三國志Ⅴは不朽の名作である。発売から 25 年も経った現代でもリメイクを重ね、現代においても議論が活発である。

難易度設定というものがあり、初級・中級・上級さらに超級というのがあるが、この超級というのは以前にも書いた通り CPU がインチキ(混乱すぐ回復、勇名が戦争もしていないのに自動上昇する、さらには捕縛した敵将の勇名が半減するなど)をするだけのモードである。それよりおすすめなのは三國志IIでもそうであったように、いくつかの縛りをつけてプレイする方法である。特におすすめなのが、セーブ・ロードを利用した再試行は一切禁止、いわゆるリロード禁止というやつである。

そもそも三國志Ⅴのシステムでは、巡察によって重要なパラメータである民忠誠度や名声が上がったり下がったりするのだが、リロード有りであればハズレを引くことは無く、確定で良い結果を引くことができてしまう。また特殊能力の占卜でも、自軍にとって良い結果悪い結果混在するのだが、これもハズレを引くことはなくイカサマのようなスキルになってしまう。戦後処理でも、捕縛した敵将を登用できるかどうかリロードを繰り返すことで思い通りの結果にすることが可能だ。このように運要素を排除してしまっては、ゲームの設計自体を否定することになってしまう。なんのために悪い結果も引くようにデザインしたというのか。思い通りの結果にならなかったらリロードするのでは、単なる作業である。設計者の意図したバランスをぶっ壊して作業を進めて何の意味があるのだろう。

人によっては難易度を超級にしておいて、それでいてリロードを繰り返すプレイをする者もいるようだが、意図がわからない。それであればストレスフルな超級にする意味も無いであろう。リロード有りであれば結局自軍が勝利するだけではないのか。それよりも、中級かせいぜい上級あたりに設定しておいて、手応えのある敵と戦いたいのであれば、弱小の勢力を選択するなり、最初にエディット機能で敵勢力を有利に編集するなりして、あとはその時その時のプレイを楽しんだほうがはるかに面白い。まあ楽しみ方は人それぞれであるが、リロードという一番汚い手を使って敵に勝利して、一体何が楽しいのかは自分には理解できないところである。

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