将や民の忠誠度を一律で上昇させる歴史イベントの中で比較的早期に発生しまた重要なイベントとして「魏公推挙騒動」が挙げられる。曹操が魏公に推挙され、魏公になると配下の将の忠誠度が一律で 10 上昇し、また君主の支配都市の民忠誠度が上昇する。その代わり荀彧が自害してしまうというデメリットも発生するイベントである。このときの注意点として、寿命などで将が死去した場合は所属していた兵はその都市の予備兵になるが、イベントで荀彧が死亡する場合はどういうわけか兵ごと消滅してしまうという点が挙げられる。このイベントで荀彧が死亡する選択肢を採用する場合は、荀彧の兵数を予め 0 にしておくのが良いだろう。

212 年 10 月、董昭らが、曹操は国公に進爵し、九錫の物を備えて殊勲を顕彰するのが妥当だと謂い、密かに諮った。

これに反対するのが王佐の才と称揚された豫州潁川郡潁陰県の人、荀彧である。荀彧曰く「本来は義兵を興して朝廷を匡して国を寧んじ、忠貞の誠を秉り、退譲の実を守ってきた。君子とは徳によって人を愛するもので、この様な事は宜しくない」 (彧以為太祖本興義兵以匡朝寧國、秉忠貞之誠、守退讓之實、君子愛人以德、不宜如此。)

曹操はこれによって心中は平静ではいられなかった。(太祖由是心不能平。)

ゲームでは荀彧の反対を却下して魏公になると彼は自害してしまう。そしてこれを悔いた曹操により敬侯に封ぜられるという三国志演義のストーリーを採用している。

なお荀彧の意見を採用して魏公推戴を拒否すると彼は自害せず、曹操の名声と荀彧の忠誠が上昇する。なおどちらの選択を採用しても 216 年 5 月に曹操は魏王に即位する。

荀彧の最期については諸説あり、もともと九州制の復活についても荀彧は「時期尚早」としか述べていない。(若是、則冀州當得河東・馮翊・扶風・西河・幽・并之地、所奪者衆。前日公破袁尚、禽審配、海内震駭、必人人自恐不得保其土地、守其兵衆也。今使分屬冀州、將皆動心。且人多説關右諸將以閉關之計。今聞此、以為必以次見奪。一旦生變、雖有者、轉相脅為非、則袁尚得寬其死、而袁譚懷貳、劉表遂保江・漢之間、天下未易圖也。願公急引兵先定河北、然後修復舊京、南臨荊州、責貢之不入、則天下咸知公意、人人自安。天下大定、乃議古制、此社稷長久之利也。)

この流れからすると魏公となるのに反対したのも時期尚早と判断しただけではないかという見方がある。いっぽうで、魏の功臣として曹操の廟庭に祭られる中に荀彧が祭られることはなかったという点から、晩年の曹操と荀彧が不仲となったという説にも説得力がある。少なくとも陳寿が史書を記した頃には定説となっていた模様である。

荀彧を犠牲にして将の忠誠を買うのか、あるいはわが子房と共に天下を平定するのか、どちらにしても曹魏勢力には有利なイベントであり、いずれにせよ天下平定の軍を興すことになろう。このイベントを通過したなら、今まで書いてきた優秀な軍師速攻鉄壁を使える将、長い射程を持つ将、火力の高い陣形を使える将などを従えて一気に賊を征討していくことになる。

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