れた外部化をどう回復するか」「AI を外部化装置として使う条件は何か」である。これらは、いずれも同じ更新構造モデルの上でのみ、矛盾なく扱える問いになる。


参考文献

  1. 「ネコと環世界」 id774 (2026-01-19). https://blog.id774.net/entry/2026/01/19/3316/
  2. 「自由意志とは何か」 id774 (2025-12-30). https://blog.id774.net/entry/2025/12/30/3168/
  3. 「クオリアとは何か」 id774 (2026-01-03). https://blog.id774.net/entry/2026/01/03/3195/
  4. 「人間と暴力」 id774 (2026-01-06). https://blog.id774.net/entry/2026/01/06/3227/
  5. 「刑法について考える」 id774 (2026-01-23). https://blog.id774.net/entry/2026/01/23/3353/
  6. 「生きているとはどういうことか」 id774 (2026-01-16). https://blog.id774.net/entry/2026/01/16/3262/
  7. Jakob von Uexküll, “A stroll through the worlds of animals and men” (1934). https://www.codebiology.org/pdf/von%20Uexk%C3%83%C2%BCll%20J%20%281934%29%20A%20stroll%20through%20the%20worlds%20of%20animals%20and%20men.pdf
  8. Humberto R. Maturana and Francisco J. Varela, “Autopoiesis and Cognition: The Realization of the Living” (Springer PDF). https://link.springer.com/content/pdf/10.1007/978-94-009-8947-4.pdf
  9. W. Ross Ashby (background / adaptive systems lecture notes referencing his work)(PDF). https://users.sussex.ac.uk/~ezequiel/AS/lectures/AdaptiveSystems3.pdf
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  11. W. Ross Ashby, “An Introduction to Cybernetics” (Digital Archive PDF). https://ashby.info/Ashby-Introduction-to-Cybernetics.pdf
  12. David J. Chalmers, “Facing Up to the Problem of Consciousness” (1995)(PDF). https://consc.net/papers/facing.pdf
  13. Thomas Nagel, “What is it like to be a bat?” (1974)(PDF). https://www.cs.ox.ac.uk/activities/ieg/e-library/sources/nagel_bat.pdf
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